2025年4月8日火曜日

the Ultimate Discoveries: 津波の後に見つかった18の奇妙なもの



13 Strangest things discovered after Tsunamis

Youtube
https://youtu.be/iE7Qpafq9ZQ













(要約)
the Ultimate Discoveries: 津波の後に見つかった18の奇妙なもの
自然災害は人々に多大な迷惑をかけますが,動物にも影響を与える。津波のような大きな波やハリケーンのような強風に遭遇したら,避難しなければならない。そして海の生き物たちの生活を大きく変えてしまう。 悪天候によって海岸が破壊され,津波などの災害後に発見された18の奇妙なものについて今日は探っていきます。 
▼18位/ キバナウナギ
2017 年 9 月,科学コミュニケーターのプレイ・デサイ(Prey Desai)は,テキサスシティの海岸を探検していたときに,奇妙な動物の死骸に遭遇した。それはまるで,SF映画から飛び出してきたかのようだった。 ヤツメウナギ(a sea lamprey)に似ているが,素早い。 よく見ると,長く鋭い牙の歯が見つかった。デサイはXにこの生物の画像を4 枚投稿したが,答えよりも疑問の方が多かったため,難しいと指摘する人もいた。 進行した腐敗のため,特定するのは困難。 しかし,科学者によるさらなる調査によると,死んだ動物は牙のある歯を持つキバナウナギ(fang-toothed eel)だった。 アルファスシャロット(Alphas chalot)としても知られるキバナウナギ(fang-toothed eel)は,今日ではピッチ科に属している。 そして,彼らは海の 20 〜 90 メートルの深さに住んでいます。 では,このウナギはどのようにして海面にたどり着いたのか? 科学者たちは,2017年8月に発生した深刻な熱帯低気圧であるハリケーンによる擾乱により表面に押し出された可能性があると考えている。 
▼17位/ 浮き桟橋
2011年に日本を揺るがした東北大震災と津波は,世界でも最も強力な自然災害の一つ。そして,日本にとってこれまでで最も壊滅的な被害をもたらし,3万人近くの死傷者と36の被害をもたらした。 
津波から数か月後,世界各地の海岸には東北エリアの残骸が打ち上げられていた。打ち上げられた物体の中で最も重要なものの1つは,米オレゴン州のビーチに現れた長さ70フィートの巨大な浮き桟橋。日本領事館の職員によると,この桟橋は日本北部の漁港から分離した後,太平洋を経由してオレゴンまで移動したとのこと。長さ66フィート,高さ7フィートのコンクリート製の桟橋は東北松沢港から分離し,太平洋を渡り,最大13ポンドの海洋生物をオレゴン州へ多数運んだ。 ヒトデ,ウニ,甲殻類,カタツムリ,筋肉,ミミズ,フジツボ,藻類など。ただし,この桟橋は,青森県の会社が所有する4つのうちの1つ。この1つが米国まで5,000マイル移動できたのであるが,残りの3つの桟橋がどこにあるかはわからない。 
▼16位/ 金庫
日本は,タンス預金と呼ばれる問題と戦っている。「預金」とは,英語でいう「ワードローブ貯金(wardrobe savings)」を意味する言葉。お金を家に保管する習慣を指す。日本は高齢者の割合が最も高い国の1つであることを考えると,これは驚くべきことではない。推定によると,日本には200の銀行があるにもかかわらず,約3,500億ドルが流通していない。そのため,津波が襲って人々が財産を失ったとき,災害の1か月後には,隠しておいた現金の一部が瓦礫の中に散らばっていたのは当然のことだった。警察署は財産の回収に追われ,数千の金庫が見つかった。本部だけでも,衝撃でへこんだ何百もの金属製の金庫を回収することができた。警察署でも多数の金庫が記録された。金庫を分類し,所有者を特定する大変な作業には,おそらく数週間,場合によっては数か月かかるだろう。財産を取り戻すことができた人は間違いなく幸運だったろう。 
▼15位/ 巨大な死骸
