2019年2月6日水曜日

Billy Meier(ビリー・マイヤー)交信記録: 地球が氷河期にはいる理由


Introduction
Contact Reports volume: 5 (Plejadisch-plejarische Kontakberichte, Gespräche, Block 5)
Page number(s): All
Date/time of contact: Saturday, February 28, 1987, 2:09 AM
Translator(s): Benjamin Stevens et al.
Date of original translation: Ben translated portions in bold by Sunday, January 31, 2010
Corrections and improvements made: N/A
Contact person: Quetzal
Synopsis
This is the entire contact.
Two versions are presented: an authorised but unofficial translation by Benjamin Stevens and two authorised and official extracts.
Contact Report 215 Translation

Future of Mankind
http://www.futureofmankind.co.uk/Billy_Meier/Contact_Report_215







(要約)
Billy Meier(ビリー・マイヤー)交信記録: 地球が氷河期にはいる理由
1987年2月28日(土)2:09 AM
コンタクトレポート数:5(Plejadisch-plejarische Kontakberichte,Gespräche,ブロック5)
連絡日時:1987年2月28日(土)2:09 AM
翻訳者:Benjamin Stevens他
更新日:2010年1月31日日曜日
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担当者:Quetzal
Billy Meier :
それからもう一つの質問:何が氷河期を実際に引き起こすのですか?
Quetzal:
125.氷河期は,太陽の周りを廻るの地球の公転軌道の変動による気候変動から生じる。
Billy Meier :
Quetzalさん,あなたは,マンモス絶滅の原因が人類であると共に,気候変動の原因もまた人類であると言いました。
Quetzal:
その通りだ。
人間は絶滅するまでマンモスを殺し続けたが,最終的な絶滅の引き金になったのは気候変動によってであった。
Billy Meier :
マンモスは,約1万年前に消えました。
Quetzal:
最後のマンモスは,今日のソビエト連邦のはるか北にある島で生息していた。3,500年前の事だ。
しかしマンモス絶滅の最大の原因は人間だ。
約1万年前,マンモスは人間の狩猟によって激減した。
人間はマンモスを狩ったのは,その肉,皮,骨のためだった。
肉はおいしい食べ物として,皮や骨は小屋の建造に有用であった。
マンモスが滅びた大きな原因は人間による乱獲であったといえる。
。。。
すでに述べたように,巨大な自然災害,火の壁,激しいハリケーンが全米で荒れ狂い,さらに,科学が進化した世界でおきる戦争はそれ以前の千倍の死,破壊,絶滅をもたらすだろう。
米国最大の都市はかならず破壊され,そして暴風雨は大災害を引き起こすだろう。
深刻な地震や火山の噴火も当時のものであり,地上のあらゆる自然や地球そのものが,地上の人間の狂気に牙を剥く。
そして破壊,荒廃,苦しみ,悲惨さ,死が起こる。
竜巻,地震,火山噴火がおきるのは米国だけでなく,欧州をはじめとする世界各地で激増するだろう。
これらの活動は,現時点(1987年),もっと言えば過去数十年でにすでに始まっている。そして,将来ますます破壊的になるだろう。
環境破壊の原因は人間をおいて他にない。
今まではそうだったし,これからも,自然,大気,水をはじめとする地球のすべての資源を破壊するのは人間をおいて他にない。
例えば,川をせき止めダムを造る。
例えば,地下を掘って石油やガスを採る。
採った結果,地下の石油やガスが蓄えられていた空間は空洞になる。
地球にできた空洞によって重心が移動する。
それによって,地球内部で不自然な動きが起きる。
不自然な構造は,地震,火山噴火,気候変動を引き起こし,結果的に破壊的なエネルギーを全世界に解放する。
巨大な洪水や異常降雪はますます増加する。
そして最終的には赤道直下の地域でさえ降雪がみられるようになるだろう。
気象変動のもうひとつの原因は,人間による原子爆弾の地下爆発によるものだ。
この地下爆発が原因で,地球はごくゆっくりではあるが,自らの公転軌道から少しづつ外れていっているのだ。
現在(1987年)の段階で,この現象はすでにはじまっている。
そして人間がそれをつづけていけば,気候の変化を引き起こし,新しい氷河期をもたらす。
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地下を掘って石油やガスを採る

採った結果,地下の石油やガスが蓄えられていた空間は空洞になる

地球にできた空洞によって重心が移動する

それによって,地球内部で不自然な動きが起きる

不自然な構造は,地震,火山噴火,気候変動を引き起こす

結果的に破壊的なエネルギーを全世界に解放する
(巨大な洪水や異常降雪はますます増加)

異常気象,新氷河期現象がおきる
Λ
地下爆発が原因で,地球は公転軌道から外れていく
Λ
人間による原子爆弾の地下爆発

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氷期と間氷期


・現在は第4氷河期の間氷期
氷河期中の寒い時期と温暖な時期(間氷期)の間隔には周期性があり,明らかに10万年周期の機械的なメカニズムが働いているが,これは
ミランコビッチ・サイクル
と言う天体運動の周期性により説明されている。
CO2温暖化説で今世界のみんなが大騒動しているが,最後の第四氷河期が始まったのが10万年前なのでミランコビッチ周期が正しいなら,
次の第五氷河期はいつ始まっても不思議ではない。
ミランコビッチの説は,地球の公転運動(地軸の傾きや離心率)の変化で,太陽から地球に届く輻射量(熱量)が変化するためだというものです。
CO2地球温暖化説は,地表から宇宙に逃げていく輻射量(熱量)だけを考えた説で,温暖化で海水面が暖められ雲量が増えると太陽からの地球に入ってくる輻射(熱量)が減るというような事は考えていないようですし,ましてや太陽から地球が受け取る熱量の変化などは全く考えていない大雑把なものです。
過去の人類の歴史で起こった『寒冷化』は,浅間山の大噴火のような大量の粉塵を巻き上げる天変地異(太陽からの輻射熱の減少)で地球が寒冷化し未曾有の大飢饉を引き起こしていた。
核戦争での大火災(大量のCO2を放出)や巻き上がった粉塵で『核の冬』が起こるとしたカール・セーガンの考え方も実際にあった過去の歴史を科学的に検証して出来上がっているのでしょう。  

雑学の世界
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den124.htm












・古墳寒冷期
日本や中国では3世紀~7世紀の間,天候が悪化し,冷涼化,降水量の増加が続きました。
この時期は中国や日本の歴史の中でも戦乱が多く混乱した時期であるが,その原因がこうした気候の冷涼化が契機となったという見方もあります。戦乱,そう,中国では三国志の時代,日本では倭国大乱の時代にあたる時代です。日本ではこの時期を古墳寒冷期と言う場合もあります。これは,太陽活動が不活発になった時期にだいたい一致します。 
・中世温暖期
西暦800~1300年は,現在並み,あるいはそれをやや上回る温暖な時期でした。
この現象は全地球的に見られたとされています。
この時期,ヨーロッパではノルマン人が大西洋を渡ってグリーンランドに入植しました。
また,この頃の大西洋には流氷がほとんど見られなかったと言われています。
当時のアイスランドではエンバクなどの麦類が栽培可能でした。
この温暖期を中世温暖期(Middle Ages warm epoch)と呼びます。
このときの太陽活動は,西暦1100~1300年には現在並みに活発だったとされています。
100年オーダーで気候を見ると,太陽活動が最も影響しているように見える。
また図1は昔の日記や年代記によってわかったサクラの満開時期から計算した,京都の3月の平均気温の推移です。
この時代はデータの数が少ないので精度は悪いが,それでも西暦1200年を中心に,気温の高かった時代があったことが定性的にわかりました。
おりしもこの時代は日本の平安時代。
のんびりとした時代が続いたのも,この中世温暖期のお陰だったのかもしれません。
そういえば,当時の貴族の館は『寝殿造り』と呼ばれる,いかにも風通しのよさそうな,というよりは寒そうな様式をしています。
こんな中世温暖期だったから,貴族も寒さに耐えられたのかもしれません。 
・小氷期
太陽の黒点が少ないことは太陽活動が不活発なことを意味しています。
西暦1300年以降,この太陽の黒点が急に少なくなり太陽活動が不活発な時期が繰り返してやってくるようになりました。
その時期は1320年頃,1460~1550年,1660~1715年,そして1800年前後である。
1320年頃の極少期をウォルフ極小期,
1460~1550年のそれをスペーラー極小期,
とくに西暦1660~1715年のおよそ70年間の太陽黒点がほとんど無くなった顕著な黒点極少期間をマウンダー極小期(Maunder minimum),
また一番最近の1800年前後の短い極少期をドルトン極少期
と,それぞれ呼びます。
この4つの時期は,サクラの満開日から推定した京都の気温(図1)の低かった時期とかなりシンクロしています。
サクラの満開日による3月の京都の気温は冬季の気温にかなり似た傾向を示すと思われますが,やはり,この太陽活動の不活発な時期は,世界的な気候悪化,寒冷化が見られた時代と,全般に一致したようです。西暦1300年以後,1850年までのこの期間を,小氷期(Little Ice Age)と呼びます。この時期には各地で氷河の前進が起きました。日本でも西暦1300年を過ぎると気候悪化が起こり,降水量が増えて,濃尾平野などでは河道変化が繰り返されるようになりました。
特にマウンダー極少期とその次のドルトン極少期にあたる1600~1850年の寒さの程度はものすごく,小氷期をこの時期に限定する場合もあります。
この時期,日本では大雪,冷夏が相次ぎました。
淀川が大阪近辺で完全に氷結したこともあります。
大阪の河内地方ではそれまで盛んであった綿作が,気候寒冷化・降水量増加にためにイネ・ナタネに転作を余儀なくされたとも言われています。
そういえば,この時期の大坂城代が雪の結晶を観察,絵にしているという話を聞いたこともあります。
そんなこと,現代では北海道でしかできないと思われます。
ともあれ,この時期,とくに19世紀初頭は寒かったようです。
日本では小氷期のうちでも最も寒冷な期間,たとえば1830年代と1980年代を比べると冬や春の平均気温は2℃程度,京都に限ると3.4℃も現在よりも低かったと推測されています。 

雑学の世界
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■氷期と間氷期
氷期(氷河期)・間氷期・温暖化
氷河期1・現在は間氷期・氷河期2/気候の移り変わり・寒冷期と温暖期・太陽黒点数の変化・大気CO2濃度変動・氷期間氷期サイクル周期・ミランコビッチ説・氷期間氷期サイクル基礎・氷期間氷期サイクルと地球軌道・地球は氷河期に突入した・氷河期3・地球の秘密・氷河期明けの寒の戻り・日本と氷河期・ヨーロッパ大陸・北グリーンランドの氷床・縄文時代に見る地球温暖化・佐渡の1万年後・・・

