BEFORE IT'S NEWS
By Michael Moore
Claim: 80% Probability of Planet-Wide “Carrington Event” Within Weeks; That’s Why Solar Observatories Closed
Tuesday, September 18, 2018 2:12
prepperfortress.com
http://www.prepperfortress.com/claim-80-probability-of-planet-wide-carrington-event-within-weeks-thats-why-solar-observatories-closed/
BEFORE IT'S NEWS
https://beforeitsnews.com/v3/alternative/2018/3637158.html
(要約)
太陽黒点観測所閉鎖,9月17日-18日,80%の確率で巨大太陽嵐 (Michael Moore)
Michael Moore
2018年9月18日火曜日2:12
米国防総省(Dod,A Department of Defense)の報道によると,
9月はじめ,ニューメキシコ太陽天文台(太陽黒点観測所,Solar Observatory in Sunspot,Nat'I.Solar Observatory in Sunspot)が閉鎖,職員が避難した。
閉鎖された太陽天文台はニューメキシコ太陽天文台のみならず,世界各地の複数の太陽天文台におよんだ。
閉鎖の理由は,ニューメキシコ太陽天文台で事件がおきた等複数あるが,
「地球の磁場が弱まっており,強い太陽風(太陽磁気)が地球に降り注ぐ(キャリントンイベント,Carrington event)危険がある」という説を私は注視する。
地球の磁場と太陽の磁場は陰陽の作用で常に押し合い,地球の上空に境界線を形成している。
しかし地球の磁場が弱まると,太陽の磁場が侵入して,地球の磁場に亀裂が生じる。
特に夏の終わりから秋にかけてそういった状況がおきやすく,現在は危険な状態にある。
太陽天文台の運営母体でもある天文学研究大学協会(AURA,the Association of Universities for Research in Astronomy)の太陽黒点予測ソフトウェアも,
80%の確率でCarringtonイベントがおきうるというデータがでた。
太陽天文台はこの事を政府に通知したところ,通知後数時間で軍のヘリコプターが太陽天文台に到着,
天文台の職員を避難させ,世界中の他の太陽天文台が突然閉鎖された。
この情報は,それ以前に他の情報ソースから受け取った情報と矛盾した。
以前に受け取った情報とは,太陽天文台に設置されているリアルタイム・スパイソフト(軍施設の監視ソフト)に中国のマルウェアが秘密裏にインストールされたために天文台が閉鎖されたという情報だった。
ニューメキシコ太陽天文台付近には米軍のホワイトサンズミサイル検査施設があり,ここでミサイルテストが行われる。
ミサイル検査施設には地下施設があり,この地下施設に接続するへの安全な入口がニューメキシコ太陽天文台の中にある。
トランプ大統領には既に情報が伝えられており,全米緊急警報システムの大統領通信機能のテストが今週木曜日午後2時ごろ行なわれたという。
米国防総省の情報源によれば,今回のキャリントンイベント(Carrington event)は世界規模であるとAuraのエンジニアが主張しているという。
国立太陽観測所(NSO,National Solar Observatory)は太陽の物理学の研究を行う米国の公的研究機関。
天文学的現象と地球上でおきる局地的現象の両方を研究している。
■天文台閉鎖
ニューメキシコ州の孤立した山岳地帯にあるニューメキシコ国立太陽天文台は9月6日にほとんど説明されずに閉鎖された。
天文台のFacebookページには
「サクラメント山頂で犯罪行為がおき,法執行調査が現在進行中」
という記事が投稿された。
この時点でのAURAの声明は,
「調査の疑いのある人物が天文台の職員や住民の安全を脅かす可能性がある。
このためAURAは施設を一時的に閉鎖し,この場所での科学活動を停止させた」
というものだった。
当局は天文台がなぜ閉鎖されたのかについてはほとんど言及しなかった。
現地の法執行当局者は,
「FBIは閉鎖に関与しており,FBIは確認も拒否もしていない。
情報の不足が様々な陰謀論につながった」
と述べた。
一方,連邦政府の関係者から得た情報によると,
太陽天文台のラジオ・タワーやコンピューターにはリアルタイム・スパイソフトが極秘にインストールされており,
