噴火情報
☆エクアドルの首都キト(Quito)の南およそ130キロにあるトゥングラウア火山は1999年から活動期に入った。
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1999年10月10日日曜日
1999年8月17日火曜日
グランドクロス
2007年11月08日
西暦1999年に何も起きなかったと思わされている人々へ
今更ながらの話題ではありますが、
多くの地球人類にとって、西暦1999年という時間軸は、
ノストラダムスの予言などに暗示されるように、
終末論や滅亡論が盛んに言われていたことは、記憶に残っているかもしれません。
西暦1999年を通過して、西暦2000年を迎えた頃には、
なんだ、何も起きなかったではないかと、巷の予言情報などに落胆された向きもあったかもしれません。
実はこの年、多くの地球人類には知らされていない、宇宙でのイベントが起きています。
西暦1999年8月17日、私たちの太陽系では、惑星の完全なる直列状態、グランドクロスが起きました。
このイベントを宇宙の高次元の視点から観ますと、
惑星の配置が巨大な十字形を描いて整列する現象と、
その整列によって強大なエネルギーが放出されることを意味していました。
つまり、グランドクロスの地球における象徴とは、キリスト意識である、イエス・キリストの磔刑であり、
同時に、これから地球が辿るべき、神への道のりを、キリストが身を持って示すという予言を
満たすものであったということです。
この日、地球上での現象としましては、
トルコ共和国で、震度6.9の大地震が起きています。
その場所はまた、その6日前に皆既日蝕が上空を通過した軌道に沿っていました。
まさに“上の如く、下も叱り”、
宇宙で起きることは地球にも起きていたというわけです。
この、太陽系のグランドクロスというイベントは、
これから始まる“新しい秩序の時代”が誕生する
ということを意味していたのです。
posted by Kagari ∞ Kazuki at 03:13
シリウス文明がやって来る Kagari ∞ Kazuki のブログ
http://mihoh.seesaa.net/
http://akashicflare.web.fc2.com/
西暦1999年に何も起きなかったと思わされている人々へ
今更ながらの話題ではありますが、
多くの地球人類にとって、西暦1999年という時間軸は、
ノストラダムスの予言などに暗示されるように、
終末論や滅亡論が盛んに言われていたことは、記憶に残っているかもしれません。
西暦1999年を通過して、西暦2000年を迎えた頃には、
なんだ、何も起きなかったではないかと、巷の予言情報などに落胆された向きもあったかもしれません。
実はこの年、多くの地球人類には知らされていない、宇宙でのイベントが起きています。
西暦1999年8月17日、私たちの太陽系では、惑星の完全なる直列状態、グランドクロスが起きました。
このイベントを宇宙の高次元の視点から観ますと、
惑星の配置が巨大な十字形を描いて整列する現象と、
その整列によって強大なエネルギーが放出されることを意味していました。
つまり、グランドクロスの地球における象徴とは、キリスト意識である、イエス・キリストの磔刑であり、
同時に、これから地球が辿るべき、神への道のりを、キリストが身を持って示すという予言を
満たすものであったということです。
この日、地球上での現象としましては、
トルコ共和国で、震度6.9の大地震が起きています。
その場所はまた、その6日前に皆既日蝕が上空を通過した軌道に沿っていました。
まさに“上の如く、下も叱り”、
宇宙で起きることは地球にも起きていたというわけです。
この、太陽系のグランドクロスというイベントは、
これから始まる“新しい秩序の時代”が誕生する
ということを意味していたのです。
posted by Kagari ∞ Kazuki at 03:13
シリウス文明がやって来る Kagari ∞ Kazuki のブログ
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1999年8月11日水曜日
フランス皆既日食,1999,
日食
フランス皆既日食観望記
1999.8.11
1999年8月11日 ノストラダムスが予言したともいわれる皆既日食がヨーロッパ・西アジアでおこりました。
今回の日食は人口が多く、しかも観測環境が整っているという好条件もあり、天文ファンだけでなく多くの人々が日食を見ようと皆既帯に詰めかけました。
私も今回、妻とスカイウォッチャー誌協賛の日食ツアーに参加しました。
この日食のことはずいぶん昔から知っていて、条件も良いので是非見たいと思っていました。
今回のツアーには約40名の方が参加され、最後まで和気藹々とした雰囲気で、日食以上に楽しめました。
イギリス、フランス、ドイツを皆既帯が横切ることもあり現地のマスコミは日食で過熱気味で、ニュース番組では約10分おきに当日の天気予報など日食情報を流していました。左は11日の天気予報です。
8月9日夕刻 パリ(Paris)からランス(Reims)入りして、翌10日に観測地の下見をしました。
まずランス郊外にあるホテルの庭は芝生敷きで気持ちよさそうです。ここでは皆既継続時間1分59秒です。天体観測をするには快適すぎる環境で、水・電気から食料まで何でもありです。眺望もまずまずで、日食観望に問題はありません。
つぎに、ランスの北東約30kmで皆既帯の中心に近いペルテスという町に行きました。
バスでゆられて約1時間で到着。
むむむ~!! さすがフランス・・・どこが町なんだ??
