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2025年7月8日火曜日




 





Selva esmeralda: 七夕伝説
Gemini
2025年7月7日の七夕についてですね。
七夕は、本来、旧暦の7月7日に行われる行事であり、現在の新暦7月7日はまだ梅雨の最中にあるため、晴れて天の川が見えることはあまり多くありません。しかし、文化的な行事としては新暦7月7日に行われることが一般的です。七夕の主な天体は、牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)、そして天の川です。
 * 牽牛星(けんぎゅうせい)
わし座のアルタイル (Altair)。夏の大三角を構成する星の一つで、明るい白色の星です。比較的簡単に見つけることができます。
 * 織女星(しょくじょせい)
こと座のベガ (Vega)。夏の大三角を構成する星の一つで、非常に明るい白色の星です。夜空で最も明るい星の一つなので、すぐに見つけられるでしょう。
 * 天の川(あまのがわ)
実際には、私たちが住む銀河系の中心方向にある、無数の星々が帯状に集まって見えるものです。暗い場所で空が澄んでいれば、淡い光の帯として見ることができます。わし座とこと座の間を流れるように見えます。
2025年7月7日、東京での天体の見え方
 * 日没: 2025年7月7日の東京の日没は午後7時頃です。
 * 夜空の暗さ: 空が完全に暗くなるのは日没から1時間半~2時間後くらい、午後9時頃からになります。
 * 月の状況:
2025年7月7日は、月齢12.2の月が昇っています。満月(7月11日)に近い、非常に明るい月です。月の出は東京で午後3時25分、月の入りは翌日午前3時20分です。そのため、一晩中、非常に明るい月が空を照らしていることになります。
2025年七夕の観測条件
残念ながら、2025年の七夕は、月明かりの影響が非常に大きく、天の川を見るのは極めて難しいでしょう。アルタイルやベガといった明るい星は月明かりの中でも見えますが、天の川の淡い光は月明かりにかき消されてしまいます。
もし晴れていれば
 * 見るべき天体:
   * こと座のベガ(織女星):天頂近く、高く昇っています。非常に明るいので、すぐに見つかります。
   * わし座のアルタイル(牽牛星):ベガの南東方向、少し低い位置に見えます。こちらも明るいです。
   * はくちょう座のデネブ: ベガとアルタイルとともに「夏の大三角」を形成する星です。
月明かりの影響は避けられませんが、もし晴れていれば、東京でもベガとアルタイルが輝いている姿を見上げ、七夕の物語に思いを馳せることはできるでしょう。可能であれば、月が昇る前(日没後すぐで空が完全に暗くなる前ですが)や、月が地平線に近い時間帯、あるいは月明かりの影響が少ない場所に移動できれば、少しは条件が良くなるかもしれません。
しかし、七夕の日の夜は、天候と月齢を考慮すると、天の川の観測にはあまり適していないことをご承知おきください。