ホワイトサンズ周辺の米国のミサイル検査施設に関する情報が保存されているという。
このDoDからの情報は興味深い。
なぜなら,それが世界中の他の太陽天文台が同時期に閉鎖された理由を解く手がかりになりうるからだ。
■キャリントンイベントの可能性
ETA
「9月17-18日。ピンク色のオーロラ,今日のDoDの情報ソースが正しい場合はキャリントンイベントに注意」。
太陽表面に大気の穴が空いており,そこから太陽のガス状物質が噴出している。
この太陽表面の大気の穴が地球の方向に向かっている。
そして9月17日-18日,大気の穴は完全に地球の方向を向き,地球にガス状物質と磁気嵐が降り注ぐ(キャリントンイベント,Carrington event)。
太陽のガス状物質は,地球の北半球で秋が始まる数日前に地球に到達するため,地磁場における「秋分割れ(equinox cracks)」の効果によってオーロラの発火は非常に強いものになる可能性がある。
このオーロラは,普通の緑の色合いのオーロラではなく,派手なピンクの色合いのオーロラになる可能性がある。
今年のオーロラはピンクがかったものが多い。
普通のオーロラの緑色は,太陽・宇宙からやってくるエネルギー粒子が地上100km~300kmのオゾン層の酸素原子に衝突することにより引き起こされ発生する。
一方,太陽磁気が強い場合,太陽・宇宙からやってくるエネルギー粒子がオゾン層より低い地上100km以下の層にまで侵入し,大気中の窒素分子に衝突し,ピンクの色合いのオーロラになる。
今年のオーロラがピンクがかったものが多い理由は,太陽磁気が地上の深い層まで侵入している証拠であり,裏返せば地磁気が弱まっている証拠でもある。
地球の磁場は,毎年の秋分の時期に恒例の「磁場亀裂現象」に向かいつつある。
地球の磁場に亀裂がはいると,太陽からのエネルギーがより多く地球の大気中に入り込む。
9月の秋分点は毎年9月22日~23日,太陽が天球の赤道(the celestial equator,地球の赤道上の空への投影線)上に太陽がくる瞬間に発生する。
実際の分点は1週間足らずだ。
この分点が地磁場の亀裂を大きくして,太陽風が通常よりも地上深く浸透するのを助ける可能性がある。
そうなればより多くの窒素オーロラが飛散する。
■1859年のキャリントンイベント
1859年の太陽嵐(キャリントンイベント,Carrington Event,The solar storm of 1859)は,ソーラーサイクル10(1855-1867,solar cycle 10)の間におきた強力な太陽嵐。
太陽コロナ質量放出(CME,A solar coronal mass ejection)は地球の磁気圏に衝突し,1859年9月1〜2日に史上最大の地磁気嵐の1つを記録した。
太陽嵐と同時に「白色光フレア」も発生,当時の英国のアマチュア天文学者Richard C. Carrington (1826–1875) とRichard Hodgson (1804–1872)はこれを観測し記録した。
このフレアの現在の標準個別IAU識別子は「SOL1859-09-01」。
1859年8月28日から9月2日にかけ,太陽に多くの黒点が現れた。
1859年8月29日,オーストラリアのクイーンズランド州の北端で南オーロラが観測された。
1859年9月1日正午まもなく,英国のアマチュア天文学者Richard C. CarringtonとRichard Hodgsonは太陽フレアの最初の観測を独自に行った。
1859年9月1日から2日にかけて地磁気嵐(地上磁力計で記録)が記録された。
嵐の強さの推定値は-800nT~-1750nT。
オーロラは世界中で観測された。
北半球ではカリブ海の南端でも観測された。
米国のロッキー山脈で観測されたオーロラは非常に明るく,金鉱労働者たちは朝だと勘違いして起きたという逸話がある。
米国北東部では,オーロラの光で新聞を読むことができたほどだったという。
オーロラは極点からはるか遠くの
メキシコ南部,クイーンズランド州,キューバ,ハワイ,日本中部,中国,
さらにはコロンビアなどの赤道付近の低緯度エリアでも見えたという。
ヨーロッパや北米の電信システムはダウン,事故で電気ショックをうけた作業員もいた。
電信塔からは火花が飛び散った。
電源がダウンした状態でもメッセージの送受信を継続できた電信通信会社もあった。
1859年9月3日土曜日,以下the Baltimore American and Commercial Advertiser社のレポート。
「木曜日の夜遅くに外出した人はオーロラを見る事ができた。