周囲には何にも無い!!
天体観測をするのにこれほどの土地があるだろうか。
舗装路から畑の畦道を進んだところにあったのは、5メートル四方の仕切テープがたくさん並んだ土地。
畑に仕切をして観測隊に切り売りしているらしい。
市長(おいおい村長じゃないのかい)まで出迎えてくれて、「明日は絶対晴れ!」とフランス語で豪語していました。
川村氏の持ち込んだGPSで緯度・経度を測り、そのデータをパソコンに打ち込んで計算すると、
ペルテスの皆既継続時間は2分12秒
ほぼ皆既帯の中心です。
この時点で11日の観測場所をランスにするかペルテスにするかの決断を迫られました。
皆既時間は1割長い、しかし天気予報は東が悪い・・・・
究極の選択ですが、私の見解は心の底で どちらも曇り と考えていました。
したがって「多数につく!」です。暫定アンケートの結果ペルテス組は8名、残りはランスなので、
もしペルテスに移動して見えずランスで見えたときが一番悔しいので最悪の結果を避けようと安全策を取ることにしたのです
8月11日 いよいよ日食本番です。
やはり気になるのは天候です。朝6時に起きて窓の外を見ました。
「うーん、曇ってるなあ~!! まあ何とか6時間後に晴れてくれればいいか」
と 楽観的な希望を抱いて身支度をして朝食に向かいます。
皆既帯の中心にあるペルテスへ向かう7人を見送ってからは、する事もなくTVを見ながらぼーっと過ごしていました。
TVからはほぼ10分おきに日食情報が流れてくるのですが、内容は毎度同じで、
日食のCGと日食用メガネをかけて太陽を見ましょう
とか天気予報だけです。
まあ、そう新しい内容があるはずもないのですが何となく見てしまっていました。
そうこうするうちに午前10時になりました。
そろそろホテルの芝生に陣取る人たちが現れ始めました。
うちらは、セッティングするほどの本格的な機器もないのですが、それでも雰囲気に押されてビニールシートを引いたりカメラを三脚にセットするなどそれらしく準備を始めました。
このフランス人のオジサンは「ハイテク~」とのたまって、自作の機器を持ち込んできました。
ハイテクの中身は双眼鏡(5cmくらいかな)に遮光板と投影板を取り付けて、要するに太陽投影装置ですね。
アングルステーで太陽方向に向けるつもりらしいのですが、微動装置どころか粗動装置もなくどうやって太陽の動きを捉えるつもりなんだろう??
