2023年7月20日木曜日

オカルト通信: 黒点数情報~第25サイクルの最高値を更新



オカルト通信: 黒点数情報~第25サイクルの最高値を更新
黒点数情報
23/07/10 09:51
※黒点数情報が更新されました。
http://swnews.jp/2023/swnews_2307041438.html
2023年6月の黒点相対数は 163.4 と発表されました。2023年1月の143.6を超えて、現在の第25期の最高値を更新しました。前の周期の第24期の最高値である2014年2月の146.1も超えています。』
今は「2014年~2015年」頃と似てきました。
2014年09月27日 御嶽山噴火
2014年11月22日 長野県北部の地震(M6.7・震度6弱)
2015年05月30日 小笠原西方沖の地震(M8.1・震度5強)

オカルト通信、ズバリ言うかも!
https://blog.goo.ne.jp/ryuji58517/e/e0fd088d532dddbd53f6e4669eb32dec








新しい太陽活動周期「サイクル25」が始まった
2020/9/27 
太陽
太陽には、様々な活動の変化に応じてある周期で区切る「太陽活動周期」というものがあります。
この周期は約11年ごとに巡り、1755年に太陽黒点の記録が始まって以来、その周期が数えられています。ちなみに、第23太陽周期は1996年からは始まり、2008年1月で終了しました。 第24太陽周期は2008年1月から始まっています。その11年後は2019年ですから、現在は太陽周期の切り替わり時期にあたると考えられていました。
そんな中、NASA と NOAA (アメリカ海洋大気庁)が新しい太陽活動周期が始まったと発表しました。では、太陽周期の切り替わりの合図は何なのでしょうか? 続きはこちら
ーーーーーー
参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=360522

真我のメモ帳
https://shinga-no-memochou.tk/?p=18109





InDeepOka: 第25太陽活動周期が始まる
新しい太陽活動周期「サイクル25」が始まったとNASAとNOAAが公式に発表
2020/09/16 18:52
■第25太陽活動周期が始まる
9月15日、NASA と NOAA (アメリカ海洋大気庁)が共同開催した国際的な専門家グループによる予測パネルで、「新しい太陽活動周期であるサイクル25が始まった」と公式に発表されました。
前回のサイクル24の活動極小期は、2019年12月であったことも発表され、前回の太陽活動サイクルは、2019年12月に終了していたようです。



