1982年8月20日金曜日

天体情報:PSR B1937+21


星座 こぎつね座[1]
分類 パルサー
元期:J2000.0
赤経 (RA, α) 19h 39m 38.560210s[2]
赤緯 (Dec, δ) +21° 34′ 59.14166″[2]
固有運動 (μ) 赤経: -0.130 ミリ秒/年[3]
赤緯: -0.464 ミリ秒/年[3]
年周視差 (π) <0 .28="" 0.08="" p="">距離 >3600 パーセク[4]
Vulpecula constellation map with PSR B1937+21.png
こぎつね座(Vulpecula) と PSR B1937+21 の位置(赤)。
物理的性質
自転周期 1.5578065 ms[2]
年齢 2.29 × 108 年[5]
別名称
別名称
PSR B1937+214, 4C21.53, PSR J1939+213

wikipedia.org
https://ja.wikipedia.org/wiki/PSR_B1937%2B21






PSR B1937+21は、世界で最初に発見されたミリ秒パルサーで、地球から見てこぎつね座の方向に存在する。
世界で最初に発見されたパルサーであるPSR B1919+21からは3度程離れた位置にある。
その名称はパルサーから取られたPSR、1950年元期を示すB、赤経及び赤緯から構成されている。
 PSR B1937+21は1983年にドナルド・C・バッカー(英語版)、シュリニヴァス・クルカルニ、カール・E・ハイレス(英語版)、
マイケル・デーヴィス、ミラー・ゴスによって発見された。
自転周期は1.557708ミリ秒、すなわちおよそ 642 Hz で自転している。
この速度は天文学者がそれまでに推定していた最高回転速度よりさらに速かったので、
伴星からの物質がパルサーに『降る』ことによって回転が加速したと考えられた。
PSR B1937+21 の自転はその後発見された他のミリ秒パルサーと同様に非常に安定しており、
原子時計と同様に正確な時間を計ることができる。
稀に、流束密度として過去に観測された電磁波の中でも最も明るい規模のパルスを発するという特異な振る舞いを示す。
これらのこのパルサーの特徴は研究分野の活性化に大きく貢献した。
中央にある球は中性子星で周りにある曲線は磁場を表し、両極から出ている青い部分が電波の信号の発せられている領域である。
垂直な緑線は回転軸を表している。
パルサーの世界初発見は1967年にジョスリン・ベル・バーネルと彼女の博士号の研究を師事した
アントニー・ヒューイッシュにより、大規模ダイポールアンテナアレイを用いて成された。
発見からすぐにフランコ・パッチーニとトーマス・ゴールドはそれぞれ独立してパルサーは強い磁場を持つ中性子星であることを提唱した。また、パルサーになる前は 太陽の10倍ぐらいの質量を持つ星で、それがII型超新星爆発を起こしたものとしている。[10][11]この説によれば、パルサーの電波信号はプラズマと高速で回転する磁場の相互作用によって両極から出る。パルサーの両極から出ている電波は中性子星の回転によってビームが回転し、ある箇所から見ているとパルスが出ているように見えるというのである。
■発見
1970年代の後半、天体4C21.53は「異常に高レベルな惑星間シンチレーション(英語版)によって」多くの天文学者たちの注目を浴びた。
惑星間シンチレーションはコンパクト電波源につきものであるため、4C21.53が超新星残骸であることが示唆された。
しかし、1974年にラッセル・ハルスとジョゼフ・テイラーによりアレシボ天文台を使って行われたパルサー探索は空振りに終わった。
そのためこの天体はパルサーではなく、今までに発見されたことのない種類の天体なのではないかとの憶測もあった[14]。
1982年にドナルド・バッカーはそれまでの観測では極めて速いパルサーは見つけられないことに気がつき、500 Hz までの観測をしていたが
、これでも 642 Hz のパルサーの発見には不十分だった。
当時、大学院生だったシュリニヴァス・クルカルニは可能な範囲内最も速いスピードで観測し、
当時最新式であったアレー・プロセッサーを使って0.4秒間分の信号を平均し、
実効観測速度を2500Hzまでに引き上げ、1.558ミリ秒の周期のパルサーの信号の検出に成功した。
642 Hzという速度は天文学者達が予想していた速度と桁違いに速かった。
信号が激しいシンチレーションをしていたので、間違いでないことを確認して論文が出たのは1982年の11月だった。
■特徴
パルサーの年齢と減速率
1982年にバッカー達が発見した当時、PSR B 1937+21の自転周期は 3×10−14 s/s で増加、すなわち自転は減速していた。
パルサーは電波放射によって回転エネルギーを失うので時間の経過と共にその自転は減速する。
パルサーの最高回転速度は遠心力と自己重力の釣り合いもをとに0.5ミリ秒周期程度だとされており、
発見当時の回転周期と減速率をもとにこのパルサーの最高年齢は750年と計算された。
パルサーの最高回転速度は用いる中性子星の状態方程式の違いにより0.3から 1ミリ秒ぐらいが限界だと考えられている[17][18]。パルサーの最高速度はこの他にも重力波の放出などによっても制限される可能性があるという説がある[16]。