でも「ハイテク~」と何度もおっしゃるので
「ワンダフル!!」
と言ったらすごく喜んでいました。
ジョークの判るヤツと思っていただいたのでしょうか。
10時半を過ぎる頃から、芝生の中は多くの人々が集まりそれぞれの機器をセッティングし始めています。
3000mmの超焦点でプロミネンスを狙う人、シャドーバンドを撮影しようとビデオカメラを試す人などそれぞれ個性のある方たちばかりです。
うちらは観望派なので400mmの望遠レンズにNDフィルターと一般的なカメラを用意しただけで、あとはコロナが見れたらいいなというお気楽なノリですね。
11時6分、いよいよ部分日食がはじまる時間が来ましたが、依然雲がたれ込めたままです。
しかし、11時15分薄雲を通して太陽が見えました。
「やったー、欠けてる!!」
との歓声が周囲から起こりました。
雲間は更に薄くなりまぶしい太陽が見えました。
日本人は芝生の上か隣の駐車場で機材を持ち出してのまがりなりにも観測派ですが、ホテルの残りの客はプールサイドに陣取って遮光板(日食メガネ)で太陽を見ています。
その後も一進一退で、雲間から見えたと思えば数十秒で隠れるの繰り返しです。
なんとかならないかなと思っていると、北の方に青い空間が・・・・・
少しずつですがこちらに向かって拡がって来るではありませんか。
ちょっと速すぎるなと思いながらも、みんなで手招きしました。
青空はだんだん拡がり近づいてくるのですが、少しずれているぞ。
青空の端っこのほうでようやくまぶしい太陽を見ることができました。
食分約55%、夢中でシャッターを切りました。
しかしその後は12時15分頃以降いっこうに晴れる気配もなく、時間だけが過ぎていきます。
周囲にいた鳥たちが飛び立ってどこかへ行ってしまいましたが、これってやっぱり日食のせいなんだろうか? などと考えていました。
12時20分を過ぎて皆既まであと数分、周囲が目に見えて暗くなってきました。
道路の街灯も灯り始めました。しかし雲はたれ込めたままで、周囲に切れ間もないのでほぼ絶望です。時間がだんだん迫ってきます。
このままダラーっと終わってしまうのかな~ などと考えていて何気なく東の方を見ると、遠くの雲が一瞬暗くなりました。
「あれ! あれ!」
と叫んで妻にそちらの方を見るように言いました。
すると、東の方から順に暗くなっていくのが判りました。
「来た!!」と思わず叫ぶと、他の方も気づいていたのでしょう。
一斉に「オー!!」と声が出ました。
雲間から漏れていた薄日が東からパッ、パッと消えていき、暗闇が東から襲ってきたような感覚で数秒で夜になってしまいました。
周囲の人たちから一斉に歓声が湧き起こり、拍手の渦につつまれました。
さすがの私も、皆既日食と言ってもこんなに暗くなるとは予想もしていませんでしたので、不思議な体験をしている気分でした。
約2分の暗闇が終わると、今度は空が急に明るくなりました。
皆既中の太陽が見えずコロナを観望できなくとも、皆既中であることはしっかり分かりました。
残念ながら「皆既を見る」という初期の目的は達成できませんでしたが、「皆既を体験する」ことはしっかりできたと思います。
非日常の体験をしたという点では、意味のある日食観望ツアーだったと考えています。
ペルテスに行った人たちは、短時間ですがコロナを捉えることに成功しました。
金星も見えたそうです。
すこし羨ましい気持ちもありましたが、朝早くから旅支度をして出発した努力の結果だったのでしょう。
もう一度同じ選択を迫られても、同じ判断をしただろうと思うと移動した方々の勇気のたまものかなと思います。
ランスに残った人たちも私と同じ気持ちだったのではないでしょうか。
左の写真は、皆既が終わってなんとなく放心している人たちです。
太陽は11年周期(本当は22年周期なんだけれども)で活動が盛んになったり、少し元気がなくなったりします。
1999年から2000年にかけて活動が最大になると予想されるので、全方向に拡がった大きなコロナや、光球面(太陽の表面)からたち昇るプロミネンス(紅炎=表面の爆発現象)が観測される可能性が大きくなります。今回も巨大なプロミネンスが見られたそうです。
えっ? 誰が撮影したかって? 内緒だよ。
翌日フランスからユーロスターでドーバー海峡を渡りロンドンへ行きましたが、どこでも日食が一面の新聞ばかりでした。
さて、私自身は悔しくないわけないので、次回もチャレンジしてやろうかと考えています。
さて、アフリカかマダガスカルか? それともオーストラリアか? いまは・・・・・ですが、必ず皆既を見てやるぞ!!
