2000年2月10日木曜日
惑星ニビル情報
Nibiru and the 'Great Pyramid' Connection
by Greg Jenner
Sol and Mithras
Written by Greg Jenner
Abbotsford, B.C., Canada
Greg Jenner Index
Greg Jenner
http://www.darkstar1.co.uk/gregjenner17.html
(要約)
天体情報:惑星ニビル
惑星ニビルとピラミッド
Greg Jenner
二度生まれし者
古代エジプトはなぜピラミッドを作ったのか。その目的は何だったのか。一般には、ピラミッドはKhufu王、Cheopsの墓であるとされる。しかし研究の結果、そうではない事がわかってきた。
古代エジプトの聖職者や筆記者たちは皆ピラミッドの中にある石棺の目的と意味を知っていた。つまりそれは、「二度生まれし者たち、二度生まれし者(the Twice Born Ones、The Aspiring One)」といういわば超能力者が異世界を旅するための設備だった。
「二度生まれし者」となる者は、ピラミッドの中の王の間(the Kings Chamber)の中にある花崗岩で出来た石棺の中に横になり、「二度生まれし者」となる。いわばイニシエーションの儀式。こうする事で、魂は肉体から出て異次元の世界と交信する。そして無限の知恵を得、魂は石棺の中にある肉体に再び戻る。このプロセスを「子宮の中での再生(Womb of Rebirth)」という。「二度生まれし者」は白く輝く人に変わり、ファラオに値する者となる。そして称えられ、生き神として古代エジプトの民衆にあがめられる。そしてまた、この「二度生まれし者たち」は交信によって、「脅す者」(Frightener、つまり惑星ニビル)の天文情報を集めていた事がわかってきた。
著書「The Kolbrin Bible from The Book of the Silver Bough SVB」:7:18
「我は二度生まれし予言者「Elidor」。何世代も前の大昔の出来事を語ろう。…その者の体は赤く…地球全体に破壊をもたらす。日の出ずる所に現れ、日の沈む所に消える。その日は決断の日(the Days of Decision)。人のこころは盲目であり、悩むであろう…。」。
死海文書:9:1
「ピラミッドの中では、つらい『死の儀式(FALSE DEATH)』がある。Koriladwen(肉体から精神を遊離させるための飲み物『』(口あたりがよく、幻覚を起こす作用がある一種の酒。苦い。)を飲む。多くの者はこの儀式で本当に死んでしまう。これに耐え生き残った者は、『二度生まれし者』となる。アを通りOgofnaumに入る…。」。
Peter Tompkins著「Secrets of the Great Pyramid」( 1971年刊、 256頁-257頁)
「ピラミッド研究家William Kingsland氏によれば、古代エジプトでは初歩教育として、天文サイクルとそのサイクルを用いる知識を教えた。当時の古代エジプト社会では天文学は単に宇宙のメカニズムを知るといった表面的な学問でなく、ニビルの公転周期や人類の進化をふくめ、もっと大いなるもののサイクルを知るという目的があった。」 。
「バラ十字団やテンプル騎士団といった集団は、ピラミッドにおけるこういった儀式を継承し続けている。」。
火の子の書:2:3
「1サイクル7年を3サイクル務めた者のみが挑戦しうる。男性である事、仮死状態から生きかえる精神力、知恵、勇気がある事が要求される。また純粋さ、自律心、犠牲心、義務意識も要求される。このうちどの要素が欠けていても生きて帰って来る事は出来ない。」。
予言者Elidorの「二度生まれし者」が知る惑星ニビルの知識
古代エジプトのルーツは古くフリーメーソンの入会儀式。この記録はKolbrin文書にもある。Kolbrin文書によれば、古代エジプトの王権は派遣団を作って各国を旅させ、「二度生まれし者」が得た情報を世界に伝えた。この派遣団が「Elidor」という名の予言者集団であった。「Elidor」は北の地にある「ケルトの国」に「二度生まれし者」が得た「脅す者」(惑星ニビル)の情報を伝え、古代エジプトに帰国した。これが英国とエジプトの最初の国交であった。
Marshall Masters著「The Kolbrin Your Own World Books Master Edition」
Kolbrin文書:33:5
「家はばらばらに壊れ、新たな家を捜す。国も人と同じように、老い、そして死ぬ。Osireh神が光を運びし時から120世代。私の国エジプトは老いている。星々は4回新しい位置へ移り、空を太陽が進む向きは2回変わり、破壊者(THE DESTROYER、惑星ニビル)は2回地球にぶつかり、天は3回開閉し、地上の土地は2回水で洗われた。」。
「これも運命だ。祖国が崩壊しようとも、泥の上に建てた宮殿が倒れようとも、私は行かねばならぬ。躊躇している時ではない。一人では洪水を止めようがない。」。
Kolbrin文書:4:18
「長い努力、犠牲、忍耐により、私はものの本質を知る洞察力を得た。人には奇異に聞こえるだろうが、伝える必要がある…なぜ、あなたは私の教えを笑い疑うのか?考えを変えろなどと言っているつもりはないのに」 。
Kolbrin文書:4:19
「あなたがたケルトは我々Elidorを笑って言う。可愛そうに。おまえは狂っている。このケルトの国から出ていけ。おまえの言う事など信じるものか。」。
Kolbrin文書:4:20
「我々Elidorがあなたがたケルトと比べて劣っているとでも言うのか?そうかもしれん。あなたがたケルトほどの力はない。我々Elidorがここで生き延びているのはあなたがたケルトが攻めないという慈悲心ゆえだ。しかし我々Elidor、しいてはエジプトにはピラミッドがある。それによって、あなたがたケルトの常識をはるかに越えた力の秘密を学んでいる。慈悲などいらない。我々Elidorの知識があれば富と力を得る事などたやすい。しかしそれをしなかった。その代わり、予言者として生きるほうを選んだのだ。それが我々Elidorが誠実であるという証明になるはずだ。」。
この文からわかる事は、過去、地球に少なくとも4回のポールシフトがおきたという事。ポールシフトの原因は、Elidorが言うところの『脅す者』(惑星ニビル)。そしてElidorは「二度生まれし者」が知った惑星ニビルの情報をケルト族に伝えようとした。
Kolbrin文書:7:18
「『脅す者』(惑星ニビル)の事について話そう。前回この地球に接近したのは遠く何世代も前の大昔だ。『脅す者』(惑星ニビル)は恐ろしく大きい星。カニの形をしている。最初赤く見え、それから緑色に変わり、それから青色に変わる。破壊の規模は地球全体におよぶ。この時に人類の分離(the Days of Decision)がおきる。覚醒、光の世界へ向かう者、快楽と快適に沈む者に分かれる。」。
Kolbrin文書:7:19
「精神的なものへの疑惑。この原因は無知。疑惑は愛と自然の中に疑惑はない。疑惑は口から生まれる。
混乱の時と、大声で疑惑を叫んでも無為だ。未知なる恐怖に怯える人々のこころは、快楽と快適さを追う生き方から、精神的なものを追う生き方へ変わる。」 。
Kolbrin文書:7:20
「葛藤の時代、自分の側に大いなる魂がいてくれるよう祈らないでほしい。時間の無駄。むしろ、大いなる魂の側に自分がついているよ、と祈ってほしい。」。
Kolbrin文書:7:21
「私は来るものについて語る。私の声に耳を澄ませてほしい。『脅す者』(惑星ニビル)は近づいても徴候がない。だから人はほとんど備えをしていないだろう。そして『脅す者』(惑星ニビル)は突然来る。人はその日の暮らしの事で頭がいっぱいだ。そして『脅す者』(惑星ニビル)は突然来る。『脅す者』(惑星ニビル)が近づく時代、男は男らしさを失い、女は女らしさを失う。社会は混乱と混沌の中におかれるだろう。」。
結論
ギザ・ピラミッドの目的は2つあった。
��つめは巨大なバッテリー。超能力者である二度生まれし者(the Twice Born Ones、The Aspiring One)」のイニシエーションの場。ピラミッドの構造は巨大なバッテリーとして動くよう設計された。エネルギーはピラミッドの中にある王の間と女王の間に集中する。そこで超能力者を作り、異次元の世界と交信させた。