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七夕物語
2018-06-28 06:59:55 | 年中行事・節気・暦
七夕の二星の物語については、粗筋を知らない人はいないでしょう。ネット情報には中国の七夕伝説と日本の棚機津女伝説が融合して、現在知られている物語になったと説明されていますが、もともと「棚機津女(たなばたつめ)伝説」は折口信夫という民俗学者が『水の女』という論文で唱えたことであって、20世紀に突如として創作された「伝説」です。ネット情報の筆者は、読んだこともない棚機津女伝説をさも見てきたかのように書いていますが、誰一人として棚機津女伝説なるものを原典で確認したことなどないのです。見たこともないのに、よくもまあぬけぬけと書けるものよと、本当に呆れてしまいます。恥ずかしくないのでしょうか。もし本当に伝説があるなら、この現代のことですから、「棚機津女伝説資料集成」というような資料があってもよさそうなものですのに、そんな物は一切存在しません。『万葉集』には七夕の物語が反映されているのですから、その頃のことが折口が説いている程に詳しく歴史的な根拠に基づいて明らかになっているというなら、歴史学が放って置くはずがないではありませんか。七夕の風習も立派に歴史の一部なのですから。しかし歴史学者は折口の説く「棚機津女伝説」など一顧だにしません。学術的には全く史料的価値を認めていないのです。一部の民俗学者がさもその伝説が現在まで伝えられてきたと説いていますが、伝えられてきたこと自体を示す史料を提示しているわけではありません。いや、そんなはずはないと思われるならば、ここまで言われて憤慨されるのであれば、折口が説くような伝説があったことを示す7世紀の文献史料を示して見せて下さい。そんな文献はない。あくまでも伝説であるというなら、それが『万葉集』の頃まで遡れることをどの様に証明するのですか。伝説・伝承の決定的欠点は、いつまで遡れるか確かめようもないということです。また伝承として伝えられたこと自体を証明する史料が不可欠なことです。もしその史料がないとしたら、誰か著名な学者が仮説として説いたことが、数世代経つと仮説ではなく伝承となり、いかにもその伝承の内容が昔からあったことにされてしまうのです。
七夕の風習は遅くても7世紀には日本に伝えられているのですから、習合したというからには、その頃の棚機津女伝説の史料がなければなりません。しかしそのようなものはありません。ただ神のための布を織る棚機津女という女性が存在したことは、『万葉集』『古語拾遺』などの古文献により確認できます。拙文をお読み下さっている皆さん、神の一夜妻となって村人の罪穢れを浄める棚機津女という神聖な女性がいたなどという出鱈目な説に欺されないようにして下さい。かなり過激な言葉を使っていますが、誰か反論でもしてくれないかという意図があるからです。そこで今日は中国伝来の七夕伝説がどのようにして形を整えてきたのかについてお話しします。
■七夕物語
星祭である七夕には、牽牛(けんぎゆう)(日本名は彦星)と織女(しよくじよ)(織姫星)の二つの星が主役となる物語が伝えられています。中国の文献には早い時期から牽牛(けんぎゆう)と織女(しよくじよ)の記述が見られます。その中のいくつかを古い順に御紹介しましょう。まず紀元前9~7世紀の詩を集めた『詩経』という書物には、「織女星は一日に七回も機(はた)にのぼっても、文様を織り出すことができない。牽牛星も車を牽(ひ)かない」と詠まれています。紀元前4~3世紀の詩文を集めた『文選(もんぜん)』という書物には、「牽牛星と織女星は輝いているが、織女星は(牽牛星を恋しく思うあまりに)一日織っても文様ができずに涙が流れる。天の川は浅く清いけれども、二人は逢うことができず、語ることもできない」と記されていて、話が少し具体的になりつつあります。紀元前2世紀の『淮南子(えなんじ)』という書物には、織女が鵲(かささぎ)の橋を渡って牽牛に会うと記されています。6世紀の『荊楚歳時記』には、七月七日には牽牛と織女が逢うと記され、さらに多くの書物を引用して、織女は天帝の孫であり、「天河」(天の川)で逢うこと、牽牛が織女を娶(めと)ったこと、織女が「瓜果」を掌(つかさど)ることが記されています。そして、同じく6世紀の梁という国の殷芸(いんうん)が著した『小説』(明代の『月令広義』という書物に逸文として引用されている。)という書物には、次のように記されています。「天の川の東に天帝の娘の織女がいて、忙しく機織りをしていた。天帝は独身であることを憐れんで、川の西の牽牛と結婚させた。しかし機織りをしなくなったので、天帝は怒って川の東に帰らせ、一年一度だけ会うことを許した」。ここまで来れば、現代に知られている七夕の物語と同じです。中国では千数百年もかかって少しずつ物語らしく形を整えてきたことがわかります。
史料「七夕の物語」
①「迢迢(ちようちよう)(遙かに高いこと)たり牽牛星、皎皎(こうこう)(光り輝くこと)たり河漢(かかん)(天の川)の女(むすめ)、繊繊(せんせん)として素手(きゃしゃな白い手)を擢(あ)げ、札札(さつさつ)として(さっさっと音を立てながら)機杼(きじよ)(機織り具)を弄(ろう)す、終日章(しよう)(布の文様)を成さず、泣涕(きゆうてい)(涙)零(お)つること雨の如し、河漢は清く且つ浅し、相去ること復(ま)た幾許(いくばく)ぞ、盈盈(えいえい)(水が満ちていること)として一水の間、脉脉(ばくばく)(情感のこもったまなざしで見ていること)として語るを得ず」(『文選』「古詩十九首其十」)
②「天河の東に織女有り、天帝の女(むすめ)なり。年々机(き)杼(ひ)(横糸を通す機織具)を労役し、云(うん)(雲)錦(きん)の天衣を織り成す。天帝その独居を怜(あわれ)みて、河西の牽牛郎に嫁(か)すを許す。嫁して後遂に織紉(しよくにん)(織ったり縫ったりすること)を廃すれば、天帝怒りて、河東に帰さしめ、一年一度相会ふことを許す」(殷芸(いんうん)著『小説』)
このような物語は7世紀には日本に伝えられていました。『日本書紀』に記された持統天皇五年(691)の七月七日に行われた宴が、日本最初の七夕の行事である可能性がありますし、『万葉集』には柿本人麻呂が「庚辰の年」(680年)に詠んだ七夕の歌(『万葉集』2033)があり、そのことを裏付けています。『万葉集』には約130首の七夕の歌があります。それらの歌は、織女と牽牛の年に一度の出会いに自分の恋を重ね、恋の歌として詠まれたものがほとんどで、中国伝来の七夕の物語が早くから広く知られていたことがわかります。
いかがですか。七夕の物語の中には、日本的要素などほとんどありません。強いてあげれば、中国では織女が川を越えて逢いに行くことになっていますが、日本では牽牛が舟に乗って川を越えることになっています。これは当時の日本に結婚形態を繁栄しているためです。
#日記