しかし、この750年という年齢はこの領域の他の波長の観測結果とは相容れないものだった。例えば可視光では超新星残骸は見つからず、X線で観測しても明るいX線源はなかった[1]。このパルサーが750年の若さならば、もし、動いていたとしても、それほど誕生時の位置から動いているはずもなく、何らかの超新星残骸が近傍に見つかるはずである。また、若いパルサーは熱いはずで、その熱放射はX線領域で観測されるはずである[8]。 ヴェンカトラマン・ラーダークリシュナン(英語版)とG. シュリニヴァサンは超新星残骸がないことに注目し、このパルサーは初めはそれ程速く回転していなかったが、伴星からの物質が降着したことによって回転が加速させられたと考えた。また、理論上の減速率は毎秒 1×10−19秒だとした[8]。バッカーたちは1982年12月には減速率の上限を毎秒1×10−15秒に修正していたが[19]、今日までのデータでは、毎秒1.05×10−19秒で[2]理論値に近い。従ってPSR B1937+21の年齢は2.29×108年と計算され、観測と矛盾しない値となっている[5]。
このパルサーを加速させた伴星はもはや存在せず、伴星を持たないミリ秒パルサーの数少ない例の一つである[20]。一般にミリ秒パルサーはそれを加速させるのに必要だった伴星を持つが、一旦高速になった後は伴星を持つ必要はないので、このミリ秒パルサーのように『独身』のミリ秒パルサーは伴星による加速説を否定するものとは考えられていない。伴星が蒸発したか、潮汐破壊された可能性があると考えられている[21]。
■パルス信号
PSR B1937+21 には、一自転周期の間に主パルスと中間パルスの2つのパルスが観測されている[15]。
また、PSR B1937+21は普通のパルサーにはない極めて巨大なパルスをたまに出す事で知られている。
1995年までにはこのような例は他にかにパルサーしか知られていなかったが、
2006年までには1500のパルサーのうち11例見つかっている[22][23]。
巨大なパルスが初めて見つかったのはパルサー自身の発見から比較的すぐの1984年だったが、
その速い回転速度のために詳しいデータ解析は10年以上もなされずに放置されていた[22][24]。
最近ではもっと巨大なパルスも発見されている。不思議なことにこの巨大なパルスは普通のパルス信号後部に現れる[25]。
この巨大なパルスは信号全体に比べると極めて短く10ナノ秒ぐらいである[25]。流束密度にはばらつきがあるが
6.5×10−22 Wm−2Hz−1(6.5×104 ジャンスキー)にのぼることがある[25]。このように大変短く、
流束密度の高い信号から計算される輝度温度は 5×1039 K を超えるため、電磁波では時々最も高輝度天体になるといえる [25]。
従って、PSR B1937+21は最も高輝度なミリ秒パルサーであるといえよう[26] また、電波だけでなくX線でも主信号と中間信号が観測される[4]。
■伴星
1990年に惑星程度の大きさのPSR B1257+12の伴星が見つかってから、
PSR B1937+21を含む他のパルサーについても同様な惑星が存在するかが調べられた。
1994年には、パルサーから2天文単位ぐらいの軌道に最高でも地球の質量の0.1%位のの天体があると指摘され、
 1999年にはアレックス・ヴォルシャンがPSR B1937+21の信号の到達時刻の変動を詳しく調べ、
それ以前の福島登志夫氏の信号到着の遅速は準矮星の存在による可能性があるという指摘を踏まえて、
PSR B1937+21には2.7天文単位ぐらいの離れたところにある準惑星 ケレス 程度の大きさの伴星があると報告したが、
確証を得るにはもっと長期の観測が必要である。最近地球の質量の5%以下のの小惑星帯がある可能性も報告されたが、これも確証されていない。
■意義
PSR B1937+21は2006年に自転周期 716 Hz のPSR J1748-2446adが発見されるまで、一番早く回転する中性子星だった 。
それまでの記録はかにパルサーの33ミリ秒だった。
2017年現在, 英語版のウィキペディアによればPSR B1937+21はPSR J1748-2446adに次いで2番目の速さのパルサーである。
これらより速いといわれている1121HzのXTE J1739-285が存在するが、まだ確証されたといえないそうである。
このパルサーはそれまでのパルサーの回転速度の20倍、磁場はそれまでの記録の100倍の4.2×108 G[31](42 kT)[5]である。
最初のミリ秒パルサーであったため、 パルサー、中性子星、重力波の研究のための新しい『実験室』を提供し、
天文物理理論学者達を「ひどく忙しくさせた」 (sparked a 'theory frenzy') [32]といわれている。
例えば、中性子星の密度は原子核のそれに匹敵するため、そのような高い密度の物体がどのような挙動をするかを理解する上で重要なのである[29]。
当初の減速率は重力波の観測の可能性を取りざたされる大きさであったが、その後の調べで、
信号は現在の機器で観測できる大きさではないことがわかった。現段階では100万年に 15 Hz 減速するという結果が出ている[34]。
その回転の安定性は最も精度の良い原子時計に匹敵するので、高精度な一種の暦表時の基準に使われている[34]。
PSR B1937+21は『それまでひどく停滞していたパルサーの研究を活性化させる源泉となり、世界中の電波天文台でパルサーの調査が行われるようになった。』