2つめは巨大アーカイブ。記録。ピラミッドの構造、位置は惑星ニビル通過、ポールシフトにも耐えるよう堅牢に配置され作られている。
Peter Tompkins著「Secrets of the Great Pyramid」(1971年、217頁-218頁)
「ギザのピラミッドは惑星ニビルの記録である。」。
「ギザの3つのピラミッドは惑星ニビル接近の前に建設された。ポールシフトがおき、星は空から落ち、世界がひっくりかえるという情報を知った時の王が建設した。」。
「Ibrahim ben Ebn Wasuff Shah氏によれば、ギザ・ピラミッドを建設したのは当時の王Surid(Saurid)。巨大な惑星が地球に落ちるのを夢で見て、建設を決意した。巨大な惑星とは惑星ニビルの事だったのだろう。」。
ibn-Batuta
「Hermes(ヘブライ語でエノク、Enoch)によれば、ヘジラ(the Hegira)の730年後、イスラム暦622年、当時のエジプトの王は星の様子から災害が近い事を知り、当時の学問を残すため、子孫たちに災害の警告をするためにピラミッドを建設した。」。
「Abu Zeyd el Balkhy氏によれば、ギザ・ピラミッドが建設された時代、琴座が蟹座の位置にあった。つまり、ヘジラ(the Hegira)の36000太陽年の2倍前、73,000年前という計算になる。」。
Peter Tompkins著「Secrets of the Great Pyramid」( 1971年刊、 260頁)
「Henri Furville氏著『La Science Secrete』によれば、Kolbrin文書は、Elidorがケルト族に与えた惑星ニビルの警告だった。Kolbrin文書:7:22:私は命令により、あなたがたケルト族に『脅す者』(惑星ニビル)を警告する。」。
ピラミッドの中で「子宮の中での再生」を経験し「二度生まれし者」となった者が『脅す者』(惑星ニビル)を警告した。そしてその警告は現代の我々にまで伝わった。その意義は大きい。
local pc
FOUR TIMES THE STARS HAVE MOVED TO NEW POSITIONS AND TWICE THE SUN HAS CHANGED THE DIRECTION OF HIS JOURNEY. TWICE THE DESTROYER HAS STRUCK EARTH AND THREE TIMES THE HEAVENS HAVE OPENED AND SHUT. TWICE THE LAND HAS BEEN SWEPT CLEAN BY WATER.
Kolbrin文書:33:5
「家はばらばらに壊れ、新たな家を捜す。国も人と同じように、老い、そして死ぬ。Osireh神が光を運びし時から120世代。私の国エジプトは老いている。星々は4回新しい位置へ移り、空を太陽が進む向きは2回変わり、破壊者(THE DESTROYER、惑星ニビル)は2回地球にぶつかり、天は3回開閉し、地上の土地は2回水で洗われた。」。
local pc
1999年10月10日日曜日
1999年8月17日火曜日
グランドクロス
2007年11月08日
西暦1999年に何も起きなかったと思わされている人々へ
今更ながらの話題ではありますが、
多くの地球人類にとって、西暦1999年という時間軸は、
ノストラダムスの予言などに暗示されるように、
終末論や滅亡論が盛んに言われていたことは、記憶に残っているかもしれません。
西暦1999年を通過して、西暦2000年を迎えた頃には、
なんだ、何も起きなかったではないかと、巷の予言情報などに落胆された向きもあったかもしれません。
実はこの年、多くの地球人類には知らされていない、宇宙でのイベントが起きています。
西暦1999年8月17日、私たちの太陽系では、惑星の完全なる直列状態、グランドクロスが起きました。
このイベントを宇宙の高次元の視点から観ますと、
惑星の配置が巨大な十字形を描いて整列する現象と、
その整列によって強大なエネルギーが放出されることを意味していました。
つまり、グランドクロスの地球における象徴とは、キリスト意識である、イエス・キリストの磔刑であり、
同時に、これから地球が辿るべき、神への道のりを、キリストが身を持って示すという予言を
満たすものであったということです。
この日、地球上での現象としましては、
トルコ共和国で、震度6.9の大地震が起きています。
その場所はまた、その6日前に皆既日蝕が上空を通過した軌道に沿っていました。
まさに“上の如く、下も叱り”、
宇宙で起きることは地球にも起きていたというわけです。
この、太陽系のグランドクロスというイベントは、
これから始まる“新しい秩序の時代”が誕生する
ということを意味していたのです。
posted by Kagari ∞ Kazuki at 03:13
シリウス文明がやって来る Kagari ∞ Kazuki のブログ
http://mihoh.seesaa.net/
http://akashicflare.web.fc2.com/
西暦1999年に何も起きなかったと思わされている人々へ
今更ながらの話題ではありますが、
多くの地球人類にとって、西暦1999年という時間軸は、
ノストラダムスの予言などに暗示されるように、
終末論や滅亡論が盛んに言われていたことは、記憶に残っているかもしれません。
西暦1999年を通過して、西暦2000年を迎えた頃には、
なんだ、何も起きなかったではないかと、巷の予言情報などに落胆された向きもあったかもしれません。
実はこの年、多くの地球人類には知らされていない、宇宙でのイベントが起きています。
西暦1999年8月17日、私たちの太陽系では、惑星の完全なる直列状態、グランドクロスが起きました。
このイベントを宇宙の高次元の視点から観ますと、
惑星の配置が巨大な十字形を描いて整列する現象と、
その整列によって強大なエネルギーが放出されることを意味していました。
つまり、グランドクロスの地球における象徴とは、キリスト意識である、イエス・キリストの磔刑であり、
同時に、これから地球が辿るべき、神への道のりを、キリストが身を持って示すという予言を
満たすものであったということです。
この日、地球上での現象としましては、
トルコ共和国で、震度6.9の大地震が起きています。
その場所はまた、その6日前に皆既日蝕が上空を通過した軌道に沿っていました。
まさに“上の如く、下も叱り”、
宇宙で起きることは地球にも起きていたというわけです。
この、太陽系のグランドクロスというイベントは、
これから始まる“新しい秩序の時代”が誕生する
ということを意味していたのです。
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1999年8月11日水曜日
フランス皆既日食,1999,
日食
フランス皆既日食観望記
1999.8.11
1999年8月11日 ノストラダムスが予言したともいわれる皆既日食がヨーロッパ・西アジアでおこりました。
今回の日食は人口が多く、しかも観測環境が整っているという好条件もあり、天文ファンだけでなく多くの人々が日食を見ようと皆既帯に詰めかけました。
私も今回、妻とスカイウォッチャー誌協賛の日食ツアーに参加しました。
この日食のことはずいぶん昔から知っていて、条件も良いので是非見たいと思っていました。
今回のツアーには約40名の方が参加され、最後まで和気藹々とした雰囲気で、日食以上に楽しめました。
イギリス、フランス、ドイツを皆既帯が横切ることもあり現地のマスコミは日食で過熱気味で、ニュース番組では約10分おきに当日の天気予報など日食情報を流していました。左は11日の天気予報です。
8月9日夕刻 パリ(Paris)からランス(Reims)入りして、翌10日に観測地の下見をしました。
まずランス郊外にあるホテルの庭は芝生敷きで気持ちよさそうです。ここでは皆既継続時間1分59秒です。天体観測をするには快適すぎる環境で、水・電気から食料まで何でもありです。眺望もまずまずで、日食観望に問題はありません。
つぎに、ランスの北東約30kmで皆既帯の中心に近いペルテスという町に行きました。
バスでゆられて約1時間で到着。
むむむ~!! さすがフランス・・・どこが町なんだ??