うたことば歳時記
https://blog.goo.ne.jp/mayanmilk3/e/76dfcc7a16efdf2239c2f9990a635136













七夕伝説の原典とも言える「迢迢牽牛星(ちょうちょうたるけんぎゅうせい)」
2024-12-28 10:32:27 | 日記
七夕伝説の原典とも言える
「迢迢牽牛星(ちょうちょうたるけんぎゅうせい)」
迢迢牽牛星 皎皎河漢女
織織擢素手 札札弄機杼
終日不成章 泣涕零如雨
河漢清且浅 相去復幾許
盈盈一水間 脈脈不得語
遠くのアルタイル星 明るい川の乙女
教壇の細い手 坐機の織機
一日中、一章も書けず 突かれた豚のように泣く
川は澄んで浅い どのくらい遠いのだろう
水の間 私はそれについて一言も言うことができない。
遠くて明るい星アルタイル、明るくて遠い星ベガ。織女は柔らかで長く白い手を振り、機織り機は絶え間なく鳴っている。愛への憧れのあまり、彼女は一日中どんな模様も織ることができず、泣きじゃくる涙が雨のように降り注ぐ。天の川の両岸を隔てる唯一のものは、川の両岸がどれくらい離れているか。.浅く澄んだ天の川の両側で、二人は愛情をこめて、言葉もなく見つめ合う。
アルタイルとベガはもともと2つの星座の名前だった。中国では、牽牛星と牽牛星の民話は非常に古い起源を持つ。詩書-小雅-大同』にはすでにアルタイルと織姫のことが書かれているが、まだ2つの星としか書かれていなかった。春秋元命苞』や『淮南子俶真』では、織女は女神であると書かれるようになった。
そして、曹丕の『燕哥行』、曹志の『洛神符』、『九傳』では、牽牛と織女は夫婦になっている。 曹志の『九韻』には、「アルタイルが夫で、機織りの乙女が妻である。
機織りの乙女とアルタイルの星は、それぞれ川の太鼓の側にいて、7月7日に逢瀬を得る」とあり、これは当時最も明確な記録であった。
漢末から三国時代にかけて、牽牛星と牽牛星の物語はすでに完成していたのであろう。牽牛星への遠い道』という詩は、牽牛星と機織り乙女の物語に基づいている。この詩は十九古詩の一つである。 十九首の中に表現されている情緒的な傾向、そこに反映されている社会生活、洗練された芸術的技巧などから、この十九首は漢の末期、献帝の建安時代以前の数十年間に作られたと一般に考えられている。
東漢末期、外戚や宦官の独裁により、中下層知識人の政治的未来はほとんど閉ざされていた。そのため、牛飼いと機織りの乙女の神話は、夫婦の別れの悲しみを表現するために使われた。
牽牛星遠路」は漢代の学者が詠んだ五言絶句で、十九古詩の一つである。
この詩は、神話や伝説に登場する「牛飼いと機織りの乙女」が天の川によって引き離されるという悲劇を借りて、女性の別離と恋慕の情を表現し、再会できない地上のカップルの悲しみを書いている。行間には、ある種の不満と抵抗が感じられる。詩人は、牛飼いと機織りの乙女の神話にまつわる天の川と機織り機を手に取り、機織りの乙女は身内を思う気持ちはあっても機織りをする気はなく、川を渡って水面に向かって嘆息すると書いているが、これは家族を捨てて遠くへ行ってしまった夫に対する地上の別離した女性の気持ちを例えたものである。詩全体は、想像力、余韻、婉曲的な表現、独特な領域に富んでおり、恋情と郷愁の詩の中では新しいスタイルである。
参考文献
文選 詩篇(五)、岩波文庫(2019)
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Selva esmeralda, el dia que me quieras
https://blog.goo.ne.jp/kiizuka1963/e/614863fc137abf43268a311752fb70eb