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■氷河期 (ice age) 1
地球の気候が長期にわたって寒冷化する期間で,極地の氷床や山地の氷河群が拡大する時代である。
氷河時代(ひょうがじだい),氷期(ひょうき)とも呼ばれる。
まれに氷河紀と書かれることがあるが,地質時代を区分する単位(紀)ではないため正しくない。
氷河学的には,氷河期という言葉は,南半球と北半球に氷床がある時期を意味する事が多く,この定義によれば,グリーンランドと南極に氷床が存在する現代,我々は未だ氷河期の中にいることになる。
過去数百万年に関して言えば,氷河期という言葉は一般的に,北アメリカとヨーロッパ大陸に氷床が拡大した寒冷期について用いられる(アジア地域は氷床が発達せず寒冷な地帯であったらしい)。
この意味で言えば,最後の氷河期は1万年前に終了したということになる。
この約1万年前に終わった出来事を,文献によっては「最後の氷河期」と記載していることもあるが,科学者の多くは氷河期が終わったのではなく,氷河期の寒い時期「氷期」が終わったとし,現在を氷期と氷期の間の「間氷期」と考えている。
そのため,最終氷期終了後から現在までの期間を後氷期と呼ぶこともある。
ここでは,氷河期は氷河学的な意味で使用し,氷河期の中の寒い時期を
氷期(ひょうき,glacial),
氷河期の中のかなり暖かい時期を
間氷期(かんひょうき・かんぴょうき,interglacial)
と呼ぶ。
過去数百万年は,4万年から10万年の周期で多くの氷期が起こり,これについては研究がさかんに行われている。
各氷期と間氷期ではそれぞれ平均気温が異なり,最近の氷期では年平均気温で7-8℃以上低下したというデータもあるが,
「気温何度から氷期」
というわけではない。
その間にも小氷期,小間氷期が認められる。
ヨーロッパでは古い方から
「ギュンツ」,
「ミンデル」,
「リス」,
「ウルム」
の4氷期に区分されている。
数万年単位などの短期的視野ではなく,さらに大局的・長周期的に見ると過去地球上では,少なくとも4回の大氷河期があった。
過去五億年の周期図について代表的な氷河期の項目で後述する。
この長い「氷河時代」が重要なのは人類の進化に並行しているからである。
氷期が訪れると海岸線が極端に遠退き,陸上の大部分が氷に覆われる。
そのため動植物も激減し,動植物を食料とする狩猟採集生活の人類にとっては,大きな打撃であった。
人類(猿人)になる前は樹上生活であったらしいが,氷期の環境で地上生活を始め,2足歩行を開始し人類となったというのが通説である。  
■氷河期理論の起源
ヨーロッパの山岳地帯に住む人々にとって,過去には氷河がより広がっていたというのは一般的な知識であり(Imbrie and Imbrie 25ページには木コリがスイスのグリムゼル氷河の過去の広がりについて Jean de Charpentier に語ったことが引用されている),誰かがこのアイデアを作り出した訳ではない。
J. Charpentier はこの説を支持する証拠をまとめあげた。
1836年には理論をルイ・アガシーに納得させ,アガシーは,Étude sur les glaciers を1840年に出版した。
この最初の段階で研究されたのは現在の氷河期の中で過去数十万年に起こった氷期についてであり,更に過去の氷河期の存在については想像されもしなかった。
氷期の証拠は様々な形で得られる。岩が磨かれたり削られた跡(擦痕)やそのような浸食作用をうけてきた独特の形状の岩(羊背岩など),氷河の末端や縁辺に堆積した
角礫(モレーン),
独特の氷河地形(ドラムリン,氷河谷など),
「ティル」や「ティライト」等の氷河性堆積物
である。しかし繰り返し起こる氷河作用が,それ以前の氷河作用の地質学的証拠を変形・消去することで解釈を難しくしており,現在の理論に到達するまでには時間がかかった。
近年では氷床コアや海底堆積物コアの解析により,氷期間氷期の過去数百万年を明らかにすることが可能になっている。
■代表的な氷河期
過去地球上では,少なくとも4回の大きな氷河期があった。
24億年前から21億年前頃の原生代初期に最も古い氷河期(ヒューロニアン氷期 Huronian glaciation)があったことが仮説として考えられている。
証拠が残っているもので一番古いのは(原生代末期)の7億5千万年前からの氷河期(スターティアン氷期 Sturtian glaciation(~7億年前)およびマリノア氷期 Marinoan glaciation(~6.4億年前))で,過去10億年のなかでおそらくもっとも厳しいものであり,氷が赤道まで覆いつくしスノーボールアース(全地球凍結,全球凍結)を作り出した。この氷河期の終結が引続き起きたカンブリア爆発の原因になったと言われているが,この説はまだ新しく現在も論争の的である。
古生代には,4億6千万年前から4億3千万年前にかけて小さな氷河期(アンデス−サハラ氷期 Andean-Saharan glaciation)があり,同じく古生代の3億6千万年前から2億6千万年前にかけてにも氷河の拡大期(カルー氷期 Karoo Ice Age)があり,このときには生物の大量絶滅が起きている。
現在の氷河期は,4000万年前の南極の氷床の成長により始まり,300万年前から起きた北半球での氷床の発達とともに規模が拡大した。更新世に向かうにつれて更に激しくなり,その頃から氷床の拡大と後退の繰り返しによる4万年と10万年の周期が世界中で見られるようになった。最後の氷期(最終氷期)は約1万年前に終った。
■氷期と間氷期
それぞれの氷河期と氷河期の間には数百万年続く温暖な期間がいくつかある。更に氷河期の期間中にも(少なくとも最近の氷河期では)より寒冷な時期とより温暖な時期がある。より寒冷な時期が「氷期」,より温暖な時期が,例えば「エーミアン間氷期」のように,「間氷期」と呼ばれている。
最近の氷期が終わったのは,1万年ほど前である。現在は典型的な間氷期が1万2000年ほど続いていると考えられているが,氷床コアデータによる精密な時期の断定は難しく,世界的な寒冷化をもたらす新しい氷期が間もなく始まる可能性もある。今のところ「温室効果ガス」を増加させている人為的な要因の方が,ミランコビッチの軌道周期のどの影響よりも重いだろうと信じられているが,地球軌道要素に対するより最新の研究は,人間活動の影響が無いとしても,現在の間氷期は少なくとも5万年は続くだろうとも示唆している。
氷期と間氷期の変動に関連して,アメリカ国防総省が専門家に依頼して作成した地球温暖化の影響による大規模な気候変動を想定した安全保障についての報告書(Schwartz, P. and Randall, D. 2003)の存在が2004年に明るみに出て注目を集めた。それによると,地球温暖化による海流の変化が原因で,北半球では2010年から平均気温が下がり始め,2017年には平均気温が7~8℃下がるという。逆に南半球では,急激に温度が上がり,降水量は減り,旱魃などの自然災害が起こるという。  
■氷河期が起こる原因
・主な3つの要因
なぜ「氷河期」が起こるのか。これは大きなスケールで起こる氷河期についても,氷河期の中で起こるより小さな氷期/間氷期の繰り返しについても,いまだ議論されている問題である。一般的な総意としては,大気組成(特に二酸化炭素とメタンのフラクション)と,「ミランコビッチ・サイクル(英語版)」として知られる,太陽を回る地球の軌道要素(おそらく銀河系を回る太陽系の軌道も関係する),大陸の配置の組み合わせ,の3つの要素が組み合わされたものがその原因とされている
・大気組成の変化
3つの要因のうち,最初の「大気組成の変化」は特に最初の氷河期について重要な原因とされている。スノーボールアース仮説では原生代後期の大規模な氷河時代の始まりと終りは,大気中の二酸化炭素濃度の急激な減少と,急激な上昇が原因であると主張している。残りの二つの要素については,現在最も議論が盛んに行われている。
・大陸の配置
北極圏と南極圏に大陸がどれだけ配置されているかが,氷河期が起こる際に重要であることがわかってきた。特に,新生代氷河期が始まった原因は大陸の配置の変化によるところが大きいとされる。それは,大陸の存在によって寒冷期に雪や氷が集積することが可能になり,この現象はアルベド効果のような正のフィードバック効果の引き金となるからである。また,大陸の配置は海洋や大気の循環システムにも大きな影響を与える。
■新生代氷河期開始の原因
新生代の氷河時代が始まった原因の大きなものとして南極大陸の移動がある。中生代にゴンドワナ大陸の一部であった南極大陸の分裂と南への移動によって南極大陸の寒冷化が始まり,分裂と南下によって発達した南極環流が南極大陸への熱輸送を遮るようになり更に寒冷化を進めた。4000万年前には南極の氷床の成長が始まり,3000万年前には巨大な氷床で覆われるようになった。その後,300万年前頃から北半球でも氷床の発達が始まったが,この原因としては,北アメリカ-ユーラシア大陸の配置に加えて,パナマ地峡の形成による大規模な海流の変化,ヒマラヤ山脈の隆起による大気システムの大きな変化が提唱されている。
・地球軌道要素の変化
地球軌道要素は長期にわたる氷河期では大きな原因とはならないが,現在の氷河期の中で交互に起こっている凍結と溶解の繰り返しのパターンを支配しているように見える。地球軌道とアルベドの変化の複雑なパターンによって,氷期と間氷期の二つのフェーズが起こるようである。
氷河期については現在の氷河期,特に最近40万年間について詳しく研究され理解が進んでいる。最近40万年のデータは,大気組成や気温,氷床量の指標が記録されている氷床コアの分析から得ることができるからである。この期間は氷期/間氷期の繰り返しがミランコビッチの提唱した周期(ミランコビッチ・サイクル)とよく呼応しているので,その説明として軌道要素が一般的に受け入れられている。太陽からの距離の変化(軌道離心率),地軸の歳差運動,地軸の傾き(傾斜角)が複合して,地球が受ける日射量の変化に影響を与えている。特に重要なのは季節性に強い影響を与える地軸の傾きの変化である。たとえば,北緯65度における7月の太陽光の入射量は計算によれば最大で25%(1平方m当たり400Wから500W)変化するとされている。夏が涼しい時,前の冬に積もった雪が溶けにくくなるので氷床は前進するというのは広く考えられていることである。日射量のわずかな変化は「前の冬の雪が完全に溶解する夏」と「次の冬まで溶けずに残る夏」の間のバランスを調節する。何人かの研究者は,軌道要素は氷期の開始の引き金になるには弱過ぎるとしているが,二酸化炭素のようなフィードバック機構でそれは説明できる。
■ミランコビッチ説の問題点
ミランコビッチ周期は,地球軌道パラメーターの周期的な変化が氷河作用の記録に表現されているであろうと予言したが,
氷期/間氷期の交代にどのサイクルがもっとも重要であるのかについては更なる説明が求められている。
特に過去80万年の間,氷期/間氷期が繰り返す周期は10万年が支配的であり,これは地球軌道要素の離心率と軌道傾斜角の変化に対応しているが,ミランコビッチに予言された3つの周期の中でははるかにもっとも弱いものである。300万年前~80万年前までの間,氷河作用の支配的なパターンは,地軸の傾き(傾斜角)の変動の4万1000年周期に対応していた。一つの周期が他のものより卓越する理由はまだ理解されておらず,現在重点的に研究が行われている分野であるが,その回答は,おそらく地球の気候システムの中で起こる共鳴現象と関係すると予想される。
■最新の研究
従来のミランコビッチの説では10万年周期が支配的な時期が過去8回あったことの説明が難しい。
Muller と MacDonald らの研究では,それは軌道の計算が2次元的な手法に基づいているからであり,3次元的な解析を行えば傾斜角にも10万年周期が現れると指摘している。彼らは,これらの軌道傾斜角の変化が日射量の変化を導いていると述べており,同様に太陽系のダストバンドと地球軌道との交差が影響している可能性も提示した。これらは従来提唱されてきたメカニズムとは違うものだが,計算結果は「予言されていた」最近40万年間について得られているデータとほぼ同じ結果を示している。Muller 及び MacDonald の理論は Rial により反論されている。
他には Ruddiman が10万年周期をもっともらしく説明するモデルとして,2万3000年の歳差運動の周期に対する離心率(弱い10万年周期)の変調効果が,4万1000年と2万3,000年の周期でおこる温室効果ガスのフィードバック効果と結びついたという説明をしている。
また,他の理論では Peter Huybers による研究が進んでおり,4万1000年周期がいつも優勢なのであるが,現在は2番目か3番目の周期だけでも氷期へのトリガーとなりうる気候モードに入っているということを議論している。
この研究では,10万年周期は8万年と12万年の周期が平均されているものを本当は錯覚しているのではないかと暗示している。
この理論は年代測定の不正確さが存在することと整合した矛盾の無いものであるが,現在のところ広く受け入れられているわけではない。  
・最近の氷期・間氷期と最終氷期
南北の大陸氷床の発達により,最近の氷期間氷期では海水準が大きく変動したことが知られている(ただし時代を遡ると地殻変動の影響が無視できなくなる)。蒸発した海水が両極に氷床として固定されるため,地上の海水の体積全体が減少し,結果として世界的に海水準が低下する。
反対に氷期の終了に伴って融解水が海洋に還元されると海水準は上昇する。
酸素同位体比曲線によって示される氷床量の変動は,特に新しい時代になるにつれて,世界的な海水準の変動を反映しているといって良い(上記「過去およそ5百万年間の氷期間氷期の変動」グラフ参照)。
その変動幅は最近の氷期では100m以上におよぶ。
日本近海では,太平洋と日本海を結ぶ海峡の深度が浅いため,少なくとも過去数十万年の間の氷期では,海水準の低下に伴って対馬暖流の流入が止まり,気候に大きく影響を与えた。
氷期には寒冷化のために亜寒帯林が西日本まで分布していた。
また,対馬暖流が流入しないため(現在の日本海側の降雪は対馬暖流の蒸発量に影響を受ける)氷河は日本アルプスおよび北日本の高地にわずかに発達するのみであった。
それでも,これらの氷河が最終氷期に形成したカールやモレーンなどの氷河地形は現在の日本アルプスや日高山脈で明瞭に確認することができる。
最も後の氷期は最終氷期とも呼ばれる。
最終氷期の終了後,人類が定住し農業が発展するという出来事が起こった。
このことは農業の発達が人類の生活様式と深い関係があるということであろう。
・亜氷期と亜間氷期
氷期もしくは間氷期が続く間に,更に細かな気候の変動が見られることがある。
寒い時期を亜氷期 (stadial),
温暖な時期を亜間氷期 (interstadial)
と呼ぶ。最終氷期終了前後から現在にかけてはヨーロッパの泥炭湿地で発見された花粉層序がしばしば用いられ,現在では最終氷期終了~後氷期にかけての気候変化を表現する際に幅広く使われている。  
・現在は第4氷河期の間氷期
現代以上に暖かい時代でも解けずに残った太古の永久凍土が,カナダ北部で見つかった。
北極圏に広がる永久凍土は地球温暖化で解けると,大量の二酸化炭素が放出され悪影響が心配されている。
暖かな時代でも解けない凍土が存在することは,温暖化に伴う影響評価の見直しにつながる可能性があるという。
発見したのはカナダ・アルバータ大の研究チーム。
米アラスカ州に近い地域で,この周辺は半分以上が永久凍土に覆われ,氷の厚さは数十メートルに及ぶ。
研究チームは7年前,この永久凍土を見つけた。
今回,凍土に含まれていた火山灰を放射性年代法で測定し,約74万年前にできたことを突き止めた。
地球の気候は,気温が高い間氷期を約10万年間隔で繰り返している。
特に,約12万年前の間氷期は今より気温が数度も高く,海面水位も8メートル高かったとされる。
研究チームは「永久凍土は海氷や氷河に比べて,想像以上に解けにくい。温暖化影響を無視できることにはならないが,将来の気候変動の予測精度を向上させるため,さらに調査が必要だ」としている。
温暖化で北極圏の永久凍土が解け,建物崩壊などの影響が懸念されている。しかし,アラスカでの観測では予想以上に解けていない。今回の発見を踏まえ,影響評価の精度を高めることが求められる。  
・シベリアの永久凍土がメタンガスを放出
温室効果ガスの一種で太陽熱の捕捉効率が二酸化炭素よりも20倍以上高いメタンが,シベリアの永久凍土から放出されている。永久凍土は基本的に数百年から数千年以上恒常的に凍結している土壌で,その多くは1万年前に終了した最終氷期以降,凍った状態を保っている。当時,シベリア沿岸の海水面は現在よりもおよそ100メートル低い位置にあり,大気にさらされた大地は地下500~700メートルまで固く凍り付いていた。
地球全体の平均気温は産業革命以降およそ0.7度上昇しているが,東シベリア北極陸棚では春の気温が最大5度上昇している。
海底の永久凍土層がメタンハイドレートや天然ガスを閉じ込めるフタとなっている限り,メタンが貯蔵庫から漏れ出すことはないと想定される。
しかし,地球温暖化の影響により,メタンが大気に放出され始めている可能性がある。
一般に,赤道から離れた地域の方が温暖化の影響が大きく,特に北極では温暖化が急速に進行している。  
・6億3500万年前に起きた温暖化の原因はメタン?
約6億3500万年前に「スノーボールアース(全地球凍結)」が終わった誘因は,温室効果ガスであるメタンの大量放出だったという研究が発表された。スノーボール理論によると,太古の地球には氷床が赤道まで覆い尽くされた状態の氷河時代があった。「氷床の下に閉じこめられたメタンは,一定の温度と圧力の下では氷状になって安定化する」と,この研究を行ったカリフォルニア大学の地質学者,マーチン・ケネディ氏は述べる。しかし,氷床は本質的に不安定であり,一定の大きさに達すると崩壊し始める。赤道の氷床が崩壊したことで,閉じ込められていたメタンが解放されて地球の温度を押し上げた。この温度上昇によって赤道よりやや高い緯度の氷床が溶け始め,メタンの放出量が増加して,地球の温暖化が加速した。ケネディ氏のチームは,約6億3500年前には赤道付近に位置していた南オーストラリア州の海洋から数百の堆積物のサンプルを収集して分析した結果,氷床の融解とメタン層の不安定化を裏付けるさまざまな化学的痕跡を発見した。一方,カリフォルニア大学スクリップス海洋研究所の古生物学者であるリチャード・ノリス氏は,現在のメタン貯蔵量は膨大であり,気候変動と関連させて目を光らせる必要があることには同意するものの,ケネディ氏が主張するように太古の地球と現代の温暖化を結び付ける根拠は弱いとも指摘している。  
・現在は第4氷河期の間氷期
氷河期中の寒い時期と温暖な時期(間氷期)の間隔には周期性があり,明らかに10万年周期の機械的なメカニズムが働いているが,これは
ミランコビッチ・サイクル
と言う天体運動の周期性により説明されている。
CO2温暖化説で今世界のみんなが大騒動しているが,最後の第四氷河期が始まったのが10万年前なのでミランコビッチ周期が正しいなら,次の第五氷河期はいつ始まっても不思議ではない。
ミランコビッチの説は,地球の公転運動(地軸の傾きや離心率)の変化で,太陽から地球に届く輻射量(熱量)が変化するためだというものです。
CO2地球温暖化説は,地表から宇宙に逃げていく輻射量(熱量)だけを考えた説で,温暖化で海水面が暖められ雲量が増えると太陽からの地球に入ってくる輻射(熱量)が減るというような事は考えていないようですし,ましてや太陽から地球が受け取る熱量の変化などは全く考えていない大雑把なものです。
過去の人類の歴史で起こった『寒冷化』は,浅間山の大噴火のような大量の粉塵を巻き上げる天変地異(太陽からの輻射熱の減少)で地球が寒冷化し未曾有の大飢饉を引き起こしていた。
核戦争での大火災(大量のCO2を放出)や巻き上がった粉塵で『核の冬』が起こるとしたカール・セーガンの考え方も実際にあった過去の歴史を科学的に検証して出来上がっているのでしょう。  
■ミランコビッチ・サイクル
セルビアの学者ミランコビッチ(1879年~1958年)は,地球の自転軸の傾きや公転軌道の変化が,太陽からの日射量の変化を招き,それが氷期の原因となるという説を唱えた(1920年)。地球の自転軸は歳差という首振り運動をしている。この周期は26000年であるが,だ円である地球の公転軌道の長軸方向が22000年周期で変化するために,日射量変化の周期は23000年と19000年になる。また,現在の地球の自転軸は公転面に垂直な向きに対して23.4°傾いているが,これが41000年周期で22°~23.5°の間で変化する。さらに,地球の公転軌道の離心率も10万年と40万年の周期で,0.005~0.0543(現在は0.0167)と変化する。こうした変化が組み合わさって,地球が受け取る太陽エネルギーが変化することになる。1970年代から始まった深海底の堆積物の研究からミランコビッチ説が見直されることになった。それは放射性同位元素を用いた年代測定の精度の向上,酸素同位体比を用いた古海水温の推定などによって,たしかにミランコビッチの予想通りの周期での気候の変動が見られるようになったのである。  
・氷河期のミランコビッチ周期
地球の自転は一定ではなく,自転軸の傾きも,数万年の周期で変化するし,地球が太陽の周りを回る公転軌道(楕円形)も,約10万年の周期で変化する。それらの変化に合わせ,地球と太陽との距離も変化する。この変動率はおよそ10万年周期で変動し, さらに41万年でも変動している。地軸の傾きや軌道の離心率により地球の日射量が変動する。そして,その変動周期が4.1万年である事を割り出した。最新の氷期最盛期は,1.8万年前で,8月の日本付近の海水温は,現在より7度位低温であったらしい。ヒプシサマール(高温期)は,日本では縄文時代の前中期およそ,3・4千年前の時期で,本州東北部で豊かな縄文文化が栄え東京湾の入り口付近に造礁サンゴが成育していた。因みに世界では,この豊かな高温の時期にエジプトや黄河等の世界の四大文明が生まれている。また海面が現在より5㍍近く高く,その痕跡として縄文時代の貝塚が内陸部で多く発見されている。東京・大阪その他の都市も,ほとんど海の底になるが現在そこに都市があるという事は,地球が高温期から再び冷え始めている証拠である。地球規模での大きな温度変化は,各地に異常気象を頻繁に起こさせる。
・現在は氷河時代
科学的分類としての氷河時代とは,極地方に氷河が存在している時代のことなので,約165万年前から今現在までの地球は,地球の歴史の中では寒冷な時代(氷河時代)とされている。現在は大陸の氷床(氷河)が陸地の10%であるが,はるかに広く陸地の30%が氷河におおわれた氷期(氷河時代の中でもとくに気温が低下している時期)が大きなもので4回訪れていた事がわかっている。氷期には地球上の水が氷として大量に固定されるために,海水面が最大で150m程度低くなることがある。氷期には地球全体で4℃~5℃程度気温が低下して,日本はほとんどアジア大陸と陸続きになる。世界的に見ると,スカンジナビア半島や北ヨーロッパ,北アメリカの五大湖付近までが氷床におおわれていて,海岸線が現在よりかなり後退していた。氷期と氷期の間を間氷期といい,最後の氷期は約1万年前に終わり,現在は次の氷期までの間の間氷期であると考えられている。地球が寒冷になり,極地方に氷河が発達したのは現在ばかりではなく,過去にも何回かあった。先カンブリア時代の23億年前,8億年~6億年前,古生代のオルドビス紀(4.4億年前),古生代のデボン紀~石炭紀(3.77億年前~2.7億年前)が氷河時代であった。数億年の長い時間の間に,氷河時代がなぜ訪れ,また再び暖かくなるのかについては,太陽活動の変化,地球の自転・公転の変化,プレートの運動による大陸の配置の変化,大気中の二酸化炭素の量の変化などが考えられるがよくわかっていない。ミランコビッチ・サイクルは氷河時代の中の氷期-間氷期という数万年~数十万年というスケールでの変動を考える上では重要だが,大規模な氷河時代が訪れたり,また無氷河時代(極地方にも氷床がない時代)に戻ったりという変化は説明できない。
 