周囲には何にも無い!!
天体観測をするのにこれほどの土地があるだろうか。
舗装路から畑の畦道を進んだところにあったのは、5メートル四方の仕切テープがたくさん並んだ土地。
畑に仕切をして観測隊に切り売りしているらしい。
市長(おいおい村長じゃないのかい)まで出迎えてくれて、「明日は絶対晴れ!」とフランス語で豪語していました。
川村氏の持ち込んだGPSで緯度・経度を測り、そのデータをパソコンに打ち込んで計算すると、
ペルテスの皆既継続時間は2分12秒
ほぼ皆既帯の中心です。
この時点で11日の観測場所をランスにするかペルテスにするかの決断を迫られました。
皆既時間は1割長い、しかし天気予報は東が悪い・・・・
究極の選択ですが、私の見解は心の底で どちらも曇り と考えていました。
したがって「多数につく!」です。暫定アンケートの結果ペルテス組は8名、残りはランスなので、
もしペルテスに移動して見えずランスで見えたときが一番悔しいので最悪の結果を避けようと安全策を取ることにしたのです
8月11日 いよいよ日食本番です。
やはり気になるのは天候です。朝6時に起きて窓の外を見ました。
「うーん、曇ってるなあ~!! まあ何とか6時間後に晴れてくれればいいか」
と 楽観的な希望を抱いて身支度をして朝食に向かいます。
皆既帯の中心にあるペルテスへ向かう7人を見送ってからは、する事もなくTVを見ながらぼーっと過ごしていました。
TVからはほぼ10分おきに日食情報が流れてくるのですが、内容は毎度同じで、
日食のCGと日食用メガネをかけて太陽を見ましょう
とか天気予報だけです。
まあ、そう新しい内容があるはずもないのですが何となく見てしまっていました。
そうこうするうちに午前10時になりました。
そろそろホテルの芝生に陣取る人たちが現れ始めました。
うちらは、セッティングするほどの本格的な機器もないのですが、それでも雰囲気に押されてビニールシートを引いたりカメラを三脚にセットするなどそれらしく準備を始めました。
このフランス人のオジサンは「ハイテク~」とのたまって、自作の機器を持ち込んできました。
ハイテクの中身は双眼鏡(5cmくらいかな)に遮光板と投影板を取り付けて、要するに太陽投影装置ですね。
アングルステーで太陽方向に向けるつもりらしいのですが、微動装置どころか粗動装置もなくどうやって太陽の動きを捉えるつもりなんだろう??
でも「ハイテク~」と何度もおっしゃるので
「ワンダフル!!」
と言ったらすごく喜んでいました。
ジョークの判るヤツと思っていただいたのでしょうか。
10時半を過ぎる頃から、芝生の中は多くの人々が集まりそれぞれの機器をセッティングし始めています。
3000mmの超焦点でプロミネンスを狙う人、シャドーバンドを撮影しようとビデオカメラを試す人などそれぞれ個性のある方たちばかりです。
うちらは観望派なので400mmの望遠レンズにNDフィルターと一般的なカメラを用意しただけで、あとはコロナが見れたらいいなというお気楽なノリですね。
11時6分、いよいよ部分日食がはじまる時間が来ましたが、依然雲がたれ込めたままです。
しかし、11時15分薄雲を通して太陽が見えました。
「やったー、欠けてる!!」
との歓声が周囲から起こりました。
雲間は更に薄くなりまぶしい太陽が見えました。
日本人は芝生の上か隣の駐車場で機材を持ち出してのまがりなりにも観測派ですが、ホテルの残りの客はプールサイドに陣取って遮光板(日食メガネ)で太陽を見ています。
その後も一進一退で、雲間から見えたと思えば数十秒で隠れるの繰り返しです。
なんとかならないかなと思っていると、北の方に青い空間が・・・・・
少しずつですがこちらに向かって拡がって来るではありませんか。
ちょっと速すぎるなと思いながらも、みんなで手招きしました。
青空はだんだん拡がり近づいてくるのですが、少しずれているぞ。
青空の端っこのほうでようやくまぶしい太陽を見ることができました。
食分約55%、夢中でシャッターを切りました。
しかしその後は12時15分頃以降いっこうに晴れる気配もなく、時間だけが過ぎていきます。
周囲にいた鳥たちが飛び立ってどこかへ行ってしまいましたが、これってやっぱり日食のせいなんだろうか? などと考えていました。
12時20分を過ぎて皆既まであと数分、周囲が目に見えて暗くなってきました。
道路の街灯も灯り始めました。しかし雲はたれ込めたままで、周囲に切れ間もないのでほぼ絶望です。時間がだんだん迫ってきます。
このままダラーっと終わってしまうのかな~ などと考えていて何気なく東の方を見ると、遠くの雲が一瞬暗くなりました。
「あれ! あれ!」
と叫んで妻にそちらの方を見るように言いました。
すると、東の方から順に暗くなっていくのが判りました。
「来た!!」と思わず叫ぶと、他の方も気づいていたのでしょう。
一斉に「オー!!」と声が出ました。
雲間から漏れていた薄日が東からパッ、パッと消えていき、暗闇が東から襲ってきたような感覚で数秒で夜になってしまいました。
周囲の人たちから一斉に歓声が湧き起こり、拍手の渦につつまれました。
さすがの私も、皆既日食と言ってもこんなに暗くなるとは予想もしていませんでしたので、不思議な体験をしている気分でした。
約2分の暗闇が終わると、今度は空が急に明るくなりました。
皆既中の太陽が見えずコロナを観望できなくとも、皆既中であることはしっかり分かりました。
残念ながら「皆既を見る」という初期の目的は達成できませんでしたが、「皆既を体験する」ことはしっかりできたと思います。
非日常の体験をしたという点では、意味のある日食観望ツアーだったと考えています。
ペルテスに行った人たちは、短時間ですがコロナを捉えることに成功しました。
金星も見えたそうです。
すこし羨ましい気持ちもありましたが、朝早くから旅支度をして出発した努力の結果だったのでしょう。
もう一度同じ選択を迫られても、同じ判断をしただろうと思うと移動した方々の勇気のたまものかなと思います。
ランスに残った人たちも私と同じ気持ちだったのではないでしょうか。
左の写真は、皆既が終わってなんとなく放心している人たちです。
太陽は11年周期(本当は22年周期なんだけれども)で活動が盛んになったり、少し元気がなくなったりします。
1999年から2000年にかけて活動が最大になると予想されるので、全方向に拡がった大きなコロナや、光球面(太陽の表面)からたち昇るプロミネンス(紅炎=表面の爆発現象)が観測される可能性が大きくなります。今回も巨大なプロミネンスが見られたそうです。
えっ? 誰が撮影したかって? 内緒だよ。
翌日フランスからユーロスターでドーバー海峡を渡りロンドンへ行きましたが、どこでも日食が一面の新聞ばかりでした。
さて、私自身は悔しくないわけないので、次回もチャレンジしてやろうかと考えています。
さて、アフリカかマダガスカルか? それともオーストラリアか? いまは・・・・・ですが、必ず皆既を見てやるぞ!!