鍛えられて成功する星
2015年05月17日 | 算命学 あれこれ
以前、千原ジュニアさんのお話をした時に「絶中に生あり」と呼ばれる干支のお話をしたことがあると思います(^^)最近映画にも主演されるなど順調に役者としてのキャリアを積んでいるHey! Say! JUMPの山田涼介さんもこの干支をお持ちの方。彼の陰占と陽占を見てみましょう。


  庚 丁 癸
午 寅 巳 酉 戌
未 戊 戊 辛 亥


    調舒星 天将星

龍高星 龍高星 石門星

天馳星 牽牛星 天貴星


この「庚寅」に生まれた方は、追い詰められても最後に活路を見出すとされる方。晩年期、つまりご本人の本質は「天馳星」で最身弱ですが、実は運は悪くないと言われています。最身弱ではあっても、やはり“鉄鋼金”である「庚(こうきん)」なので、練磨する事で力を発揮します。なので、“鉄を鍛える”のに必要な火である「丁(ていか)」が天干に出ているのは非常に幸運。しかも、この「丁」の器に入っているのは「牽牛星」。
実は、「丁」に入った「牽牛星」は、周囲の人より飛び抜けて有名人になる要素があると言います。“孤独性を秘めた自尊心”と呼ばれますが、この“孤独性”こそ、スターの要素。さらに、中心と西方にある「龍高星」は「戊(ぼど)」の器に入っていますね。この「龍高星」は、現状に不満を持っていても、忍耐力・我慢強さは人一倍あると言われます。
このように耐えて内に溜まったパワーは、「芸術方面」に才能として発揮され、このような発揮をすることが本人の満足につながるとされます。しかも、才能は芸術の星である「調舒星」に集中していますから、彼が芸能界に向いている事は疑いようもありません。役者としてテレビに出だした頃から、印象が強く、人を惹きつける雰囲気をお持ちだな・・・とは思っていましたが、やはりスター性や芸術性は抜きん出たものがあったのですね。
山田さんについての色々な記事を読むと、それでも、彼はいきなりの大抜擢ではなく、「努力の人」として知られているようですね。毎日のようにダンスの自主練をしたり、いつ代役に抜擢されても良いように自分が出ていない曲の振り付けを覚えたり、いざ代役を任されたときは驚くような短期間で二十曲以上の振り付けを覚えたり。一般論として、姉と妹に挟まれた男の子というのは、とても優しい子に育つ反面、ハングリー精神には欠けがち。ただ、先ほどお話したように、彼は鍛えられて初めてモノになる「庚寅」をお持ちです。はじめはダンスレッスンでも自分の姿が鏡にも映らないような端っこで踊らされ、いつも生き残りに必死だったという山田さん。普通に暮らしていれば発揮されなかった力が、ジャニーズのように競争の激しい世界に入り、鍛えられることで本来の力を発揮したのでしょう。何より、我慢強い「龍高星」の力もあったと思いますが、彼自身が腐ったり、投げ出したりせず、必死で食らいついて行った事が成功を引き寄せたのだと思います。どんなに素晴らしい星をお持ちの方でも、やはり「努力に勝る天才なし」なのですね(^^)