この現象は日曜日夜のオーロラと非常に似ていたが,光はより鮮やかで,プリズム様の色合いはより多様で華やかだった。
オーロラの光は,星が明るく輝く雲のようで,空全体を覆うように見えた。
その光は満月の月の光よりも大きく,柔らかさと繊細さがあり,すべてのものを包み込むようだった。
12時から1時の間,大空の巨大ディスプレイが完全な輝きを放ち,地上の寝静まった街を照らした」。
オーストラリアの金鉱山会社CF Herbert氏が1909年に豪The Daily Newsへ投稿した記事
「1859年9月,私はオーストラリアビクトリア州のRokewood郷から約4マイルのRokewoodで金を掘っていた。
午後7時頃,テントから出た私と2人の金鉱夫は,南の夜空にひろがる大きなオーロラを見た。
その約30分後,言葉で表現できないよいうな美しい光景が現れた。
想像を絶するあらゆる色の光が南の夜空に現われた。
1つの色が消えてはまた別の場所に現われ,次々に美しい光景が現れた。
オーロラの南天にオーロラの紫色が加わり,丸みを帯びた美しい色が輝いた。
オーロラとオーロラの間に闇がはさまれ,あたかも4本の指のように見えた。
北天も常に丸みを帯びた美しい色で照明されたが,南天と北天のすべての色が同じだったから,南天のオーロラの反射に過ぎなかったのだろう。
自然が生む絶妙なローブ。
合理主義者と汎神論家でさえ,この時ばかりは,神の内在性,不変の法を認識し,
迷信者と狂信者は悲惨な予感をもち,それをアマゲドンと人類の終わりの兆しであると説いた。
CarringtonとHodgson は英国天文学会(Royal Astronomical Society)の月報と並行して独立のレポートをまとめ,
1859年11月に開催された英国天文学会(Royal Astronomical Society)の会議でレポートを展示した。
このフレアは、直接的に地球に向かって移動する主要なコロナ質量放出(CME)と関連しており,
17.6時間で1億5,000万km(9,300万マイル)の速度だった。
典型的なCMEsが地球に到着するまでには数日かかることからもかなりの高速だった事がわかる。
このCMEは,おそらく8月29日の大オーロライベントの原因となったCMEの次に発生したフレアだった。
磁力計(the Kew Observatory magnetometer)で物理学者Balfour Stewartが観測した地磁気の太陽フレア効果(magnetic crochet,磁気的のかぎ針編み)を加え,Carringtonは太陽と地球との関係に目を向けた。
CarrietonとStewartの観測データを支持したアメリカの数学者Elias Loomisは,レポートをまとめ,一冊の本として出版した。
巨大太陽嵐は,電力網に作用し,広範のエリアに停電などの損害を引き起こす。
2012年におきた太陽嵐も近い大きさだったが,この時には大きな被害はなかった。
そして先ほども述べたように,太陽表面の大気の穴が地球の方向に向かっている。到着予定時刻:9月17-18日。
2013年6月,ロンドンのLloyd's研究所()と米国大気環境研究(AER,Atmospheric and Environmental Research)の共同研究者がキャリントンイベントのデータを分析,同じクラスの磁気嵐がおきた場合,米国だけでも0.6〜2.6兆ドルの損害が生じると見積もった。
磁気嵐が発生すると電線をはじめとする電気系統全てが磁場で包まれる。
キャリントンイベントのような強い磁気嵐では,電線内の電子は磁場の作用で移動を開始する。。。
これは発電所が電気を発電する仕組みとまったく同じ現象だ。
発電所には発電機で回転する強力な磁石を囲む巨大なコイルを巻いた発電機がある。
回転する磁石は磁場をつくり,その磁場がフリーズアップして電気を作る。
キャリントンイベントでは,太陽風が地上の大気圏にまで入り込み磁場を形成した。
こうなると地上の電気施設・電気機器内の電線内の電子が磁場によって動き,電線自身が電気を作り始める。
ワイヤー1mあたり5,000ボルトの電圧がワイヤー自体によって発生する可能性がある。
米国の家庭用電気の電圧は120ボルトまたは240ボルト,時には110/220ボルト。
外部の電線が自分の電気を作り始め,各家庭に5,000ボルトの電気を送り始めるとどうなるだろうか。。
プラグに刺さった機器類はどうなるだろうか。。
そう。クラッシュだ。
電気会社の変圧器はその場で爆発。。。。
国防総省の資料によると,ここういった分析は社会の不安をあおる恐れがあるため,一般には伝えられていない。
現代社会で電気が止まったらどうなるだろうか?