壊滅的な東北大震災と津波の後,Daily Star 紙等さまざまな国際ニュースメディアが,塊のような巨大な死骸(carcass)のニュースを報じた。塊のような生き物は日本の海岸に打ち上げられた。そして各紙はそれがゾンビに違いないと報じた。 ニュースブログには鮮やかな色の死骸のビデオがある。多くの YouTube チャンネルも,ブロブのようなブクブクに膨らんだ生き物を報じており,地球外または超自然的である可能性もあると示唆する報告した。ただし,ストーリーの一部は間違っている。ブロブは津波後には現れない。しかし,それは本物であり,日本の海岸で発見された。2011年の津波の1年前に発見されている。 小さな漁村の文化博物館の学芸員によって発見された。死骸が何の動物のものかは分からなかった。あるいは,それが本当に動物であったとしても,十分な情報がなかったため,報道機関はそれが海岸に打ち上げられたのは実際より1年後だと信じていた。 
▼14位/ 看板
看板自体は,特に奇妙なものではない。この特定のケースがリストに載ったのは,それが象徴するものと教訓のため。東北大震災の津波は2011年に発生したが,波にさらわれた村の看板は,災害から4年後の2013年10月に発見されるまで,太平洋を渡り遠くまで移動した。これは,津波で流された物が見つかるまでにどれだけの期間行方不明になっていたかを物語っている。長さ3mの木製の看板は,アメリカ海洋大気庁から派遣された小グループによって,ハワイのオアフ島カフクビーチで発見された。流された東北の海岸から,発見されたタノア村まではざっと約6,000kmの距離だ。標識には「島之越村住宅」と書かれていた。それは,人々がまだ復興に努めていた日本の元の場所へ2014年7月に返還された。この標識は,壊滅的な災害の被災者にとって希望の象徴。それは,復興にはしばらく時間がかかるかもしれないというサインだ。しかし,正しい考え方と努力があれば,誰でも災害前の素晴らしい状態に戻ることができるはずだ。 
▼13/ 巨大な目玉
2012年10月11日,フォートローダーデール近郊のポンパノビーチで,ある男性が奇妙な光景に遭遇した。それはどうやら目だったようだが,その大きさは不安を掻き立てるだけでなく,ぞっとさせるものだった。写真が FacebookやFlickrに掲載されると,その起源についてすぐに憶測が飛び交い始めた。約1週間にわたってこの巨大な魚や野生動物を調べた結果,フロリダ州魚類野生生物保護委員会の専門家は,それはメカジキの目だとコメントした。また,専門家は,攻撃の結果ではなく,漁師によって切り取られて捨てられたのではないかとも示唆している。 メカジキは大西洋に生息し,最大500 kgまで成長する。しかし,人間の目と同様に,その大部分は眼窩の中に隠れているため,メカジキの巨大な目を見ても気付かないかもしれない。 
▼12位/ モスク
インドネシアのバンダアチェ州ブリリウ(Buli Liu in Banda Aceh, Indonesia)のメウラスカ地区にあるバイトゥラヒムモスク(the Baiturrahim Mosque)は,2度の地震と津波を乗り越えた素晴らしいモスク建築。17世紀にアチェのスルタンによって建てられた。このモスクはもともと木造だったが,1922年に再建され,それ以来,いくつかの修復作業が行われ,名前が付けられた。1983年にバンダアチェは壊滅的な地震に見舞われたが,モスクは奇跡的に残った。ドームも被害を受け,改修中に撤去された。2004年12月に別の地震が発生し,大津波がおき,モスクを含む多くの建物が流された。しかし,再び,このバイトゥラヒムモスクは奇跡的に持ちこたえた。災害の影響を受けないように避難した人もおり,モスクはアチェ,そしてインドネシアの重要なシンボルとなっている。多くの人々はこれを偉大さの象徴とみなし,その重要性を尊重し続けている。 
▼11位/ 漁船
2011年の東北大震災と津波の後,散らばった物の多くは,世界各地の海岸に到達した。漂着には数か月後,あるいは1年かそれ以上かかった。最終的に漂着するまでに数年かかったものもある。よく知られている例の1つは,オレゴン州沖で見つかった日本の行方不明の船。錆だらけの漁船には日本の漢字のマークがあり,専門家は,日本東海岸沿いの海流である黒潮に閉じ込められたため,オレゴン州沖にたどり着くまでに長い時間がかかった可能性があると示唆している。船は最初にハワイまで流れ,その後米国北西海岸に現れたと考えられている。また,船は太平洋ゴミベルトまたはその周りを移動するエンジョイナーと2回接触し,その後移動したとも言われている。オレゴン州当局は,海岸から遺体を回収した後,解体すると決めた。しかし,解体前に,漁船を住処にしていたガチョウの首,フジツボを取り除かねばならなかった。
▼10位/ リュウグウノツカイ