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■氷河期 2 / 気候の移り変わり
■氷河期  
ヨーロッパでは氷河の進出した時代がいくつか存在していることが,早くから知られていました。
気候変化の流れの中で,新生代に始まった,きわめて寒冷ないくつかの期間を氷期と呼びます(一般には氷河期とも言われています)。
また氷期と氷期の間の期間を間氷期といいます。
それぞれの時代の氷期の呼び名にはいろいろありますが,ここではヨーロッパ式で呼ぶことにします。
主要な氷期は,一般的に下に示した4つが広く知られています。氷期の名称と,そのおおよその期間をまとめると次のようになります。
・ギュンツ氷期:Gunz glaciation(410,000年~310,000年前)
・ギュンツ=ミンデル間氷期
・ミンデル氷期:Mindel glaciation(240,000年~220,000年前)
・ミンデル=リス間氷期
・リス氷期:Riss glaciation(125,000年~100,000年前)
・エーミアン間氷期(リス=ヴュルム間氷期)
・ヴュルム氷期:Wurm glaciation(70,000年~18,500年前)
このうちギュンツ氷期とヴュルム氷期は長くて,前期と後期に特に寒冷な時期があり,それぞれ
初期氷期,
主要氷期
とよばれています。
最近の氷期は18,500年前に終わったヴュルム主要氷期ですが,これを最終氷期としばしば呼ぶこともあります。現在はそれに続く,間氷期にあたる時代であると,一般的に考えられています。
これらの氷期は,ミランコビッチサイクルと呼ばれる地球の動きの変化の周期性が引き金となって,生じたものと考えられています。
地球の公転の軌道は楕円ですが,これがしゃげたり真円に近くなったりの変動をくり返しています。
この軌道がへしゃげるほど遠日点での太陽からの入射はかなり少なくなります。
また自転の地軸もある周期で傾いたり立ったりします。
このいわゆる黄道傾斜角が急になる,つまり地軸が公転面に対して倒れ込むほど,夏も冬も厳しくなって,季節変動のコントラストがはっきりします。
さらに歳差運動による変化によって,大陸の多い北半球の冬が,今とは逆に遠日点に重なると,北半球の大陸には氷床が発達しやすくなります。この氷床は太陽からの光の反射率,つまりアルベドが高く太陽からの放射をよく反射しますし,自分自身は溶けにくいものなのです。太陽からの放射が多く反射されるほど地球に入る太陽のエネルギーが減少し,地球の寒冷化を招くことになります。そしてさらなる氷床の発達へとつながっていきます。ミランコビッチサイクルが招いた,このような正のフィードバックが働いたことによって,氷期が生じたものと考えられています。
陸上に氷床が発達したため,海面は今より約100m,あるいはそれ以上低下していたと見られています。
氷床は,たとえばアメリカ大陸ならば現在のカナダの国土分をすっぽりと覆うくらいに広がっていました。
その厚さは3kmにも及んだともいわれています。
アメリカ合衆国内は南部を除いてすべて北方林で覆われ,南部も針葉樹林地帯となっていたことがわかっています。
日本はどうかといいますと,北海道の半分以上にはツンドラが広がり,エゾマツやトウヒなどからなる亜寒帯針葉樹林帯が東北から西日本の山地にまで分布していたとみられています。
関東から西日本の平地の広い範囲には冷温帯落葉広葉樹林帯,つまりブナなどがどこまでも生い茂っていたとみられます。
シイ,カシ,クスノキ,タブノキといった肉厚で光沢を持つ葉を年中つけた木は照葉樹と呼ばれており,現在は西日本の自然林に多く見られます。
しかし最終氷期であったこのころは,種子島・屋久島あたりに細々とあったに過ぎなかったようです。
現在,たとえば代表的な照葉樹であるタブノキの北限の地は,秋田県の南部の,南極探検で有名な白瀬中尉の故郷である,金浦という町(現・にかほ市)です。
よく考えてみますと,この最終氷期当時は,九州の南の端が,現在の秋田県の南部あたりの気候に相当したと,単純に見ることができます。
なお,当時は海面が低くなっているために,当時の日本列島は朝鮮半島,そしてサハリンを介して大陸とも地続でしたし,瀬戸内海も存在しませんでした。
・ヤンガードゥリアス期
12000年前になると,夏の太陽からの放射量は7%増加し気候は温暖化の方に向かいました。
アメリカやヨーロッパなどの氷床は溶け,植生は北へ,北へと移動していきました。
二酸化炭素も増加し,特徴的な温暖な時代が13000~11000年前に現われました。
この温暖期のことを,北欧ではとくにアレレード(Allered)期というそうです。
ところがこのあと,急激に温度が100年間で平均6℃程度も下がった時期が見られました。
この寒冷期は11000~10720年前のわずか280年間の間に生じたとされています。
この時期はヤンガードゥリアス(Younger-Dryas)期と呼ばれていて,日本にも存在していたことが分かっています。
この時期には再び氷床が著しく発達するなど,氷期の状態に逆戻りしました。
ところがこのヤンガードゥリアス期の末期(10720年前)には,なんと50年間の間に7℃の温暖化が生じ,この寒冷期が終わったとされています。
この原因をめぐって,ながらく論争がありました。
地球の動き,火山噴火,温室効果ガス濃度の変化,海流の変化などいろいろ言われてきましたが,現在のところ,海流のパターン変化がひき起こしたという説と彗星のような天体が地球に衝突したことによるダスト・煙りによる日射の遮蔽の2つの説に絞られてくるようになりました。
まずは海流説について。海流には,黒潮や親潮として知られるような海面付近に存在する流れの他,海面から800m以上深い場所を流れる深層海流とよばれるものがあり,この2つの流れが組み合わさることよって,海水は立体的に循環しています。グリーンランド近海や南氷洋で海氷ができる際には,海水のうち水の成分の分が先に凍り,凍らなかった残りの塩分の高い海水が,温度も低いこともあって比重が大きくなり,次第に海の底深くに沈み混みます。この塩分の濃くて冷たい海水は海底を這うように移動し,グリーンランド沖の海底を離れて約1200年後に印度洋海底へ,また2000年後に大平洋海底に達します。ここで物凄い水圧の為に海底の海水温が上昇し,海面近くに浮き上がる。そしてこの海水が暖められた後に,海面近くの海流となって赤道付近の熱エネルギーを手みやげに再び南極・北極へ帰って行いきます。この循環は一般にコンベヤーベルトと呼ばれます。
氷期には北米大陸に氷床が大きく広がってましたが,温暖化するにつれてそれが溶け,その水が今の五大湖付近に溜まって巨大な湖を形作っていました。ところが今から13000年前,水かさが増した湖水に耐えかねて湖の周辺が決潰,大量の真水が北大西洋・グリーンランド近海に流れ込んでいきました。そうなると海水が薄まり,塩分濃度が低くなります。これがきっかけで冷たい水が海底に沈み込まなくなり,地球全体のコンベヤーベルトが衰弱していき,さらにその2000年後には完全にこれが停止したのではないか,とされました。コンベヤーベルトが停止すると,北極・南極に向かって,赤道近くからの熱エネルギーが運ばれにくくなり,極に近い高緯度地方は当然寒くなります。寒くなると氷床が発達し,地球全体でみたアルベドが高くなって更に寒冷化し,といった氷期と同様の悪循環に落ち込んだとみられてきました。
一方の彗星の衝突の説について。
彗星が衝突すると地表のものが巻き上げられたり,火災により発生したススなどが発生し,それが太陽からの日射を遮ることで寒冷化をひき起こします。良く知られた例としては,今から6500年前にメキシコのユカタン半島付近に発生した小天体の衝突と,それによって発生した急激な寒冷化によって恐竜を中心にした大量絶滅が挙げられます。ところが12900年前にも小天体の衝突があったとする論文が2007年に出され,これが議論をよびました。小天体が衝突することで,このときのダストにイリジウムという物質が含まれることになるのですが,北米を中心にこの部室が12900年前の地層から相次いで見つかった上,その層にススなども大量に存在することから,この小天体が,地表に衝突または空中爆発を起こしたことは,ほぼ間違いないというようになってきました。ということで,最近はこちらの小天体衝突がヤンガードライアス期をひき起こしたというように,定説がひっくり返ることになりました。
ヤンガードゥリアス期では,気候の寒冷化が6℃/100年,温暖化が7℃/50年と,急激な変化があったといわれています。このころ地球上に生えている植物もたまったものではありません。ヤンガードゥリアス期に入ると,北西ヨーロッパではそれまで生えていたトウヒやシラカンバが,あっという間に,より寒冷な地方に生育する低木や草本に置き換わったと言われています。アメリカでも寒冷化と時を同じくして,広葉樹の種類が激減し,代わってトウヒやモミ,シラカンバなどがまたたく間に増加したことが花粉分析から明らかになりました。これに対し,ヤンガードゥリアス期が終わった後の10000~9800年前には,ツンドラに再びトウヒなどの植物が入ってきたように見えるますが,これは花粉が風によって運ばれたことによる誤認の可能性もあります。
日本でも,ヤンガードゥリアス期が終わってすでに1000年経った9000年前には,大阪平野や名古屋近辺が,暖かさの指数から見るとすでに照葉樹林が生えても良い条件となっているのに,実際の植生は紀伊半島のあたりを北上中であったことが花粉分析から明らかになっています。ここからも,気候の急激な温暖化に植生の反応(移動)が全くついていっていないことがわかります。花粉分析では,たとえば紀伊半島南部から大阪まで,この後,照葉樹林群落が拡大するのに3000年かかったという結果が得られています。また一説では大阪から京都まで,照葉樹林が広がるのに100年かかったといわれています。『♪天満橋から三条へ……』の京阪特急なら30分で走り抜ける距離でも,それだけの年数を必要とするということです。京都・大阪間を40kmとした場合,大阪から京都への植生の移動速度は毎年400m,時速に直すと4cm/h。遅いようですが,植生の移動速度としては異例の速さではないでしょうか。
とはいっても,急激な気候の寒冷化には植生の分布の応答は想像以上に早いのに対して,急激な温暖化への植生分布の応答は100~1000年オーダーで,かなりゆっくりと見られています。現に,北海道の黒松内付近にあるブナの北限は,今なお北上中とされています。 
・ヒプシサーマル期(気候最適期)
6000年前までに,全地球的に夏の気温が現在より2~4℃高い期間が始まった。
この頃,夏の太陽からの放射量は現在より4%多く,冬は逆に4%少なくなりました。
黒点数から見た太陽活動も,この時期,非常に活発でした。
7000~5000年前までのこの温暖な時期をヒプシサーマル(hypsithermal)期,あるいは気候最適(postglacial climatic optimum)期と呼びます。このころの氷床の著しい縮小にともなって,氷期以来低くなっていた海面は一気に上昇し,現在より数m高くなりました(いわゆる縄文海進です)。魚津の埋没林(富山湾)のように,大陸棚が植物もろとも水没した場所も見られます。アフリカから中近東は現在より多雨で,現在のサハラ砂漠は森林に覆われていたといわれています。亜熱帯高気圧は北に偏り,中緯度は現在より乾燥していたようです。
日本ではこの頃,年平均気温が2℃程度高かったと評価されています。
日本におけるヒプシサーマル期の気候帯を見てみますと,6500年前には照葉樹が自生するのが可能な,暖かさの指数85以上の地域(照葉樹林気候)が秋田県沿岸まで達していました。またコナラに代表される暖温帯落葉広葉樹林気候も東北地方のほとんどを覆うまで広がることになりました。関西や東海地方の山にある雑木林が東北で見られたわけです。植生の拡大・北上はこの温暖化にはなかなか付いていけなかったようですが,それでも6500年前には照葉樹が,西日本の低地で爆発的に広がることになりました。大阪に照葉樹林群落の拡大が到達したのもこの頃です。また,海抜で見た森林限界も300~400m上昇したとされています。 
・ヒプシサーマル後の寒冷期
ヒプシサーマルの後,5000~4000年前には気候は冷涼・湿潤化し,降水量も増加しました。
大阪の上町台地以外の部分や,名古屋の城より海側から岐阜県にいたる広い地域はこの時まで海でしたが,降水量の増加のため自然の埋め立てが進みました,沖積平野はこの時期にできたといわれています。日本海側で新しくできた沖積低地にはスギが非常に多く発達していった。スギは湿った条件(年降水量で約1800mm以上)で自生する植物である。いまは雨の多い山地にあるのみですが,当時,平野にも生えたというのですから,いかにこの時期に雨が多かったかということがわかります。
この後,4000~3000年前には一旦温暖となるが,そのあと2500~2000年前には,特に北日本や山陰,北陸で冷涼な気候が見られました。 
・古墳寒冷期
日本や中国では3世紀~7世紀の間,天候が悪化し,冷涼化,降水量の増加が続きました。
この時期は中国や日本の歴史の中でも戦乱が多く混乱した時期であるが,その原因がこうした気候の冷涼化が契機となったという見方もあります。戦乱,そう,中国では三国志の時代,日本では倭国大乱の時代にあたる時代です。日本ではこの時期を古墳寒冷期と言う場合もあります。これは,太陽活動が不活発になった時期にだいたい一致します。 
・中世温暖期
西暦800~1300年は,現在並み,あるいはそれをやや上回る温暖な時期でした。
この現象は全地球的に見られたとされています。
この時期,ヨーロッパではノルマン人が大西洋を渡ってグリーンランドに入植しました。
また,この頃の大西洋には流氷がほとんど見られなかったと言われています。
当時のアイスランドではエンバクなどの麦類が栽培可能でした。
この温暖期を中世温暖期(Middle Ages warm epoch)と呼びます。
このときの太陽活動は,西暦1100~1300年には現在並みに活発だったとされています。
100年オーダーで気候を見ると,太陽活動が最も影響しているように見える。
また図1は昔の日記や年代記によってわかったサクラの満開時期から計算した,京都の3月の平均気温の推移です。
この時代はデータの数が少ないので精度は悪いが,それでも西暦1200年を中心に,気温の高かった時代があったことが定性的にわかりました。
おりしもこの時代は日本の平安時代。
のんびりとした時代が続いたのも,この中世温暖期のお陰だったのかもしれません。
そういえば,当時の貴族の館は『寝殿造り』と呼ばれる,いかにも風通しのよさそうな,というよりは寒そうな様式をしています。
こんな中世温暖期だったから,貴族も寒さに耐えられたのかもしれません。 
・小氷期
太陽の黒点が少ないことは太陽活動が不活発なことを意味しています。
西暦1300年以降,この太陽の黒点が急に少なくなり太陽活動が不活発な時期が繰り返してやってくるようになりました。
その時期は1320年頃,1460~1550年,1660~1715年,そして1800年前後である。
1320年頃の極少期をウォルフ極小期,
1460~1550年のそれをスペーラー極小期,
とくに西暦1660~1715年のおよそ70年間の太陽黒点がほとんど無くなった顕著な黒点極少期間をマウンダー極小期(Maunder minimum),
また一番最近の1800年前後の短い極少期をドルトン極少期
と,それぞれ呼びます。
この4つの時期は,サクラの満開日から推定した京都の気温(図1)の低かった時期とかなりシンクロしています。
サクラの満開日による3月の京都の気温は冬季の気温にかなり似た傾向を示すと思われますが,やはり,この太陽活動の不活発な時期は,世界的な気候悪化,寒冷化が見られた時代と,全般に一致したようです。西暦1300年以後,1850年までのこの期間を,小氷期(Little Ice Age)と呼びます。この時期には各地で氷河の前進が起きました。日本でも西暦1300年を過ぎると気候悪化が起こり,降水量が増えて,濃尾平野などでは河道変化が繰り返されるようになりました。
特にマウンダー極少期とその次のドルトン極少期にあたる1600~1850年の寒さの程度はものすごく,小氷期をこの時期に限定する場合もあります。
この時期,日本では大雪,冷夏が相次ぎました。
淀川が大阪近辺で完全に氷結したこともあります。
大阪の河内地方ではそれまで盛んであった綿作が,気候寒冷化・降水量増加にためにイネ・ナタネに転作を余儀なくされたとも言われています。
そういえば,この時期の大坂城代が雪の結晶を観察,絵にしているという話を聞いたこともあります。
そんなこと,現代では北海道でしかできないと思われます。
ともあれ,この時期,とくに19世紀初頭は寒かったようです。
日本では小氷期のうちでも最も寒冷な期間,たとえば1830年代と1980年代を比べると冬や春の平均気温は2℃程度,京都に限ると3.4℃も現在よりも低かったと推測されています。 