じゃあどこかで逢いましょう。
ペルテスに移動した高橋雄二さんから、皆既の写真を頂きました。
雲間から見えるコロナをきれいに捉えています。有り難うございました。
最後に・・・・この写真に写っている方々には写真掲載の了承を得ていません。
もし、写っている人が見られたら、快く了解していただくようお願いいたします。
1999.9
2003.7.14 改訂
暦と星のお話
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/index.html
金環日食を見て
2012.5
975年8月10日(天延3年7月1日)の皆既食が有名で、『日本紀略』に記述がある。不吉なこととしてこの現象を捉えている。
この金環日食を見れるというので、7:00に家を普通出るのを止めて、観察した。前日の予報では雲があり、見られるかどうかわからないというので、太陽を見るグラスを買わなかった。
しかし、7:00に家を出ようとしたら、太陽が見えるので、急遽、太陽を見る方法を探ることになった。
サングラスを3重にしたらと思い、やったが眩しい。それではと、ネガフィルムの黒い部分を
2重にして見ると、太陽が赤くなり、ちょうど良い工合に見える。
このフィルム2重重ねで、道に出て見ていると、隣の家の住民は、太陽を見るグラスを2つも持って、見てる。
少し見せてもらったが、同じ感じであった。
金環日食は、私の生きている間には東京では見れないと思い、家族全員と近所の人たちとみていた。
しかし、世界経済にも、日本近傍にも不吉な兆候が出ているのが、非常に心配である。
7:45分に家を出て通勤したが、大幅遅刻である。仕方がないですね。
==============================
アジア太平洋各地で金環日食、光の輪くっきり
2012.05.21 Mon posted at: 09:39 JST
(CNN) 太陽に月が重なって光のリングのように見える金環日食が21日、アジア太平洋の各地で観測された。
今回の金環日食は中国南部から米テキサス州にかけて観測することができる。
中国南部で始まった日食は、香港では厚い雲に覆われてしまったが、東京では
午前7時32分から約5分間、
雲の合間に金環日食がくっきりと見えた。
金環日食は月が地球と太陽の間を通過して太陽の中心部分が覆い隠され、金色の輪のように見える現象。
今回の日食では太陽の80%上が月に覆い隠されている。
米国ではカリフォルニア州北部とオレゴン州南部からテキサス州東部にかけての一帯で現地時間の20日夕刻に観測できる。
同国では1994年以来。米航空宇宙局(NASA)の専門家は
「それほど頻繁にみられるものではなく、珍しい現象」
と解説している。
各地で観測会も企画され、ユタ州カナラビルでは標高3000メートルを超える山頂から眺望を楽しめるよう、地元のリゾートがスキー用のリフトを観光客に開放。コロラド大学ボルダー校はフットボール競技場で観測会が開かれている。
次の金環日食はオーストラリア北部で11月13日に観測できる。
国際戦略コラム
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/240521.htm
フランス皆既日食観望記
1999.8.11
1999年8月11日 ノストラダムスが予言したともいわれる皆既日食がヨーロッパ・西アジアでおこりました。
今回の日食は人口が多く、しかも観測環境が整っているという好条件もあり、天文ファンだけでなく多くの人々が日食を見ようと皆既帯に詰めかけました。
私も今回、妻とスカイウォッチャー誌協賛の日食ツアーに参加しました。
この日食のことはずいぶん昔から知っていて、条件も良いので是非見たいと思っていました。
今回のツアーには約40名の方が参加され、最後まで和気藹々とした雰囲気で、日食以上に楽しめました。
イギリス、フランス、ドイツを皆既帯が横切ることもあり現地のマスコミは日食で過熱気味で、ニュース番組では約10分おきに当日の天気予報など日食情報を流していました。左は11日の天気予報です。
8月9日夕刻 パリ(Paris)からランス(Reims)入りして、翌10日に観測地の下見をしました。
まずランス郊外にあるホテルの庭は芝生敷きで気持ちよさそうです。ここでは皆既継続時間1分59秒です。天体観測をするには快適すぎる環境で、水・電気から食料まで何でもありです。眺望もまずまずで、日食観望に問題はありません。
つぎに、ランスの北東約30kmで皆既帯の中心に近いペルテスという町に行きました。
バスでゆられて約1時間で到着。
むむむ~!! さすがフランス・・・どこが町なんだ??
周囲には何にも無い!!
天体観測をするのにこれほどの土地があるだろうか。
舗装路から畑の畦道を進んだところにあったのは、5メートル四方の仕切テープがたくさん並んだ土地。
畑に仕切をして観測隊に切り売りしているらしい。
市長(おいおい村長じゃないのかい)まで出迎えてくれて、「明日は絶対晴れ!」とフランス語で豪語していました。
川村氏の持ち込んだGPSで緯度・経度を測り、そのデータをパソコンに打ち込んで計算すると、
ペルテスの皆既継続時間は2分12秒
ほぼ皆既帯の中心です。
この時点で11日の観測場所をランスにするかペルテスにするかの決断を迫られました。
皆既時間は1割長い、しかし天気予報は東が悪い・・・・
究極の選択ですが、私の見解は心の底で どちらも曇り と考えていました。
したがって「多数につく!」です。暫定アンケートの結果ペルテス組は8名、残りはランスなので、
もしペルテスに移動して見えずランスで見えたときが一番悔しいので最悪の結果を避けようと安全策を取ることにしたのです
8月11日 いよいよ日食本番です。
やはり気になるのは天候です。朝6時に起きて窓の外を見ました。
「うーん、曇ってるなあ~!! まあ何とか6時間後に晴れてくれればいいか」
と 楽観的な希望を抱いて身支度をして朝食に向かいます。
皆既帯の中心にあるペルテスへ向かう7人を見送ってからは、する事もなくTVを見ながらぼーっと過ごしていました。
TVからはほぼ10分おきに日食情報が流れてくるのですが、内容は毎度同じで、
日食のCGと日食用メガネをかけて太陽を見ましょう
とか天気予報だけです。
まあ、そう新しい内容があるはずもないのですが何となく見てしまっていました。
そうこうするうちに午前10時になりました。
そろそろホテルの芝生に陣取る人たちが現れ始めました。
うちらは、セッティングするほどの本格的な機器もないのですが、それでも雰囲気に押されてビニールシートを引いたりカメラを三脚にセットするなどそれらしく準備を始めました。
このフランス人のオジサンは「ハイテク~」とのたまって、自作の機器を持ち込んできました。
ハイテクの中身は双眼鏡(5cmくらいかな)に遮光板と投影板を取り付けて、要するに太陽投影装置ですね。
アングルステーで太陽方向に向けるつもりらしいのですが、微動装置どころか粗動装置もなくどうやって太陽の動きを捉えるつもりなんだろう??
