2019年2月6日水曜日

氷期と間氷期


・現在は第4氷河期の間氷期
氷河期中の寒い時期と温暖な時期(間氷期)の間隔には周期性があり,明らかに10万年周期の機械的なメカニズムが働いているが,これは
ミランコビッチ・サイクル
と言う天体運動の周期性により説明されている。
CO2温暖化説で今世界のみんなが大騒動しているが,最後の第四氷河期が始まったのが10万年前なのでミランコビッチ周期が正しいなら,
次の第五氷河期はいつ始まっても不思議ではない。
ミランコビッチの説は,地球の公転運動(地軸の傾きや離心率)の変化で,太陽から地球に届く輻射量(熱量)が変化するためだというものです。
CO2地球温暖化説は,地表から宇宙に逃げていく輻射量(熱量)だけを考えた説で,温暖化で海水面が暖められ雲量が増えると太陽からの地球に入ってくる輻射(熱量)が減るというような事は考えていないようですし,ましてや太陽から地球が受け取る熱量の変化などは全く考えていない大雑把なものです。
過去の人類の歴史で起こった『寒冷化』は,浅間山の大噴火のような大量の粉塵を巻き上げる天変地異(太陽からの輻射熱の減少)で地球が寒冷化し未曾有の大飢饉を引き起こしていた。
核戦争での大火災(大量のCO2を放出)や巻き上がった粉塵で『核の冬』が起こるとしたカール・セーガンの考え方も実際にあった過去の歴史を科学的に検証して出来上がっているのでしょう。  

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・古墳寒冷期
日本や中国では3世紀~7世紀の間,天候が悪化し,冷涼化,降水量の増加が続きました。
この時期は中国や日本の歴史の中でも戦乱が多く混乱した時期であるが,その原因がこうした気候の冷涼化が契機となったという見方もあります。戦乱,そう,中国では三国志の時代,日本では倭国大乱の時代にあたる時代です。日本ではこの時期を古墳寒冷期と言う場合もあります。これは,太陽活動が不活発になった時期にだいたい一致します。 
・中世温暖期
西暦800~1300年は,現在並み,あるいはそれをやや上回る温暖な時期でした。
この現象は全地球的に見られたとされています。
この時期,ヨーロッパではノルマン人が大西洋を渡ってグリーンランドに入植しました。
また,この頃の大西洋には流氷がほとんど見られなかったと言われています。
当時のアイスランドではエンバクなどの麦類が栽培可能でした。
この温暖期を中世温暖期(Middle Ages warm epoch)と呼びます。
このときの太陽活動は,西暦1100~1300年には現在並みに活発だったとされています。
100年オーダーで気候を見ると,太陽活動が最も影響しているように見える。
また図1は昔の日記や年代記によってわかったサクラの満開時期から計算した,京都の3月の平均気温の推移です。
この時代はデータの数が少ないので精度は悪いが,それでも西暦1200年を中心に,気温の高かった時代があったことが定性的にわかりました。
おりしもこの時代は日本の平安時代。
のんびりとした時代が続いたのも,この中世温暖期のお陰だったのかもしれません。
そういえば,当時の貴族の館は『寝殿造り』と呼ばれる,いかにも風通しのよさそうな,というよりは寒そうな様式をしています。
こんな中世温暖期だったから,貴族も寒さに耐えられたのかもしれません。 
・小氷期
太陽の黒点が少ないことは太陽活動が不活発なことを意味しています。
西暦1300年以降,この太陽の黒点が急に少なくなり太陽活動が不活発な時期が繰り返してやってくるようになりました。
その時期は1320年頃,1460~1550年,1660~1715年,そして1800年前後である。
1320年頃の極少期をウォルフ極小期,
1460~1550年のそれをスペーラー極小期,
とくに西暦1660~1715年のおよそ70年間の太陽黒点がほとんど無くなった顕著な黒点極少期間をマウンダー極小期(Maunder minimum),
また一番最近の1800年前後の短い極少期をドルトン極少期
と,それぞれ呼びます。
この4つの時期は,サクラの満開日から推定した京都の気温(図1)の低かった時期とかなりシンクロしています。
サクラの満開日による3月の京都の気温は冬季の気温にかなり似た傾向を示すと思われますが,やはり,この太陽活動の不活発な時期は,世界的な気候悪化,寒冷化が見られた時代と,全般に一致したようです。西暦1300年以後,1850年までのこの期間を,小氷期(Little Ice Age)と呼びます。この時期には各地で氷河の前進が起きました。日本でも西暦1300年を過ぎると気候悪化が起こり,降水量が増えて,濃尾平野などでは河道変化が繰り返されるようになりました。
特にマウンダー極少期とその次のドルトン極少期にあたる1600~1850年の寒さの程度はものすごく,小氷期をこの時期に限定する場合もあります。
この時期,日本では大雪,冷夏が相次ぎました。
淀川が大阪近辺で完全に氷結したこともあります。
大阪の河内地方ではそれまで盛んであった綿作が,気候寒冷化・降水量増加にためにイネ・ナタネに転作を余儀なくされたとも言われています。
そういえば,この時期の大坂城代が雪の結晶を観察,絵にしているという話を聞いたこともあります。
そんなこと,現代では北海道でしかできないと思われます。
ともあれ,この時期,とくに19世紀初頭は寒かったようです。
日本では小氷期のうちでも最も寒冷な期間,たとえば1830年代と1980年代を比べると冬や春の平均気温は2℃程度,京都に限ると3.4℃も現在よりも低かったと推測されています。 

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■氷期と間氷期
氷期(氷河期)・間氷期・温暖化
氷河期1・現在は間氷期・氷河期2/気候の移り変わり・寒冷期と温暖期・太陽黒点数の変化・大気CO2濃度変動・氷期間氷期サイクル周期・ミランコビッチ説・氷期間氷期サイクル基礎・氷期間氷期サイクルと地球軌道・地球は氷河期に突入した・氷河期3・地球の秘密・氷河期明けの寒の戻り・日本と氷河期・ヨーロッパ大陸・北グリーンランドの氷床・縄文時代に見る地球温暖化・佐渡の1万年後・・・

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■氷河期 (ice age) 1
地球の気候が長期にわたって寒冷化する期間で,極地の氷床や山地の氷河群が拡大する時代である。
氷河時代(ひょうがじだい),氷期(ひょうき)とも呼ばれる。
まれに氷河紀と書かれることがあるが,地質時代を区分する単位(紀)ではないため正しくない。
氷河学的には,氷河期という言葉は,南半球と北半球に氷床がある時期を意味する事が多く,この定義によれば,グリーンランドと南極に氷床が存在する現代,我々は未だ氷河期の中にいることになる。
過去数百万年に関して言えば,氷河期という言葉は一般的に,北アメリカとヨーロッパ大陸に氷床が拡大した寒冷期について用いられる(アジア地域は氷床が発達せず寒冷な地帯であったらしい)。
この意味で言えば,最後の氷河期は1万年前に終了したということになる。
この約1万年前に終わった出来事を,文献によっては「最後の氷河期」と記載していることもあるが,科学者の多くは氷河期が終わったのではなく,氷河期の寒い時期「氷期」が終わったとし,現在を氷期と氷期の間の「間氷期」と考えている。
そのため,最終氷期終了後から現在までの期間を後氷期と呼ぶこともある。
ここでは,氷河期は氷河学的な意味で使用し,氷河期の中の寒い時期を
氷期(ひょうき,glacial),
氷河期の中のかなり暖かい時期を
間氷期(かんひょうき・かんぴょうき,interglacial)
と呼ぶ。
過去数百万年は,4万年から10万年の周期で多くの氷期が起こり,これについては研究がさかんに行われている。