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ミニ氷河期の到来が確定的な中で、「太陽活動と地球寒冷化の関係」についての科学論文の掲載数が2017年だけで100本を超えていた
2017/12/29 
地球寒冷化予測に関しての学術論文
・Bicentennial decrease of the solar constant leads to the Earth’s unbalanced heat budget and deep climate cooling
太陽活動と地球寒冷化についての学術論文の数は2017年は120件に達する
今現在、アメリカやヨーロッパからアジアまで、北半球の各地がとんでもない寒波と大雪に見舞われているということもあるのでしょうけれど、英語などのニュースを検索していますと、「ミニ氷河期(Mini Ice Age)」とタイトルにあるものが、とても多くなっていることに今朝気づきました。
2017年12月29日のGoogle ニュース検索より
・Google
今にして、この「ミニ氷河期」という概念も身近な感じになってきたということなのでしょうかね。
なお、この In Deep で、はじめて「ミニ氷河期が近いのかもしれない」ということにふれたのは、今から 6年ほど前のことで、「あらかじめ予測されていた小氷河期の到来」というシリーズを書いた時でした。
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(4) 太陽活動極小期は何をもたらすのか?  In Deep 2011/11/14
という記事を書いた時に、初めて私は、「太陽活動と地球の気候に関係がある」ということを知ったのです。
そして、その後、太陽自体に興味があったこともあり、いろいろと調べていくうちに、
・現在の太陽活動が過去にないほど弱いこと
 ・これは過去の寒冷期の時代とよく似ていること
などを知るにいたりました。
そして、その頃から「寒冷期は近いのかもしれない」という思いは確信に変わりました。5年くらい前のことでしょうか。
もっとも、その頃は……まあ今もかもしれないですが、「人為的な原因による地球温暖化」という概念が世の中に跋扈していまして、太陽に関する科学的なデータは隅に追いやられ、よくわからないデータが社会の表面に出てくるようになりました。
しかし、その後、「太陽と地球の気候の関係」の科学的データや過去の資料が次々と出てくる中、寒冷化に関しての科学論文は増加していき、2017年に、科学誌に掲載されたものの中で「太陽活動と地球の気候の関係」に関しての論文は120 本にものぼったたのだそうです。
昨日、アメリカの科学系ブログで、最新の「太陽活動と地球の寒冷化」についての学術論文を一気に紹介しているものがあり、今回はその記事をご紹介したいと思います。
昨日、アメリカの科学系ブログで、最新の「太陽活動と地球の寒冷化」についての学術論文を一気に紹介しているものがあり、今回はその記事をご紹介したいと思います。
2017年12月28日のアメリカの科学系ブログより
・7 New Papers Forecast Global Cooling, Another Little Ice Age Will Begin Soon
オリジナルの記事では、論文から抜粋しているのですが、むしろ難解でわかりにくいですので、箇条書きにしました。
ただ、大量の数式が並んでいて私には理解しようがないものや、書いてある内容も難解すぎてわからないものなどは割愛していますので、記事の中の一部ということになりますが、しかし基本的には、どの論文も書いてあることの根底は同じようなテーマであり、すなわち、
というものです。
「いつからミニ氷河期が始まるのか」ということに関しての主張はさまざまでして、2020年からという場合や、もう少し後の主張もあります。
ただ、私個人としては、ロシア人科学者たちが昨年までに発表していた、「地球はすでにミニ氷河期に入っている」という説を気に入っています。これについては、過去記事、
・ミニ氷河期は「2015年にすでに始まって」おり、今後「200年から250年間続く」というロシア科学アカデミーの科学者たちの主張が公開された  In Deep 2016/11/05
に、比較的詳しく書いてあります。
また、やはりロシア人科学者で、モスクワ大学の美しき理論物理学者ヘレン・ポポワ博士は、「 2030年までには 97%の確率で地球はミニ氷河期に入る」と述べています。
これは、
・精度97%の「2030年までのミニ氷河期突入」予測は、その発表の元となったロシア人女性物理学者の「太陽活動の解析予測の実績」から実現確実な状勢に  旧 In Deep 2015/07/22
にあります。
理論物理学者ヘレン・ポポワ博士
・RT
この地球寒冷化に関して、ロシア人科学者のほうを重視するのは、ロシアの科学者は西側の科学者のような「温暖化ビジネスによる利益関係」を持たないからです。
まあそれはともかく、寒冷化していくとはいっても、気温だけの問題では、予測されている変化は平均 1℃以下ですので、そんなに大きなことにはならないのかもしれないですが、ミニ氷河期がもたらすものは、気温の問題と共に「荒れた天候」だったりもします。
このあたりに関しては、いろいろと複雑なことではあるのですけれど、過去記事、
・海の巨大な変化とミニ氷河期の関係:「温暖化が招く寒冷期」からの気温の回復に40年から100年かかるという気候モデルが提示される地球の海で成長する「モンスター・エルニーニョ」
に、「寒冷化と、モンスターハリケーンやモンスター級台風」が同居する時代になるメカニズムなどを書いています。ミニ氷河期に入るということは、農業や漁業を含む生活に直結した部分への影響も含めた大きな時代の転換となる可能性は強いと思っています。
ただし、そのミニ氷河期が本格的に始まるのが 2020年頃からなのか 2030年頃からなのか、あるいは「すでに始まっているのか」ということについては、今はまだ確信を持っていえる根拠はありません。
それでは、ここから記事です。
7 New (2017) Papers Forecast Global Cooling, Another Little Ice Age Will Begin Soon notrickszone.com 2017/12/28
ミニ氷河期と地球寒冷化がまもなくやってくる予測に関して 2017年に発表された最新の7つの論文
太陽黒点の減少と、太陽の活動の低下のため、気温は平均で 0.5℃〜 0.7℃下がる
太陽活動の変化による地球の歴史と現代の気候変動への影響との関連について、2017年には 120もの論文が科学誌に掲載された。
低い太陽活動(これは太陽黒点が少ないことを意味する)と、それによる雲の増加(雲は宇宙線によって調節されるため)が地球の寒冷傾向と大きく関係していることについての理論がますます確立されている。
この数十年、地球は非常に高い太陽活動の期間であったが、この高い太陽活動が、この過去 10年から 100年間の地球の温暖化期間を出現させた。
しかし現在、多くの太陽科学者たちが、今後数年間( 2020年から 2025年頃までに)のあいだ、非常に低い気温活動の期間が始まることを予測しており、その確信は次第に強まっている。
今回は、最近発表された地球寒冷化に関してのいくつかの論文の内容を列挙する。
論文「惑星系の軌道間のコントラスト解析と太陽活動の周期性」より
Contrast analysis between the trajectory of the planetary system and the periodicity of solar activity
・惑星系の周期的運動と太陽活動の周期は、その2つが 179.5年の周期変化の規則を持つことを示している。
・規則的な軌道は太陽活動の高周期に対応し、無秩序な軌道は太陽活動の低周期に対応する。したがって、惑星系の動きと太陽活動と地球規模の気候変動には一定の関係があることがわかった。太陽の動きと地球規模の気候変動の周期的な傾向を解釈するためには、惑星系の動きを使用することができる。
・現在、太陽は極端に低い太陽活動の期間であり、今後、極小期に向かう。西暦 1000年以来、地球は 6回の太陽活動極小期を経験している。それは、(1040-1080 年)、中世の小値(1150 1200 年)、(1270-1350 年)、(1430-1520 年) 、マウンダー極小期(1620-1710 年)、ダルトン極小期(1787-1843 年)となる。そして、惑星系の軌道は、その 6つの長い太陽極小の間に乱れていたことがわかっている。
論文「コーカサス地域の気候変動における長期的傾向 」より
Long Term Trends in Climate Variability of Caucasus Region
・様々な科学者たちによって推定された 1610年以降の総太陽放射照度は、マウンダー極小期に最小値を示して以来、約1.3W / m2の増加を示している。これは、地球の総土質量を考慮に入れると、膨大な量のエネルギーだ。
・黒点が多くなる場合、太陽の明度が増加し、太陽風が地球を暖める傾向があるために、地球の大気に多くのエネルギーを送る。太陽活動は地球に多くの点で影響を与えることは確かだが、まだ理解されていないものがある。
・アメリカ国立地球物理データセンター.(NGDC)の予測によると、次の太陽活動周期であるサイクル 24と 25は非常に弱くなる。これは、数値からの計算では、平均 0.5 〜 0.7℃の地球の温度低下につながると考えられており、特に北半球では大気の温度が低くなる。スイスのジュネーブでは 1.5℃低下すると予測される。
論文「全太陽放射の変動に対する太陽系振動の影響 」より
The Influence of Solar System Oscillation on the Variability of the Total Solar Irradiance
・西暦 1000年から現在までの太陽活動極小期と地球の気候とには密接な関係があり、過去のデータは、黒点の少ない太陽活動の減少期は寒冷期が続き、多くの黒点がある高い太陽活動の時期は暖かい気候の期間と関係していた。
・1940年に始まった、宇宙線同位体データと黒点データを用いた研究によれば、現在(1940年から 2000年)は、太陽活動の最大の活動レベルを記録した比較的稀な事象の期間だった。
・現在と同様に高いレベルの太陽活動が観測されるのは、今から 4000 〜 8000年前になる。
・過去 11,500年間の期間では 27回の太陽活動極小期が確認されており、それは全体の期間の 17%を占める。
・過去約 1000年間のあいだのすべての太陽指標は、1920年から 1940年の間に太陽活動レベルが最も高かったことを示す。
・西暦 1700年から 2013年までの時間では、1760年、1840年、1930年、2000年に太陽活動レベルの最大値を示しており、これは約 80年ごとに太陽活動の最大値が出現することを示す。
論文「 過去3000年間の太陽活動と二重の原動力の強化」より
Reinforcing the double dynamo model with solar-terrestrial activity in the past three millennia
・太陽活動周期であるサイクル 21からサイクル 24の分析から得られた太陽磁場振動の 2つの固有ベクトルのサマリー曲線を使用して過去と現在を比較した。その結果、私たちの研究では、2020年から 2053年にかけて、太陽の活動極小期の発生を確信した。
論文「 宇宙線と太陽活動と地球の気候変動」より
Cosmic rays, solar activity, and changes in the Earth’s climate
(訳者注 / この論文は数式が並びまくっていて、理解できなかったので、翻訳はできないですが、数値の証左はともかく、そこから計算されたのは下のグラフということになります)
論文「政策の定義の基準となる太陽活動周期あるいはエルニーニョ南方振動」より
The Solar Cycle or El Niño Southern Oscillation (ENSO) as a Criterion for the Definition of Public Policies
・提示された資料と論議された論考を分析することから、太陽活動の周期は、長期的に地球の気候条件に影響を与えると結論付けることができる。太陽活動周期のサイクル5とサイクル24の類似点に基づけば、次の太陽活動周期であるサイクル24から サイクル25に対応する 2022年から 2034年は寒冷期間が長くなると予想される。
きりがないですので、このあたりまでとさせていただきますが、こういうような科学論文が1年間で 120も科学専門誌に掲載されていたという現状についてお知らせしたかったというようなことだとご理解いただければ幸いです。
               