でも「ハイテク~」と何度もおっしゃるので
「ワンダフル!!」
と言ったらすごく喜んでいました。
ジョークの判るヤツと思っていただいたのでしょうか。
10時半を過ぎる頃から、芝生の中は多くの人々が集まりそれぞれの機器をセッティングし始めています。
3000mmの超焦点でプロミネンスを狙う人、シャドーバンドを撮影しようとビデオカメラを試す人などそれぞれ個性のある方たちばかりです。
うちらは観望派なので400mmの望遠レンズにNDフィルターと一般的なカメラを用意しただけで、あとはコロナが見れたらいいなというお気楽なノリですね。
11時6分、いよいよ部分日食がはじまる時間が来ましたが、依然雲がたれ込めたままです。
しかし、11時15分薄雲を通して太陽が見えました。
「やったー、欠けてる!!」
との歓声が周囲から起こりました。
雲間は更に薄くなりまぶしい太陽が見えました。
日本人は芝生の上か隣の駐車場で機材を持ち出してのまがりなりにも観測派ですが、ホテルの残りの客はプールサイドに陣取って遮光板(日食メガネ)で太陽を見ています。
その後も一進一退で、雲間から見えたと思えば数十秒で隠れるの繰り返しです。
なんとかならないかなと思っていると、北の方に青い空間が・・・・・
少しずつですがこちらに向かって拡がって来るではありませんか。
ちょっと速すぎるなと思いながらも、みんなで手招きしました。
青空はだんだん拡がり近づいてくるのですが、少しずれているぞ。
青空の端っこのほうでようやくまぶしい太陽を見ることができました。
食分約55%、夢中でシャッターを切りました。
しかしその後は12時15分頃以降いっこうに晴れる気配もなく、時間だけが過ぎていきます。
周囲にいた鳥たちが飛び立ってどこかへ行ってしまいましたが、これってやっぱり日食のせいなんだろうか? などと考えていました。
12時20分を過ぎて皆既まであと数分、周囲が目に見えて暗くなってきました。
道路の街灯も灯り始めました。しかし雲はたれ込めたままで、周囲に切れ間もないのでほぼ絶望です。時間がだんだん迫ってきます。
このままダラーっと終わってしまうのかな~ などと考えていて何気なく東の方を見ると、遠くの雲が一瞬暗くなりました。
「あれ! あれ!」
と叫んで妻にそちらの方を見るように言いました。
すると、東の方から順に暗くなっていくのが判りました。
「来た!!」と思わず叫ぶと、他の方も気づいていたのでしょう。
一斉に「オー!!」と声が出ました。
雲間から漏れていた薄日が東からパッ、パッと消えていき、暗闇が東から襲ってきたような感覚で数秒で夜になってしまいました。
周囲の人たちから一斉に歓声が湧き起こり、拍手の渦につつまれました。
さすがの私も、皆既日食と言ってもこんなに暗くなるとは予想もしていませんでしたので、不思議な体験をしている気分でした。
約2分の暗闇が終わると、今度は空が急に明るくなりました。
皆既中の太陽が見えずコロナを観望できなくとも、皆既中であることはしっかり分かりました。
残念ながら「皆既を見る」という初期の目的は達成できませんでしたが、「皆既を体験する」ことはしっかりできたと思います。
非日常の体験をしたという点では、意味のある日食観望ツアーだったと考えています。
ペルテスに行った人たちは、短時間ですがコロナを捉えることに成功しました。
金星も見えたそうです。
すこし羨ましい気持ちもありましたが、朝早くから旅支度をして出発した努力の結果だったのでしょう。
もう一度同じ選択を迫られても、同じ判断をしただろうと思うと移動した方々の勇気のたまものかなと思います。
ランスに残った人たちも私と同じ気持ちだったのではないでしょうか。
左の写真は、皆既が終わってなんとなく放心している人たちです。
太陽は11年周期(本当は22年周期なんだけれども)で活動が盛んになったり、少し元気がなくなったりします。
1999年から2000年にかけて活動が最大になると予想されるので、全方向に拡がった大きなコロナや、光球面(太陽の表面)からたち昇るプロミネンス(紅炎=表面の爆発現象)が観測される可能性が大きくなります。今回も巨大なプロミネンスが見られたそうです。
えっ? 誰が撮影したかって? 内緒だよ。
翌日フランスからユーロスターでドーバー海峡を渡りロンドンへ行きましたが、どこでも日食が一面の新聞ばかりでした。
さて、私自身は悔しくないわけないので、次回もチャレンジしてやろうかと考えています。
さて、アフリカかマダガスカルか? それともオーストラリアか? いまは・・・・・ですが、必ず皆既を見てやるぞ!!
じゃあどこかで逢いましょう。
ペルテスに移動した高橋雄二さんから、皆既の写真を頂きました。
雲間から見えるコロナをきれいに捉えています。有り難うございました。
最後に・・・・この写真に写っている方々には写真掲載の了承を得ていません。
もし、写っている人が見られたら、快く了解していただくようお願いいたします。
1999.9
2003.7.14 改訂
暦と星のお話
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/index.html
金環日食を見て
2012.5
975年8月10日(天延3年7月1日)の皆既食が有名で、『日本紀略』に記述がある。不吉なこととしてこの現象を捉えている。
この金環日食を見れるというので、7:00に家を普通出るのを止めて、観察した。前日の予報では雲があり、見られるかどうかわからないというので、太陽を見るグラスを買わなかった。
しかし、7:00に家を出ようとしたら、太陽が見えるので、急遽、太陽を見る方法を探ることになった。
サングラスを3重にしたらと思い、やったが眩しい。それではと、ネガフィルムの黒い部分を
2重にして見ると、太陽が赤くなり、ちょうど良い工合に見える。
このフィルム2重重ねで、道に出て見ていると、隣の家の住民は、太陽を見るグラスを2つも持って、見てる。
少し見せてもらったが、同じ感じであった。
金環日食は、私の生きている間には東京では見れないと思い、家族全員と近所の人たちとみていた。
しかし、世界経済にも、日本近傍にも不吉な兆候が出ているのが、非常に心配である。
7:45分に家を出て通勤したが、大幅遅刻である。仕方がないですね。
==============================
アジア太平洋各地で金環日食、光の輪くっきり
2012.05.21 Mon posted at: 09:39 JST
(CNN) 太陽に月が重なって光のリングのように見える金環日食が21日、アジア太平洋の各地で観測された。
今回の金環日食は中国南部から米テキサス州にかけて観測することができる。
中国南部で始まった日食は、香港では厚い雲に覆われてしまったが、東京では
午前7時32分から約5分間、
雲の合間に金環日食がくっきりと見えた。
金環日食は月が地球と太陽の間を通過して太陽の中心部分が覆い隠され、金色の輪のように見える現象。
今回の日食では太陽の80%上が月に覆い隠されている。
米国ではカリフォルニア州北部とオレゴン州南部からテキサス州東部にかけての一帯で現地時間の20日夕刻に観測できる。
同国では1994年以来。米航空宇宙局(NASA)の専門家は
「それほど頻繁にみられるものではなく、珍しい現象」
と解説している。
各地で観測会も企画され、ユタ州カナラビルでは標高3000メートルを超える山頂から眺望を楽しめるよう、地元のリゾートがスキー用のリフトを観光客に開放。コロラド大学ボルダー校はフットボール競技場で観測会が開かれている。
次の金環日食はオーストラリア北部で11月13日に観測できる。
国際戦略コラム
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/240521.htm
1999年8月7日土曜日
1999年8月トルコ大地震
1999年8月トルコ大地震
トルコ大地震関連情報
2001/03/16 18:09 更新
ニュース
「日本トルコ村」開村
■NHK 2月10日 朝のニュースから