各氷期と間氷期ではそれぞれ平均気温が異なり,最近の氷期では年平均気温で7-8℃以上低下したというデータもあるが,
「気温何度から氷期」
というわけではない。
その間にも小氷期,小間氷期が認められる。
ヨーロッパでは古い方から
「ギュンツ」,
「ミンデル」,
「リス」,
「ウルム」
の4氷期に区分されている。
数万年単位などの短期的視野ではなく,さらに大局的・長周期的に見ると過去地球上では,少なくとも4回の大氷河期があった。
過去五億年の周期図について代表的な氷河期の項目で後述する。
この長い「氷河時代」が重要なのは人類の進化に並行しているからである。
氷期が訪れると海岸線が極端に遠退き,陸上の大部分が氷に覆われる。
そのため動植物も激減し,動植物を食料とする狩猟採集生活の人類にとっては,大きな打撃であった。
人類(猿人)になる前は樹上生活であったらしいが,氷期の環境で地上生活を始め,2足歩行を開始し人類となったというのが通説である。  
■氷河期理論の起源
ヨーロッパの山岳地帯に住む人々にとって,過去には氷河がより広がっていたというのは一般的な知識であり(Imbrie and Imbrie 25ページには木コリがスイスのグリムゼル氷河の過去の広がりについて Jean de Charpentier に語ったことが引用されている),誰かがこのアイデアを作り出した訳ではない。
J. Charpentier はこの説を支持する証拠をまとめあげた。
1836年には理論をルイ・アガシーに納得させ,アガシーは,Étude sur les glaciers を1840年に出版した。
この最初の段階で研究されたのは現在の氷河期の中で過去数十万年に起こった氷期についてであり,更に過去の氷河期の存在については想像されもしなかった。
氷期の証拠は様々な形で得られる。岩が磨かれたり削られた跡(擦痕)やそのような浸食作用をうけてきた独特の形状の岩(羊背岩など),氷河の末端や縁辺に堆積した
角礫(モレーン),
独特の氷河地形(ドラムリン,氷河谷など),
「ティル」や「ティライト」等の氷河性堆積物
である。しかし繰り返し起こる氷河作用が,それ以前の氷河作用の地質学的証拠を変形・消去することで解釈を難しくしており,現在の理論に到達するまでには時間がかかった。
近年では氷床コアや海底堆積物コアの解析により,氷期間氷期の過去数百万年を明らかにすることが可能になっている。
■代表的な氷河期
過去地球上では,少なくとも4回の大きな氷河期があった。
24億年前から21億年前頃の原生代初期に最も古い氷河期(ヒューロニアン氷期 Huronian glaciation)があったことが仮説として考えられている。
証拠が残っているもので一番古いのは(原生代末期)の7億5千万年前からの氷河期(スターティアン氷期 Sturtian glaciation(~7億年前)およびマリノア氷期 Marinoan glaciation(~6.4億年前))で,過去10億年のなかでおそらくもっとも厳しいものであり,氷が赤道まで覆いつくしスノーボールアース(全地球凍結,全球凍結)を作り出した。この氷河期の終結が引続き起きたカンブリア爆発の原因になったと言われているが,この説はまだ新しく現在も論争の的である。
古生代には,4億6千万年前から4億3千万年前にかけて小さな氷河期(アンデス−サハラ氷期 Andean-Saharan glaciation)があり,同じく古生代の3億6千万年前から2億6千万年前にかけてにも氷河の拡大期(カルー氷期 Karoo Ice Age)があり,このときには生物の大量絶滅が起きている。
現在の氷河期は,4000万年前の南極の氷床の成長により始まり,300万年前から起きた北半球での氷床の発達とともに規模が拡大した。更新世に向かうにつれて更に激しくなり,その頃から氷床の拡大と後退の繰り返しによる4万年と10万年の周期が世界中で見られるようになった。最後の氷期(最終氷期)は約1万年前に終った。
■氷期と間氷期
それぞれの氷河期と氷河期の間には数百万年続く温暖な期間がいくつかある。更に氷河期の期間中にも(少なくとも最近の氷河期では)より寒冷な時期とより温暖な時期がある。より寒冷な時期が「氷期」,より温暖な時期が,例えば「エーミアン間氷期」のように,「間氷期」と呼ばれている。
最近の氷期が終わったのは,1万年ほど前である。現在は典型的な間氷期が1万2000年ほど続いていると考えられているが,氷床コアデータによる精密な時期の断定は難しく,世界的な寒冷化をもたらす新しい氷期が間もなく始まる可能性もある。今のところ「温室効果ガス」を増加させている人為的な要因の方が,ミランコビッチの軌道周期のどの影響よりも重いだろうと信じられているが,地球軌道要素に対するより最新の研究は,人間活動の影響が無いとしても,現在の間氷期は少なくとも5万年は続くだろうとも示唆している。
氷期と間氷期の変動に関連して,アメリカ国防総省が専門家に依頼して作成した地球温暖化の影響による大規模な気候変動を想定した安全保障についての報告書(Schwartz, P. and Randall, D. 2003)の存在が2004年に明るみに出て注目を集めた。それによると,地球温暖化による海流の変化が原因で,北半球では2010年から平均気温が下がり始め,2017年には平均気温が7~8℃下がるという。逆に南半球では,急激に温度が上がり,降水量は減り,旱魃などの自然災害が起こるという。  
■氷河期が起こる原因
・主な3つの要因
なぜ「氷河期」が起こるのか。これは大きなスケールで起こる氷河期についても,氷河期の中で起こるより小さな氷期/間氷期の繰り返しについても,いまだ議論されている問題である。一般的な総意としては,大気組成(特に二酸化炭素とメタンのフラクション)と,「ミランコビッチ・サイクル(英語版)」として知られる,太陽を回る地球の軌道要素(おそらく銀河系を回る太陽系の軌道も関係する),大陸の配置の組み合わせ,の3つの要素が組み合わされたものがその原因とされている
・大気組成の変化
3つの要因のうち,最初の「大気組成の変化」は特に最初の氷河期について重要な原因とされている。スノーボールアース仮説では原生代後期の大規模な氷河時代の始まりと終りは,大気中の二酸化炭素濃度の急激な減少と,急激な上昇が原因であると主張している。残りの二つの要素については,現在最も議論が盛んに行われている。
・大陸の配置
北極圏と南極圏に大陸がどれだけ配置されているかが,氷河期が起こる際に重要であることがわかってきた。特に,新生代氷河期が始まった原因は大陸の配置の変化によるところが大きいとされる。それは,大陸の存在によって寒冷期に雪や氷が集積することが可能になり,この現象はアルベド効果のような正のフィードバック効果の引き金となるからである。また,大陸の配置は海洋や大気の循環システムにも大きな影響を与える。
■新生代氷河期開始の原因
新生代の氷河時代が始まった原因の大きなものとして南極大陸の移動がある。中生代にゴンドワナ大陸の一部であった南極大陸の分裂と南への移動によって南極大陸の寒冷化が始まり,分裂と南下によって発達した南極環流が南極大陸への熱輸送を遮るようになり更に寒冷化を進めた。4000万年前には南極の氷床の成長が始まり,3000万年前には巨大な氷床で覆われるようになった。その後,300万年前頃から北半球でも氷床の発達が始まったが,この原因としては,北アメリカ-ユーラシア大陸の配置に加えて,パナマ地峡の形成による大規模な海流の変化,ヒマラヤ山脈の隆起による大気システムの大きな変化が提唱されている。
・地球軌道要素の変化
地球軌道要素は長期にわたる氷河期では大きな原因とはならないが,現在の氷河期の中で交互に起こっている凍結と溶解の繰り返しのパターンを支配しているように見える。地球軌道とアルベドの変化の複雑なパターンによって,氷期と間氷期の二つのフェーズが起こるようである。