じゃあどこかで逢いましょう。
ペルテスに移動した高橋雄二さんから、皆既の写真を頂きました。
雲間から見えるコロナをきれいに捉えています。有り難うございました。
最後に・・・・この写真に写っている方々には写真掲載の了承を得ていません。
もし、写っている人が見られたら、快く了解していただくようお願いいたします。
1999.9
2003.7.14 改訂
暦と星のお話
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/index.html
金環日食を見て
2012.5
975年8月10日(天延3年7月1日)の皆既食が有名で、『日本紀略』に記述がある。不吉なこととしてこの現象を捉えている。
この金環日食を見れるというので、7:00に家を普通出るのを止めて、観察した。前日の予報では雲があり、見られるかどうかわからないというので、太陽を見るグラスを買わなかった。
しかし、7:00に家を出ようとしたら、太陽が見えるので、急遽、太陽を見る方法を探ることになった。
サングラスを3重にしたらと思い、やったが眩しい。それではと、ネガフィルムの黒い部分を
2重にして見ると、太陽が赤くなり、ちょうど良い工合に見える。
このフィルム2重重ねで、道に出て見ていると、隣の家の住民は、太陽を見るグラスを2つも持って、見てる。
少し見せてもらったが、同じ感じであった。
金環日食は、私の生きている間には東京では見れないと思い、家族全員と近所の人たちとみていた。
しかし、世界経済にも、日本近傍にも不吉な兆候が出ているのが、非常に心配である。
7:45分に家を出て通勤したが、大幅遅刻である。仕方がないですね。
==============================
アジア太平洋各地で金環日食、光の輪くっきり
2012.05.21 Mon posted at: 09:39 JST
(CNN) 太陽に月が重なって光のリングのように見える金環日食が21日、アジア太平洋の各地で観測された。
今回の金環日食は中国南部から米テキサス州にかけて観測することができる。
中国南部で始まった日食は、香港では厚い雲に覆われてしまったが、東京では
午前7時32分から約5分間、
雲の合間に金環日食がくっきりと見えた。
金環日食は月が地球と太陽の間を通過して太陽の中心部分が覆い隠され、金色の輪のように見える現象。
今回の日食では太陽の80%上が月に覆い隠されている。
米国ではカリフォルニア州北部とオレゴン州南部からテキサス州東部にかけての一帯で現地時間の20日夕刻に観測できる。
同国では1994年以来。米航空宇宙局(NASA)の専門家は
「それほど頻繁にみられるものではなく、珍しい現象」
と解説している。
各地で観測会も企画され、ユタ州カナラビルでは標高3000メートルを超える山頂から眺望を楽しめるよう、地元のリゾートがスキー用のリフトを観光客に開放。コロラド大学ボルダー校はフットボール競技場で観測会が開かれている。
次の金環日食はオーストラリア北部で11月13日に観測できる。
国際戦略コラム
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/240521.htm
フランス皆既日食観望記
1999.8.11
1999年8月11日 ノストラダムスが予言したともいわれる皆既日食がヨーロッパ・西アジアでおこりました。
今回の日食は人口が多く、しかも観測環境が整っているという好条件もあり、天文ファンだけでなく多くの人々が日食を見ようと皆既帯に詰めかけました。
私も今回、妻とスカイウォッチャー誌協賛の日食ツアーに参加しました。
この日食のことはずいぶん昔から知っていて、条件も良いので是非見たいと思っていました。
今回のツアーには約40名の方が参加され、最後まで和気藹々とした雰囲気で、日食以上に楽しめました。
イギリス、フランス、ドイツを皆既帯が横切ることもあり現地のマスコミは日食で過熱気味で、ニュース番組では約10分おきに当日の天気予報など日食情報を流していました。左は11日の天気予報です。
8月9日夕刻 パリ(Paris)からランス(Reims)入りして、翌10日に観測地の下見をしました。
まずランス郊外にあるホテルの庭は芝生敷きで気持ちよさそうです。ここでは皆既継続時間1分59秒です。天体観測をするには快適すぎる環境で、水・電気から食料まで何でもありです。眺望もまずまずで、日食観望に問題はありません。
つぎに、ランスの北東約30kmで皆既帯の中心に近いペルテスという町に行きました。
バスでゆられて約1時間で到着。
むむむ~!! さすがフランス・・・どこが町なんだ??
周囲には何にも無い!!