太陽は、約 11年程度の周期で、強い太陽活動の時期(太陽黒点が多い時期)と、弱い太陽活動の時期を繰り返しています。太陽活動周期の観測が始まったのは 1755年のことで、その時の太陽活動を、「第1太陽活動周期 (サイクル 1)」として、それ以来、現在まで太陽活動周期が記録され続けています。前回のサイクル24は、2008年12月に始まったことが公式に発表されましたので、約 11年の周期だったとようで、比較的正常な時間的推移を示したようです。
そして 9月から太陽活動周期「サイクル25」に入ったわけですが、前回のサイクル24は、「過去数百年で最も弱い太陽活動の時期だった」ということについては、数年前から何度も記事にしていました。それについての比較的新しい記事は以下のようなものです。
米NASAが次の太陽活動周期サイクル25は「過去200年間で最も弱くなる」という予測を公式に発表。2032年頃まで続くその環境の中の地球はどうなる?
投稿日:2019年6月23日
このように、NASA および、比較的多くの科学者たちは、これから始まるサイクル25も、前回の活動周期と同じように、
「かなり弱い」
と予測していたわけですが、9月15日の発表でも、その予測は同じでした。以下は、NOAA の宇宙天気予測センターによるサイクル24の黒点観測結果と、サイクル25の黒点数の推移の予測です。
この予測を見ますと、これから 11年前後続くと予測されるサイクル25は、サイクル24よりさらに弱い活動となる可能性もあるようですが、もう少し長い期間で見ますと、本当に弱い太陽活動であることがわかります。
サイクル1(1755年)からサイクル25(2020年)の黒点数の推移と予測
上のグラフを見ますと、太陽観測が始まった過去約 260年の間で、最も太陽活動が弱かったことが記録されているのは、
・サイクル 5 (1798 - 1810年)
・サイクル 6 (1840 - 1823年)
ということになりますが、今回のサイクル5は、NASA や NOAA の科学者の予測が正しければ、過去 260年で最も低い規模の活動となる可能性があります。なお、過去にもかなり似たような「非常に太陽活動が弱い時期」がありました。
■太陽活動の弱い時期に起きていたこと
このサイクル5からサイクル6の時代は「ダルトン極小期」と名づけられていまして、以下のような時期でした。
ダルトン極小期 - Wikipedia
ダルトン極小期(は、1790年から1830年まで続いた、太陽活動が低かった期間である。ダルトン極小期は、地球の気温が平均より低かった時期と一致している。この期間、気温の変動は約1°Cであった。この期間に気温が平均よりも低かった正確な原因は分かっていない。ということで、地球規模で気温が低い状態が続いた時期でした。何しろ 40年間続いた極小期ですから、特に農作に大きな影響が出まして、ヨーロッパでは激しい飢饉が繰り返され、日本でも、
・天明の大飢饉 (1783年)
・天保の大飢饉 (1836年)
などが起きています。世界の飢饉の年表を見てみますと、このダルトン極小期とその前後の太陽活動が非常に弱かった時代は、以下のような大飢饉が起きていました。太陽活動が弱かったダルトン極小期に起きた世界の飢饉
・1773年 - スウェーデンで飢饉。
・1779年 - モロッコのラバトで飢饉。
・1780年代 - スコットランドで飢饉。
・1780年代 - 天明の大飢饉。
・1783年 - アイスランドで飢饉。アイルランドの人口の5分の1が死亡。
・1783年–1784年 - 南アジアで飢饉。
・1784年 - エジプトの広範囲で飢饉。
・1784年–1785年 - チュニジアで飢饉。人口の5分の1が死亡。
・1788年 - フランスで飢饉。
・1789年 - エチオピアで全域にわたる飢饉。
・1789年–1792年 - インドで飢饉。
・1800年–1801年 - アイルランドで飢饉。
・1810年、1811年、1846年及び1849年 - 中国で四度の飢饉。
・1811年–1812年 - スペインで飢饉。2万人近くが死亡。
・1816年–1817年 - ヨーロッパで飢饉。「夏のない年」。
・1835年 - エジプトで飢饉。20万人が死亡。
・1844年–1846年 - ベルギーで飢饉。
これらは記録に残っているものであり、当時の時代ですと、記録がない地域もとても多いと思われまして、これよりも広く地球規模で頻繁に飢饉が起きていたと思われます。また、この時期には「火山の大噴火」が多く、上には、アイスランドなど、その噴火による飢饉も含まれていますが、火山の大噴火もまた「太陽活動の弱い時に多い」のです。これに関しましては、2018年の以下の記事をご参照くだされば幸いです。
新燃岳の黙示録的な噴火の光景を見て思い出す「巨大地震と火山噴火が起きる本当の理由は、宇宙線の増加と太陽活動の低下」いう数々の研究結果。そしてこれからその時代区分が始まる
投稿日:2018年4月5日
もっとも、ダルトン極小期だった 1800年代初頭などの時期は、今のような世界的な流通もなく、農業システムも現在より脆弱な面があったでしょうから、地域的な飢饉は起きやすい状況ではあったとは思われますので、現在の世界で同じような気象状況となったとしても、当時のような深刻な飢饉になるということは「あまりない」と思います。しかし、今の世界にしても、このほんの2、3年の気象の異常によって、つまり、洪水、熱波、低温、干ばつ、害虫(イナゴなど)による農業被害だけでもかなり深刻な影響を一時的であるにしても受けていることは事実です。流通などは、パンデミックでも崩壊していますが、気象と気温の話だけに限定しても、「そのような状況が、ダルトン極小期のように 40年間も続いたどうなるだろう」とは思います。
太陽活動は、私たち人間社会と人間の心身のさまざまに大きく影響を与えているのですけれど、それについては、カテゴリーなどをご参考下さい。



また、パンデミットいうご時世がら、今年は医学論文などを読むことが多かったのですけれど、「太陽活動と身体活動に関する科学論文」というのがとても多いことに改めて気づきます。あるいは国家の組織でも、たとえばアメリカ CIA の機密指定解除書類を含めた公開されている文書は、CIA がライブラリーで公開しているのですが、
「太陽活動周期 (solar cycle)」
という単語で検索しますと、この用語が 2477 回も CIA の公式資料上に見出されていることが表示されるのです。以下は、CIA のライブラリーで「太陽活動周期」で検索した時のものです。ここまでの数になりますと、何かを探す気力も消えてしまいますが、医学でも、そして国家でも、太陽活動や太陽活動周期の研究は、かなりなされているものなのだなあと改めて感じました。
今回、医学記事を見ていまして、「太陽活動と人間の自律神経の関係」などについて、新しく得た知見などもありましたので、またいずれご紹介したいと思います。
なお、サイクル25での太陽活動が最も高くなるのは、2025年頃と予測されていますので、予測通りに推移すれば、「社会の暴力性が最も高くなるのは 2025年前後にかけて」ということになりそうです。この「太陽と暴力の関係」については、以下の昨年の記事をご参照下されば幸いです。戦争は? 革命は? … 次の新しい太陽活動「サイクル25」から考える2026年までの社会の動向
投稿日:2019年5月20日
これからのサイクル25の太陽活動の下の時代がどのようになるかはわからないですが、2020年という今年は、たった半年だけで、こんなにいろいろ変化してしまったのですから、どんなことについても、変化するのはあっという間ということになるのかもしれません。