去年8月、トルコ西部で起きた大地震で大きな被害が出た被災地に、阪神大震災の被災地から送られた仮設住宅500戸が完成し、日本時間のきのう、現地で「日本トルコ村」の開村式が行われました。
阪神大震災の被災地から送られた仮設住宅は、最大の被災地の一つ、トルコ西部のアダパザルの郊外に建設されました。
日本村の開村式には、住民らおよそ1000人が出席し、日本側を代表して山本外務政務次官が「日本は、5年前に阪神大震災を経験しただけに、今回の地震によるトルコ国民の苦労や悲しみは十分理解している。日本の支援は、友好国として当然であり、仮設住宅が役に立っていることをうれしく思う」とあいさつしました。
これに対してアイドゥン公共事業・住宅相は「地震直後からトルコに寄せられている日本の好意に感謝する」と述べました。
このあと山本政務次官らは、トルコ語で「日本トルコ村」と書かれた看板の除幕を行ったのに続いて、仮設住宅に入居した被災者の家を訪ね、これまでの苦労をねぎらいました。
現地には、去年の暮れまでに、日本からさらに1100戸の仮設住宅が送られており、日本側は、トルコ側と協議しながら早期に建設工事を終えたいとしていて、引き続き被災地の復興に貢献していく考えです。
■NHK 2月10日 朝のニュースから
去年8月にトルコ西部で起きた大地震の際に、日本の国際緊急援助隊によって倒壊した建物の中から救助された女性が、日本時間の昨夜、トルコを訪れている外務省の山本政務次官に会い、感謝の意を伝えました。
この女性は、メラハット・オズクルトさん(74)です。
オズクルトさんは、去年8月に起きた大地震の際、トルコ西部の町、ヤロバ市内の自宅のマンションが倒壊してがれきの中に閉じこめられ、現地で救助活動にあたっていた日本の国際緊急援助隊によって56時間ぶりに救出されました。
オズクルトさんは、イスタンブール市内のホテルに山本政務次官を訪ね「救出された時のことはよく覚えていないが、あとで日本人が犬を使って救出してくれたと聞いた。背中や足に大けがをして、2か月間、入院生活を送ったが、今は元気になり本当に感謝している。どうしてもお礼を言いたかった」と述べ、手作りの桜の花の刺しゅうを手渡しました。
山本政務次官は「緊急援助隊が救出することができて、うれしく思っている。健康に気をつけて長生きしてください」とねぎらいました。
8月17日にトルコ西部で起きた大地震は、発生より608日と4時間 が経過しました。
死者は14,000人を超え 、阪神大震災の犠牲者(6,432人)を大幅に上回りました。
■被害状況 (9/1)
死者:14,494人
負傷者:25,000人以上
被災者:約20万人 (8/26)
倒壊建物:約17,500棟 (8/25)
地震に関する情報 (アジア防災センター)
発生日時
現地時間 1999年8月17日 午前3時2分(夏時間)
日本時間 1999年8月17日 午前9時2分
規模:マグニチュード7.4
震央:トルコ共和国イズミット市近辺,イスタンブールより東へ65マイル(104km)
11月13日にトルコ北西部で起きた大地震は、発生より520日と11時間 が経過しました。
■被害状況 (11/17)
死者:550人
負傷者:3,000人以上
倒壊建物:700棟を越える(ボル県デュズジェとその周辺)
地震に関する情報
発生日時
現地時間 1999年11月12日 午後7時
日本時間 1999年11月13日 午前2時
規模:マグニチュード7.2
震央:トルコ共和国ボル県デュズジェ付近
新しい日本の情報局
1999年5月8日土曜日
気象情報
ロシアの宇宙飛行士たちが確信した「銀雲」と地球上の災害の関連
かつてロシア(旧ソ連)には、宇宙ステーション「ミール」というものがありましたが、その宇宙ステーション・ミールで 1994年から 1995年にかけて、実に 438日におよぶ長期のスペース・ミッションをおこなったロシアのワレリー・ポリャコフという宇宙飛行士がいます。
このポリャコフさんには 1999年に記した『地球を離れた2年間』という名著の誉れの高い著作があるのですが、そこに「銀雲」についての記述があります。
銀雲(silvery clouds)というページに、その部分が書き出されていますので、一部抜粋します。
In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/395989379.html
ワレリー・ポリャコフ『地球を離れた2年間』より。
それからもうひとつ忘れられない現象がある。それは"銀色の雲"のことで、地上で起きる災害と関連があると言われている。それは不思議な雲だ。銀色の雲という、まことにロマンチックの名前は、地表が円形になる地平線上の60キロメートルから70キロメートルの上空にしか現れないところからきている。(中略)
その後、仕事の忙しさもあってこのエピソードは忘れられていた。ところがその晩、地上との定期無線交信のときに、アルメニアで大地震があり、膨大な数の犠牲者が出て、街は壊滅状態だという連絡があった。(中略)2回目のフライトの際には、ロケットが打ち上げられ、安定飛行状態にはいるやいなや、巨大な銀色の雲を目にし、不吉な感情に襲われた。(中略)
管制センターとの無線交信によって、アメリカ合衆国のロサンジェルス市か、あるいはその地域に大型の地震が発生し、大きな被害が出ているというニュースが伝えられた。
In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/395989379.html
ロシアの宇宙飛行士たちが確信した「銀雲」と地球上の災害の関連
かつてロシア(旧ソ連)には、宇宙ステーション「ミール」というものがありましたが、その宇宙ステーション・ミールで 1994年から 1995年にかけて、実に 438日におよぶ長期のスペース・ミッションをおこなったロシアのワレリー・ポリャコフという宇宙飛行士がいます。
このポリャコフさんには 1999年に記した『地球を離れた2年間』という名著の誉れの高い著作があるのですが、そこに「銀雲」についての記述があります。
銀雲(silvery clouds)というページに、その部分が書き出されていますので、一部抜粋します。
In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/395989379.html
ワレリー・ポリャコフ『地球を離れた2年間』より。
それからもうひとつ忘れられない現象がある。それは"銀色の雲"のことで、地上で起きる災害と関連があると言われている。それは不思議な雲だ。銀色の雲という、まことにロマンチックの名前は、地表が円形になる地平線上の60キロメートルから70キロメートルの上空にしか現れないところからきている。(中略)
その後、仕事の忙しさもあってこのエピソードは忘れられていた。ところがその晩、地上との定期無線交信のときに、アルメニアで大地震があり、膨大な数の犠牲者が出て、街は壊滅状態だという連絡があった。(中略)2回目のフライトの際には、ロケットが打ち上げられ、安定飛行状態にはいるやいなや、巨大な銀色の雲を目にし、不吉な感情に襲われた。(中略)
管制センターとの無線交信によって、アメリカ合衆国のロサンジェルス市か、あるいはその地域に大型の地震が発生し、大きな被害が出ているというニュースが伝えられた。
In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/395989379.html
1999年1月1日金曜日
天体情報
金星星座一覧表
金星の運行一覧です。
1999年01月05日01時24分~ 水瓶座
1999年01月29日01時17分~ 魚座
1999年02月22日05時50分~ 牡羊座
1999年03月18日18時58分~ 牡牛座
1999年04月12日22時15分~ 双子座
1999年05月09日01時27分~ 蟹座
1999年06月06日06時24分~ 獅子座
1999年07月13日00時16分~ 乙女座
1999年08月15日22時46分~ 獅子座(逆行)
1999年10月08日01時56分~ 乙女座
1999年11月09日11時22分~ 天秤座