天体観測をするのにこれほどの土地があるだろうか。
舗装路から畑の畦道を進んだところにあったのは、5メートル四方の仕切テープがたくさん並んだ土地。
畑に仕切をして観測隊に切り売りしているらしい。
市長(おいおい村長じゃないのかい)まで出迎えてくれて、「明日は絶対晴れ!」とフランス語で豪語していました。
川村氏の持ち込んだGPSで緯度・経度を測り、そのデータをパソコンに打ち込んで計算すると、
ペルテスの皆既継続時間は2分12秒
ほぼ皆既帯の中心です。
この時点で11日の観測場所をランスにするかペルテスにするかの決断を迫られました。
皆既時間は1割長い、しかし天気予報は東が悪い・・・・
究極の選択ですが、私の見解は心の底で どちらも曇り と考えていました。
したがって「多数につく!」です。暫定アンケートの結果ペルテス組は8名、残りはランスなので、
もしペルテスに移動して見えずランスで見えたときが一番悔しいので最悪の結果を避けようと安全策を取ることにしたのです
8月11日 いよいよ日食本番です。
やはり気になるのは天候です。朝6時に起きて窓の外を見ました。
「うーん、曇ってるなあ~!! まあ何とか6時間後に晴れてくれればいいか」
と 楽観的な希望を抱いて身支度をして朝食に向かいます。
皆既帯の中心にあるペルテスへ向かう7人を見送ってからは、する事もなくTVを見ながらぼーっと過ごしていました。
TVからはほぼ10分おきに日食情報が流れてくるのですが、内容は毎度同じで、
日食のCGと日食用メガネをかけて太陽を見ましょう
とか天気予報だけです。
まあ、そう新しい内容があるはずもないのですが何となく見てしまっていました。
そうこうするうちに午前10時になりました。
そろそろホテルの芝生に陣取る人たちが現れ始めました。
うちらは、セッティングするほどの本格的な機器もないのですが、それでも雰囲気に押されてビニールシートを引いたりカメラを三脚にセットするなどそれらしく準備を始めました。
このフランス人のオジサンは「ハイテク~」とのたまって、自作の機器を持ち込んできました。
ハイテクの中身は双眼鏡(5cmくらいかな)に遮光板と投影板を取り付けて、要するに太陽投影装置ですね。
アングルステーで太陽方向に向けるつもりらしいのですが、微動装置どころか粗動装置もなくどうやって太陽の動きを捉えるつもりなんだろう??
でも「ハイテク~」と何度もおっしゃるので
「ワンダフル!!」
と言ったらすごく喜んでいました。
ジョークの判るヤツと思っていただいたのでしょうか。
10時半を過ぎる頃から、芝生の中は多くの人々が集まりそれぞれの機器をセッティングし始めています。
3000mmの超焦点でプロミネンスを狙う人、シャドーバンドを撮影しようとビデオカメラを試す人などそれぞれ個性のある方たちばかりです。
うちらは観望派なので400mmの望遠レンズにNDフィルターと一般的なカメラを用意しただけで、あとはコロナが見れたらいいなというお気楽なノリですね。
11時6分、いよいよ部分日食がはじまる時間が来ましたが、依然雲がたれ込めたままです。
しかし、11時15分薄雲を通して太陽が見えました。
「やったー、欠けてる!!」
との歓声が周囲から起こりました。
雲間は更に薄くなりまぶしい太陽が見えました。
日本人は芝生の上か隣の駐車場で機材を持ち出してのまがりなりにも観測派ですが、ホテルの残りの客はプールサイドに陣取って遮光板(日食メガネ)で太陽を見ています。
その後も一進一退で、雲間から見えたと思えば数十秒で隠れるの繰り返しです。
なんとかならないかなと思っていると、北の方に青い空間が・・・・・
少しずつですがこちらに向かって拡がって来るではありませんか。
ちょっと速すぎるなと思いながらも、みんなで手招きしました。
青空はだんだん拡がり近づいてくるのですが、少しずれているぞ。
青空の端っこのほうでようやくまぶしい太陽を見ることができました。
食分約55%、夢中でシャッターを切りました。
しかしその後は12時15分頃以降いっこうに晴れる気配もなく、時間だけが過ぎていきます。
周囲にいた鳥たちが飛び立ってどこかへ行ってしまいましたが、これってやっぱり日食のせいなんだろうか? などと考えていました。
12時20分を過ぎて皆既まであと数分、周囲が目に見えて暗くなってきました。
道路の街灯も灯り始めました。しかし雲はたれ込めたままで、周囲に切れ間もないのでほぼ絶望です。時間がだんだん迫ってきます。
このままダラーっと終わってしまうのかな~ などと考えていて何気なく東の方を見ると、遠くの雲が一瞬暗くなりました。
「あれ! あれ!」
と叫んで妻にそちらの方を見るように言いました。
すると、東の方から順に暗くなっていくのが判りました。
「来た!!」と思わず叫ぶと、他の方も気づいていたのでしょう。
一斉に「オー!!」と声が出ました。
雲間から漏れていた薄日が東からパッ、パッと消えていき、暗闇が東から襲ってきたような感覚で数秒で夜になってしまいました。