 In Deep
https://indeep.jp/nasa-noaa-announce-a-new-solar-cycle-cycle-25-has-begun/















餓死者続出、累々たる屍が街角に放置された天明の大飢饉は、なぜ起きた?
2022/10/1414:54 - -
江戸時代には、「四大飢饉」をはじめとして、35回もの深刻な飢饉が発生したという。その理由は、「マウンダー極小期」という太陽活動の低下によって、地殻変動、火山噴火、小氷期による冷害が続いたからである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E6%A5%B5%E5%B0%8F%E6%9C%9F
家康が江戸幕府を開闢し、歴史上もっとも強固な安定政権を樹立してまもなく、1645年~1715年(犯罪が激増し、大岡忠相の全盛期)に、太陽黒点が著しく減少し、太陽磁気活動が弱まったことで、異常気象による冷害が続けて起きた。



マウンダー極小期中の30年間に、観測された黒点数は、約50を数えるだけであった。通常であれば4 - 5万個程度が発生する。太陽からのエネルギーが減少し、地球のオゾン層に到達して吸収される紫外線が減ったことで、寒冷化をもたらしたのである。
マウンダー極小期は中世における寒冷期の遠因であり、この時期のヨーロッパ、北米大陸、その他の温帯地域において冬は著しい酷寒に震え、暦の上では夏至であっても夏らしさが訪れない年が続いた。
http://brandnew-japan.info/archives/565
北半球平均気温は極小期の前後と比べて0.1 - 0.2度低下したのではないかとされている。特徴としては、晴天率が減り、肌寒い降雨が異常に増えた。
📝飢えのあまり人肉も…江戸時代「天明の飢饉」の原因や死者数とは?
https://cherish-media.jp/posts/11029
江戸時代に起きた4大飢饉。
〇寛永の大飢饉(1642~1643)
◎享保の大飢饉(1732)
◎天明の大飢饉(1782~1787)
◎天保の大飢饉(1833~1839)
江戸時代で最も規模が大きかったのは「天明の大飢饉」、265年続いた江戸時代のうち、天明の年号が使われたのは西暦1781~1788年の8年間。第10代将軍・徳川家治(1737~1786)在任期間は1760年から亡くなる1786年まで。
・田沼意次が老中として政治改革を行ったことで知られる。
天明年間には、冷害にとどまらず、大規模な自然災害が連続した。
1つ目の災害は岩木山の噴火  
http://www.data.jma.go.jp 
1783(天明3)年4月、
2つ目の災害は浅間山の噴火  
http://www.data.jma.go.jp 
1783(天明3)年8月、当時の浅間山は5月から噴火活動が続いており、江戸にも火山灰が降ったという記録があった。その中でも8月に起きた大爆発が川をふさぎ、洪水となって多くの村が壊滅しました。
参考、浅間の噴火で、前世は生贄人柱として命を捧げた少女、渋川村のタエだった。 https://www.youtube.com/watch?v=oAxrBq6C3nQ&t=2837s&ab_channel=%E7%A8%B2%E5%9E%A3%E5%8B%9D%E5%B7%B3
東京・葛飾区に設置されている「浅間山噴火川流溺死者供養碑」。利根川や江戸川の下流までも大洪水で被害を受けたことが記されている。東北北部の岩木山と関東甲信越の浅間山で起きた2件の噴火は成層圏にまで上昇した二酸化硫黄ガスによって日射量を減らし、多くの地域に冷害となって襲い掛かかった。特に間に挟まれた東北地方は深刻で、10年ほど前から起きていた冷害に追い打ちをかけられた。
http://naoko-graz.blog.jp
岩木山・浅間山の噴火とほぼ同時期の1783年6月に、アイスランドのラキ火山とグリムスヴォトンが相次いで噴火した。この噴火は、火山ガスが成層圏に上がって日照を遮る苛酷噴火となり、ヨーロッパに厳冬・洪水・干ばつなどの異常気象をもたらし、フランス革命の原因に挙げられている。気温低下により、アイスランド人口の1/5に当たる餓死者を出す地獄絵図になった。