1999年12月06日07時42分~ 蠍座
本厚木@UP運するための占星術ブログ
http://ameblo.jp/fortunecafe-ceres/entry-11276380650.html
金星星座一覧表
金星の運行一覧です。
1999年01月05日01時24分~ 水瓶座
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1999年03月18日18時58分~ 牡牛座
1999年04月12日22時15分~ 双子座
1999年05月09日01時27分~ 蟹座
1999年06月06日06時24分~ 獅子座
1999年07月13日00時16分~ 乙女座
1999年08月15日22時46分~ 獅子座(逆行)
1999年10月08日01時56分~ 乙女座
1999年11月09日11時22分~ 天秤座
1999年12月06日07時42分~ 蠍座
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1998年1月1日木曜日
天体情報
金星星座一覧表
金星の運行一覧です。
1998年01月10日05時35分~ 山羊座(逆行)
1998年03月05日01時21分~ 水瓶座
1998年04月06日14時39分~ 魚座
1998年05月04日04時17分~ 牡羊座
1998年05月30日08時34分~ 牡牛座
1998年06月24日21時28分~ 双子座
1998年07月20日00時16分~ 蟹座
1998年08月13日18時18分~ 獅子座
1998年09月07日04時24分~ 乙女座
1998年10月01日08時14分~ 天秤座
1998年10月25日08時07分~ 蠍座
1998年11月18日06時06分~ 射手座
1998年12月12日03時31分~ 山羊座
本厚木@UP運するための占星術ブログ
http://ameblo.jp/fortunecafe-ceres/entry-11276380650.html
金星星座一覧表
金星の運行一覧です。
1998年01月10日05時35分~ 山羊座(逆行)
1998年03月05日01時21分~ 水瓶座
1998年04月06日14時39分~ 魚座
1998年05月04日04時17分~ 牡羊座
1998年05月30日08時34分~ 牡牛座
1998年06月24日21時28分~ 双子座
1998年07月20日00時16分~ 蟹座
1998年08月13日18時18分~ 獅子座
1998年09月07日04時24分~ 乙女座
1998年10月01日08時14分~ 天秤座
1998年10月25日08時07分~ 蠍座
1998年11月18日06時06分~ 射手座
1998年12月12日03時31分~ 山羊座
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1997年2月28日金曜日
ホピの予言・「この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」
再掲・ホピの予言・「この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」研究(その1)(8まであり)
2015-09-11 | ホピの予言と文明の危機
アメリカでの本書の出版が1997年、今から18年前。
日本での同書の出版が2001年、14年前である。
ホピ族の長老ダン・エヴェヘマと、元牧師でありホピ族の研究に熱心なトーマス・E・マイルズ氏の共著である
「ホピ・神との契約・この惑星を救うテククワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。
二人は、1995年には「ホテヴィラ」という本も出版しています(未翻訳)。
「ホテヴィラ」とは、ホピの地の集落の名前ですが、その地を中心に起きたホピ族と外部世界のあつれき、
またホピ族内部の歴史と諸問題が、事細かに、分かりやすく書かれたものです。
本書は、その共著第二作というべき作品で、エヴェヘマの承認の下にトーマス・E・マイルズが資料を分析して書いたものです。
テックワ・イカチとは「大地と生命」という意味で、「大地と交わり命を祝う」と解されます。
1975年から11年間にわたって書き継がれた伝統派のニュースレターの題名も「テックワ・イカチ」といい、
二人は本書を書くにあたって、このニュースレターを資料としてたくさん引用しています。
まず、この本がどのような理由で書かれたのかということについて、本書には以下のように書かれています。
*****
(引用ここから)
本書の必要性
本書では(ホピのおしえの)「実行」にあたって、最も大切なことを告げ、即実行できる形に知識をまとめている。
このようにする理由は、「契約」が全体の核になっていることを知れば判然とする。
「契約」の核の中央に浮かぶ「霊的箱舟」が、私たちが「預言」と「教示」、「警告」を活用する場所である。
共著「ホテヴィラ」が完成した時でさえ、ダンから託された仕事を完全にやり終えていないという不足感がわたしにあった。
世界に累積する問題の解決方法は十分に特定されておらず、すぐ使える形にまとめられてもいなかった。
この時、希望と逃れる道を与えず、恐ろしい予言の迷路に人を導くことは神の御心ではないと、
自分が常々感じてきた理由がのみ込めた。
「ホピの予言」について聞きかじった人々は、その全貌が明らかになる日を心待ちにしていた。
「霊的箱舟」について知っていれば、期待はさらに大きかったはずである。
「ホテヴィラ」と本書は、その究極の勝利を証言する。
いかにして生の修羅場を戦い抜くべきか、を教えるものなのだ。
ホピ族としばらく生活を共にした著者たちが記録した、若干の「予言」を読んできて、
それが非常に特殊な「予言」であることは、むろん私にもわかっていた。
だが、「ニュースレター(テックワ・イカチ)」を調べる過程で、
そこにはホピの「予言」全体ばかりか、これまで正しく受け入れられず評価もされずにいた「教示」と「警告」が含まれていることを知った。
創造主が逃れの道をあらかじめ備えていることに気付かせるのが、(ホピの守護神)マサウが「予言」を伝えた主たる理由だ。
いままで認識されなかったのはこの点である。
(引用ここまで)
*****
「ホピの予言」は、人類の未来を示す予言の一つとして、ノストラダムスやジュセリーノなどと共に、人類の数々の予言を取り上げる場面ではよく登場します。
しかし筆者、長老エヴェヘマとマイルズは、「ホピの予言」をそのような“きわもの”扱いすることにためらいを感じて、
改めて自分たちの言葉で語りたいと考えているのか確かです。
「ホピの予言」のメッセージは、破局が来るという恐ろしいメッセージのみではない、と筆者たちは考えているのです。
この本は、長老は共著者で、長老エヴェヘマの出版承諾のサインもあります。
むしろ、長老エヴェヘマ自身が出版を望んでマイルズ氏を招へいしたと書かれており、驚かされます。
わたしがこのブログに、この紹介記事を連載したのは、2010年なので、今読み返すと、書き直したいような部分もあります。
別の本で、もう一度考えてみたい、という思いがあり、複雑な気持ちです。
(続く)
始まりに向かって
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/c/66252bc943a43a01f1dd8b16c8aed366
2015-09-11 | ホピの予言と文明の危機
アメリカでの本書の出版が1997年、今から18年前。
日本での同書の出版が2001年、14年前である。
ホピ族の長老ダン・エヴェヘマと、元牧師でありホピ族の研究に熱心なトーマス・E・マイルズ氏の共著である
「ホピ・神との契約・この惑星を救うテククワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。
二人は、1995年には「ホテヴィラ」という本も出版しています(未翻訳)。
「ホテヴィラ」とは、ホピの地の集落の名前ですが、その地を中心に起きたホピ族と外部世界のあつれき、