周囲の人たちから一斉に歓声が湧き起こり、拍手の渦につつまれました。
さすがの私も、皆既日食と言ってもこんなに暗くなるとは予想もしていませんでしたので、不思議な体験をしている気分でした。
約2分の暗闇が終わると、今度は空が急に明るくなりました。
皆既中の太陽が見えずコロナを観望できなくとも、皆既中であることはしっかり分かりました。
残念ながら「皆既を見る」という初期の目的は達成できませんでしたが、「皆既を体験する」ことはしっかりできたと思います。
非日常の体験をしたという点では、意味のある日食観望ツアーだったと考えています。
ペルテスに行った人たちは、短時間ですがコロナを捉えることに成功しました。
金星も見えたそうです。
すこし羨ましい気持ちもありましたが、朝早くから旅支度をして出発した努力の結果だったのでしょう。
もう一度同じ選択を迫られても、同じ判断をしただろうと思うと移動した方々の勇気のたまものかなと思います。
ランスに残った人たちも私と同じ気持ちだったのではないでしょうか。
左の写真は、皆既が終わってなんとなく放心している人たちです。
太陽は11年周期(本当は22年周期なんだけれども)で活動が盛んになったり、少し元気がなくなったりします。
1999年から2000年にかけて活動が最大になると予想されるので、全方向に拡がった大きなコロナや、光球面(太陽の表面)からたち昇るプロミネンス(紅炎=表面の爆発現象)が観測される可能性が大きくなります。今回も巨大なプロミネンスが見られたそうです。
えっ? 誰が撮影したかって? 内緒だよ。
翌日フランスからユーロスターでドーバー海峡を渡りロンドンへ行きましたが、どこでも日食が一面の新聞ばかりでした。
さて、私自身は悔しくないわけないので、次回もチャレンジしてやろうかと考えています。
さて、アフリカかマダガスカルか? それともオーストラリアか? いまは・・・・・ですが、必ず皆既を見てやるぞ!!
じゃあどこかで逢いましょう。
ペルテスに移動した高橋雄二さんから、皆既の写真を頂きました。
雲間から見えるコロナをきれいに捉えています。有り難うございました。
最後に・・・・この写真に写っている方々には写真掲載の了承を得ていません。
もし、写っている人が見られたら、快く了解していただくようお願いいたします。
1999.9
2003.7.14 改訂
暦と星のお話
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/index.html
金環日食を見て
2012.5
975年8月10日(天延3年7月1日)の皆既食が有名で、『日本紀略』に記述がある。不吉なこととしてこの現象を捉えている。
この金環日食を見れるというので、7:00に家を普通出るのを止めて、観察した。前日の予報では雲があり、見られるかどうかわからないというので、太陽を見るグラスを買わなかった。
しかし、7:00に家を出ようとしたら、太陽が見えるので、急遽、太陽を見る方法を探ることになった。
サングラスを3重にしたらと思い、やったが眩しい。それではと、ネガフィルムの黒い部分を
2重にして見ると、太陽が赤くなり、ちょうど良い工合に見える。
このフィルム2重重ねで、道に出て見ていると、隣の家の住民は、太陽を見るグラスを2つも持って、見てる。
少し見せてもらったが、同じ感じであった。
金環日食は、私の生きている間には東京では見れないと思い、家族全員と近所の人たちとみていた。
しかし、世界経済にも、日本近傍にも不吉な兆候が出ているのが、非常に心配である。
7:45分に家を出て通勤したが、大幅遅刻である。仕方がないですね。
==============================
アジア太平洋各地で金環日食、光の輪くっきり
2012.05.21 Mon posted at: 09:39 JST
(CNN) 太陽に月が重なって光のリングのように見える金環日食が21日、アジア太平洋の各地で観測された。
今回の金環日食は中国南部から米テキサス州にかけて観測することができる。
中国南部で始まった日食は、香港では厚い雲に覆われてしまったが、東京では
午前7時32分から約5分間、
雲の合間に金環日食がくっきりと見えた。
金環日食は月が地球と太陽の間を通過して太陽の中心部分が覆い隠され、金色の輪のように見える現象。
今回の日食では太陽の80%上が月に覆い隠されている。
米国ではカリフォルニア州北部とオレゴン州南部からテキサス州東部にかけての一帯で現地時間の20日夕刻に観測できる。
同国では1994年以来。米航空宇宙局(NASA)の専門家は
「それほど頻繁にみられるものではなく、珍しい現象」
と解説している。
各地で観測会も企画され、ユタ州カナラビルでは標高3000メートルを超える山頂から眺望を楽しめるよう、地元のリゾートがスキー用のリフトを観光客に開放。コロラド大学ボルダー校はフットボール競技場で観測会が開かれている。