「享保の改革」「寛政の改革」「天保の改革」と呼ばれる三大改革があったが、享保と寛政の間に「田沼時代」と書かれた年表もある。「年号+改革」とは呼ばれなかった田沼意次の政治改革。その政策がなぜ天明の大飢饉を生む原因となったのか?田沼は、10代将軍徳川家治の老中として政治改革に着手。経済発展のため「重商主義」と呼ばれる商業中心の政策を行い、商業を農業よりも優先させた。その結果、農業を放棄した農民が続出し農村部の荒廃が深刻化。そこに異常気象と火山の噴火によって東北をはじめとする大凶作が起こった。
杉田玄白(1733~1817)
江戸時代中期の医者(蘭学医)で「解体新書」「蘭学事始」の著者として知られる杉田玄白は、「後見草」という著の中で天明の大飢饉の惨状に触れている。『次第に食べ物は尽きて、果ては草木の根や葉まで食糧となるものは食べないということはなかった。』『貧しい者は生産する術がなく、家族を見捨てて彷徨い物乞いとなった。しかし、行く先々も飢饉だったので日に千人二千人の流民たちは餓死していた。』『農村から出ていくことができない者たちは、食べられる物を全て食べつくし、死者の人肉を切り取って食べていた』
『子供の首を切り、頭の皮を剥いで火に炙り、脳みそと草木の根葉と一緒に炊いて食べた者もいた』
『ある人の話では、陸奥のなんとかという橋の下で人の死骸を切り裂き、人肉をカゴに入れている人がいた。何に使うのか訊いたところ、草木の葉と混ぜて犬の肉と言って売るのだと言う。』
「後見草」に書かれたように死者の肉だけでなく生きていた子供を殺してまで人肉を食べるしかなかった状況は、「極限状態に追い込まれた動物の本能」が勝っていた。中国の歴史では、人間は立派な食料と位置づけられていた。
📝地獄絵図…写真がなかった江戸時代に描かれた天明の大飢饉の絵
http://shibayan1954.blog101.fc2.com
下の画像は江戸時代の人口をグラフ化したもの。天明の大飢饉にあたる部分が日本全人口がどのように変化を与えたか見てみよう。
【天明の大飢饉直前】
1774(安永3)年:2599万人
1780(安永9)年:2601万人(6年間で2万人増加)
【大飢饉期間】
1786(天明6)年:2508万人(6年間で93万人減少)
【大飢饉終焉直後】
1792(寛政4)年:2489万人(6年間で19万人減少)
1798(寛政10)年:2547万人(6年間で58万人増加)
上の数字で大飢饉の影響がいかに大きいかが分かる。直前6年で微増だった人口が、同じ6年という期間で一気に93万人、さらに次の6年も合わせると112万人も減っている。次の6年では一気に60万近い人口増加が起きていることからも、飢饉の凄まじさを感じ取れる。天明の飢饉では、津軽藩などで人肉食の地獄絵図が展開されたのと対照的に、山形、米沢藩では、餓死者を一人も出さなかったといわれる。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E6%B2%BB%E6%86%B2
天明の大飢饉で鷹山の政策が活きたのは田沼意次とは反対に農地開発に力を入れたことと、藩で備蓄米をストックし、飢饉の際に民衆へ提供したことで死者が出なかった。
「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」
📝東北地方で餓死者ゼロ!白河藩主は他の藩主と何が違った?
https://www.worldwide-transition.info
松平定信(1759~1829)
「寛政の改革」を主導した老中として有名だが、それ以前は白河藩(今の福島県白河市周辺)の藩主だった。定信が老中として国政を担うようになったのは、天明の大飢饉で領内の一人も餓死者を出さなかったことを評価されてのことだといわれている。松平定信が他の東北藩主と違ったのは、鷹山と同じく藩の備蓄米をしっかり管理していたこと。多くの藩主は藩や領民の備蓄米を江戸や大坂へ廻して財を確保したために大飢饉が来ても対処できる食糧がなかった。定信は農業を重視し、いざという時に備えた慎重政策を採っていたために民衆の生命を救うことができた。
📝英テムズ川が再び完全に凍結する? https://ag-skin.com/daily/skinblog.cgi?mode=2&sn=5446
ジャルコヴァ教授は新モデルを使い、2030年に始まる第26太陽周期で、太陽の活動が著しく低下することを予測。記者会見で次のように説明した。「第26太陽周期で、2つの磁気波はまるで鏡に映されたように相殺しあい、(地球は)『マウンダー極小期』のような状況になると推測できる」。