食べ物が無い。
電動式のポンプからは水がでない。
コンピュータなし,携帯電話,洗濯機,乾燥機,食器洗い機,電子レンジなどほとんど無い。
工場の生産はストップ。
完全な社会的の崩壊。
DoDの情報が正しければ,キャリントンイベントのような強い磁気嵐は10月1日前に80%の確率で発生するという。
万一の場合に備えて非常食・水・銃・弾薬を購入することを勧める。
fgdfdsf pc
ニューメキシコ太陽天文台
NSOの本部はBoulderにあり,
米国ニューメキシコ州のサクラメント山頂(Sacramento Peak)にある太陽天文台と,
アリゾナ州のKitt Peakにある太陽天文台を運営している。
また,現在マウイ島のハレアカラ天文台に長さ4mのダニエル・K・イノウエ太陽望遠鏡(Daniel K. Inouye Solar Telescope) を建設中だ。
NSOの観測データは科学界に提供されている。
太陽天文台のほか,民間会社とパートナーシップを組んで計測器を開発,太陽光研究を運営,また教育・公的支援も行う。
fgdfdsf pc
2010年10月20日
1859年の規模の「超」太陽嵐がもし現代の世の中に発生したら
(訳者注) 9月23日の翻訳記事「NASA が発表した「2013年 太陽フレアの脅威」の波紋」の中に、
> 最後の巨大なフレアは 1859年に発生し、その際には、地球の空の3分の2が赤いオーロラによって血のように真っ赤に染まった。
という部分がありますが、今回の記事はこのことについて書かれていたものをご紹介します。
あくまで、1859年にはこういうことが起きたというわけで、ここまで大きな規模の太陽フレアが現在のサイクル24の中で起きるかどうかは、
NASA などのいくつかの宇宙観測機関などが可能性は高いとは言っていますが、どうなるかはわかりません。
記事はここからです。
Solar SuperStorm 1859 - It can happen again
Modern Survival Blog 2010.10.19
1859年の太陽のスーパーストーム: それは再び起こり得る
1859年の太陽のスーパーストーム(巨大な太陽嵐)。
それは、 1859年の 9月1日から 2日の間に発生した、記録の上でのもっとも巨大な磁気嵐のことだ。
33歳のイギリスのアマチュア天文家、リチャード・キャリントン氏は、後の歴史的な爆発につながる黒点活動を最初に発見した人物だ。
発見したのは、9月1日の木曜日の朝だった。
観測は、カーリントン氏の持つ太陽望遠鏡に11インチ( 27センチメートル)の大きさで太陽表面のイメージが映し出され、彼はそれをスケッチした。
その観測の中で、彼は、急速に成長する黒点群の中に非常に明るい2つの光を発見した。
それは太陽自身よりも明るく光った。5分間のうちにフレアは明るさの頂点へと達し、そして消えていった。
次の日の早朝、世界の多くの地域で、非常に明るい巨大なオーロラが目撃された。それは、熱帯地方の緯度の地域でさえ観測された。
同じ頃、ヨーロッパと北アメリカでは、送電線から火花が散り、火災となり、すべての電報システムが使用不可能となった。
・イギリスのアマチュア天文家、リチャード・キャリントン氏と、1859年に彼が書いた黒点のスケッチ。
電報システムはその時代の唯一の先端技術だったが、そのシステムは太陽からの見えざる力でクラッシュした。
しかし、問題は現在のほうが根深い。
当時は送電によって支えられていたものは電報のみだったが、今では文明圏のほぼすべての生活基盤とインフラは、送電網(パワーグリッド)から成り立っている。米国では、送電網は縦横に 200,000マイル( 32万キロメートル)に渡って伸びており、そして、この国土を縦横無尽に伸びている送電網が巨大なアンテナの役割をしており、太陽の磁気嵐から発生する電流を拾いやすくなっている。電流が異常に急増することによって、すべてのパワーグリッドの結合に割り当てられている変圧器の銅線を溶かして破壊する。これが壊滅的な問題を引き起こす可能性に繋がる。これは米国だけではなく、多くの他の国々で同じことがいえる。
最近の注目すべき太陽嵐の例としては 1989年 3月にカナダのケベックで、大規模な地磁気嵐での停電を引き起こし、何百万人もの人が暗闇で生活することを余儀なくされた。この 1989年のケベックでの被害も確かに甚大だったが、しかし、1859年のスーパー太陽嵐の規模はこの何倍も何十倍も大きなものだった。