玉陽庵 算命学ブログ
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続・生涯に渡って影響を与える星(★修正あり)
2014年11月18日 | 算命学 あれこれ
昨日は、自分自身には無い星が大運の初旬に廻っていた場合、
その星は生涯にわたって影響を与えるというお話をしました。
ただ、これはあくまでも衛星のように自分の星々の周りを回っているもので自分の星とまったく同じではない、ともお話しました。
この例として挙げられるのが、登山家・冒険家として有名な植村直己さん(1941-1984)。数々の困難な登山、冒険を成し遂げ、北米最高峰のマッキンリーで世界初の冬期単独登頂を果たしながらも、そのまま行方不明となってしまった彼の事は、多くの方が知っておられると思います。
彼自身の星は、牽牛星、貫索星、石門星(二つ)と禄存星の五つ。本来、冒険家にふさわしい「龍高星」を持っていません。では、何が彼を冒険に突き動かしたか、というと、やはり大運(10年運)の初旬に
「龍高星」が廻っているのです。この星があったからこそ、彼は冒険家となり、数々の冒険を成功させて行ったのでしょう。
誰しも、ある職業に就いた場合、やはりその職業への適性がなくては成功者とはなり得ません。算命学でも、適性や適職についてはいくつもの占術が存在します。中でも、その職業にふさわしい星を持っているかどうかは、重要です。たとえば、トレーダーなどで成功するには、大きな財を動かすことのできる「禄存星(ろくぞんせい)」が必要です。学者として成功するなら、学問の星である「玉堂星(ぎょくどうせい)」は必要ですし、芸術家ならば繊細な感性の「調舒星(ちょうじょせい)」は必須。
レストランを経営するなら美食家の星である「鳳閣星(ほうかくせい)」が必要ですし、シェフになるなら、生き物を捌くことのできる「龍高星(りゅうこうせい)」が必要。このように、その職業に必要な星をお持ちの方は、その才能を発揮し、その職業を全うすることができます。
(もちろん成功の度合いは、その方の努力や、勝負をかけるタイミング等、色々な要素で左右されます)
それでは、植村直己さんの場合はどうなのか?確かに、大運の初旬に冒険家の星が廻っていて、生涯にわたって影響は受けていました。ただ、このように衛星のように廻る星は、ある意味実体のない、幻のような存在なのです。その星の精神的な部分を大いに活用することはできても、「実」の部分は使えないと言われています。例えば、もしも上で挙げた「禄存星」が衛星のように廻っていた場合、「回転財」という部分ではなく
「広い範囲での愛情奉仕」という部分しか活用できないのです。植村直己さんの「龍高星」も、「冒険家、放浪」の部分ではなく、「創造性、改革、異文化」などの精神的な部分の活用であれば問題はありませんでした。ただ、「冒険」という部分は正に「実」の部分。彼が危険な冒険を最後までやり遂げ、冒険家としての人生を全うするには、やはり「衛星のように廻る星」では、力不足だったのです。
このように、大運の初旬で廻る星は影響力はあっても、本来持っている星とは活用の仕方に
大きな違いがあります。
単純に自分の星として加算してはならない、ということを、どうか忘れないでくださいね。
★2015年1月9日 追記★
シェフに必要な生き物を捌くことのできる星を「車き(車へんに奇)星(しゃきせい)」としていましたが、
正しくは「龍高星」でした。
お詫びして訂正いたします。
大変失礼いたしましたm(_ _)m
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2025年7月7日月曜日