この時期は、英テムズ川が完全に凍結したことでも知られる。米ニューヨーク市ではニューヨーク湾が凍って自由の女神やスタッテン島まで歩いていけた。またアイスランドは周囲が海氷に閉ざされたため、貿易や漁業に大きな被害がでた。飢饉に見舞われて人口がほぼ半分になったとの記録さえある。
世界の科学者達はすでに2015年にミニ氷河期が来ると警告している。イギリスにあるノーザンブリア大学のバレンティーナ・ザーコバ教授はこのように伝えている。ザーコバ教授の予想だと、97%の確率でミニ氷河期は訪れる
マウンダー極小期は今回が初めてではなく、1645年から1715年までの70年間続いた。この頃の日本では、寒さによる飢饉が発生し、農村では一揆が起こり、大変な凶作が続いた。
📝江戸時代のマウンダー極小期中の一揆 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%8F%86
1652年(承応元年):小浜藩領承応元年一揆
1677年(延宝5年):郡上一揆(延宝)
1686年(貞享3年):貞享騒動(加助騒動)
1690年(元禄3年):山陰・坪谷村一揆
延宝2年(1674年)には5月中旬より晴天はなく3ヶ月もの期間、雨が降り続いた。太陽活動が弱まると曇りが多くなる。太陽の磁場で宇宙線が地球に入らない役割をしているが、マウンダー極小期では太陽活動が弱まり宇宙線が多く大気圏内を突破し、ミューオンという粒子の一部がイオン化され大気中で水滴になりやすい。「小氷期」には世界中で飢饉が頻発し、人々の争いが各地で起こり、歴史は世界規模な混迷の時代に突入する。マウンダー極小期終盤に日本では富士山の噴火も経験している。1707年12月16日(宝永4年)旧暦 11月23日 宝永大噴火、江戸市中まで大量の火山灰を降下させる等特徴的な噴火だった。極小期に入る直前は、大規模な政変や新型コロナような出来事が多く起こるとも言われている。ザーコバ教授の計算によるとマウンダー極小期に入る確率は97%と予測されている。厳しい冬におよそ夏らしくない冷夏、夏のない年すらあったという。
気候の巨大な変化は人心にも大きな影響を及ぼすといわれる。例えば、日照量は、鬱を招き自殺者の数と関係がある。もっとも日照量の少ない地方が、もっとも自殺者が多くなるのだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/doriki/diary/200606060000/
マウンダー極小期の再来は、確実に自殺ブームの到来を告げている。私でさえ、間質性肺炎が悪化して呼吸が苦しかった日々は、毎日自殺することばかり考えていた。ただ、私に嫌がらせをしてきたた人間に復讐することを希望として生き抜いたのだ。もっとも、呼吸が改善してからも報復心が収まらないのは、宇宙で二番目に悪い霊性進化の星に生きているせいだろうか?これから、冷害による食料不足、飢餓、核攻撃と放射能汚染、フクイチ放射能被曝による発癌、巨大震災など、およそ考えられるあらゆる苦難が我々を待ち構えている。ウクライナの人々の運命を他人事と考えるな。それは我々の運命だ。天明飢饉が過去の風化したドラマと考えるな。それは、これから再びやってくる。
我々は、江戸時代の人と違って、鍬一本での開墾さえできない。自分で作物を育てたことがないから、どうやれば食料を生産できるのか、知らない者が大半だ。自動コンロの使い方を知っていても、竈や囲炉裏での火のおこし方さえ知らない。だが、戦争が大きくなれば、確実に生活インフラが破壊され、食料も消える。このままでは、天明時代と同じように、野山や街角に餓死者の遺体が散乱し、それを片付ける者さえいないという惨状がやってくる。どうやって寒気に耐え凌ぐのか? どうやって食料を得るのか? どうやって飲料水を確保するのか?インフラが崩壊させられたなら、原始的な生活しか残されていない。どうやって寒冷化に耐え、生き抜くのか? 詳細なシュミレーションを繰り返すことしか生き延びる手段がなくなる時代だと、覚悟すべきなのだ。 

東海アマブログ
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-2017.html







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