次の金環日食はオーストラリア北部で11月13日に観測できる。
国際戦略コラム
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1999年8月7日土曜日
1999年8月トルコ大地震
1999年8月トルコ大地震
トルコ大地震関連情報
2001/03/16 18:09 更新
ニュース
「日本トルコ村」開村
■NHK 2月10日 朝のニュースから
去年8月、トルコ西部で起きた大地震で大きな被害が出た被災地に、阪神大震災の被災地から送られた仮設住宅500戸が完成し、日本時間のきのう、現地で「日本トルコ村」の開村式が行われました。
阪神大震災の被災地から送られた仮設住宅は、最大の被災地の一つ、トルコ西部のアダパザルの郊外に建設されました。
日本村の開村式には、住民らおよそ1000人が出席し、日本側を代表して山本外務政務次官が「日本は、5年前に阪神大震災を経験しただけに、今回の地震によるトルコ国民の苦労や悲しみは十分理解している。日本の支援は、友好国として当然であり、仮設住宅が役に立っていることをうれしく思う」とあいさつしました。
これに対してアイドゥン公共事業・住宅相は「地震直後からトルコに寄せられている日本の好意に感謝する」と述べました。
このあと山本政務次官らは、トルコ語で「日本トルコ村」と書かれた看板の除幕を行ったのに続いて、仮設住宅に入居した被災者の家を訪ね、これまでの苦労をねぎらいました。
現地には、去年の暮れまでに、日本からさらに1100戸の仮設住宅が送られており、日本側は、トルコ側と協議しながら早期に建設工事を終えたいとしていて、引き続き被災地の復興に貢献していく考えです。
■NHK 2月10日 朝のニュースから
去年8月にトルコ西部で起きた大地震の際に、日本の国際緊急援助隊によって倒壊した建物の中から救助された女性が、日本時間の昨夜、トルコを訪れている外務省の山本政務次官に会い、感謝の意を伝えました。
この女性は、メラハット・オズクルトさん(74)です。
オズクルトさんは、去年8月に起きた大地震の際、トルコ西部の町、ヤロバ市内の自宅のマンションが倒壊してがれきの中に閉じこめられ、現地で救助活動にあたっていた日本の国際緊急援助隊によって56時間ぶりに救出されました。
オズクルトさんは、イスタンブール市内のホテルに山本政務次官を訪ね「救出された時のことはよく覚えていないが、あとで日本人が犬を使って救出してくれたと聞いた。背中や足に大けがをして、2か月間、入院生活を送ったが、今は元気になり本当に感謝している。どうしてもお礼を言いたかった」と述べ、手作りの桜の花の刺しゅうを手渡しました。
山本政務次官は「緊急援助隊が救出することができて、うれしく思っている。健康に気をつけて長生きしてください」とねぎらいました。
8月17日にトルコ西部で起きた大地震は、発生より608日と4時間 が経過しました。
死者は14,000人を超え 、阪神大震災の犠牲者(6,432人)を大幅に上回りました。
■被害状況 (9/1)
死者:14,494人
負傷者:25,000人以上
被災者:約20万人 (8/26)
倒壊建物:約17,500棟 (8/25)
地震に関する情報 (アジア防災センター)
発生日時
現地時間 1999年8月17日 午前3時2分(夏時間)
日本時間 1999年8月17日 午前9時2分
規模:マグニチュード7.4
震央:トルコ共和国イズミット市近辺,イスタンブールより東へ65マイル(104km)
11月13日にトルコ北西部で起きた大地震は、発生より520日と11時間 が経過しました。
■被害状況 (11/17)
死者:550人
負傷者:3,000人以上
倒壊建物:700棟を越える(ボル県デュズジェとその周辺)
地震に関する情報
発生日時
現地時間 1999年11月12日 午後7時
日本時間 1999年11月13日 午前2時
規模:マグニチュード7.2
震央:トルコ共和国ボル県デュズジェ付近
新しい日本の情報局
1999年5月8日土曜日
気象情報
ロシアの宇宙飛行士たちが確信した「銀雲」と地球上の災害の関連
かつてロシア(旧ソ連)には、宇宙ステーション「ミール」というものがありましたが、その宇宙ステーション・ミールで 1994年から 1995年にかけて、実に 438日におよぶ長期のスペース・ミッションをおこなったロシアのワレリー・ポリャコフという宇宙飛行士がいます。
このポリャコフさんには 1999年に記した『地球を離れた2年間』という名著の誉れの高い著作があるのですが、そこに「銀雲」についての記述があります。
銀雲(silvery clouds)というページに、その部分が書き出されていますので、一部抜粋します。
In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/395989379.html