Forbes: 7月17日ペルセウス座流星群が始まる
ペルセウス座流星群が流れ「牡鹿の月」が昇る 太陽が最も小さくなる7月の空
2025.07.02 17:05
Jamie Carter | Contributor
北半球で夜、屋外に繰り出して空を見上げるのにおあつらえ向きの季節がやってきた。今月は、水星、金星、火星、木星、土星が織りなすスペクタクルから「バックムーン」の満月、月とプレアデス星団の美しい共演、相次いで極大を迎える流星群まで、見どころが満載だ。2025年7月の天体観測と星空についてまとめた。
1. 地球が遠日点通過
日時:2025年7月4日(金)
方角:太陽(日食メガネが必要)
この日、地球は遠日点(aphelion)に到達し、1年のうちで最も太陽から遠ざかる。これは、地球が太陽の周りをわずかながら楕円軌道を描いて公転しているために起こる現象だ。遠日点の地球は、太陽から約1億5200万km離れている。半年後には、太陽に最も近づく近日点を通過し、互いの距離は約1億4700万kmに縮まる。
その差はたった3%程度だが、4日の空に輝く太陽はわずかに小さく見えるだろう。もし日食グラス(日食メガネ)が手元にあれば、今年最も小さい太陽を観察してみてほしい。
2. 火星と水星
日時:2025年7月5日(土)の日没後
方角:西
日没から約30分後の西の空を見ると、赤い火星と青白いしし座の1等星レグルスが少し離れて光っている。この2つの星を線で結び、そのまま右下へ向けて地平線近くまで伸ばしていくと、そこに水星が見つかるはずだ。水星は太陽に近く、薄明の短い時間しか見えないため「すばしっこい惑星」の異名をとるが、4日に東方最大離角となったばかりで今は比較的見つけやすい。
3. 金星とすばるが共演
日時:2025年7月6日(日)の日の出前
方角:東
もし日の出より早く起きられるなら、東の空を見てほしい。おうし座のプレアデス星団(すばる)の下に、明るい金星が輝いている。肉眼で見ても双眼鏡で覗いても美しい散開星団と「明けの明星」の共演は、実に壮観で見ごたえがある。
4. 「バックムーン」の満月が昇る
日時:2025年7月11日(金)の月の出
方角:南南東の地平線
夏が始まって最初の満月だ。米先住民の農事暦で「バックムーン(牡鹿の月)」と呼ばれる7月の満月は、日本時間11日午前5時37分に「望」の瞬間を迎える。ただし、見るべきは月の出である。大きなオレンジ色の球体が東の空を昇っていく絶景を拝もう。夏至にまだ近い時期の満月なので、南中高度は低い。
5. ペルセウス座流星群が始まる
日時:2025年7月17日(木)
方角:北東
名高いペルセウス座流星群が極大を迎えるのは8月に入ってからだが、流星は7月17日頃から出現し始める。翌日が下弦の月とあって、夜遅くまで月明かりの邪魔が入らず、ペルセウス座流星群の最初の火球を見つけやすいだろう。
6. 月と土星が出会う
日時:2025年7月16日(水)深夜~17日(木)未明
方角:東
夜遅く、ややふくらみを残した半月が東から土星と並んで昇ってくる。土星は月の右側で黄色っぽい光を放っている。
7. 細い月とすばるが出会う
日時:2025年7月21日(月)の日の出1時間前
方角:東
細く華奢な下弦の月が、きらめくプレアデス星団(すばる)に寄り添う。月の影の部分は、地球の海や氷冠、雲に反射した太陽光に照らされて幽玄な光をまとっているだろう。これを「地球照」と呼ぶ。
8. 金星が最大高度
日時:2025年7月26日(土)の日の出前
方角:東
「明けの明星」として夜明け前の空に輝く金星の高度がこの日、最も高くなる。日の出の45分前に東の空を見ると、地平線から約25度の位置にまばゆく輝いている。
9. 三日月と火星
日時:2025年7月28日(月)の夕方~宵
方角:西
細い上弦の月が日没後の西の空にかかり、そのすぐ左上に火星が見える。火星の最大の見ごろはもう過ぎてしまったが、赤い輝きはまだ見間違いようもない。月の影の部分は「地球照」に照らされて、かすかに光って見えるだろう。
10. 2つの流星群が同時に極大
日時:2025年7月31日(木)未明
方角:全天
みずがめ座δ(デルタ)南流星群と、やぎ座α(アルファ)流星群という2つの流星群が今宵、ともに極大となる。みずがめ座δ南流星群は1時間に最大20個、やぎ座α流星群は1時間に5~10個の流れ星が観測できる可能性がある。
(forbes.com原文)
翻訳・編集=荻原藤緒
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Forbes
https://forbesjapan.com/articles/detail/80304/page2