さらに現在の問題として、34万5000ボルト以上の EHV 変圧器(EHVは超高電圧のこと)ネットワークが広がっていることがリスクを大きくしているという点がある。これがもし損傷を受けた場合、その専門の製造のため、文字通り修復に「何年も」かかる。
それがもたらすかもしれない結果の状況はここで説明することではない。 11年の太陽サイクルのピークが近づいている現在、あなた方自身の想像力でそれを考え、計画を立ててみてほしい。
(訳者注) 記事では EHV (超高電圧変圧器)は、34万5000ボルト以上となっていますが、日本では、
・超超高電圧(UHV、500kV)
・超高圧(EHV、220-275kV)
とのことです。
上の図では、太い線と細い線がありますが、太いほうは「超超高電圧」、細い方の一部が、「超高圧」となっているようです。
今回記事によりますと、これらが広範囲に破壊されると、修復に大変に長い年月(数年)がかかるということです。
記事にもあった、1989年のカナダのケベックでの太陽嵐での送電網の破壊では、復興に数ヵ月かかりました。
In Deep
http://oka-jp.seesaa.net/article/166486841.html
Michael Moore
2018年9月18日火曜日2:12
BEFORE IT'S NEWS
By Michael Moore
Claim: 80% Probability of Planet-Wide “Carrington Event” Within Weeks; That’s Why Solar Observatories Closed
Tuesday, September 18, 2018 2:12
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BEFORE IT'S NEWS
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■1859年のキャリントンイベント
1859年の太陽嵐(キャリントンイベント,Carrington Event,The solar storm of 1859)は,ソーラーサイクル10(1855-1867,solar cycle 10)の間におきた強力な太陽嵐。
太陽コロナ質量放出(CME,A solar coronal mass ejection)は地球の磁気圏に衝突し,1859年9月1〜2日に史上最大の地磁気嵐の1つを記録した。
太陽嵐と同時に「白色光フレア」も発生,当時の英国のアマチュア天文学者Richard C. Carrington (1826–1875) とRichard Hodgson (1804–1872)はこれを観測し記録した。
このフレアの現在の標準個別IAU識別子は「SOL1859-09-01」。
1859年8月28日から9月2日にかけ,太陽に多くの黒点が現れた。
1859年8月29日,オーストラリアのクイーンズランド州の北端で南オーロラが観測された。
1859年9月1日正午まもなく,英国のアマチュア天文学者Richard C. CarringtonとRichard Hodgsonは太陽フレアの最初の観測を独自に行った。
1859年9月1日から2日にかけて地磁気嵐(地上磁力計で記録)が記録された。
嵐の強さの推定値は-800nT~-1750nT。
オーロラは世界中で観測された。
北半球ではカリブ海の南端でも観測された。
米国のロッキー山脈で観測されたオーロラは非常に明るく,金鉱労働者たちは朝だと勘違いして起きたという逸話がある。
米国北東部では,オーロラの光で新聞を読むことができたほどだったという。
オーロラは極点からはるか遠くの
メキシコ南部,クイーンズランド州,キューバ,ハワイ,日本中部,中国,
さらにはコロンビアなどの赤道付近の低緯度エリアでも見えたという。
ヨーロッパや北米の電信システムはダウン,事故で電気ショックをうけた作業員もいた。
電信塔からは火花が飛び散った。
電源がダウンした状態でもメッセージの送受信を継続できた電信通信会社もあった。
1859年9月3日土曜日,以下the Baltimore American and Commercial Advertiser社のレポート。
「木曜日の夜遅くに外出した人はオーロラを見る事ができた。
この現象は日曜日夜のオーロラと非常に似ていたが,光はより鮮やかで,プリズム様の色合いはより多様で華やかだった。
オーロラの光は,星が明るく輝く雲のようで,空全体を覆うように見えた。