In Deep 
https://indeep.jp/mini-ice-age-is-coming-soon-2018/












「過去3000年間加速し続ける地球の寒冷化を止めることはできない」
: 南極とグリーンランドの氷床コアが語る地球過去45万年のサイクルから見る「今はまさに氷河期突入直前」だという強力な示唆
2017/05/27 
・The Holocene context for Anthropogenic Global warming
最近、海外の SNS で話題となっているネット上の論文があります。
それは、NOAA (アメリカ海洋大気庁)のデータをもとに、過去 45万年の氷床コアのデータから地球の気温のサイクルを見つめ直したものです。
その内容は「現在の地球は過去 8000年の中で最も寒い」ことがわかると共に、これからの地球の気候を考える上でとても参考になるものです。
今回は前振り一切ナシで本文に入ろうと思います。
「なぜ、今、氷河期が近いといえるのか」ということや、地球の歴史が見せてきた「厳密な気候のサイクル」に驚かれるかと思います。
簡単に書けば、
「地球という場所は、約10万年間の氷河期と、約1万年間の温暖期を繰り返している」
ということが、少なくとも過去 45万年の氷床の記録は示しているのです。
そして、今の私たちは 1万年の温暖期の「完全な最後の時期」にいることもわかります。
次の氷河期がすぐに迫っているということが、データは明白に示します。
あるいは、「なぜ、こんなにも気候が荒れてきているのか」ということも、この本文の中の文章で理解できる部分があります。
そんなわけで、本題に入りますが、文中に出てくる単語の説明だけは最初に記しておきます。
・完新世 – 完新世(かんしんせい)は地質時代区分のうちで最も新しい時代である。現代を含む。
・後氷期 – 後氷期(こうひょうき)とは、約1万年前から現代までの時代をさす。
・間氷期 – 氷期と氷期の間の比較的温暖な時期。現在は後氷期にあたるが、次の氷期の前の第四間氷期であると考えられている。
また、地球の寒冷化やミニ氷河期については、過去多くの記事を記させていただいていますので、翻訳の後に、個人的にピックアップした記事のリンクを示させていただきますで、ご参考いただければ幸いです。
The Holocene context for Anthropogenic Global warming
人為起源による地球温暖化のための完新世の背景
私たちの現在の有益で温暖な後氷期(1万年前から現在までを含む時代)は、過去1万年間、人類の文明の構築を可能にしてきた。
完新世の穏やかな気候は、人類の最古の農業から、最近 100年間の科学技術の急速な発展までを支え続けた。
しかし、今現在、グリーンランドの氷床に記録されるすべての北半球の氷床は、以下のことを示している。
・最後の千年紀である西暦 1000年 – 西暦 2000年の間は、後氷期の中で最も気温の低い 1000年であること。
・より最近の完新世では、紀元前 1000年頃の「気温の転換点」以来、以前の 20倍以上の 約 0.14 ℃の気温の低下を見せて現在に至っている。
・後氷期はすでに 10000年から 11000年続いており、前世紀の期間の長さから判断すると、完新世は終わりに近づいているはずだ。それは、今世紀かもしれないし、次の 1000年紀かもしれない。
・20世紀の終わりから、有意な気温の上昇がもたらされ、それは「人為的な地球温暖化警報」という捉え方に変わっていった。
・しかし、最終的には、この 20世紀後半からの気温の急上昇は、過去 3000年以上にわたる比較的急速な気温低下期間の長期的な進展の中では、小さな変動の一部として見なされるようになるだろう。
・NOAA 以外の機関から公表されたグリーンランドの氷床コアの記録もまた、この知見を裏づけている。
ある一部の人たちは、人為的な要因による地球温暖化の環境への悲惨な影響を警告しているが、その気温変動の規模を考えると、その最高の転換点とされる+ 2℃は、結局は、紀元前 1000年の頃の暖かい期間と似通った気候の水準に近づくというだけだろう。
最近の地質学的状況
南極のボストーク基地の氷床コアの酸素温度評価技術による解析では、以下のことがわかっている。
・過去 80万年間では、約 10万年の間隔で定期的な気温の変動があった
・過去 45万年間に、おそらく 5回の間氷期の温暖期があった
間氷期の温度の変化と持続時間は、それぞれ差異があり、いくつかの初期の間氷期では、 10,000年の基準よりもかなり短かった。
これらのデータから示されることは、
・〜10万年周期 北半球の多くが数キロメートルの深さの氷のシートで覆われている長い氷期の繰り返しパターン。
・〜1万年周期 短い期間の暖かい間氷期が続く。
というものだ。
これは太陽のより短い周期的な振る舞いによって調整されることがわかっており、地球の気候を支配するこれらの事実は十分に文書化されており、現在ではよく理解されている。
下は、過去12万年のグリーンランドの氷床コアが示す北半球の気温の変化だ。
過去の間氷期の長さから判断すると、およそ 10,000〜 11,000年続いた完新世期は今、終わりに近づいているはずだ。
したがって、過去のサイクルから見れば、地球は再び完全な氷河に覆われる気候へ戻る時期が近づいている。
それは今世紀からかもしれないし、次の世紀かもしれないし、あるいは次の千年紀になるかもしれないが、過去のサイクルに従うのではあれば、予見は可能だ。
直近の 3000年で地球は急速な冷却を経験しているが、今後より寒冷な気候へと変化が継続していく可能性は高い。
寒冷化は、より強烈な悪天候につながる。 地球の極(南極、北極)と、熱帯の間の全体的なエネルギーの差は寒冷化によってのみ大きくなる。
そして、それにより大気中の安定性が低い状態になるため、悪天候が顕著になりやすくなる。
さらなる悪天候に加えて、来るべき寒冷期はまた人類全体と生物圏全体にとって非常に深刻な欠乏につながるだろう。
植物が成長する季節が短くなり、耕作面積が減ることにより、大きな影響が出る。
かつての寒冷期では、多くの生物圏が崩壊したが、直近、世界はこれらの悪条件と温度の限界上昇から回復し、20世紀後半は人類と生物圏にとって完全に有益な時代であった。
しかし、人為的な温暖化が過去 3000年の寒冷化を逆転すると期待するのは人類の傲慢だろう。
地球の寒冷化は加速し続けており、その傾向は継続すると考えるのが妥当だ。
ここまでです。
過去の寒冷化と氷河期関係の記事をいくつかピックアップさせていただいて、今回の記事を締めさせていただきます。

In Deep 
http://indeep.jp/coldest-millennium-in-8000-years-is-now-and-coming-soon-ice-age/





2019年2月4日月曜日

北海道に史上最強クラスの寒波襲来へ


北海道に史上最強クラスの寒波襲来へ。-30℃以下続出か?
杉江勇次  | 気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ所属
2/5(火) 13:14
極寒の北海道、霧氷と川霧(ペイレスイメージズ/アフロ)
史上最強クラスの寒波襲来へ
今月に入ってから春先らしく、寒暖差がとても激しくなっていますが、そんな中、北海道には今週後半、非常に強い寒気が流れ込む予想で、それも過去最強クラスのとんでもない寒波の到来となりそうです。
今回の寒気の特徴は下層と呼ばれる上空1500メートル付近の寒気が極めて強いこと。
これは地上の気温に直結するため、北海道は場所によっては、記録的な寒さ、凍てつく極寒に見舞われるかもしれません。
寒気の予想をみると、7日の木曜日は東日本や西日本を中心に再び暖気に覆われるため、春本番を思わせる暖かな陽気の所もあるでしょう。
ところがシベリア方面は青一色で強烈な寒気が南下中であることを示しています。
この寒気が木曜日の夜以降、北海道に南下し、金曜日には北海道をすっぽり覆う予想です。
注目は北海道を覆っている-24℃以下の寒気で、これはまさに厳冬期の北海道の平年値よりも10℃以上も低いものです。
実際、8日の金曜日午前9時の札幌上空1500メートル付近の予想は
-25.8℃
で、1957年以降の記録、-23.9℃を大きく下回る予想となっており、まさに史上最強クラスの寒波襲来と言っても過言ではない状況です。
札幌は昼も-10℃以下、内陸は-30℃以下続出か
北海道の天気や気温予想、赤は最高、青は最低(ウェザーマップ)
北海道の気温予想に注目すると、札幌は金曜日の
最低が-13.8℃で、最高が-9.1℃
となっていますが、これは金曜日に日付が変わった頃に最高気温が出て、その後、朝から日中にかけてずっと-10℃以下となる予想です。
札幌で-10℃以下まで下がることは珍しくないものの、日中にずっと-10℃以下の気温が続くことは近年ありません。
雪まつりに行かれる方はいつも以上の完全防寒が必要となるでしょう。
さらに占冠、陸別、川湯などの内陸では、金曜日から土曜日にかけて、この冬初めて-30℃を下回る予想となっており、2日連続で-30℃以下となる所が続出するかもしれません。計算上では土曜日、陸別の-32.9℃が最低ですが、晴れて、風が弱まるなどの条件次第では、近年滅多に出現しない-35℃以下まで下がる所があっても不思議ではありません。
また極寒のピークは金曜日から土曜日ですが、その後、週明けにかけても、平年を大きく下回る厳しい寒さが続く見通しです。
寒さの他、大雪や吹雪などにも、引き続き、注意・警戒が必要です。

Yahoo! Japan
https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20190205-00113708/







東京は土曜日に雪の予報
北海道の寒さには遠く及ばないものの、関東にも金曜日以降は寒気が流れ込み、3連休にかけて、真冬の厳しい寒さが続く見込みです。
そんな寒気に覆われた中、土曜日は関東の南で低気圧が発生する可能性があり、この振る舞い次第では、東京をはじめ、関東の平野部でも降雪となるかもしれません。
今のところ、気象庁の東京予報では曇り一時雨か雪となっています。
まだしっかりとした低気圧が発生するかも不確実な状況ですが、3連休の初日ということもあり、今後の情報にご留意下さい。

Yahoo! Japan
https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20190205-00113708/




2019年2月3日日曜日

Billy Meier交信記録: 人類のルーツ,恐竜時代~原始時代

Billy Meier交信記録: 人類のルーツ,恐竜時代~原始時代
Introduction
Contact Reports volume: 5 (Plejadisch-plejarische Kontakberichte, Gespräche, Block 5)
Page number(s): All
Date/time of contact: Saturday, February 28, 1987, 2:09 AM
Translator(s): Benjamin Stevens et al.
Date of original translation: Ben translated portions in bold by Sunday, January 31, 2010
Corrections and improvements made: N/A
Contact person: Quetzal
Synopsis
This is the entire contact.
Two versions are presented: an authorised but unofficial translation by Benjamin Stevens and two authorised and official extracts.
Contact Report 215 Translation

Future of Mankind
http://www.futureofmankind.co.uk/Billy_Meier/Contact_Report_215






(要約)
Billy Meier(ビリー・マイヤー)交信記録: 人類のルーツ,恐竜時代~原始時代
コンタクトレポート数:5(Plejadisch-plejarische Kontakberichte,Gespräche,ブロック5)
ページ番号:すべて
連絡日時:1987年2月28日(土)2:09 AM
翻訳者:Benjamin Stevens他
更新日:2010年1月31日日曜日
担当者:Quetzal
Benjamin Stevensによる非公式翻訳と2つの承認された公式の抜粋
Billy Meier (ビリー・マイヤー):
他のことについて教えてください。
グイドと私は先史時代,石器時代の人類について話しました,
そしてそこで,彼らが実際にこれまで彼らがより大きなグループに結束するまで来た時,
そしてこれらまたは彼らの子孫が最初のより小さなそしてより大きなさらに,地球上の最も遠い先祖代々の先祖をそのように指定することができれば,最初の本物の元祖先史時代の男性について話すようになりました。
ここで,問題は,彼らが実際にどれくらいの大きさであり,彼らがすでに直立して歩いていたかどうかです。
また,恐竜絶滅後に哺乳類が地球を占領した時代。
具体的に言えば,最初の哺乳類,そしてその後の生物がどのように進化していったのか。
さらには,恐竜,大型哺乳類などの時代。
地球の気候が安定し始めた時代の事を教えてください。
Quetzal:
地球の気候が安定し始めたのは約3500万年前だ。
そして,それよりももっと以前,大災害後の約6500万年前に出現した哺乳類とその捕食者についての情報を提供しなければならないのなら,
始新世と漸新世の時代(the times of the Eocene and Oligocene)
について話さなければなるまい。
ご存じかもしれんが,約6,500万年前,宇宙で大爆発がおきて,地上のほとんどの生命体は死に絶えた。
その世界で生き延びたのは小さな生き物だけだった。
せいぜい10~12kg以下の小さな生き物だけだった。
人類のルーツ。
その起源において「人間」として特定しうる最初の人間の形態は,およそ4900万年前に出現した。
この時点では,彼らの外見は人間ではない。
現代人が「初期の人類,原人」として想像するような形であった,
実は,「原人」の大きさはわず約80センチであった。
腕が長く,木登りが得意な猿の一種だ。
そして彼らの中で足で半直立する者があらわれた。
これら「原人」の進化は非常に長い時間をかけてゆるやかに進んだ。
「原人」の進化は多様な相ですすみ,一部が現在認識可能な「人間」に発展した。
現在認識可能な「人間」が出現したのが約850万年前,同じ属の他の種が出現したのが650万年前と450万年前だった。
「人間」出現の前兆があったのが1670万年前と1260万年前。
アフリカ,オーストラリア,日本,中国,アメリカ,南アメリカ,ヨーロッパ。。
地球上の様々な場所に出現した。
この時代には,すでに初期の住居の集まり - 集落 - があり,そこに親族同士が集まって生きていた。
恐竜絶滅後の世界にも,例えばティラノサウルス・レックス(the Tyrannosaurus Rex)と比肩するような大型の捕食者は当然いた。
例えばハイエナドント類(the family of Hyaenodonts)。
ハイエナドント類は体長170~180cm,かみそりのような鋭い歯を持っていた。
特に大臼歯は獲物の最も厚い骨さえ噛み砕く事のできる鋭い研削ツールだった。。
これらは今日のハイエナの先祖ではない。
彼らは攻撃的で冷酷な捕食者だった。
エンテロドン(Entelodonts)はハイエナドント類よりもさらに大きな捕食者。
そして,無限に広がるサバンナと広葉樹林を狩猟場にしていたエンテロドン(Entelodonts)はハイエナドントと共に生存していた最も強力な捕食者だった。
エンテロドン(Entelodonts)の体長は2m以上に達し,体重は1000kg以上だった。
これらの動物は非常に攻撃的で,今日のイノシシに近い。  
エンドロサクス(Endrosacus)は体重1トン超の極めて攻撃的な捕食者。
今日の羊の最も遠い祖先。
恐竜絶滅後の世界ではおそらく地上最大の捕食者であった。
彼らの唯一の天敵は,同種の彼ら自身だった。
彼らが互いに遭遇した場合,彼らは剃刀のような鋭い歯で固定された最大1mの顎で互いに攻撃して虐待した。
200万年以上前,最も強力で珍しい哺乳類,メガテリウム(the Megatherium)が地球に出現した。
これは巨大なナマケモノで,後ろ足で直立して歩いて葉を食べた。
ただ今日のナマケモノと違うのは,メガテリウムは巨大で木には登らない。
中型の象と同じくらいの大きさで,体重は4,000kg以上。体長は6mだった。
この巨大ナマケモノはほんの数千年前まで南北アメリカに住んでいたが,これもまた完全に絶滅したマンモスと同様,そのおいしい肉を求めた人間による狩猟によって絶滅した。
それ以外の動物が絶滅した原因は,気候の激変と自然災害であった。
巨大マンモスといえば,現在の象の先祖を思い浮かべるだろう。
これは何百万年も前に生存していたネウレテリウム(Neureterium)であり,非常に長い進化の過程を経て,現在象として知られる形態へと進化した。
馬の元来の先祖はカリコテリウム(the Chalicotherium)。
非常に小さく,大きさは30cm以下であった。
それが,長い首,長い足,短い鼻を持つ,大きさが3m以上の生物に進化した。キリンに似た形状だ。
Billy Meier :
ありがとうございました。