氷河期については現在の氷河期,特に最近40万年間について詳しく研究され理解が進んでいる。最近40万年のデータは,大気組成や気温,氷床量の指標が記録されている氷床コアの分析から得ることができるからである。この期間は氷期/間氷期の繰り返しがミランコビッチの提唱した周期(ミランコビッチ・サイクル)とよく呼応しているので,その説明として軌道要素が一般的に受け入れられている。太陽からの距離の変化(軌道離心率),地軸の歳差運動,地軸の傾き(傾斜角)が複合して,地球が受ける日射量の変化に影響を与えている。特に重要なのは季節性に強い影響を与える地軸の傾きの変化である。たとえば,北緯65度における7月の太陽光の入射量は計算によれば最大で25%(1平方m当たり400Wから500W)変化するとされている。夏が涼しい時,前の冬に積もった雪が溶けにくくなるので氷床は前進するというのは広く考えられていることである。日射量のわずかな変化は「前の冬の雪が完全に溶解する夏」と「次の冬まで溶けずに残る夏」の間のバランスを調節する。何人かの研究者は,軌道要素は氷期の開始の引き金になるには弱過ぎるとしているが,二酸化炭素のようなフィードバック機構でそれは説明できる。
■ミランコビッチ説の問題点
ミランコビッチ周期は,地球軌道パラメーターの周期的な変化が氷河作用の記録に表現されているであろうと予言したが,
氷期/間氷期の交代にどのサイクルがもっとも重要であるのかについては更なる説明が求められている。
特に過去80万年の間,氷期/間氷期が繰り返す周期は10万年が支配的であり,これは地球軌道要素の離心率と軌道傾斜角の変化に対応しているが,ミランコビッチに予言された3つの周期の中でははるかにもっとも弱いものである。300万年前~80万年前までの間,氷河作用の支配的なパターンは,地軸の傾き(傾斜角)の変動の4万1000年周期に対応していた。一つの周期が他のものより卓越する理由はまだ理解されておらず,現在重点的に研究が行われている分野であるが,その回答は,おそらく地球の気候システムの中で起こる共鳴現象と関係すると予想される。
■最新の研究
従来のミランコビッチの説では10万年周期が支配的な時期が過去8回あったことの説明が難しい。
Muller と MacDonald らの研究では,それは軌道の計算が2次元的な手法に基づいているからであり,3次元的な解析を行えば傾斜角にも10万年周期が現れると指摘している。彼らは,これらの軌道傾斜角の変化が日射量の変化を導いていると述べており,同様に太陽系のダストバンドと地球軌道との交差が影響している可能性も提示した。これらは従来提唱されてきたメカニズムとは違うものだが,計算結果は「予言されていた」最近40万年間について得られているデータとほぼ同じ結果を示している。Muller 及び MacDonald の理論は Rial により反論されている。
他には Ruddiman が10万年周期をもっともらしく説明するモデルとして,2万3000年の歳差運動の周期に対する離心率(弱い10万年周期)の変調効果が,4万1000年と2万3,000年の周期でおこる温室効果ガスのフィードバック効果と結びついたという説明をしている。
また,他の理論では Peter Huybers による研究が進んでおり,4万1000年周期がいつも優勢なのであるが,現在は2番目か3番目の周期だけでも氷期へのトリガーとなりうる気候モードに入っているということを議論している。
この研究では,10万年周期は8万年と12万年の周期が平均されているものを本当は錯覚しているのではないかと暗示している。
この理論は年代測定の不正確さが存在することと整合した矛盾の無いものであるが,現在のところ広く受け入れられているわけではない。  
・最近の氷期・間氷期と最終氷期
南北の大陸氷床の発達により,最近の氷期間氷期では海水準が大きく変動したことが知られている(ただし時代を遡ると地殻変動の影響が無視できなくなる)。蒸発した海水が両極に氷床として固定されるため,地上の海水の体積全体が減少し,結果として世界的に海水準が低下する。
反対に氷期の終了に伴って融解水が海洋に還元されると海水準は上昇する。
酸素同位体比曲線によって示される氷床量の変動は,特に新しい時代になるにつれて,世界的な海水準の変動を反映しているといって良い(上記「過去およそ5百万年間の氷期間氷期の変動」グラフ参照)。
その変動幅は最近の氷期では100m以上におよぶ。
日本近海では,太平洋と日本海を結ぶ海峡の深度が浅いため,少なくとも過去数十万年の間の氷期では,海水準の低下に伴って対馬暖流の流入が止まり,気候に大きく影響を与えた。
氷期には寒冷化のために亜寒帯林が西日本まで分布していた。
また,対馬暖流が流入しないため(現在の日本海側の降雪は対馬暖流の蒸発量に影響を受ける)氷河は日本アルプスおよび北日本の高地にわずかに発達するのみであった。
それでも,これらの氷河が最終氷期に形成したカールやモレーンなどの氷河地形は現在の日本アルプスや日高山脈で明瞭に確認することができる。
最も後の氷期は最終氷期とも呼ばれる。
最終氷期の終了後,人類が定住し農業が発展するという出来事が起こった。
このことは農業の発達が人類の生活様式と深い関係があるということであろう。
・亜氷期と亜間氷期
氷期もしくは間氷期が続く間に,更に細かな気候の変動が見られることがある。
寒い時期を亜氷期 (stadial),
温暖な時期を亜間氷期 (interstadial)
と呼ぶ。最終氷期終了前後から現在にかけてはヨーロッパの泥炭湿地で発見された花粉層序がしばしば用いられ,現在では最終氷期終了~後氷期にかけての気候変化を表現する際に幅広く使われている。  
・現在は第4氷河期の間氷期
現代以上に暖かい時代でも解けずに残った太古の永久凍土が,カナダ北部で見つかった。
北極圏に広がる永久凍土は地球温暖化で解けると,大量の二酸化炭素が放出され悪影響が心配されている。
暖かな時代でも解けない凍土が存在することは,温暖化に伴う影響評価の見直しにつながる可能性があるという。
発見したのはカナダ・アルバータ大の研究チーム。
米アラスカ州に近い地域で,この周辺は半分以上が永久凍土に覆われ,氷の厚さは数十メートルに及ぶ。
研究チームは7年前,この永久凍土を見つけた。
今回,凍土に含まれていた火山灰を放射性年代法で測定し,約74万年前にできたことを突き止めた。
地球の気候は,気温が高い間氷期を約10万年間隔で繰り返している。
特に,約12万年前の間氷期は今より気温が数度も高く,海面水位も8メートル高かったとされる。
研究チームは「永久凍土は海氷や氷河に比べて,想像以上に解けにくい。温暖化影響を無視できることにはならないが,将来の気候変動の予測精度を向上させるため,さらに調査が必要だ」としている。
温暖化で北極圏の永久凍土が解け,建物崩壊などの影響が懸念されている。しかし,アラスカでの観測では予想以上に解けていない。今回の発見を踏まえ,影響評価の精度を高めることが求められる。  
・シベリアの永久凍土がメタンガスを放出
温室効果ガスの一種で太陽熱の捕捉効率が二酸化炭素よりも20倍以上高いメタンが,シベリアの永久凍土から放出されている。永久凍土は基本的に数百年から数千年以上恒常的に凍結している土壌で,その多くは1万年前に終了した最終氷期以降,凍った状態を保っている。当時,シベリア沿岸の海水面は現在よりもおよそ100メートル低い位置にあり,大気にさらされた大地は地下500~700メートルまで固く凍り付いていた。
地球全体の平均気温は産業革命以降およそ0.7度上昇しているが,東シベリア北極陸棚では春の気温が最大5度上昇している。
海底の永久凍土層がメタンハイドレートや天然ガスを閉じ込めるフタとなっている限り,メタンが貯蔵庫から漏れ出すことはないと想定される。
しかし,地球温暖化の影響により,メタンが大気に放出され始めている可能性がある。
一般に,赤道から離れた地域の方が温暖化の影響が大きく,特に北極では温暖化が急速に進行している。  
・6億3500万年前に起きた温暖化の原因はメタン?