その光は満月の月の光よりも大きく,柔らかさと繊細さがあり,すべてのものを包み込むようだった。
12時から1時の間,大空の巨大ディスプレイが完全な輝きを放ち,地上の寝静まった街を照らした」。
オーストラリアの金鉱山会社CF Herbert氏が1909年に豪The Daily Newsへ投稿した記事
「1859年9月,私はオーストラリアビクトリア州のRokewood郷から約4マイルのRokewoodで金を掘っていた。
午後7時頃,テントから出た私と2人の金鉱夫は,南の夜空にひろがる大きなオーロラを見た。
その約30分後,言葉で表現できないよいうな美しい光景が現れた。
想像を絶するあらゆる色の光が南の夜空に現われた。
1つの色が消えてはまた別の場所に現われ,次々に美しい光景が現れた。
オーロラの南天にオーロラの紫色が加わり,丸みを帯びた美しい色が輝いた。
オーロラとオーロラの間に闇がはさまれ,あたかも4本の指のように見えた。
北天も常に丸みを帯びた美しい色で照明されたが,南天と北天のすべての色が同じだったから,南天のオーロラの反射に過ぎなかったのだろう。
自然が生む絶妙なローブ。
合理主義者と汎神論家でさえ,この時ばかりは,神の内在性,不変の法を認識し,
迷信者と狂信者は悲惨な予感をもち,それをアマゲドンと人類の終わりの兆しであると説いた。
CarringtonとHodgson は英国天文学会(Royal Astronomical Society)の月報と並行して独立のレポートをまとめ,
1859年11月に開催された英国天文学会(Royal Astronomical Society)の会議でレポートを展示した。
このフレアは、直接的に地球に向かって移動する主要なコロナ質量放出(CME)と関連しており,
17.6時間で1億5,000万km(9,300万マイル)の速度だった。
典型的なCMEsが地球に到着するまでには数日かかることからもかなりの高速だった事がわかる。
このCMEは,おそらく8月29日の大オーロライベントの原因となったCMEの次に発生したフレアだった。
磁力計(the Kew Observatory magnetometer)で物理学者Balfour Stewartが観測した地磁気の太陽フレア効果(magnetic crochet,磁気的のかぎ針編み)を加え,Carringtonは太陽と地球との関係に目を向けた。
CarrietonとStewartの観測データを支持したアメリカの数学者Elias Loomisは,レポートをまとめ,一冊の本として出版した。
巨大太陽嵐は,電力網に作用し,広範のエリアに停電などの損害を引き起こす。
2012年におきた太陽嵐も近い大きさだったが,この時には大きな被害はなかった。
そして先ほども述べたように,太陽表面の大気の穴が地球の方向に向かっている。到着予定時刻:9月17-18日。
2013年6月,ロンドンのLloyd's研究所()と米国大気環境研究(AER,Atmospheric and Environmental Research)の共同研究者がキャリントンイベントのデータを分析,同じクラスの磁気嵐がおきた場合,米国だけでも0.6〜2.6兆ドルの損害が生じると見積もった。
磁気嵐が発生すると電線をはじめとする電気系統全てが磁場で包まれる。
キャリントンイベントのような強い磁気嵐では,電線内の電子は磁場の作用で移動を開始する。。。
これは発電所が電気を発電する仕組みとまったく同じ現象だ。
発電所には発電機で回転する強力な磁石を囲む巨大なコイルを巻いた発電機がある。
回転する磁石は磁場をつくり,その磁場がフリーズアップして電気を作る。
キャリントンイベントでは,太陽風が地上の大気圏にまで入り込み磁場を形成した。
こうなると地上の電気施設・電気機器内の電線内の電子が磁場によって動き,電線自身が電気を作り始める。
ワイヤー1mあたり5,000ボルトの電圧がワイヤー自体によって発生する可能性がある。
米国の家庭用電気の電圧は120ボルトまたは240ボルト,時には110/220ボルト。
外部の電線が自分の電気を作り始め,各家庭に5,000ボルトの電気を送り始めるとどうなるだろうか。。
プラグに刺さった機器類はどうなるだろうか。。
そう。クラッシュだ。
電気会社の変圧器はその場で爆発。。。。
国防総省の資料によると,ここういった分析は社会の不安をあおる恐れがあるため,一般には伝えられていない。
現代社会で電気が止まったらどうなるだろうか?