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最終氷期

最終氷期
最終氷期(さいしゅうひょうき,Last glacial period)とは,およそ7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期のことである。
この時期は氷期の中でも地質学的,地理学的,気候学的にも最も詳しく研究されており,気温や,大気・海洋の状態,海水準低下により変化した海岸線など緻密な復元が進んでいる。
名称
俗に「氷河期」という言葉を使うときはこの時代を指すことが多い。
地域によってヴュルム氷期(英語版),ウィスコンシン氷期(英語版)と呼び分ける。
最終氷期の時に最も氷床が拡大したおよそ2.1万年前を最終氷期の最寒冷期(最終氷期最盛期,Last Glacial Maximum,LGM)と呼ぶ。
最終氷期最寒冷期の環境
氷河作用の影響を直接受けた地域
最終氷期の最寒冷期(LGM)における植生。灰色は氷床に覆われた地域
この時代,およそヨーロッパ北部全域,カナダのほぼ全域と,西シベリア平原の北半分が巨大な氷床に覆われていた。
北アメリカではその南限は五大湖周辺,東ヨーロッパではライン川の河口からクラクフ,ロシアではモスクワからアナバル川河口まで達していた。
アイスランド全島,南部を除いたブリテン諸島も氷床に覆われていた。
一方南半球では,パタゴニア氷床がチリ南部,南緯41度付近まで達した。
チベットや,カシミール地方のバルティスタン(パキスタン北端部)とラダック(インド西北部),アンデス山脈のアルティプラーノも氷床に覆われていた。
アフリカ,中東,東南アジアでは小規模な山岳氷河が形成され,特にアフリカではアトラス山脈とバレ山地,東南アジアではニューギニアに氷河が存在した。
オビ川,エニセイ川は広大な氷床によってせき止められ巨大な湖が形成された。
永久凍土が,ヨーロッパでは氷床の南から現在のハンガリーのセゲドまで,アジアでは北京まで発達していた。
しかし北アメリカでは標高の高いところ以外では氷床の南域に永久凍土は発達しなかった。
氷床に覆われた時期の北アメリカは現在の氷河地域のような気候であったが,東アジアやアラスカの一部は標高の高いところ以外は氷河化していなかった。
この特殊な現象には3つの原因が考えられる。
寒流の親潮がベーリング陸橋に遮断されていたため,太平洋は大西洋より暖かかった。
現在の東アジアの降水量は夏に非常に多いが,冬はヨーロッパや北アメリカの同緯度と比べて極端に少ないことから,氷河が形成されるだけの降雪が起こらなかったと推測される。
東アジアには東西方向に高い山々が連なっているため,氷床の南下が妨げられた。
乾燥地域
現在温暖な地域の最終氷期最寒冷期の気候は非常に乾燥していて,一般に寒冷であった。
極端なケースでは,南オーストラリアやサハラ砂漠南部のサヘル地域では降水量は9%まで減少し,植物相は氷河に覆われたヨーロッパや北アメリカ地域と同じくらいまで減少した。
比較的影響の少なかった地域でも熱帯雨林は大きく縮小し,西アフリカの熱帯雨林はグラスランド(熱帯性の大草原)に囲まれて「避難するような」状態であった。アマゾンの熱帯雨林は拡大したサバナによって2つに分割されていた。東南アジアの熱帯雨林地域も似たような影響を受け,スンダランドの東西端以外は落葉林が広がっていたと思われる。中央アメリカとコロンビアのチョコ地域だけが熱帯雨林として実質的に損なわれずに残っていたが,
それはおそらく現在でも極めて大量の雨が降る地域だからであろう。
砂漠地域のほとんどはその面積を拡大していた。
ただアメリカ西部では例外的にジェット気流が変化して現在砂漠である地域に大量の雨を運んでいた(似たような現象は北アフリカでも起きたとされているが確証は無い)。
オーストラリアは移動する砂丘に大陸の50%が覆われ,南米のグランチャコやパナマも同様に乾燥していた。
現在の亜熱帯地域,特に東部オーストラリアやブラジルの大西洋沿岸森林地域(Atlantic Forest)や中国南部では乾燥化により森林の大部分が喪失し,
荒涼としたウッドランド(疎開林)が分布していた。中国北部は寒冷だが氷河に覆われることは無くツンドラと大草原が混在し,
森林の北限は少なくとも現在より緯度にして20度南にあった。
最終氷期の海水準低下とその影響
最終氷期の最盛期には,数十万立方kmといわれる大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なった。
海水を構成していた水分が蒸発して降雪し陸上の氷となったため,地球上の海水量が減少,世界中で海面が約120mも低下した。
その影響で海岸線は現在よりも沖に移動していた。
この海水準がもっとも低下した時代,東南アジアでは現在の浅い海が陸地になっており「スンダランド」を形成していた。
アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され,ここを通って北アメリカに人類が移住したと信じられている(海水準変動を参照)。
日本列島およびその周辺では,海岸線の低下によって北海道と樺太,ユーラシア大陸は陸続きとなっており,現在の瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地となっていた。
また,東シナ海の大部分も陸地となり,日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり,対馬暖流の流入が止まったと言われている。
この影響もあり日本列島は現在より寒冷で,冬季の降雪量が少なかったと考えられている。
北海道では永久凍土やツンドラ,標高の高い地域では山岳氷河が発達し,針葉樹林は西日本まで南下していたと言われている。
最終氷期の気候変動
最終氷期というと長い間続いたと一般には思われているが,実際は短い周期(氷床コアの研究において発見され,ダンスガード・オシュガーサイクルと呼ばれる)で気候が激しく変動していたことがわかってきた。最寒冷期の状態が続いたのは実際は非常に短い間,おそらく2000年ほどであったと専門家の間では考えられている。最寒冷期の直前は多くの地域では砂漠も存在せず,現在よりも湿潤であったようである。
特に南オーストラリアでは,4万年前から6万年前の間の湿潤な時期にアボリジニが移住したと思われる。
最終氷期が終わった現在の完新世のことを後氷期と呼ぶこともある。
最終氷期が終わって後氷期に移行する時に大きな「寒の戻り」がおこり一時的に氷期のような寒冷な気候になった。
この時期はヤンガードリアス期(およそ1万3000年前)と呼ばれ,約10年のあいだに気温が約7.7℃以上下降したということがわかっている。
これは氷期から間氷期に移行する時の急激な温暖化によって,北半球の氷床が溶解し,大量の淡水が大西洋に流入して海洋・気候のシステムに大きな影響を与えたためと言われていたが,「米科学アカデミー紀要(電子版)にメキシコや米国などの研究チームが発表する論文によると,チームはメキシコ中部のクイツェオ湖にある1万2900年前の地層を分析。通常は見られない,急激な加熱と冷却によりできたダイヤモンドの微粒子などが含まれていたことから,山火事や火山噴火ではなく彗星などの空中爆発や地上への衝突が起きたと結論づけた。 」と朝日新聞は報じている。

wikipedia.org
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E7%B5%82%E6%B0%B7%E6%9C%9F












現人類は約2万年前の最終氷河期(旧石器時代)の過酷な環境に適応するため基本設計が定まったが,その後の温暖化,急激な社会変動,価値観の多様性など新たに加わった周辺環境に対処するには基本設計が古過ぎる。
 今日の早朝も相変わらず,ストレッチから軽い筋トレ,ウォーキング。
快晴。春霞がかかっている。公園の桜はほぼ満開。今年は一番開花が遅れいるようで,例年だと阪神競馬場の桜花賞の頃の桜は満開状態を過ぎて,花冷えのする冷たい風に吹かれて,桜吹雪の状態だった。
そういえば,先日,異例の春の嵐が吹き荒れた。
今年の阪神競馬場の桜は,今日の温かい春の日差しを受けて,レースが始まる頃には,満開だろう。
こんなことはあまり記憶にない。
今日の日曜日が終われば,明日の月曜は新一年生の入学式。桜満開の入学式に成る。今朝。春の明るい日差しはあるから,暖かい様に感じるが,実はとても寒い朝で,温度計を見ると3月上旬並みのようだ。そういう訳で,今日も陽光に映える桜を眺めながら二つの公園を歩いた。
が,時々想わないでもない。
何でこんなことをしているのだろう?物凄い時間のロスをしている,と。習慣で,そういう流れができて,身を任せているだけ。馬鹿な事をやっているという想いが,正直,拭いされない。何もしないで,体重をキープできて,筋肉が落ちなければ,良いに越したことはない。
>そこで冒頭のタイトル。
ある地方史の本を開くと,その地方の縄文時代のズット以前の,2万年ほど前の旧石器時代時代の遺跡の発掘物から,説き起こす際に,冒頭タイトルにした様なフレーズが出てきた。
地球が氷河期の寒冷な気候に覆われていた時代。
海面は今よりも100メートルも下がっており,日本列島は大陸と陸続きで繋がっていた。
亜寒帯の森林におおわれた陸上にはオオツノジカやナンマンゾウが生息して,すでに日本に居住していた人類は「進化段階は現生人類と同じ新人で,私たちと思考能力も運動能力も全く差異のない,直接の祖先」だった。
過酷な環境に適応するところから出発した私たち人類は
<未だに寒冷な旧石器時代に{基本設計}の定まった身体構造>を引きずっている。
余分なカロリーを急激に脂肪に蓄える,過酷な時代がもたらした{基本設計}が,食いものが,自分で作ったり,採ったりするする現場とかけ離れて,カネよって簡単に手に入る時代に,肥満と云う形でそぐわなくなっている。
だから,脂肪をつけさせないために,運動に時間を割かなければならない。
その作業を素晴らしいとばかり,想うのは勝手な思い込みであり,本当は,馬鹿な事をやっている。
食い過ぎの快楽におぼれ,辻褄合わせをしているだけじゃないか。
そういうカネがあれば,世界中の飢えた人で助かるヒトがいる。理性で考えるとそういう事に成る。
>現人類は長く続いた過酷な生存環境を生き抜くに従って,そうした環境への強固な適応力がDNAにインプットされた。
それを著者は{基本設計}と云う適切な言葉で表現している。
その後の地球の気候の温暖化のよって海水面が上昇し,日本は大陸と切り離され,海進の最も進んだ約6000年間には海は今よりずっと列島に入りこんでいた。
>>やがて新石器時代から,縄文時代が始まるのだが,この著者の指摘している,{基本設計不適応}は,もっとスケールのデカイ事だ。
「その後の気候の温暖化」。
ここまでは自然現象の大きな変動に対する氷河期に{基本設計}された現人類の不適応であり,何のことはない常識の範囲。
>>「急激な社会変動」。
そして「価値観の多様性など」。
に「対処するには{基本設計が<余りに古い}のではないかと云う,現状認識が可能なのである」とまで云われると,つい一足飛びに,現在の地球規模に沸き起こっている諸問題への人類のDNA的基本設計の余りの古さゆえの不適応=DNA的解決能力不在をに想いを馳せてしまう。
そういえば,人類はズット戦争しつけてきたな。最後は力による解決の道を選択してきて,厄介なことにそれが起動力となって,歴史が前に進んできた。その挙句の果てが,尤も破壊的殺人兵器としての「核兵器」の開発とその使用。それが,原子力潜水艦に転用され,次に原子力発電に使用され,遂には日本の福島原発事故によって,当然の事ながら,地球のプレート移動の法則によって,その存在を否定された。にもかかわらず,利潤を追い求める資本の蓄積構造に引きずられ,原発を再稼働するという。核ミサイルを独占する大国が,自分たちの軍事的独占を維持するために,都合の良い国の核武装は許し,都合の悪い国の核武装は許さないと,核兵器の世界的多様化に圧力をかける。それだけではなく,グローバル資本制の反人間性はますます,コントロール不能状態に成っている。地球環境破壊の原因も結局,グローバル資本制に行き着く。
2万年前の最終氷河期時代に定着した人類のDNA=急激な社会変動,価値観への不適応のある基本設計,では,今のところこれらの方向性は修正できる見通しが立たない。物事には表側と裏側があるが,それにしても,表側のきらめきに反して裏側は酷過ぎて,反人類の領域に深く達している。
>>が,著者は<人間は急激に変わる>モノと,云う視点を歴史的事実から,提起している。
従来の歴史学では縄文時代から弥生時代への転換を朝鮮半島からの渡来系弥生人の移住,定着に求めているが,日本定住の縄文人,自らが主体的に,
「朝鮮半島の人々との交換や交流をきっかけに,水や土地など自然と人間の関わり方から,日常の価値観,時間の観念,ひては死生観を軸に据えた宇宙観に至るまで縄文文化をそれを完全に脱ぎ捨て,自らを水稲農耕民=朝鮮半島系渡来人風に仕立てなおして再出発した」
「しかも,朝鮮半島系の文化的要素が初期の頃から,揃って導入されているところを見れば,この再出発は集団規模で,おそらく<1世代の間に,組織的かつ短期間で生じたとみる必要がある」
「現代人の感覚になぞって表現すれば,それは宗教上の集団改宗に近い状態だと理解すべきであろう」 
 >以上の論説は考古学の出土品から,解き明かされており,説得力がある。
「疑いようもなくハッキリとした朝鮮半島系の墓の下に埋葬されていたのは,予想に反して縄文的形質を備えた人物であった。」
水稲稲作が日本列島に広まった頃,同じ地域の同時期に縄文的生活を送るムラと弥生的水稲稲作のムラの共存が確認されている。この時の水稲稲作弥生ムラは渡来系の弥生人ではなく,渡来系の生産様式に短期間で組織的に改宗した日本土着の縄文人だった。
 >この様に考えていくと,従来の歴史学説の云う,弥生時代の爆発的人口増加の原因を朝鮮渡来人の日本への圧倒的な数に求める,不自然さが拭いされる。確かに渡来人数も増加したが,日本土着の縄文人は渡来人と混血して弥生人となって水稲稲作民に自己変革した。
>>ただし,土着の縄文式生産様式よりも,手間はかかるが渡来系の生産様式の方が労働成果は大きく得られ,安定的であるという,やはり,物的な要素によって,この自己変革は可能となったと想う。やがて,そこで取り入れた生産様式が戦争的抗争と共同体の階層分解を生む。
2012/4/8(日) 午後 2:19