またホピ族内部の歴史と諸問題が、事細かに、分かりやすく書かれたものです。
本書は、その共著第二作というべき作品で、エヴェヘマの承認の下にトーマス・E・マイルズが資料を分析して書いたものです。
テックワ・イカチとは「大地と生命」という意味で、「大地と交わり命を祝う」と解されます。
1975年から11年間にわたって書き継がれた伝統派のニュースレターの題名も「テックワ・イカチ」といい、
二人は本書を書くにあたって、このニュースレターを資料としてたくさん引用しています。
まず、この本がどのような理由で書かれたのかということについて、本書には以下のように書かれています。
*****
(引用ここから)
本書の必要性
本書では(ホピのおしえの)「実行」にあたって、最も大切なことを告げ、即実行できる形に知識をまとめている。
このようにする理由は、「契約」が全体の核になっていることを知れば判然とする。
「契約」の核の中央に浮かぶ「霊的箱舟」が、私たちが「預言」と「教示」、「警告」を活用する場所である。
共著「ホテヴィラ」が完成した時でさえ、ダンから託された仕事を完全にやり終えていないという不足感がわたしにあった。
世界に累積する問題の解決方法は十分に特定されておらず、すぐ使える形にまとめられてもいなかった。
この時、希望と逃れる道を与えず、恐ろしい予言の迷路に人を導くことは神の御心ではないと、
自分が常々感じてきた理由がのみ込めた。
「ホピの予言」について聞きかじった人々は、その全貌が明らかになる日を心待ちにしていた。
「霊的箱舟」について知っていれば、期待はさらに大きかったはずである。
「ホテヴィラ」と本書は、その究極の勝利を証言する。
いかにして生の修羅場を戦い抜くべきか、を教えるものなのだ。
ホピ族としばらく生活を共にした著者たちが記録した、若干の「予言」を読んできて、
それが非常に特殊な「予言」であることは、むろん私にもわかっていた。
だが、「ニュースレター(テックワ・イカチ)」を調べる過程で、
そこにはホピの「予言」全体ばかりか、これまで正しく受け入れられず評価もされずにいた「教示」と「警告」が含まれていることを知った。
創造主が逃れの道をあらかじめ備えていることに気付かせるのが、(ホピの守護神)マサウが「予言」を伝えた主たる理由だ。
いままで認識されなかったのはこの点である。
(引用ここまで)
*****
「ホピの予言」は、人類の未来を示す予言の一つとして、ノストラダムスやジュセリーノなどと共に、人類の数々の予言を取り上げる場面ではよく登場します。
しかし筆者、長老エヴェヘマとマイルズは、「ホピの予言」をそのような“きわもの”扱いすることにためらいを感じて、
改めて自分たちの言葉で語りたいと考えているのか確かです。
「ホピの予言」のメッセージは、破局が来るという恐ろしいメッセージのみではない、と筆者たちは考えているのです。
この本は、長老は共著者で、長老エヴェヘマの出版承諾のサインもあります。
むしろ、長老エヴェヘマ自身が出版を望んでマイルズ氏を招へいしたと書かれており、驚かされます。
わたしがこのブログに、この紹介記事を連載したのは、2010年なので、今読み返すと、書き直したいような部分もあります。
別の本で、もう一度考えてみたい、という思いがあり、複雑な気持ちです。
(続く)
始まりに向かって
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1997年1月1日水曜日
天体情報
金星星座一覧表
金星の運行一覧です。
1997年01月10日14時32分~ 山羊座
1997年02月03日13時26分~ 水瓶座
1997年02月27日12時59分~ 魚座
1997年03月23日14時26分~ 牡羊座
1997年04月16日18時43分~ 牡牛座
1997年05月11日02時21分~ 双子座
1997年06月04日13時17分~ 蟹座
1997年06月29日03時36分~ 獅子座
1997年07月23日22時16分~ 乙女座
1997年08月17日23時32分~ 天秤座
1997年09月12日11時19分~ 蠍座
1997年10月08日17時27分~ 射手座
1997年11月05日17時52分~ 山羊座
1997年12月12日13時56分~ 水瓶座
1998年01月10日05時35分~ 山羊座(逆行)
1998年03月05日01時21分~ 水瓶座
1998年04月06日14時39分~ 魚座
1998年05月04日04時17分~ 牡羊座
1998年05月30日08時34分~ 牡牛座
1998年06月24日21時28分~ 双子座
1998年07月20日00時16分~ 蟹座
1998年08月13日18時18分~ 獅子座
1998年09月07日04時24分~ 乙女座
1998年10月01日08時14分~ 天秤座
1998年10月25日08時07分~ 蠍座
1998年11月18日06時06分~ 射手座
1998年12月12日03時31分~ 山羊座
1999年01月05日01時24分~ 水瓶座
1999年01月29日01時17分~ 魚座
1999年02月22日05時50分~ 牡羊座
1999年03月18日18時58分~ 牡牛座
1999年04月12日22時15分~ 双子座
1999年05月09日01時27分~ 蟹座
1999年06月06日06時24分~ 獅子座
1999年07月13日00時16分~ 乙女座
1999年08月15日22時46分~ 獅子座(逆行)
1999年10月08日01時56分~ 乙女座
1999年11月09日11時22分~ 天秤座
1999年12月06日07時42分~ 蠍座
本厚木@UP運するための占星術ブログ
http://ameblo.jp/fortunecafe-ceres/entry-11276380650.html
金星星座一覧表
金星の運行一覧です。
1997年01月10日14時32分~ 山羊座
1997年02月03日13時26分~ 水瓶座
1997年02月27日12時59分~ 魚座
1997年03月23日14時26分~ 牡羊座
1997年04月16日18時43分~ 牡牛座
1997年05月11日02時21分~ 双子座
1997年06月04日13時17分~ 蟹座
1997年06月29日03時36分~ 獅子座
1997年07月23日22時16分~ 乙女座
1997年08月17日23時32分~ 天秤座
1997年09月12日11時19分~ 蠍座
1997年10月08日17時27分~ 射手座
1997年11月05日17時52分~ 山羊座
1997年12月12日13時56分~ 水瓶座
1998年01月10日05時35分~ 山羊座(逆行)
1998年03月05日01時21分~ 水瓶座
1998年04月06日14時39分~ 魚座
1998年05月04日04時17分~ 牡羊座
1998年05月30日08時34分~ 牡牛座
1998年06月24日21時28分~ 双子座
1998年07月20日00時16分~ 蟹座
1998年08月13日18時18分~ 獅子座
1998年09月07日04時24分~ 乙女座
1998年10月01日08時14分~ 天秤座
1998年10月25日08時07分~ 蠍座
1998年11月18日06時06分~ 射手座
1998年12月12日03時31分~ 山羊座
1999年01月05日01時24分~ 水瓶座
1999年01月29日01時17分~ 魚座
1999年02月22日05時50分~ 牡羊座
1999年03月18日18時58分~ 牡牛座
1999年04月12日22時15分~ 双子座
1999年05月09日01時27分~ 蟹座
1999年06月06日06時24分~ 獅子座
1999年07月13日00時16分~ 乙女座
1999年08月15日22時46分~ 獅子座(逆行)
1999年10月08日01時56分~ 乙女座
1999年11月09日11時22分~ 天秤座
1999年12月06日07時42分~ 蠍座
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