約6億3500万年前に「スノーボールアース(全地球凍結)」が終わった誘因は,温室効果ガスであるメタンの大量放出だったという研究が発表された。スノーボール理論によると,太古の地球には氷床が赤道まで覆い尽くされた状態の氷河時代があった。「氷床の下に閉じこめられたメタンは,一定の温度と圧力の下では氷状になって安定化する」と,この研究を行ったカリフォルニア大学の地質学者,マーチン・ケネディ氏は述べる。しかし,氷床は本質的に不安定であり,一定の大きさに達すると崩壊し始める。赤道の氷床が崩壊したことで,閉じ込められていたメタンが解放されて地球の温度を押し上げた。この温度上昇によって赤道よりやや高い緯度の氷床が溶け始め,メタンの放出量が増加して,地球の温暖化が加速した。ケネディ氏のチームは,約6億3500年前には赤道付近に位置していた南オーストラリア州の海洋から数百の堆積物のサンプルを収集して分析した結果,氷床の融解とメタン層の不安定化を裏付けるさまざまな化学的痕跡を発見した。一方,カリフォルニア大学スクリップス海洋研究所の古生物学者であるリチャード・ノリス氏は,現在のメタン貯蔵量は膨大であり,気候変動と関連させて目を光らせる必要があることには同意するものの,ケネディ氏が主張するように太古の地球と現代の温暖化を結び付ける根拠は弱いとも指摘している。  
・現在は第4氷河期の間氷期
氷河期中の寒い時期と温暖な時期(間氷期)の間隔には周期性があり,明らかに10万年周期の機械的なメカニズムが働いているが,これは
ミランコビッチ・サイクル
と言う天体運動の周期性により説明されている。
CO2温暖化説で今世界のみんなが大騒動しているが,最後の第四氷河期が始まったのが10万年前なのでミランコビッチ周期が正しいなら,次の第五氷河期はいつ始まっても不思議ではない。
ミランコビッチの説は,地球の公転運動(地軸の傾きや離心率)の変化で,太陽から地球に届く輻射量(熱量)が変化するためだというものです。
CO2地球温暖化説は,地表から宇宙に逃げていく輻射量(熱量)だけを考えた説で,温暖化で海水面が暖められ雲量が増えると太陽からの地球に入ってくる輻射(熱量)が減るというような事は考えていないようですし,ましてや太陽から地球が受け取る熱量の変化などは全く考えていない大雑把なものです。
過去の人類の歴史で起こった『寒冷化』は,浅間山の大噴火のような大量の粉塵を巻き上げる天変地異(太陽からの輻射熱の減少)で地球が寒冷化し未曾有の大飢饉を引き起こしていた。
核戦争での大火災(大量のCO2を放出)や巻き上がった粉塵で『核の冬』が起こるとしたカール・セーガンの考え方も実際にあった過去の歴史を科学的に検証して出来上がっているのでしょう。  
■ミランコビッチ・サイクル
セルビアの学者ミランコビッチ(1879年~1958年)は,地球の自転軸の傾きや公転軌道の変化が,太陽からの日射量の変化を招き,それが氷期の原因となるという説を唱えた(1920年)。地球の自転軸は歳差という首振り運動をしている。この周期は26000年であるが,だ円である地球の公転軌道の長軸方向が22000年周期で変化するために,日射量変化の周期は23000年と19000年になる。また,現在の地球の自転軸は公転面に垂直な向きに対して23.4°傾いているが,これが41000年周期で22°~23.5°の間で変化する。さらに,地球の公転軌道の離心率も10万年と40万年の周期で,0.005~0.0543(現在は0.0167)と変化する。こうした変化が組み合わさって,地球が受け取る太陽エネルギーが変化することになる。1970年代から始まった深海底の堆積物の研究からミランコビッチ説が見直されることになった。それは放射性同位元素を用いた年代測定の精度の向上,酸素同位体比を用いた古海水温の推定などによって,たしかにミランコビッチの予想通りの周期での気候の変動が見られるようになったのである。  
・氷河期のミランコビッチ周期
地球の自転は一定ではなく,自転軸の傾きも,数万年の周期で変化するし,地球が太陽の周りを回る公転軌道(楕円形)も,約10万年の周期で変化する。それらの変化に合わせ,地球と太陽との距離も変化する。この変動率はおよそ10万年周期で変動し, さらに41万年でも変動している。地軸の傾きや軌道の離心率により地球の日射量が変動する。そして,その変動周期が4.1万年である事を割り出した。最新の氷期最盛期は,1.8万年前で,8月の日本付近の海水温は,現在より7度位低温であったらしい。ヒプシサマール(高温期)は,日本では縄文時代の前中期およそ,3・4千年前の時期で,本州東北部で豊かな縄文文化が栄え東京湾の入り口付近に造礁サンゴが成育していた。因みに世界では,この豊かな高温の時期にエジプトや黄河等の世界の四大文明が生まれている。また海面が現在より5㍍近く高く,その痕跡として縄文時代の貝塚が内陸部で多く発見されている。東京・大阪その他の都市も,ほとんど海の底になるが現在そこに都市があるという事は,地球が高温期から再び冷え始めている証拠である。地球規模での大きな温度変化は,各地に異常気象を頻繁に起こさせる。
・現在は氷河時代
科学的分類としての氷河時代とは,極地方に氷河が存在している時代のことなので,約165万年前から今現在までの地球は,地球の歴史の中では寒冷な時代(氷河時代)とされている。現在は大陸の氷床(氷河)が陸地の10%であるが,はるかに広く陸地の30%が氷河におおわれた氷期(氷河時代の中でもとくに気温が低下している時期)が大きなもので4回訪れていた事がわかっている。氷期には地球上の水が氷として大量に固定されるために,海水面が最大で150m程度低くなることがある。氷期には地球全体で4℃~5℃程度気温が低下して,日本はほとんどアジア大陸と陸続きになる。世界的に見ると,スカンジナビア半島や北ヨーロッパ,北アメリカの五大湖付近までが氷床におおわれていて,海岸線が現在よりかなり後退していた。氷期と氷期の間を間氷期といい,最後の氷期は約1万年前に終わり,現在は次の氷期までの間の間氷期であると考えられている。地球が寒冷になり,極地方に氷河が発達したのは現在ばかりではなく,過去にも何回かあった。先カンブリア時代の23億年前,8億年~6億年前,古生代のオルドビス紀(4.4億年前),古生代のデボン紀~石炭紀(3.77億年前~2.7億年前)が氷河時代であった。数億年の長い時間の間に,氷河時代がなぜ訪れ,また再び暖かくなるのかについては,太陽活動の変化,地球の自転・公転の変化,プレートの運動による大陸の配置の変化,大気中の二酸化炭素の量の変化などが考えられるがよくわかっていない。ミランコビッチ・サイクルは氷河時代の中の氷期-間氷期という数万年~数十万年というスケールでの変動を考える上では重要だが,大規模な氷河時代が訪れたり,また無氷河時代(極地方にも氷床がない時代)に戻ったりという変化は説明できない。
 
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■氷河期 2 / 気候の移り変わり
■氷河期  
ヨーロッパでは氷河の進出した時代がいくつか存在していることが,早くから知られていました。
気候変化の流れの中で,新生代に始まった,きわめて寒冷ないくつかの期間を氷期と呼びます(一般には氷河期とも言われています)。
また氷期と氷期の間の期間を間氷期といいます。
それぞれの時代の氷期の呼び名にはいろいろありますが,ここではヨーロッパ式で呼ぶことにします。
主要な氷期は,一般的に下に示した4つが広く知られています。氷期の名称と,そのおおよその期間をまとめると次のようになります。
・ギュンツ氷期:Gunz glaciation(410,000年~310,000年前)
・ギュンツ=ミンデル間氷期
・ミンデル氷期:Mindel glaciation(240,000年~220,000年前)
・ミンデル=リス間氷期
・リス氷期:Riss glaciation(125,000年~100,000年前)
・エーミアン間氷期(リス=ヴュルム間氷期)
・ヴュルム氷期:Wurm glaciation(70,000年~18,500年前)
このうちギュンツ氷期とヴュルム氷期は長くて,前期と後期に特に寒冷な時期があり,それぞれ
初期氷期,
主要氷期
とよばれています。
最近の氷期は18,500年前に終わったヴュルム主要氷期ですが,これを最終氷期としばしば呼ぶこともあります。現在はそれに続く,間氷期にあたる時代であると,一般的に考えられています。
これらの氷期は,ミランコビッチサイクルと呼ばれる地球の動きの変化の周期性が引き金となって,生じたものと考えられています。
地球の公転の軌道は楕円ですが,これがしゃげたり真円に近くなったりの変動をくり返しています。
この軌道がへしゃげるほど遠日点での太陽からの入射はかなり少なくなります。