wikipedia.org
https://ja.wikipedia.org/wiki/PSR_B1937%2B21



1982年5月6日木曜日

予知情報


2012年03月26日14:06
地球や人類の滅亡はないと30年前に確定されています。
再び、今日の記事も、「オイカイワタチとは何か、宇宙からの黙示録」からの引用となります。
驚いたことに、地球や人類の運命は既に30年前に決まっていたというのです。
ここで、私の勝手な推測が始まりますが。。。これは、スピリチュアル界での現象を表しているのではないかと思っています。つまり、スピリチュアル界で起きた現象が、その後、3次元の物質界に顕現されるのです。
今、その時が来ているのです。銀河連邦からのメッセージにもあるように、3次元物質界の聖戦、儀式が終わりつつあるのです。今、銀河連邦から毎日のように歓喜のメッセージが送られてきているのは、彼等は近未来に地球や人類の次元上昇後の姿が既に見えているからでしょう。そして、もうじき、地球や人類はその通りにここに現実化されていきます。
今まで地球や人類が滅亡するなどという情報を流して人々を怖がらせてきた団体・組織・個人は、悪の存在に操られていたか、その仲間だったのでしょう。悪の存在(ルシファー、オリオン等、そして、イルミナティ・カバル)は、30年前に神様が既に決めた事(地球・人類は救われるということ)に従わずに、どこまでも抵抗して私たちを滅亡させようと企んだのでしょう。
銀河連邦からの情報によりますと、今まで長い間、地球の周りや太陽系内で、善の宇宙人艦隊は悪の艦隊と戦いを繰り返し、今やっと終わりがきているようです。もちろん、この聖戦には善の宇宙人艦隊が勝利しました。そのため、悪の宇宙意識体は地球から去りました。地上に残った者達が、残党勢力と人間の持つ悪の想念・意識です。これから、善の宇宙人が3次元の密度に自分自身を下げて、人間の姿となり、私たちの前に出現してくれるのかもしれません。
ただ、地上のワンダラーや日本のオイカイワタチは、まだまだ、今後も地球や人類の次元上昇のために非常に大事な役割を担うことになるでしょう。
<引用開始>
まず、オイカイワタチとは何か?
これは、宇宙語で、ワンダラーの中の、ある役目を担った人たちの集まりのことを意味します。
ワンダラーは、統帥者とする大長老サナンダ(AZ)の下、神様の命を受け、神様の手足となることを一人ひとりが心に誓って、進化の大周期を迎えた地球をより良く、高く変化させ、神の国とするために地球に生まれ変わったのですが、オイカイワタチとは、地球の終わりの時に神が行う儀式「湧玉の祝事の儀式」に参加し人々のカルマを明らかにし、根のカルマを取り除く役目を持つ(日本の)ワンダラー集団のことを言います。
驚くべきことに、この「湧玉の祝事の儀式」は、既に30年も前に日本で執り行われていました。
「日本は、永遠に神様の降り給う地であり、今までも降りられたことがあります。日本は神様を崇めることが役目です。また、ワンダラーが日本に多いのは、神様をを守るためです。ワンダラーは生きている天の使いです、。」とサナンダが語ったそうです。
1960年から20年間、世界中の多くのワンダラーが集結し、悪の存在(ルシファーとオリオン)と聖戦を繰り返し、既に悪の存在に勝利しました。そして、1981年に日本にて「湧玉の祝事の儀式」が行われました。
太古の昔に、ワンダラー達は、悪の存在に負け、地球のカルマを浄化することができず、地球は何回も破壊されました。レムリアやアトランティスがそれです。しかし、今回、ワンダラー達が目覚め、見事に聖戦に勝ち、地球や人類のカルマは浄化され、必要な”儀式”を行えたために、地球や人類は滅亡せず、救われることが確定されました。
大宇宙の中にある一遊星地球が大周期を迎え、世の終わりと同時に新しい地球・神の国の誕生が行われることは人類にとってだけでなく、地球にとっても、また宇宙全体にとっても大変な出来事なのです。