Gemini
◆ペルセウス座
ペルセウス座は、秋から冬にかけて見やすい星座ですが、ペルセウス座流星群の時期である8月でも、深夜から明け方にかけて北東の空に昇ってきます。
✔ペルセウス座の見つけ方
 * カシオペヤ座を目印にする: 「W」または「M」の形をしたカシオペヤ座は、北の空で見つけやすい星座です。ペルセウス座は、このカシオペヤ座の南東方向(カシオペヤ座から見て右下あたり)に位置しています。
 * アンドロメダ座からたどる: 秋の四辺形からアンドロメダ座をたどり、その足元近くに、片方の腕を振り上げる人のような形の星の並びを探すと見つけられます。
 * 明るい星を目印にする: ペルセウス座には、2等星のミルファク(α星)や、明るさが変わることで知られる変光星アルゴル(β星)など、比較的明るい星があります。これらの星を目印に探してみましょう。
 * 星座早見盤や星空アプリの活用: 星座の位置は季節や時間によって変わるため、星座早見盤やスマートフォンアプリなどを活用すると、より簡単に見つけることができます。
ペルセウス座流星群の放射点について
ペルセウス座流星群の流星は、ペルセウス座にある「放射点」から放射状に飛び出してくるように見えます。この放射点は、ペルセウス座のγ(ガンマ)星やη(エータ)星の近くに位置しています。流星は放射点付近だけでなく、空全体に現れるため、空の広い範囲を見渡すようにすると良いでしょう。
◆ペルセウス座流星群
ペルセウス座流星群とは
ペルセウス座流星群は、しぶんぎ座流星群、ふたご座流星群と並んで「三大流星群」の一つに数えられる、毎年安定して多くの流星が見られる流星群です。特に夏休み期間に活動が活発になるため、観測しやすいことでも人気があります。
 * 母天体(親となる彗星): スイフト・タットル彗星 (109P/Swift-Tuttle)
   この彗星が軌道上にばらまいたチリの中を地球が通過することで、チリが大気圏に突入し、流星として輝きます。
 * 流星の色: 白っぽい流星が多く、速度が速いのが特徴です。
   中には、流星が通過した後に光の跡(流星痕)が残ったり、非常に明るい火球(非常に明るい流星)が見られたりすることもあります。
 * 放射点: 流星が空の1点から放射状に出現するように見えるその地点を「放射点」と呼びます。ペルセウス座流星群の放射点は、名前の通りペルセウス座にあります。
   夜遅くから明け方にかけて、北東の空高くに昇っていきます。放射点が高くなるほど、見える流星の数は増える傾向にあります。
✔2025年の観測条件について
2025年のペルセウス座流星群は月明かりの影響が大きいため、観測条件は例年と比べてあまり良くありません。
 * 極大: 2025年8月13日(水) 午前5時頃と予想されています。
 * 月齢: 極大時、8月9日に満月を過ぎた明るい月(月齢19前後)が一晩中空に昇っています。
   月明かりは流星の光をかき消してしまうため、普段なら見えるはずの暗い流星が見えにくくなります。
それでも観測を楽しむために
月明かりがあるからといって、全く見えないわけではありません。ペルセウス座流星群は比較的明るい流星が多いので、以下の点に注意して観測に挑戦してみましょう。
 * 月を視界に入れない: できるだけ月を背にするようにして、月と反対側の、暗い空を広く見渡すようにしましょう。
 * 暗い場所を選ぶ: 街灯りや建物の光が少ない、できるだけ暗い場所(公園、河川敷、山間部など)を選ぶことが重要です。
 * 目を慣らす: 暗い場所に行ってから、目が暗闇に慣れるまでには15分~30分ほどかかります。その間は、スマートフォンの画面など、強い光を見ないようにしましょう。