また自転の地軸もある周期で傾いたり立ったりします。
このいわゆる黄道傾斜角が急になる,つまり地軸が公転面に対して倒れ込むほど,夏も冬も厳しくなって,季節変動のコントラストがはっきりします。
さらに歳差運動による変化によって,大陸の多い北半球の冬が,今とは逆に遠日点に重なると,北半球の大陸には氷床が発達しやすくなります。この氷床は太陽からの光の反射率,つまりアルベドが高く太陽からの放射をよく反射しますし,自分自身は溶けにくいものなのです。太陽からの放射が多く反射されるほど地球に入る太陽のエネルギーが減少し,地球の寒冷化を招くことになります。そしてさらなる氷床の発達へとつながっていきます。ミランコビッチサイクルが招いた,このような正のフィードバックが働いたことによって,氷期が生じたものと考えられています。
陸上に氷床が発達したため,海面は今より約100m,あるいはそれ以上低下していたと見られています。
氷床は,たとえばアメリカ大陸ならば現在のカナダの国土分をすっぽりと覆うくらいに広がっていました。
その厚さは3kmにも及んだともいわれています。
アメリカ合衆国内は南部を除いてすべて北方林で覆われ,南部も針葉樹林地帯となっていたことがわかっています。
日本はどうかといいますと,北海道の半分以上にはツンドラが広がり,エゾマツやトウヒなどからなる亜寒帯針葉樹林帯が東北から西日本の山地にまで分布していたとみられています。
関東から西日本の平地の広い範囲には冷温帯落葉広葉樹林帯,つまりブナなどがどこまでも生い茂っていたとみられます。
シイ,カシ,クスノキ,タブノキといった肉厚で光沢を持つ葉を年中つけた木は照葉樹と呼ばれており,現在は西日本の自然林に多く見られます。
しかし最終氷期であったこのころは,種子島・屋久島あたりに細々とあったに過ぎなかったようです。
現在,たとえば代表的な照葉樹であるタブノキの北限の地は,秋田県の南部の,南極探検で有名な白瀬中尉の故郷である,金浦という町(現・にかほ市)です。
よく考えてみますと,この最終氷期当時は,九州の南の端が,現在の秋田県の南部あたりの気候に相当したと,単純に見ることができます。
なお,当時は海面が低くなっているために,当時の日本列島は朝鮮半島,そしてサハリンを介して大陸とも地続でしたし,瀬戸内海も存在しませんでした。
・ヤンガードゥリアス期
12000年前になると,夏の太陽からの放射量は7%増加し気候は温暖化の方に向かいました。
アメリカやヨーロッパなどの氷床は溶け,植生は北へ,北へと移動していきました。
二酸化炭素も増加し,特徴的な温暖な時代が13000~11000年前に現われました。
この温暖期のことを,北欧ではとくにアレレード(Allered)期というそうです。
ところがこのあと,急激に温度が100年間で平均6℃程度も下がった時期が見られました。
この寒冷期は11000~10720年前のわずか280年間の間に生じたとされています。
この時期はヤンガードゥリアス(Younger-Dryas)期と呼ばれていて,日本にも存在していたことが分かっています。
この時期には再び氷床が著しく発達するなど,氷期の状態に逆戻りしました。
ところがこのヤンガードゥリアス期の末期(10720年前)には,なんと50年間の間に7℃の温暖化が生じ,この寒冷期が終わったとされています。
この原因をめぐって,ながらく論争がありました。
地球の動き,火山噴火,温室効果ガス濃度の変化,海流の変化などいろいろ言われてきましたが,現在のところ,海流のパターン変化がひき起こしたという説と彗星のような天体が地球に衝突したことによるダスト・煙りによる日射の遮蔽の2つの説に絞られてくるようになりました。
まずは海流説について。海流には,黒潮や親潮として知られるような海面付近に存在する流れの他,海面から800m以上深い場所を流れる深層海流とよばれるものがあり,この2つの流れが組み合わさることよって,海水は立体的に循環しています。グリーンランド近海や南氷洋で海氷ができる際には,海水のうち水の成分の分が先に凍り,凍らなかった残りの塩分の高い海水が,温度も低いこともあって比重が大きくなり,次第に海の底深くに沈み混みます。この塩分の濃くて冷たい海水は海底を這うように移動し,グリーンランド沖の海底を離れて約1200年後に印度洋海底へ,また2000年後に大平洋海底に達します。ここで物凄い水圧の為に海底の海水温が上昇し,海面近くに浮き上がる。そしてこの海水が暖められた後に,海面近くの海流となって赤道付近の熱エネルギーを手みやげに再び南極・北極へ帰って行いきます。この循環は一般にコンベヤーベルトと呼ばれます。
氷期には北米大陸に氷床が大きく広がってましたが,温暖化するにつれてそれが溶け,その水が今の五大湖付近に溜まって巨大な湖を形作っていました。ところが今から13000年前,水かさが増した湖水に耐えかねて湖の周辺が決潰,大量の真水が北大西洋・グリーンランド近海に流れ込んでいきました。そうなると海水が薄まり,塩分濃度が低くなります。これがきっかけで冷たい水が海底に沈み込まなくなり,地球全体のコンベヤーベルトが衰弱していき,さらにその2000年後には完全にこれが停止したのではないか,とされました。コンベヤーベルトが停止すると,北極・南極に向かって,赤道近くからの熱エネルギーが運ばれにくくなり,極に近い高緯度地方は当然寒くなります。寒くなると氷床が発達し,地球全体でみたアルベドが高くなって更に寒冷化し,といった氷期と同様の悪循環に落ち込んだとみられてきました。
一方の彗星の衝突の説について。
彗星が衝突すると地表のものが巻き上げられたり,火災により発生したススなどが発生し,それが太陽からの日射を遮ることで寒冷化をひき起こします。良く知られた例としては,今から6500年前にメキシコのユカタン半島付近に発生した小天体の衝突と,それによって発生した急激な寒冷化によって恐竜を中心にした大量絶滅が挙げられます。ところが12900年前にも小天体の衝突があったとする論文が2007年に出され,これが議論をよびました。小天体が衝突することで,このときのダストにイリジウムという物質が含まれることになるのですが,北米を中心にこの部室が12900年前の地層から相次いで見つかった上,その層にススなども大量に存在することから,この小天体が,地表に衝突または空中爆発を起こしたことは,ほぼ間違いないというようになってきました。ということで,最近はこちらの小天体衝突がヤンガードライアス期をひき起こしたというように,定説がひっくり返ることになりました。
ヤンガードゥリアス期では,気候の寒冷化が6℃/100年,温暖化が7℃/50年と,急激な変化があったといわれています。このころ地球上に生えている植物もたまったものではありません。ヤンガードゥリアス期に入ると,北西ヨーロッパではそれまで生えていたトウヒやシラカンバが,あっという間に,より寒冷な地方に生育する低木や草本に置き換わったと言われています。アメリカでも寒冷化と時を同じくして,広葉樹の種類が激減し,代わってトウヒやモミ,シラカンバなどがまたたく間に増加したことが花粉分析から明らかになりました。これに対し,ヤンガードゥリアス期が終わった後の10000~9800年前には,ツンドラに再びトウヒなどの植物が入ってきたように見えるますが,これは花粉が風によって運ばれたことによる誤認の可能性もあります。
日本でも,ヤンガードゥリアス期が終わってすでに1000年経った9000年前には,大阪平野や名古屋近辺が,暖かさの指数から見るとすでに照葉樹林が生えても良い条件となっているのに,実際の植生は紀伊半島のあたりを北上中であったことが花粉分析から明らかになっています。ここからも,気候の急激な温暖化に植生の反応(移動)が全くついていっていないことがわかります。花粉分析では,たとえば紀伊半島南部から大阪まで,この後,照葉樹林群落が拡大するのに3000年かかったという結果が得られています。また一説では大阪から京都まで,照葉樹林が広がるのに100年かかったといわれています。『♪天満橋から三条へ……』の京阪特急なら30分で走り抜ける距離でも,それだけの年数を必要とするということです。京都・大阪間を40kmとした場合,大阪から京都への植生の移動速度は毎年400m,時速に直すと4cm/h。遅いようですが,植生の移動速度としては異例の速さではないでしょうか。
とはいっても,急激な気候の寒冷化には植生の分布の応答は想像以上に早いのに対して,急激な温暖化への植生分布の応答は100~1000年オーダーで,かなりゆっくりと見られています。現に,北海道の黒松内付近にあるブナの北限は,今なお北上中とされています。 
・ヒプシサーマル期(気候最適期)
6000年前までに,全地球的に夏の気温が現在より2~4℃高い期間が始まった。
この頃,夏の太陽からの放射量は現在より4%多く,冬は逆に4%少なくなりました。