1982年3月10日水曜日

食糧戦争

BIG MANパニックレポート
1982年は食糧戦争の幕開けになる
(小説 食糧危機 )
1982年2月。北極から張り出してきた寒気団はカナダを覆い尽くし、瞬く間に五大湖の上空に侵入した。
東京大手町のある総合商社10階。ミシシッピ川の凍結がケイロまで進んだという情報が入って以来、穀物セクションの部屋は殺気立っている。
「荷が川を下りてこない以上、契約通りの受け渡しは困難ですよ。現地の穀物商社等は、いつ不可抗力宣言を出して受け渡しを送らせようかという談合を始めたとの情報もあるくらいです。」
日本の食料品店の店頭から豆腐屋油揚げが姿を消すのに時間はかからなかった。つい昨日までスーパーの目玉商品に使われていたサラダ油が、客1人に一缶という割り当て販売になった。食用油不足から営業時間の短縮を余儀なくされた天ぷら屋が続出。肉は急に安くなった。
エサ不足とエサ価格急騰で、畜産業者は豚などを買い続けるのは難しくなって、どんどん屠殺しているからだ。
「消費者に朗報」などと喜んでいられるのは短い間だ。まもなく供給がガタ減りし、肉は前よりも高嶺の花になる。大量屠殺の後遺症はまず1年は残る。
食料危機という声が高まるにつれて色々な物の出周りが少なくなってきた。社会不安の高まりを恐れて政府は売り惜しみ買い占め防止法(投機防止法)をちらつかせる必要を感じ始めた。
以上はフィクションであるが、全くの作り事ではない。
1977年のミシシッピー川凍結はこれと似たような状況を作り出した。カーター前大統領は陸軍工作兵を送り出し、凍結した川をダイナマイトで砕いて穀物を積んだバージ(はしけ)が通れるように手を打った。
それでも正常化するまでに2ヶ月以上かかっている。
日本国内では関連商品が高騰し、大混乱となった。
当時は3ヶ月以上の再婚あったものの、第一次石油危機の記憶が生々しかったためか、パニック寸前までいった。
先ほどの商社マンの話ではないが、現在の在庫は1ヶ月分ぐらいしかない。1977年以上に危険な状態にあるわけだ。
例えば日本の大豆の輸入量440tの96%がアメリカ。しかもアメリカからの船積みの70%はミシシッピ川-ガルフを経由している。 ミシシッピ川は日本の台所に直結しているというわけだ。
現在の日本の食料状況は、輸入に占めるアメリカの比率もさることながら、自給率も低く、海外市場の演歌をもろに受ける体質になっている。
日本の米の年間生産量は約1300万t。
これに対して、小麦、大麦、大豆、トウモロコシの年間輸入量は約2800万tと、米生産量の約2.2倍である。穀物自給率はわずか34%。
農政審議会の見通しでは、1990年には30%に減り、以後じりじりと自給率は落ちていく。
「不測の事態」が起きて、輸入が減ったらどうなるか。一人当たりの栄養水準で見ていくとわかりやすい。
現在日本人の1日あたりの栄養水準は2500カロリー。もし輸入が現在の3分の2に減少しとしたら、2151カロリーと、昭和30年代初めの水準になる。輸入が半分に減った場合は1914カロリーしか摂取できず、まだ戦後間もなく、あちこちにやけあとが残っていた30年前に逆戻りしてしまうのだ。
「不測の事態」のうち、最も起こり得る可能性が高いのはミシシッピ川凍結であるが、日本の日本にとっての影響は軽い方であろう。一時的なパニック状態は起きるものの、それは時間が解決してくれるだろう。
1981年11月16日。ソ連共産党中央委員会総会。