反俗日記
http://blogs.yahoo.co.jp/xhhfr149/22852263.html










地球の歳差運動の1周期は 25,625年です。 春分の日の太陽が昇る上昇宮は約2160年毎に変わります。 72年ごとに一度変わります。 2012年春分の太陽はうお座7度から上昇します。 太陽が春分の日水瓶座から上昇するのは2500年ごろとなります。 いまはうお座から水瓶座の時代への変化期です。

Time Cycle
http://www.harmonion.com/Article2/J-Time_Cycle_Part-1_2012_Galactic_Alignment_12-21-12.html






まず,占星学の歴史において,プラトン年とは,春分点が,約2万5千年以上の時間をかけて黄道12星座を一周すると言うものです。
つまり,約2000年間,ひとつの星座の期間に春分点があり,その期間は,その星座に影響される。つまり,時代がその星座の意味合いに合わせて変わって行くというものです。
ただし,厳密に言うと,約2000年でひとつの星座の期間に春分点がある。という言い方は間違っているとも言えます。なぜなら,地球の自転は,歳差運動により,春分点は,毎年わずかに黄道上を時計回りにずれてしまいます。これが,占星学上の星座の順序と逆に春分点が動いている理由です。
このズレは,1年周で,約50秒,72年周で約1度,2150年周で30度,つまり,1星座分移動するということです。この計算でいけば,25800年で,春分点を12星座を1周することになります。
つまり,約2000年というのは,サバの読みすぎであり,本来なら2150年で1星座分と考えるのが妥当と言えるかもしれません。

水瓶座の時代
http://homepage2.nifty.com/SON/uranai/Aquariusage001.htm






 ----銀河周期(プラトン年)25625年----
26 □BC025000  □AD001000  □AD027000
25 □BC026000  □AD000000  □AD026000
24 □BC027000  □BC001000  □AD025000
23 □BC028000  □BC002000  □AD024000
22 □BC029000  □BC003000  □AD023000
21 □BC030000  □BC004000  □AD022000
20 □BC031000  □BC005000  □AD021000
19 □BC032000  □BC006000  □AD020000
18 □BC033000  □BC007000  □AD019000
17 □BC034000  □BC008000  □AD018000
16 □BC035000  □BC009000  □AD017000
15 □BC036000  □BC010000  □AD016000
14 □BC037000  ■BC011000  □AD015000 (BC11000年,最終氷期終期)
13 □BC038000  □BC012000  □AD014000
12 □BC039000  □BC013000  □AD013000
11 □BC040000  □BC014000  □AD012000
10 □BC041000  □BC015000  □AD011000 
09 □BC042000  □BC016000  □AD010000 
08 □BC043000  □BC017000  □AD009000 
07 □BC044000  □BC018000  □AD008000 
06 □BC045000  ■BC019000  □AD007000 (BC19000年,最終氷期最盛期,LGM)
05 □BC046000  □BC020000  □AD006000 
04 □BC047000  □BC021000  □AD005000
03 □BC048000  □BC022000  □AD004000 
02 □BC049000  □BC023000  □AD003000 
01 □BC050000  □BC024000  ■AD002000

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 ----銀河周期(プラトン年)25625年----
26 □BC025000  □AD001000  □AD027000
25 □BC026000  □AD000000  □AD026000
24 □BC027000  □BC001000  □AD025000
23 □BC028000  □BC002000  □AD024000
22 □BC029000  □BC003000  □AD023000
21 □BC030000  □BC004000  □AD022000
20 □BC031000  □BC005000  □AD021000
19 □BC032000  □BC006000  □AD020000
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17 □BC034000  □BC008000  □AD018000
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15 □BC036000  □BC010000  □AD016000
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12 □BC039000  □BC013000  □AD013000
11 □BC040000  □BC014000  □AD012000
10 □BC041000  □BC015000  □AD011000 
09 □BC042000  □BC016000  □AD010000 
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BC000000010,0000 「スイフト・タットル彗星」が地球に接近。ベツレヘムの星。mappyhappy713
BC000000054,0000 ケーザル,ブリタニア再征
BC0000000700000,0000 ある学説によれば前回のポールシフトは約70万年前,
BC000000100,0000 BC2世紀~AD1世紀頃に生まれたユダヤ教やキリスト教の黙示文学。
BC000000100,0000 終末論(アセンション)は,ユダヤ教やキリスト教の黙示文学で成り立っている。
BC000000150,0000 BC2世紀に黄道十二宮が整備されたときは「おひつじ座」に春分点があった。
BC000000166,0000 紀元前166~164年頃が,ダニエル黙示的部分の書かれた大体の年代。tatsujin
BC000000233,0000 夏至の日の正午に深い井戸の底まで太陽の光が届く エラトステネス,アスワンにて
BC000000300,0318 BC300年03月18日01時42分~,火星山羊座 fortunecafe-ceres
BC000000300,0905 09月05日18時35分~,火星乙女座
BC000000300,1023 BC300年10月23日03時31分~,火星天秤座 fortunecafe-ceres
BC000000300,1209 BC300年12月09日17時58分~,火星蠍座 fortunecafe-ceres
BC000000457,0000 2300日のタイムラインはBC457に始まり1844年10月22日に終了。tatsujin
BC000000550,0000 バビロン。BC6世紀。
BC000000550,0000 メディア帝国滅亡(BC835以前~BC550年)。 
BC000000550,0000 紀元前6世紀~4世紀,ケルト族の一派,牧畜生活を営む好戦的種族がイングランドやアイルランドに渡る
BC000000600,0000 紀元前6世紀 古代ギリシャ時代の自然哲学者たちの活躍
BC000000650,0000 神武天皇。東征で九州から大和地方へと勢力を伸ばしていった。
BC000000660,0200 神武天皇。西暦紀元前660年2月大和を平定。
BC000000660,0211 神武天皇。橿原の宮で初代・神武天皇として即位。
BC000000660,0211 神武天皇。西暦紀元前660年2月11日に橿原の宮で即位。
BC000000835,0000 メディア帝国(BC835以前~BC550年)。
BC000000900,0000 BC900年頃~600年頃,周王朝成立。
BC000000950,0000 BC十世紀頃。ヤハウイストの生きていた時代と推定される。tatsujin
BC000000950,0000 ティグリス川上流の二ムロデやコルサバードでジグラドが発掘,新築・再興。
BC000001000,0000 3000年ほど前,ジブラルタル海峡の彼方の大西洋に,一大文明国があった。
BC000001000,0321 紀元前1000年の位置では牡羊座が春分点,
BC000001000,0921 紀元前1000年の位置では天秤座が秋分点,
BC000001150,0000 カッシート王国(BC1530~BC1150年)。
BC000001190,0000 ヒッタイト帝国滅亡(BC1900~BC1190年)。
BC000001530,0000 カッシート王国(BC1530~BC1150年)。独自の王国をつくらずバビロン(現イラク)に定住。
BC000001700,0000 ミタンニ帝国建国(BC1700~BC1270年)。
BC000001700,0000 ミタンニ帝国滅亡(BC1700~BC1270年)。
BC000001800,0000 BC1600年頃クノックスで描かれたイルカと思われる(魚)の壁画。次の魚座の時代を暗示。
BC000001800,0000 オシリス神の偶像。BC1800年ごろエジプトで作られた。
BC000001900,0000 ヒッタイト帝国(BC1900~BC1190年)。ミタンニ人と同族で主神は太陽神イェスタン。
BC000001930,0000 BC1930ノアの洪水の288年後羊座に彗星(エジプト)。 古天文
BC000001961,0000 ノアは洪水の後,なお350年生きた。創9:28
BC000002000,0000 火星/木星/土星が外惑星であるということはBC2000年代のバビロニアでは知られていた,
BC000002000,0000 紀元前2000年 エジプトで太陽暦,メソポタミアで太陰暦が起こる
BC000002000,0000 紀元前2000年 中国でも独自の星座が誕生
BC000002000,0000 出エジプト。BC2000年代。
BC000002000,0000 水星と金星が内惑星であるということはBC2000年代のバビロニアでは知られていた,
BC000002023,0000 紀元前2023年,メソポタミアに「死の灰」が降り注ぎ,古代シュメール文明滅亡。
BC000002244,0000 シラは30歳になってエベルを生んだ。創11:14
BC000002274,0000 アルパクサデは35歳になってシラを生んだ。創11:12
BC000002309,0000 セムは100歳になって洪水の2年の後にアルパクサデを生んだ。創11:10
BC000002311,0000 2月27日になって,地は全くかわいた。創8:13
BC000002311,0000 ノア601歳の1月1日になって,地の上の水はかれた。創8:13
BC000002311,0000 ノアが箱舟のおおいを取り除いて見ると,土のおもては,かわいていた。創8:13
BC000002312,0000 BC2312ノアの洪水か 古天文
BC000002312,0000 BC2312ノアの洪水か 古天文
BC000002312,0000 さて洪水が地に起った時,ノアは600歳であった。創7:6
BC000002312,0000 ノアの600歳の2月17日,淵の源は破れ40日40夜地に降った。創7:11
BC000002500,0000 約4000年前,春分の夜明けの水平線には牡羊座が輝いていた,象徴論
BC000002500.0000 ギザの大ピラミッドは紀元前2500年頃にクフ王の墓として建てられた,
BC000002700,0000 ラムディア大陸(約86,000年前~27,00年前のインド洋上)。
BC000002800,0000 紀元前2800年 ストーンヘンジ(日食を予言するための古代天文台?イギリス)
BC000003000,0000 5000年前の地下墳墓で,70Hzと114Hzの相互の音響による強い重共鳴周波数の存在が検出
BC000003000,0000 BC3000年 カルディア人が黄道の星のならびに名を付け星座(黄道12星座)誕生
BC000003000,0000 BC3000年 メソポタミア文明(シリウスの観測と雨期の始まり,1年の長さの観測)
BC000003000,0000 BC3000年バグダッドでバッテリー 多数
BC000003000,0000 BC3000年メキシコ アカンバロで恐竜土偶
BC000003500,0000 紀元前3500年頃,上エジプトと下エジプト,二つの統一国家ができる。
BC000004700,1221 エジプトでは冬至を太陽神の誕生として崇拝し祝いました
BC000004700,1221 冬至,太陽神の誕生,イシス(Isis)とオシリスは,太陽神ホルスを処女懐胎
BC000007250,0000 太陽系は銀河系の乙女座のエリアに入宮,銀河系の6月で夏の入口,
BC000008000,0000 BC8,000年,古代メソポタミア地方では,人間は常に空の脅威にさらされていた。
BC000010000,0000 BC1万年 ペルー:ナスカの地上絵
BC000010000,0000 アトランティス文明。BC10000年頃第三期崩壊で,全島が沈没。
BC000010000,0000 アトランティス文明最終期の崩壊の時期はBC50700年頃とBC28000年頃とBC10000万年頃
BC000010000,0000 インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』(BC10000年頃)。
BC000010000,0000 ゴベクリテペ(Gobekli Tepe)は1990年代に発見された12,000年前の古代寺院。
BC000010000,0000 紀元前10000年頃,古代エジプトの定住が始まる。
BC000010900,0000 地質学的記録によれば,ギザピラミッドの建設時期は12,900年前 InLikeFlint
BC000011000,0000 13000年前ごろ,前回の銀河系の春をむかえた地球で栄えていたアトランチス文明,ムー文明
BC000011000,0000 このころの太陽系は銀河系の射手座エリア。今の太陽系の位置はその頃の位置のちょうど反対側。
BC000011000,0000 ヤンガードリアス期,氷期から間氷期に移行する時の急激な温暖化
BC000011000,0000 ヤンガードリアス期.約10年のあいだに気温が約7.7℃以上下降
BC000011000,0000 ヤンガードリアス期(およそ1万3000年前),最終氷期~後氷期移行時の「寒の戻り」
BC000011000,0000 ヤンガードリアス期(およそ1万3000年前),最終氷期終期
BC000011000,0000 ヤンガードレアス期イベント(the Younger Dryas Impact Event,YD)
BC000011000,0000 紀元前11000年ころ,乙女座の時代から獅子座の時代へ移行,
BC000011000,0000 多くの動物相が消えた世界的破滅イベント/ヤンガードレアス期イベント(YD)がおきたころ
BC000011000,0000 太陽系の位置は銀河系の牡牛座のエリア,獅子座の時代,
BC000012000,0000 恐竜絶滅,
BC000013167,0000 紀元前13167年ころ,天秤座の時代から乙女座の時代へ移行,
BC000013364,0000 紀元前13364年BCごろ第2の太陽の時代始まる,
BC000013500,0000 太陽系は銀河系の射手座のエリアに入宮,銀河系の3月で春の入口,
BC000015300,0000 ムー大陸(約37万年前~15300年前のインドネシア)。
BC000015708,0000 太陽系は銀河系の山羊座のエリアに入宮,銀河系の2月で冬(氷河期),
BC000017916,0000 太陽系は銀河系の水瓶座のエリアに入宮,銀河系の1月で冬(氷河期),
BC000019000,0000 およそ2.1万年前,最終氷期の時に最も氷床が拡大
BC000019000,0000 永久凍土が,ヨーロッパでは現在のハンガリーのセゲドまで,アジアでは北京まで発達していた
BC000019000,0000 海水準がもっとも低下した時代
BC000019000,0000 最寒冷期,パタゴニア氷床がチリ南部,南緯41度付近まで達した
BC000019000,0000 最寒冷期(最終氷期最盛期,Last Glacial Maximum,LGM)
BC000019000,0000 最終氷期の最盛期には,数十万立方kmの大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なった
BC000019000,0000 最終氷期の最盛期には,世界中で海面が約120mも低下
BC000019000,0000 東南アジアでは現在の浅い海が陸地になっており「スンダランド」を形成
BC000019000,0000 東部オーストラリアやブラジルや中国南部では荒涼としたウッドランド(疎開林)が分布
BC000019000,0000 熱帯雨林は大きく縮小し,西アフリカの熱帯雨林は熱帯性大草原に囲まれて「避難するような」状態
BC000020000,0000 20000BCごろ最後の氷河期始まる,Time Cycle
BC000020000,0000 アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され,ここを通って北アメリカに人類が移住した
BC000020000,0000 日本列島およびその周辺では,海岸線の低下によって北海道と樺太,ユーラシア大陸は陸続き
BC000020125,0000 太陽系は銀河系の魚座のエリアに入宮,銀河系の12月で冬(氷河期),
BC000021835,0000 紀元前20125年ころ,水瓶座の時代から山羊座の時代へ移行,
BC000021835,0000 太陽系は銀河系の水瓶座のエリアに入宮,銀河系の11月で冬(氷河期)の入口,
BC000024000,0000 紀元前24000年ころ,魚座の時代から水瓶座の時代へ移行,
BC000028000,0000 アトランティス文明。BC28000年頃第二期崩壊。
BC000028000,0000 アトランティス文明最終期の崩壊の時期はBC50700年頃とBC28000年頃とBC10000万年頃
BC000030000,0000 紀元前30000年頃,西アジア方面から古代エジプト人の祖先が移住。
BC000040000,0000 4万年前から6万年前,最終氷期の湿潤期
BC000040000,0000 4万年前から6万年前,最終氷期の湿潤期,アボリジニが南オーストラリアに移住
BC000050700,0000 アトランティス文明最終期の崩壊の時期はBC50700年頃とBC28000年頃とBC10000万年頃
BC000057000,0000 アトランティス文明。BC57000頃第一期崩壊で大陸が五つに分裂,島となる。  
BC000070000,0000 最終氷期,7万年前~1万年前
BC000070000,0000 太陽系外からの天体接近・通過
BC000070000,0000 約7万年前ピラミッドが,カシオペア人等によってエジプトなどに建造。九鬼文書
BC000370000,0000 ムー大陸(約37万年前~15300年前のインドネシア)。
BC000860000,0000 ラムディア大陸(約86,000年前~27,00年前のインド洋上)。
BC002500000,0000 アトランティス文明は,約250万年前プレアデス星団のアトラス星人が中心となって北大西洋に築いた
BC002500000,0000 約250万年前アトラス星人が中心となって北大西洋にアトランティス文明。
BC005000000,0000 BC50万年カリフォルニア山脈より電気装置金属部品
BC400000000,0000 BC4億年テキサス州で恐竜と人類の同居跡,鉄製ハンマー