黒点数から見た太陽活動も,この時期,非常に活発でした。
7000~5000年前までのこの温暖な時期をヒプシサーマル(hypsithermal)期,あるいは気候最適(postglacial climatic optimum)期と呼びます。このころの氷床の著しい縮小にともなって,氷期以来低くなっていた海面は一気に上昇し,現在より数m高くなりました(いわゆる縄文海進です)。魚津の埋没林(富山湾)のように,大陸棚が植物もろとも水没した場所も見られます。アフリカから中近東は現在より多雨で,現在のサハラ砂漠は森林に覆われていたといわれています。亜熱帯高気圧は北に偏り,中緯度は現在より乾燥していたようです。
日本ではこの頃,年平均気温が2℃程度高かったと評価されています。
日本におけるヒプシサーマル期の気候帯を見てみますと,6500年前には照葉樹が自生するのが可能な,暖かさの指数85以上の地域(照葉樹林気候)が秋田県沿岸まで達していました。またコナラに代表される暖温帯落葉広葉樹林気候も東北地方のほとんどを覆うまで広がることになりました。関西や東海地方の山にある雑木林が東北で見られたわけです。植生の拡大・北上はこの温暖化にはなかなか付いていけなかったようですが,それでも6500年前には照葉樹が,西日本の低地で爆発的に広がることになりました。大阪に照葉樹林群落の拡大が到達したのもこの頃です。また,海抜で見た森林限界も300~400m上昇したとされています。 
・ヒプシサーマル後の寒冷期
ヒプシサーマルの後,5000~4000年前には気候は冷涼・湿潤化し,降水量も増加しました。
大阪の上町台地以外の部分や,名古屋の城より海側から岐阜県にいたる広い地域はこの時まで海でしたが,降水量の増加のため自然の埋め立てが進みました,沖積平野はこの時期にできたといわれています。日本海側で新しくできた沖積低地にはスギが非常に多く発達していった。スギは湿った条件(年降水量で約1800mm以上)で自生する植物である。いまは雨の多い山地にあるのみですが,当時,平野にも生えたというのですから,いかにこの時期に雨が多かったかということがわかります。
この後,4000~3000年前には一旦温暖となるが,そのあと2500~2000年前には,特に北日本や山陰,北陸で冷涼な気候が見られました。 
・古墳寒冷期
日本や中国では3世紀~7世紀の間,天候が悪化し,冷涼化,降水量の増加が続きました。
この時期は中国や日本の歴史の中でも戦乱が多く混乱した時期であるが,その原因がこうした気候の冷涼化が契機となったという見方もあります。戦乱,そう,中国では三国志の時代,日本では倭国大乱の時代にあたる時代です。日本ではこの時期を古墳寒冷期と言う場合もあります。これは,太陽活動が不活発になった時期にだいたい一致します。 
・中世温暖期
西暦800~1300年は,現在並み,あるいはそれをやや上回る温暖な時期でした。
この現象は全地球的に見られたとされています。
この時期,ヨーロッパではノルマン人が大西洋を渡ってグリーンランドに入植しました。
また,この頃の大西洋には流氷がほとんど見られなかったと言われています。
当時のアイスランドではエンバクなどの麦類が栽培可能でした。
この温暖期を中世温暖期(Middle Ages warm epoch)と呼びます。
このときの太陽活動は,西暦1100~1300年には現在並みに活発だったとされています。
100年オーダーで気候を見ると,太陽活動が最も影響しているように見える。
また図1は昔の日記や年代記によってわかったサクラの満開時期から計算した,京都の3月の平均気温の推移です。
この時代はデータの数が少ないので精度は悪いが,それでも西暦1200年を中心に,気温の高かった時代があったことが定性的にわかりました。
おりしもこの時代は日本の平安時代。
のんびりとした時代が続いたのも,この中世温暖期のお陰だったのかもしれません。
そういえば,当時の貴族の館は『寝殿造り』と呼ばれる,いかにも風通しのよさそうな,というよりは寒そうな様式をしています。
こんな中世温暖期だったから,貴族も寒さに耐えられたのかもしれません。 
・小氷期
太陽の黒点が少ないことは太陽活動が不活発なことを意味しています。
西暦1300年以降,この太陽の黒点が急に少なくなり太陽活動が不活発な時期が繰り返してやってくるようになりました。
その時期は1320年頃,1460~1550年,1660~1715年,そして1800年前後である。
1320年頃の極少期をウォルフ極小期,
1460~1550年のそれをスペーラー極小期,
とくに西暦1660~1715年のおよそ70年間の太陽黒点がほとんど無くなった顕著な黒点極少期間をマウンダー極小期(Maunder minimum),
また一番最近の1800年前後の短い極少期をドルトン極少期
と,それぞれ呼びます。
この4つの時期は,サクラの満開日から推定した京都の気温(図1)の低かった時期とかなりシンクロしています。
サクラの満開日による3月の京都の気温は冬季の気温にかなり似た傾向を示すと思われますが,やはり,この太陽活動の不活発な時期は,世界的な気候悪化,寒冷化が見られた時代と,全般に一致したようです。西暦1300年以後,1850年までのこの期間を,小氷期(Little Ice Age)と呼びます。この時期には各地で氷河の前進が起きました。日本でも西暦1300年を過ぎると気候悪化が起こり,降水量が増えて,濃尾平野などでは河道変化が繰り返されるようになりました。
特にマウンダー極少期とその次のドルトン極少期にあたる1600~1850年の寒さの程度はものすごく,小氷期をこの時期に限定する場合もあります。
この時期,日本では大雪,冷夏が相次ぎました。
淀川が大阪近辺で完全に氷結したこともあります。
大阪の河内地方ではそれまで盛んであった綿作が,気候寒冷化・降水量増加にためにイネ・ナタネに転作を余儀なくされたとも言われています。
そういえば,この時期の大坂城代が雪の結晶を観察,絵にしているという話を聞いたこともあります。
そんなこと,現代では北海道でしかできないと思われます。
ともあれ,この時期,とくに19世紀初頭は寒かったようです。
日本では小氷期のうちでも最も寒冷な期間,たとえば1830年代と1980年代を比べると冬や春の平均気温は2℃程度,京都に限ると3.4℃も現在よりも低かったと推測されています。 

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ミニ氷河期の到来が確定的な中で、「太陽活動と地球寒冷化の関係」についての科学論文の掲載数が2017年だけで100本を超えていた
2017/12/29 
地球寒冷化予測に関しての学術論文
・Bicentennial decrease of the solar constant leads to the Earth’s unbalanced heat budget and deep climate cooling
太陽活動と地球寒冷化についての学術論文の数は2017年は120件に達する
今現在、アメリカやヨーロッパからアジアまで、北半球の各地がとんでもない寒波と大雪に見舞われているということもあるのでしょうけれど、英語などのニュースを検索していますと、「ミニ氷河期(Mini Ice Age)」とタイトルにあるものが、とても多くなっていることに今朝気づきました。
2017年12月29日のGoogle ニュース検索より
・Google
今にして、この「ミニ氷河期」という概念も身近な感じになってきたということなのでしょうかね。
なお、この In Deep で、はじめて「ミニ氷河期が近いのかもしれない」ということにふれたのは、今から 6年ほど前のことで、「あらかじめ予測されていた小氷河期の到来」というシリーズを書いた時でした。
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(4) 太陽活動極小期は何をもたらすのか?  In Deep 2011/11/14
という記事を書いた時に、初めて私は、「太陽活動と地球の気候に関係がある」ということを知ったのです。
そして、その後、太陽自体に興味があったこともあり、いろいろと調べていくうちに、
・現在の太陽活動が過去にないほど弱いこと
 ・これは過去の寒冷期の時代とよく似ていること
などを知るにいたりました。
そして、その頃から「寒冷期は近いのかもしれない」という思いは確信に変わりました。5年くらい前のことでしょうか。
もっとも、その頃は……まあ今もかもしれないですが、「人為的な原因による地球温暖化」という概念が世の中に跋扈していまして、太陽に関する科学的なデータは隅に追いやられ、よくわからないデータが社会の表面に出てくるようになりました。