 * 長時間粘る: 流星はいつ、どこに現れるかわかりません。時間を許す限り、根気強く空を眺めることが大切です。特に、放射点が高くなる深夜から明け方にかけてがチャンスです。
 * 快適な姿勢で: 寝転がって空を見上げられるような、敷物やリクライニングできる椅子などがあると、首が疲れにくく、リラックスして観測できます。
2025年は少し条件が厳しくなりますが、夏の夜空を彩る美しい流星をぜひ楽しんでみてください。
◆2025年のペルセウス座流星群
2025年のペルセウス座流星群についてですね。
2025年のペルセウス座流星群の主な情報
活動期間: 7月17日頃から8月24日頃まで活動が活発になります。
✔極大(ピーク):
最も多くの流星が見られると予想されているのは、2025年8月13日(水) 午前5時頃です。そのため、観測におすすめの時間帯は、8月12日(火)深夜から13日(水)明け方にかけて、特に午前0時~4時頃です。その前後、8月11日(月)や13日(水)の深夜から明け方にかけても、数は減りますが流星が見られる可能性があります。
✔観測条件:
2025年は、極大の時期に月明かりの影響が大きく、観測条件はあまり良くありません。8月9日に満月を過ぎた明るい月(月齢19前後)が一晩中昇っているため、流星が見えにくくなる可能性があります。しかし、ペルセウス座流星群は明るい流星が多く、火球が見られる可能性もあります。観測する際は、できるだけ月を背にして、広い範囲の空を眺めるようにすると良いでしょう。
 * 放射点: ペルセウス座に位置しており、夜遅くから明け方にかけて北東の空高く昇っていきます。放射点が高くなるほど流星の数が増えます。
 * 母天体: スイフト・タットル彗星です。
 * ZHR(天頂出現数): 理想的な条件下では1時間あたり100個程度とされていますが、月明かりの影響で実際に観測できる数は少なくなる可能性があります。
✔観測のコツ
 * 場所: できるだけ街明かりの少ない、暗い場所を選びましょう。
 * 時間: 極大の時間帯はもちろんですが、放射点が高くなる深夜から明け方がおすすめです。
 * 準備: 敷物やリクライニングできる椅子などを用意し、寝転がってゆったりと空全体を眺めると良いでしょう。長時間外にいる場合は、防寒対策も忘れずに。
 * 目の慣れ: 暗い場所に移動してから目が暗闇に慣れるまでには15分~30分ほどかかります。スマートフォンなどの光を見ないように注意しましょう。
月明かりの影響はありますが、明るい流星が見られるチャンスですので、ぜひ観測に挑戦してみてください。

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真夏の天体ショー・ペルセウス座流星群がピーク 14日未明まで見頃
2022/8/13(土) 10:30
ペルセウス座流星群が夜空に瞬き、光跡を残した=13日午前0時51分、京都府京丹後市(渡辺恭晃撮影)
夏の夜空の風物詩「ペルセウス座流星群」がピークを迎え、13日未明、尾を引いて輝く流星が多数観測された。今年は満月の時期と重なって月明かりがあり、観測条件は良くなかったものの、京都府京丹後市の経ケ岬(きょうがみさき)には天文ファンらが集まった。瞬く流れ星を写真に収めたり、眺めたりして夜空を彩る天体ショーを楽しんでいた。
ペルセウス座流星群は三大流星群の1つで、かつて彗星(すいせい)が残したちりの帯の中を、毎年8月に地球が通り過ぎるため起きる。今年は14日未明までが見頃という。
最終更新: 8/13(土) 10:30
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