ワレリー・ポリャコフ『地球を離れた2年間』より。
それからもうひとつ忘れられない現象がある。それは"銀色の雲"のことで、地上で起きる災害と関連があると言われている。それは不思議な雲だ。銀色の雲という、まことにロマンチックの名前は、地表が円形になる地平線上の60キロメートルから70キロメートルの上空にしか現れないところからきている。(中略)
その後、仕事の忙しさもあってこのエピソードは忘れられていた。ところがその晩、地上との定期無線交信のときに、アルメニアで大地震があり、膨大な数の犠牲者が出て、街は壊滅状態だという連絡があった。(中略)2回目のフライトの際には、ロケットが打ち上げられ、安定飛行状態にはいるやいなや、巨大な銀色の雲を目にし、不吉な感情に襲われた。(中略)
管制センターとの無線交信によって、アメリカ合衆国のロサンジェルス市か、あるいはその地域に大型の地震が発生し、大きな被害が出ているというニュースが伝えられた。
In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/395989379.html
ロシアの宇宙飛行士たちが確信した「銀雲」と地球上の災害の関連
かつてロシア(旧ソ連)には、宇宙ステーション「ミール」というものがありましたが、その宇宙ステーション・ミールで 1994年から 1995年にかけて、実に 438日におよぶ長期のスペース・ミッションをおこなったロシアのワレリー・ポリャコフという宇宙飛行士がいます。
このポリャコフさんには 1999年に記した『地球を離れた2年間』という名著の誉れの高い著作があるのですが、そこに「銀雲」についての記述があります。
銀雲(silvery clouds)というページに、その部分が書き出されていますので、一部抜粋します。
In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/395989379.html
ワレリー・ポリャコフ『地球を離れた2年間』より。
それからもうひとつ忘れられない現象がある。それは"銀色の雲"のことで、地上で起きる災害と関連があると言われている。それは不思議な雲だ。銀色の雲という、まことにロマンチックの名前は、地表が円形になる地平線上の60キロメートルから70キロメートルの上空にしか現れないところからきている。(中略)
その後、仕事の忙しさもあってこのエピソードは忘れられていた。ところがその晩、地上との定期無線交信のときに、アルメニアで大地震があり、膨大な数の犠牲者が出て、街は壊滅状態だという連絡があった。(中略)2回目のフライトの際には、ロケットが打ち上げられ、安定飛行状態にはいるやいなや、巨大な銀色の雲を目にし、不吉な感情に襲われた。(中略)
管制センターとの無線交信によって、アメリカ合衆国のロサンジェルス市か、あるいはその地域に大型の地震が発生し、大きな被害が出ているというニュースが伝えられた。
In Deep
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1999年1月1日金曜日
天体情報
金星星座一覧表
金星の運行一覧です。
1999年01月05日01時24分~ 水瓶座
1999年01月29日01時17分~ 魚座
1999年02月22日05時50分~ 牡羊座
1999年03月18日18時58分~ 牡牛座
1999年04月12日22時15分~ 双子座
1999年05月09日01時27分~ 蟹座
1999年06月06日06時24分~ 獅子座
1999年07月13日00時16分~ 乙女座
1999年08月15日22時46分~ 獅子座(逆行)
1999年10月08日01時56分~ 乙女座
1999年11月09日11時22分~ 天秤座
1999年12月06日07時42分~ 蠍座
本厚木@UP運するための占星術ブログ
http://ameblo.jp/fortunecafe-ceres/entry-11276380650.html
金星星座一覧表
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1999年01月05日01時24分~ 水瓶座
1999年01月29日01時17分~ 魚座
1999年02月22日05時50分~ 牡羊座
1999年03月18日18時58分~ 牡牛座
1999年04月12日22時15分~ 双子座
1999年05月09日01時27分~ 蟹座
1999年06月06日06時24分~ 獅子座
1999年07月13日00時16分~ 乙女座
1999年08月15日22時46分~ 獅子座(逆行)
1999年10月08日01時56分~ 乙女座
1999年11月09日11時22分~ 天秤座
1999年12月06日07時42分~ 蠍座
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