ブレジネフ書記長は、外交・軍事面で、ソビエト連邦はアメリカに対して優勢を保っていると得意満面で演説を続け、出席者は万雷の拍手を送った。ところが食料生産の項目に入ると、書記長の口調はにわかに弱々しいものになった。1981年の穀物生産目標2億3500万t。ところが実際の収穫量は1億7000万tを下回る成績になってしまったのだ。3年連続の不作であり、特に1981年は最近では最悪と言われた1975年の1億3000万t以来の低い収穫量である。
いつしかブレジネフの口調は哀願調になっている。
「ソビエト連邦、穀物不足を公式に認める」-ニュースは世界中を駆け巡り、シカゴの穀物相場は上伸、ロンドン・チューリッヒの金相場は、1トロイオンス400ドル台を割り込んだ。ともにソビエトは穀物の大量輸入に出る必要があるという予想に反応したものだ。
ソビエトの投資外貨事情では、金を売らなくては穀物は買えないはずであり、実際、このところ売主不明の金売却量が増えている。
スイスの個人銀行は顧客に金の売りを指示した。シカゴのメリルリンチ社は顧客に大豆とうもろこしの買いを支持した。史上最高の豊作で停滞している市場にとって、ソビエトの不足は願ってもないカンフル剤になる。
「4万トンでもソ連に売ってやるぞ」、相場の上げはそう叫んでいるようにも見えた。
アメリカ農務省は1981年~1981年(1981年10月~1982年9月)のあいだに曽木とは4000万tの穀物を輸入すると予想し、アメリカから2000万tは買うだろうと見ている。
ところが1981年から1982年12月の船積み物を1000万円まで買い進んだところでソビエトは買付を見送って、アルゼンチン、ブラジル、カナダなどアメリカ以外の穀物生産国での買い付けを急ぎ始めた。
そして12月13日、ポーランドに戒厳令が施行され、自主管理労働組合「連帯」の弾圧が開始された。ヤルゼルスキ軍事政権の後ろにはソビエトの影がちらつく。
アメリカは対ソビエト制裁に乗り出すだろう。穀物禁輸で締め付けてくる可能性がある。そうした事態に備えるには、アメリカからの輸入依存度を下げておかなければならない。
昨年末アメリカレーガン大統領が発表した対ソ連制裁では、穀物禁輸は見送られたが、今後の情勢次第では穀物禁輸もあり得ると威嚇している。
穀物が外交特にソビエトとの関係で有効な武器になるとアメリカが気がついたのは、1972年から1973年にかけて、ソビエトが隠密裏に大量のアメリカ産穀物を隠密に買い付けたことがきっかけであった。当時のニクソン大統領、キッシンジャー特別補佐官は、早速国務省、CIAにソ連の農業実態を調査させるチーム作成を命令、報告と偵察衛星による写真分析を重ね合わせてみた結論は、
「ソビエトの農業生産は伸び悩みがはっきりしており、増え続ける需要を自力で賄いきれなくなっている。常に大量輸入が必要な状態になってきている。」
ニクソン・キッシンジャーがソビエトとの交渉に穀物取引をを絡み始めたのは言うまでもない。
-雑誌BIG MAN 1982年3月号

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主要生産国の生産量
1979年度
アメリカ  29900万t
中国  27900万t
EC   14800万t
ソ連  17400万t
インド  12600万t
カナダ  3600万t
ブラジル  3300万t
アルゼンチン  1900万t
オーストラリア 2300万t
-雑誌BIG MAN 1982年3月号

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