しかし、その後、「太陽と地球の気候の関係」の科学的データや過去の資料が次々と出てくる中、寒冷化に関しての科学論文は増加していき、2017年に、科学誌に掲載されたものの中で「太陽活動と地球の気候の関係」に関しての論文は120 本にものぼったたのだそうです。
昨日、アメリカの科学系ブログで、最新の「太陽活動と地球の寒冷化」についての学術論文を一気に紹介しているものがあり、今回はその記事をご紹介したいと思います。
昨日、アメリカの科学系ブログで、最新の「太陽活動と地球の寒冷化」についての学術論文を一気に紹介しているものがあり、今回はその記事をご紹介したいと思います。
2017年12月28日のアメリカの科学系ブログより
・7 New Papers Forecast Global Cooling, Another Little Ice Age Will Begin Soon
オリジナルの記事では、論文から抜粋しているのですが、むしろ難解でわかりにくいですので、箇条書きにしました。
ただ、大量の数式が並んでいて私には理解しようがないものや、書いてある内容も難解すぎてわからないものなどは割愛していますので、記事の中の一部ということになりますが、しかし基本的には、どの論文も書いてあることの根底は同じようなテーマであり、すなわち、
というものです。
「いつからミニ氷河期が始まるのか」ということに関しての主張はさまざまでして、2020年からという場合や、もう少し後の主張もあります。
ただ、私個人としては、ロシア人科学者たちが昨年までに発表していた、「地球はすでにミニ氷河期に入っている」という説を気に入っています。これについては、過去記事、
・ミニ氷河期は「2015年にすでに始まって」おり、今後「200年から250年間続く」というロシア科学アカデミーの科学者たちの主張が公開された  In Deep 2016/11/05
に、比較的詳しく書いてあります。
また、やはりロシア人科学者で、モスクワ大学の美しき理論物理学者ヘレン・ポポワ博士は、「 2030年までには 97%の確率で地球はミニ氷河期に入る」と述べています。
これは、
・精度97%の「2030年までのミニ氷河期突入」予測は、その発表の元となったロシア人女性物理学者の「太陽活動の解析予測の実績」から実現確実な状勢に  旧 In Deep 2015/07/22
にあります。
理論物理学者ヘレン・ポポワ博士
・RT
この地球寒冷化に関して、ロシア人科学者のほうを重視するのは、ロシアの科学者は西側の科学者のような「温暖化ビジネスによる利益関係」を持たないからです。
まあそれはともかく、寒冷化していくとはいっても、気温だけの問題では、予測されている変化は平均 1℃以下ですので、そんなに大きなことにはならないのかもしれないですが、ミニ氷河期がもたらすものは、気温の問題と共に「荒れた天候」だったりもします。
このあたりに関しては、いろいろと複雑なことではあるのですけれど、過去記事、
・海の巨大な変化とミニ氷河期の関係:「温暖化が招く寒冷期」からの気温の回復に40年から100年かかるという気候モデルが提示される地球の海で成長する「モンスター・エルニーニョ」
に、「寒冷化と、モンスターハリケーンやモンスター級台風」が同居する時代になるメカニズムなどを書いています。ミニ氷河期に入るということは、農業や漁業を含む生活に直結した部分への影響も含めた大きな時代の転換となる可能性は強いと思っています。
ただし、そのミニ氷河期が本格的に始まるのが 2020年頃からなのか 2030年頃からなのか、あるいは「すでに始まっているのか」ということについては、今はまだ確信を持っていえる根拠はありません。
それでは、ここから記事です。
7 New (2017) Papers Forecast Global Cooling, Another Little Ice Age Will Begin Soon notrickszone.com 2017/12/28
ミニ氷河期と地球寒冷化がまもなくやってくる予測に関して 2017年に発表された最新の7つの論文
太陽黒点の減少と、太陽の活動の低下のため、気温は平均で 0.5℃〜 0.7℃下がる
太陽活動の変化による地球の歴史と現代の気候変動への影響との関連について、2017年には 120もの論文が科学誌に掲載された。
低い太陽活動(これは太陽黒点が少ないことを意味する)と、それによる雲の増加(雲は宇宙線によって調節されるため)が地球の寒冷傾向と大きく関係していることについての理論がますます確立されている。
この数十年、地球は非常に高い太陽活動の期間であったが、この高い太陽活動が、この過去 10年から 100年間の地球の温暖化期間を出現させた。
しかし現在、多くの太陽科学者たちが、今後数年間( 2020年から 2025年頃までに)のあいだ、非常に低い気温活動の期間が始まることを予測しており、その確信は次第に強まっている。
今回は、最近発表された地球寒冷化に関してのいくつかの論文の内容を列挙する。
論文「惑星系の軌道間のコントラスト解析と太陽活動の周期性」より
Contrast analysis between the trajectory of the planetary system and the periodicity of solar activity
・惑星系の周期的運動と太陽活動の周期は、その2つが 179.5年の周期変化の規則を持つことを示している。
・規則的な軌道は太陽活動の高周期に対応し、無秩序な軌道は太陽活動の低周期に対応する。したがって、惑星系の動きと太陽活動と地球規模の気候変動には一定の関係があることがわかった。太陽の動きと地球規模の気候変動の周期的な傾向を解釈するためには、惑星系の動きを使用することができる。
・現在、太陽は極端に低い太陽活動の期間であり、今後、極小期に向かう。西暦 1000年以来、地球は 6回の太陽活動極小期を経験している。それは、(1040-1080 年)、中世の小値(1150 1200 年)、(1270-1350 年)、(1430-1520 年) 、マウンダー極小期(1620-1710 年)、ダルトン極小期(1787-1843 年)となる。そして、惑星系の軌道は、その 6つの長い太陽極小の間に乱れていたことがわかっている。
論文「コーカサス地域の気候変動における長期的傾向 」より
Long Term Trends in Climate Variability of Caucasus Region
・様々な科学者たちによって推定された 1610年以降の総太陽放射照度は、マウンダー極小期に最小値を示して以来、約1.3W / m2の増加を示している。これは、地球の総土質量を考慮に入れると、膨大な量のエネルギーだ。
・黒点が多くなる場合、太陽の明度が増加し、太陽風が地球を暖める傾向があるために、地球の大気に多くのエネルギーを送る。太陽活動は地球に多くの点で影響を与えることは確かだが、まだ理解されていないものがある。
・アメリカ国立地球物理データセンター.(NGDC)の予測によると、次の太陽活動周期であるサイクル 24と 25は非常に弱くなる。これは、数値からの計算では、平均 0.5 〜 0.7℃の地球の温度低下につながると考えられており、特に北半球では大気の温度が低くなる。スイスのジュネーブでは 1.5℃低下すると予測される。
論文「全太陽放射の変動に対する太陽系振動の影響 」より
The Influence of Solar System Oscillation on the Variability of the Total Solar Irradiance
・西暦 1000年から現在までの太陽活動極小期と地球の気候とには密接な関係があり、過去のデータは、黒点の少ない太陽活動の減少期は寒冷期が続き、多くの黒点がある高い太陽活動の時期は暖かい気候の期間と関係していた。
・1940年に始まった、宇宙線同位体データと黒点データを用いた研究によれば、現在(1940年から 2000年)は、太陽活動の最大の活動レベルを記録した比較的稀な事象の期間だった。
・現在と同様に高いレベルの太陽活動が観測されるのは、今から 4000 〜 8000年前になる。
・過去 11,500年間の期間では 27回の太陽活動極小期が確認されており、それは全体の期間の 17%を占める。
・過去約 1000年間のあいだのすべての太陽指標は、1920年から 1940年の間に太陽活動レベルが最も高かったことを示す。
・西暦 1700年から 2013年までの時間では、1760年、1840年、1930年、2000年に太陽活動レベルの最大値を示しており、これは約 80年ごとに太陽活動の最大値が出現することを示す。
論文「 過去3000年間の太陽活動と二重の原動力の強化」より