津波の後に流れ着く動物や物について見てきた。津波を警告するために現れるものを見てみよう。リュウグウノツカイ(oarfish)は普通の魚ではない。真剣に受け止めるべき特別なメッセージを伝えると言われている。 
日本では,リュウグウノツカイの目撃は自然災害などの深刻な事態の前兆とされており,リュウグウノツカイは普段は水深650~3300フィートの深海に生息し,人間にはほとんど見られないことと関係があるかもしれない。2009年と2010年には,日本各地に700匹以上のリュウグウノツカイが打ち上げられた。多くの人が,2011年に起きた破壊的な地震と津波の前兆だとすぐに指摘した。2019年には,700匹以上のリュウグウノツカイが目撃されている。このことから,再び破壊的な事態が起きるのではないかと多くの人が信じるようになった。目撃から数か月後に別の地震と津波が発生したことで,この迷信は強まった。しかし,命が失われた人はいなかった。しかし,科学者たちは災害とリュウグウノツカイ,その目撃との関連を発見していない。 
▼9位/ サッカーボール
2011年の津波の後,多くの人が財産を失った。その一人が,16歳の村上明紀さん。彼は大波ですべてを失ったが,彼の創意工夫のおかげで,彼はいくつかを取り戻すことができるかもしれない。震災の洪水ですべてが流されてから1年後,アメリカのミドルトン島に流れ着いたこのサッカーボールが拾われた。ミドルトン島は日本から112km(70マイル)。ボールを発見したデビッド・バクスターさんは,米国当局に連絡を取った。そして,サッカーボールを観察して所有者に連絡を取った。そして,村上さんはボールを取り戻すことに同意した。陸前高田市に住む村上さんは記者団に語る。
「故郷が事故で深刻な被害を受けたが,サッカーボールが取り戻せてうれしかった」
▼8位/ 幽霊船
2011年3月の日本の津波は多くの小さな品物を流したが,巨大な津波によって押し流された大きな品物も回収された記録がある。その1つが,カナダ西海岸沖で発見された幽霊船。2012年3月23日,ブリティッシュコロンビア海を巡回中の航空機によって発見された,全長50mの船は,ハイダ・グアイ諸島から275km離れたところで漂流していた。幽霊船は,津波で流された残骸の中で最大のものの1つ。それは目に見えて破れ,錆びていた。船にはさらなる調査により,日本の北海道に登録されていることが判明した。船の速度と軌道に基づいて,当局は当時,陸に着くまでに約50日間海上にとどまる可能性があることを明らかにした。しかし,カナダ政府は汚染や障害物がないか船の常時監視を再開した。後に船は引き揚げ不可能であると判断され,海軍火力を使用して自沈した。 
▼7位/砲弾
ハリケーン・ドリアン(Hurricane Dorian)は,2019年8月から9月にかけて発生した。これは,バハマを襲った記録上最も強烈な,強力で破壊的な熱帯低気圧だった。この災害により,84人が死亡,245人が行方不明,約50億ドルの損害が発生した。ハリケーンの後,あるカップルがハリケーンの残骸を求めてビーチ中を探検していたが,南北戦争の砲弾という,はるかに重要な品々を発見した。アーロン・ラテンと彼のガールフレンドは,砲弾はただの石だと思っていた。 しかし,彼らは南北戦争の砲弾という,はるかに重要な品々を手に入れた。アーロン・ラテンにとっては砲弾はただの石だったが,当局が呼ばれて砲弾が危険でないことが確認された後,よく見るともっと重要なものであることがわかった。幸せなカップルは歴史の一部を見つけた喜びを表現した。しかし,過去にも同じ地域で他の砲弾が見つかっていた。2016年のハリケーン・マシューの後,同じビーチで64個の砲弾が見つかった。 
▼6位/ 老人
津波は物体を運び,海洋生物を移動させることは予想できるが,ある男性が現実のアクアマンの称号にふさわしいと主張している。トンガのアタタ出身の57歳の男性,リサラ・フォラウは,27時間海を漂った後,1日以上泳ぎ続けた。フォロは,村に住む61人のうちの1人で,波が近づいてきたときに家を塗装していた。彼は兄から警告を受け,なんとか木の枝にたどり着いた。最初の波は逃れたものの,2番目の波が彼と他の人を持ち上げ,海に投げ込んだ。フォロは,息子のために命を危険にさらすことを恐れて,息子の呼びかけを無視したと語った。彼はただ丸太につかまり,通り過ぎる警察の船がある島になんとか漂着したが,呼びかけは聞こえなかった。しばらく漂流した後,彼は近くに別の島を見つけ,なんとかそこまで泳ぎ着いた。彼は助けに行くための乗り物を手に入れたのだろうか? 