食べ物が無い。
電動式のポンプからは水がでない。
コンピュータなし,携帯電話,洗濯機,乾燥機,食器洗い機,電子レンジなどほとんど無い。
工場の生産はストップ。
完全な社会的の崩壊。
DoDの情報が正しければ,キャリントンイベントのような強い磁気嵐は10月1日前に80%の確率で発生するという。
万一の場合に備えて非常食・水・銃・弾薬を購入することを勧める。
fgdfdsf pc
1859年の太陽嵐
1859年9月1日の太陽黒点は当初強い明るい光が見えた場所で、消失する前の5分間にCとDの位置まで移動した。
1859年の太陽嵐(1859ねんのたいようあらし、Solar storm of 1859)は、第10太陽活動周期の期間中の1859年に起こった強力な太陽嵐である。
英語では1859 Solar Superstorm[1]やCarrington Event(キャリントン・イベント)とも表記される。
リチャード・キャリントンによって、現在、記録に残る中で最も大きな太陽フレアが観測された。
太陽黒点
1859年8月28日から9月2日まで太陽表面上に多数の太陽黒点や太陽フレアが観測されたが、
9月1日の正午前イギリスの天文学者リチャード・キャリントンは最大の太陽フレアを観測した。
このフレアでは大規模なコロナ質量放出があり、17時間かかって地球に直接降り注いだ。
このような太陽から地球への粒子の到達には通常3日間から4日間を要するので、異常に速いものだった。
これは、1度目のコロナ質量放出で太陽風プラズマの通り道が一掃されたため、2度目のコロナ質量放出の速度が速くなったことによると考えられる。
キャリントンのスーパーフレア
1859年9月1日、キャリントンと別のイギリス人アマチュア天文学者であるリチャード・ホジソンは、それぞれ独立に太陽フレアを最初に観測した。
ほぼ同時刻にバルフォー・スチュワートによってキュー天文台の磁気センサにデリンジャー現象の発生が記録されていたこと、
翌日以降に磁気嵐が観測されたことから、キャリントンは太陽が原因ではないかと疑った。
1859年に報告された世界中の磁気嵐の発生はエリアス・ルーミスによってまとめられ、キャリントンとスチュワートによる観測に大いに役立った。
磁気嵐
1859年9月1日から2日にかけて記録上最大の磁気嵐が発生した。
ハワイやカリブ海沿岸等[4]世界中でオーロラが観測され、
ロッキー山脈では明るさのために鉱山夫が朝と勘違いして起きて朝食の支度を始めてしまうほどであった。
アメリカ北東部でたまたま起きた人はオーロラの明りで新聞を読むことができた。
ヨーロッパおよび北アメリカ全土の電報システムは停止した。
電信用の鉄塔は火花を発し、電報用紙は自然発火した。
電源が遮断されているのに送信や受信が可能であった電報システムもあった。
ニュース
1859年9月3日、Baltimore American and Commercial Advertiser紙は次のように報じた[9]。
木曜の夜遅くたまたま外に出た人は、再びオーロラを目撃する機会に恵まれた。
このオーロラは日曜日夜に見られたものと似ていたが、その光はより明るく色相はより変化に富んで豪華だった。
光は明るい雲のように空全体を覆い尽くしていたが、光度の大きい恒星は不明瞭に輝いていた。
オーロラの明るさは満月よりも明るかったが何ともいえず柔らかく、全ての物を包み込む繊細さがあった。
12時から1時の間に明るさは最大となり、街の静かな通りはこの奇妙な光に包まれ奇観を呈する美しさがあった。
類似ケース
氷床コア中に含まれる硝酸塩濃度の分析により、直接の観測結果のない過去の大規模な太陽嵐等の発生状況を調査することができる。
これは高エネルギー線によって大気上層部に窒素酸化が起きることを利用している[10][11]。
グリーンランドの氷床コアのデータがKenneth G. McCrackenらによって集められ[12]、
この規模(地磁気の影響の大きさではなく高エネルギー陽子の放出によって評価される)の太陽嵐がほぼ500年ごとに起こっており、
少なくともこの5分の1の規模の太陽嵐が1世紀に何度かずつ起こっている証拠が得られた[13]。
1921年と1960年にも小規模な太陽嵐が発生し世界中で電波障害が発生したことが報告されている。
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/1859%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%A4%AA%E9%99%BD%E5%B5%90
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