Reinforcing the double dynamo model with solar-terrestrial activity in the past three millennia
・太陽活動周期であるサイクル 21からサイクル 24の分析から得られた太陽磁場振動の 2つの固有ベクトルのサマリー曲線を使用して過去と現在を比較した。その結果、私たちの研究では、2020年から 2053年にかけて、太陽の活動極小期の発生を確信した。
論文「 宇宙線と太陽活動と地球の気候変動」より
Cosmic rays, solar activity, and changes in the Earth’s climate
(訳者注 / この論文は数式が並びまくっていて、理解できなかったので、翻訳はできないですが、数値の証左はともかく、そこから計算されたのは下のグラフということになります)
論文「政策の定義の基準となる太陽活動周期あるいはエルニーニョ南方振動」より
The Solar Cycle or El Niño Southern Oscillation (ENSO) as a Criterion for the Definition of Public Policies
・提示された資料と論議された論考を分析することから、太陽活動の周期は、長期的に地球の気候条件に影響を与えると結論付けることができる。太陽活動周期のサイクル5とサイクル24の類似点に基づけば、次の太陽活動周期であるサイクル24から サイクル25に対応する 2022年から 2034年は寒冷期間が長くなると予想される。
きりがないですので、このあたりまでとさせていただきますが、こういうような科学論文が1年間で 120も科学専門誌に掲載されていたという現状についてお知らせしたかったというようなことだとご理解いただければ幸いです。
               
In Deep 
https://indeep.jp/mini-ice-age-is-coming-soon-2018/












「過去3000年間加速し続ける地球の寒冷化を止めることはできない」
: 南極とグリーンランドの氷床コアが語る地球過去45万年のサイクルから見る「今はまさに氷河期突入直前」だという強力な示唆
2017/05/27 
・The Holocene context for Anthropogenic Global warming
最近、海外の SNS で話題となっているネット上の論文があります。
それは、NOAA (アメリカ海洋大気庁)のデータをもとに、過去 45万年の氷床コアのデータから地球の気温のサイクルを見つめ直したものです。
その内容は「現在の地球は過去 8000年の中で最も寒い」ことがわかると共に、これからの地球の気候を考える上でとても参考になるものです。
今回は前振り一切ナシで本文に入ろうと思います。
「なぜ、今、氷河期が近いといえるのか」ということや、地球の歴史が見せてきた「厳密な気候のサイクル」に驚かれるかと思います。
簡単に書けば、
「地球という場所は、約10万年間の氷河期と、約1万年間の温暖期を繰り返している」
ということが、少なくとも過去 45万年の氷床の記録は示しているのです。
そして、今の私たちは 1万年の温暖期の「完全な最後の時期」にいることもわかります。
次の氷河期がすぐに迫っているということが、データは明白に示します。
あるいは、「なぜ、こんなにも気候が荒れてきているのか」ということも、この本文の中の文章で理解できる部分があります。
そんなわけで、本題に入りますが、文中に出てくる単語の説明だけは最初に記しておきます。
・完新世 – 完新世(かんしんせい)は地質時代区分のうちで最も新しい時代である。現代を含む。
・後氷期 – 後氷期(こうひょうき)とは、約1万年前から現代までの時代をさす。
・間氷期 – 氷期と氷期の間の比較的温暖な時期。現在は後氷期にあたるが、次の氷期の前の第四間氷期であると考えられている。
また、地球の寒冷化やミニ氷河期については、過去多くの記事を記させていただいていますので、翻訳の後に、個人的にピックアップした記事のリンクを示させていただきますで、ご参考いただければ幸いです。
The Holocene context for Anthropogenic Global warming
人為起源による地球温暖化のための完新世の背景
私たちの現在の有益で温暖な後氷期(1万年前から現在までを含む時代)は、過去1万年間、人類の文明の構築を可能にしてきた。
完新世の穏やかな気候は、人類の最古の農業から、最近 100年間の科学技術の急速な発展までを支え続けた。
しかし、今現在、グリーンランドの氷床に記録されるすべての北半球の氷床は、以下のことを示している。
・最後の千年紀である西暦 1000年 – 西暦 2000年の間は、後氷期の中で最も気温の低い 1000年であること。
・より最近の完新世では、紀元前 1000年頃の「気温の転換点」以来、以前の 20倍以上の 約 0.14 ℃の気温の低下を見せて現在に至っている。
・後氷期はすでに 10000年から 11000年続いており、前世紀の期間の長さから判断すると、完新世は終わりに近づいているはずだ。それは、今世紀かもしれないし、次の 1000年紀かもしれない。
・20世紀の終わりから、有意な気温の上昇がもたらされ、それは「人為的な地球温暖化警報」という捉え方に変わっていった。
・しかし、最終的には、この 20世紀後半からの気温の急上昇は、過去 3000年以上にわたる比較的急速な気温低下期間の長期的な進展の中では、小さな変動の一部として見なされるようになるだろう。
・NOAA 以外の機関から公表されたグリーンランドの氷床コアの記録もまた、この知見を裏づけている。
ある一部の人たちは、人為的な要因による地球温暖化の環境への悲惨な影響を警告しているが、その気温変動の規模を考えると、その最高の転換点とされる+ 2℃は、結局は、紀元前 1000年の頃の暖かい期間と似通った気候の水準に近づくというだけだろう。
最近の地質学的状況
南極のボストーク基地の氷床コアの酸素温度評価技術による解析では、以下のことがわかっている。
・過去 80万年間では、約 10万年の間隔で定期的な気温の変動があった
・過去 45万年間に、おそらく 5回の間氷期の温暖期があった
間氷期の温度の変化と持続時間は、それぞれ差異があり、いくつかの初期の間氷期では、 10,000年の基準よりもかなり短かった。
これらのデータから示されることは、
・〜10万年周期 北半球の多くが数キロメートルの深さの氷のシートで覆われている長い氷期の繰り返しパターン。
・〜1万年周期 短い期間の暖かい間氷期が続く。
というものだ。
これは太陽のより短い周期的な振る舞いによって調整されることがわかっており、地球の気候を支配するこれらの事実は十分に文書化されており、現在ではよく理解されている。
下は、過去12万年のグリーンランドの氷床コアが示す北半球の気温の変化だ。
過去の間氷期の長さから判断すると、およそ 10,000〜 11,000年続いた完新世期は今、終わりに近づいているはずだ。
したがって、過去のサイクルから見れば、地球は再び完全な氷河に覆われる気候へ戻る時期が近づいている。
それは今世紀からかもしれないし、次の世紀かもしれないし、あるいは次の千年紀になるかもしれないが、過去のサイクルに従うのではあれば、予見は可能だ。
直近の 3000年で地球は急速な冷却を経験しているが、今後より寒冷な気候へと変化が継続していく可能性は高い。
寒冷化は、より強烈な悪天候につながる。 地球の極(南極、北極)と、熱帯の間の全体的なエネルギーの差は寒冷化によってのみ大きくなる。
そして、それにより大気中の安定性が低い状態になるため、悪天候が顕著になりやすくなる。
さらなる悪天候に加えて、来るべき寒冷期はまた人類全体と生物圏全体にとって非常に深刻な欠乏につながるだろう。
植物が成長する季節が短くなり、耕作面積が減ることにより、大きな影響が出る。
かつての寒冷期では、多くの生物圏が崩壊したが、直近、世界はこれらの悪条件と温度の限界上昇から回復し、20世紀後半は人類と生物圏にとって完全に有益な時代であった。
しかし、人為的な温暖化が過去 3000年の寒冷化を逆転すると期待するのは人類の傲慢だろう。
地球の寒冷化は加速し続けており、その傾向は継続すると考えるのが妥当だ。
ここまでです。
過去の寒冷化と氷河期関係の記事をいくつかピックアップさせていただいて、今回の記事を締めさせていただきます。

In Deep 
http://indeep.jp/coldest-millennium-in-8000-years-is-now-and-coming-soon-ice-age/





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