▼5位位/巨大レゴマン
ジェフ・ハインドマンはサラソタ郡のシエスタキービーチを歩いていた。そのとき,高さ8フィート,重さ約100ポンドの巨大なレゴ人形を発見した。鮮やかな色の人形は,下半身が赤,腕と頭が黄色,胴体が緑色で,背中には「あなたほど本物ではない」という文字が書かれていた。背中には8の数字と「エゴ・レナード」という名前が書かれていた。警察が人形を押収した後,調査により,エゴ・レナードはオランダのアーティストであることが判明した。彼は,同様の絵画と同様のメッセージを掲載したオンラインギャラリーを所有している。絵画の価値は3,000ドルから4,000ドルの間である。元のレゴ製作者に連絡したところ,人形から距離を置いたのか?所有者が名乗り出るまで,警察に預けられる。その間,人々は人形の出所を解明しようとさまざまな説を唱えている。所有者が処分したのか,それとも自然災害によって強制的に運ばれたのか?おそらく,私たちは決して知ることはないだろう。 
▼4位/ハーレー・ダビッドソン
2011年の津波災害の後,多くの物が津波とともに近隣や遠方の海岸まで運ばれたが,最も興味深い事例の 1つは,2004年のハーレーダビッドソン ナイトトレインのケース。 
ピーター・マークは,英国ブリティッシュ・コロンビア州グラハム島の美しいビーチを散策していた。そこで,珍しい光景に出くわした。海岸にバイクを積んだ大きな収納コンテナが打ち上げられていた。日本のナンバープレートを付けたこのハーレーダビッドソンのバイクは,錆びて壊れており,日本から,発見された英国の小島まで4,000マイル以上も旅してきたようだった。ハーレーダビッドソン社はオーナーの横山郁夫氏を探し当て,代わりのバイクを勧めたが,彼は,この災害で地域や国がどれだけ多くのものを失ったかを理由に,丁重に断った。このバイクは現在,この悲劇と犠牲者を偲んで博物館に展示されている。 
▼3位/ 100万ドル相当のコカイン
自然災害が麻薬や法執行機関の役に立つとは想像しにくい。しかし,ハリケーン デビーはまさにそれを実現した。1924 年 7 月 31 日,当局は異常気象を警告し,フロリダ キーズとドライ トートゥガスが閉鎖された。1 か月後,熱帯低気圧が発生し,米国とカナダで深刻な洪水が発生したため,フライトはキャンセルされた。後にハリケーン デビーと名付けられたこのハリケーンは,18人の死者と45億ドルの損害をもたらした。多くの人が想像していなかったのは,カテゴリ 1 のハリケーンが 70 ポンドのコカインのパッケージを 2 ダース以上発見する可能性があることだった。通行人は皆,他の瓦礫の中に奇妙なパッケージに気づき,当局に通報した。米国国境警備隊は,パッケージに25個のコカインのレンガが含まれていたことを明らかにした。薬物が路上に流れていた場合,その価値は 100 万ドル以上になるだろう。
▼2位/ 龍涎香 
自然災害は多くの人にとって破壊的で壊滅的なものとなる可能性があるが,一部の人には予期せぬ利益をもたらす。2025年3月,外洋性サイクロン「アルフレッド(Cyclone Alfred)」が襲来したが,被害は当初予測されていたほど大きくはなかった。この事件を受けて,オーストラリア人の父親がクイーンズランド州,ニューサウスウェールズ州のビーチに行ったところ,龍涎香(ambergris)と呼ばれる貴重な物質を見つけた。この蝋状の物質は,マッコウクジラの胃の中で消化を助けるために生成される。この物質が体外に出ると,固まって独特の香りを発する。そのため,香水業界では非常に貴重なもの。この物質は非常に人気があり,59,000ポンド/kgの値がつくこともある。サイクロンが龍涎香を海岸に押し寄せたのではないかと考えたこのオーストラリア人の父親は,すぐにそれを認識し,友人に相談して発見を確認した。 
▼1位/ 4800万ドル
2011年の地震と津波は沿岸地域を壊滅し,多くの財産を壊した。しかし莫大な損失にもかかわらず,沿岸地域の人々が気丈に復興に向かったのは朗報だ。そして正直な日本人は,被災した地域で見つけた品物を当局に返却したという。津波は村を荒廃させ,すべてをひっくり返した。人々は瓦礫の下や水域で金庫,財布,貴重品を見つけ,すべてを政府に返却したという。そして品々は持ち主に戻った。ある金庫からは4800万ドル相当の現金を回収した。合計で約3000万ドル。当局は5700個の金庫を受け取り,その多くは空だったが,所有者の情報を得るためにそれらを切り開かなければならなかったという。金の延べ棒やその他の骨董品を含む高価な品物が入っていた金庫もあった。
ここまで,自然災害後の目撃情報から何かを学んでいただければ幸い。いいねボタンを押してチャンネル登録よろしく。それでは次回まで。さようなら。

tfgghhg pc