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BC5970000000,0000 天使たちは59億7千年前に一度サタン軍に完敗 なわ











□BC000000  □BC000000  □BC000000 
□BC000000  □BC000000  □BC000000 
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2019年2月1日金曜日

「2019年2月20日頃」が不気味なわけ




「2019年2月20日頃」が不気味なわけ
このように、持っている人であり、特に「霊さん」が教えてくれる時には要注意だと個人的には思っている。
そして、今日のブログ。
「2019年2月20日頃」という日付を漠然と眺めていて、思い出した。
じつは、今日掲載されたTOCANAの私の記事の中で、この日付が出ていたのだ。
それは、最後の方で、来年1月21日、2月20日、3月21日と、スーパームーン満月が3回続くという箇所だ。
下記の今日のブログ記事で紹介している。
www.tankyu3.com
リシルさんが、スーパームーン云々のことなど知っているとは思えない。
ちょうど、今日の記事が投稿される前にリシルさんからLINEが入ったので、聞いてみた。
スーパームーンだと知らなかった
来年2月20日が満月だと知っていて書いたのかと聞くと、まったく知らなかったと。
しかもスーパームーンなのだと教えてあげた。
そういうわけなので、リシルさんは単に霊さんに言われたままに、聞いた日付を書いたのだ。
たしかに来年2月20日は「月と係わりがある」日だった。
今年8/11のスーパームーン新月+部分日食以降は、世界中でM6超の大地震が連発した。
このときも、6/14、7/13、8/11とスーパームーンが3回続き、2・3回目は部分日食も重なった。
そのため、来年1月からも南海トラフ巨大地震とまで言わないまでも、日本を含めた世界の各地で大地震が起きる可能性を考えておかなければならない。

探求三昧
https://www.tankyu3.com/entry/2018/09/01/risiru


2018-09-01
【予言】リシルさんが「大地震が起きる」と不気味な予言~その時期はスーパームーン満月だった!
今日、体感+霊感で地震予測するリシルさんが、ブログで不気味な予言をしている。
2019年2月20日頃にどこかで大地震が起きるとあるが、問題はその日がある特別な日であることを知らずに書いていることだ。
リシルさんの予言
今日2018-09-01 17:40にリシルさんが「2019年2月20日頃」と題したブログ記事で、下記のように書いている。
霊さんが大地震が起きると言ってます。場所はちょっと待って下さいね‼月と係わりがあると言ってます。
これを読んで、「月」とは何だろう?と謎だった。
地震が起きる時の月齢なのか、または「月」に関係した地名のところで大地震が起きる?
だが、謎はすぐに解けた
「霊さん」?
まず、その謎解きをする前に…。
リシルさんの過去の業績をよく知らない人は、「霊さん」と聞いて胡散臭いと思うかもしれない。
だが、この人が「霊さん」と言い出した時は要注意なのだ。
「霊さん」と言っているのは、どうも復数の霊的存在がいて、未来に地震が起きる時期や場所を教えてくれるそうなのだ。
そして的中した例を2件ほど以下に示す。
「霊さん」の的中例(1)「南半球」
5年前の2013/07/02に「大地震 海外」と題した記事で、こう書いていた。
今しがたとある霊さんが海外(南半球)で大地震があるよ…って
1週間以内だそうだよ
本当かなぁー( ̄▽ ̄)b?
本当ですよ。
というのも、その日から1週間以内に、南半球で以下のようにM6超の地震が5回も起きていたからだ。
2013-07-04 17:15:54 (UTC):スマトラ島北部、M6.1
2013-07-06 05:05:06 (UTC):パプア・ニューギニア、M6.1
2013-07-06 05:05:06 (UTC):スマトラ島南部、M6.0
2013-07-07 18:35:30 (UTC):パプア・ニューギニア、M7.3
2013-07-07 20:30:06 (UTC):パプア・ニューギニア、M6.6
「霊さん」の的中例(2)「東海地震」
次の例は、これも5年前の2013/04/12の「二年後に大震災…?」という記事。
まぁ…霊さんからの伝言です
霊さんいわく二年後の夏に大震災が起きるって言ってるのね
場所は東海
ameblo.jp
その後、珍しく記事は長々と続くが、要約すると、こうなる。
浅草に用事があって行ったら、すごく見られてる気がして、その方向にあるのは墓地だった。
何やらたくさんうめき声が聴こえてきて、墓の説明書きを見ると、関東大震災の犠牲者の墓地だという。
2年後にまた同じ事が起きるから気を付けろという声が聞こえた。
気になって引き返すか去るか迷っていると、富士山が大噴火する画像と東海が激しく揺れている画像がはっきり見えた。
その結果としては、2年後(2015年)の夏には、東海地震は起きなかった。
だが、それでハズレで終わりかというと、そうでもないかもしれない
というのも、2015/05/30に小笠原諸島西方沖(M8.1、最大震度5強)が起きていたからだ。
「東海」ではなかったものの、2015年5月の夏(初夏)だった。
震源は東海から南へそれたが、規模的にいうと南海トラフ巨大地震と同等だ。

探求三昧
https://www.tankyu3.com/entry/2018/09/01/risiru



伊勢白山道:2019年2月の月齢カレンダー/月パワー
(感想)
「2月5日」と、この前後の日は、興味深いです。
大自然の動き、政治、国際関係、金融、テロ、様々な重なりが天体に出ています。
・ コノ世で、何が報道されるのか? 注目します。
2月の地球から月への距離の、最遠日と最近日に注目します。今年の最大の距離が出るのが2月です。つまりこれは、
・ 2月は、極端なことが起こりやすい。ことに注意します。
従って、2月は、
・ インフルエンザの進化系に注意。パンデミック(爆発的な広がり)に警戒をします。
1度感染したからと言って安心は出来ません。
人間で培養されて、投薬により型が変異することを想定します。
・ 2月17日〜2月23日まで、火山の動向に注意です。
九州と、北海道という、日本列島の両極端から注目します。
・ 国際情勢ですが、南米、EU圏、様々な国の大統領の破れかぶれ、覚悟した動向に注目します。
大統領を辞めた後に、他国に移民、亡命、する前提での、自国民を極端な方向に誘導する気配が、2月からの天体に出ています。
世界の民主的な国々G7から、ある件で非難されることが、これを後押しさせるかも知れません。
日本は、柳の木のごとく、外圧には押したり引いたりと、することでしょう。
これに合わせて日本国内で燻り出しが起こり、冷静な国民には色々なことが分かり出すことでしょう。
ただ、米国の内政も安定せずに、
日本と米国は、大自然の災害の気配に備えなければ生けません。
3・11東日本大震災は、まだ終わっていません。
いまだに、エネルギーの堆積を感じる太平洋側に注意します。
・ 経済の良いニュースが流れるほど、大自然の驚異に備えるべき時だと感じます。
・ 2月から、火球の目撃が更に増える可能性。
これに比例して、インフルエンザの進化に注意です。宇宙からのチリが関係します。
世界的な風邪の大流行が起こる前には、流星が多いという相関関係に注意します。
まあ、何が有っても、面白おかしく生きましょう。
まだまだ、大丈夫です。
頑張って楽しみながら、生きましょう。
生かして頂いて 有り難う御座います

伊勢白山道
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2月の自然観察日
2019-01-31 11:53:47
2019年2月の自然現象を、
「月による“中潮”の切れ目」
を重視して観察します。
月齢カレンダー(http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm?cmd=20190209120 
月齢カレンダー データ引用 http://koyomi8.com/ より)から考えて見ます。
* 2月の地球から月への距離の最遠日は、
・ 2月5日18時29分:月の距離が最遠(1.058、40万6555km、視直径29.4′)本年最遠。
これより5日後は、2月10日です。
月の最遠日から5日後を注目して観察します。
(月の最遠理論:http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/7e974d15e950af1185a913cd34c7bea4)
* 月の距離の最近日は、
・2月19日18時03分:月の距離が最近(0.928、35万6761km、視直径33.5′)本年最近。
* 毎月18日は、死後の世界・霊界が近い観音日で注意します。
* 関東大震災は、月が最遠になって数時間後に発生しました。最遠当日の発生です。
つまり、地球と月の間の距離が、極端(最遠と最近)に成った数時間後を特に注視します。
・ 月への距離の最遠日、2月5日18時29分より3時間後、「2月5日 21時29分」前後1時間。
・ 月への距離の最近日、2月19日18時03分より3時間後、「2月19日 21時03分」前後1時間。
「満月」「新月」の日と、「大潮」が重なる日への注意をします。
* 2月5日 (新月)
* 2月20日 (満月)
* 古代ユダヤの聖なる日。月の動きの意味を知る上で、古代イスラエルの叡智を参考にします。
・ 3月までは特に記念日はありませんが、5月以降の伏線期間と考えます。
*  月の下弦(1月28日)~新月(2月5日)。
この期間は「新月期間」(カレンダーの緑色線)であり、その1週間は自分の思いが反射されやすい実現週間です。
従ってマイナス思考を持つことに注意し、特に良いイメージと軽く希望を思いましょう。
感謝の参拝には最適な1週間です。
* 月の下弦と上弦の日も注意です。
2月13日 :上弦
2月26日: 下弦
上記カレンダーに加えていませんが、すべての「中潮」(不安定なニュートラル状態)の日が注意日です。
地球の電子状態を見て、随時お知らせします。

astroarts.com
http://www.astroarts.com/phenomena/2019/02/index-j.shtml

月齢カレンダー
http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm?cmd=20190209120

あなご君
http://www.sinjidai.com/~miyagi/anago-hi-net.html

地球上空の電子状態
http://www.swpc.noaa.gov/products/goes-electron-flux

伊勢白山道
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/0553017a360da333a96a3df3162b0206
http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/7e974d15e950af1185a913cd34c7bea4
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou
http://www.geocities.jp/poriporry/m/
http://www.geocities.jp/poriporry/m/g_all.html
http://www.geocities.jp/poriporry/m/g_top.html













* 2月の干支が重複(年・日・奇数日 )する日を注意します。
「節月適用」の場合の2月です。
重複する日は、テロ・事件・大地震・大事故、に注意します。
「酉」(トリ)の付く月と日は、ニワトリのような思わぬ速い動き(テロ・事件)に注意します。
              年干支    月干支  日干支
2019年2月1日 金  戊戌     乙丑  己巳 (丸1日の時間帯が注意)
2019年2月5日 火  己亥     丙寅  癸酉 
2019年2月7日 木  己亥   丙寅      乙亥 (午後から夜の時間帯)
2019年2月11日 月  己亥     丙寅    己卯 (深夜〜午前の時間帯)
2019年2月17日 日  己亥     丙寅    乙酉
2019年2月19日 火  己亥     丙寅    丁亥 (午後から夜の時間帯)
2019年2月21日 木    己亥     丙寅    己丑 (深夜〜午前の時間帯)
2019年2月22日 金    己亥     丙寅    庚寅 (午後から夜の時間帯)
(以上は、「節月適用」の干支です)

astroarts.com
http://www.astroarts.com/phenomena/2019/02/index-j.shtml

月齢カレンダー
http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm?cmd=20190209120

あなご君
http://www.sinjidai.com/~miyagi/anago-hi-net.html

地球上空の電子状態
http://www.swpc.noaa.gov/products/goes-electron-flux

伊勢白山道
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/0553017a360da333a96a3df3162b0206
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2019年1月15日火曜日

干ばつ拡大の豪州、最低気温が過去最高 農産物への影響懸念

干ばつ拡大の豪州、最低気温が過去最高 農産物への影響懸念
投稿者 うまき
日時 2019 年 1 月 16 日 00:22:25
ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
ワールド2019年1月15日 / 16:54 / 7時間前更新
干ばつ拡大の豪州、最低気温が過去最高 農産物への影響懸念
Reuters Staff
[シドニー 15日 ロイター]
オーストラリア当局は、南東部ニューサウスウェールズ州などの一部で気温が過去最高の水準に上昇していることを受け、今後数日間、屋外での活動を控えるとともに積極的に水分を摂取するよう呼び掛けた。
最も人口の多い同州の一部や西部ウエスタンオーストラリア州では、夜間の最低気温が過去最高の摂氏33度まで上昇した。豪気象局によるとニューサウスウェールズ、サウスオーストラリア、ビクトリア州の一部では16日、最高気温が45度以上に達する可能性があるという。
ニューサウスウェールズ州政府の環境衛生責任者は「身体活動を避け、十分に水分を取ることが現在不可欠だ」との声明を発表した。
豪州では、人口2500万人のうち5分の4が沿岸部に集中しており、夏季はビーチでのんびり過ごす人が多い。だが、異例の気温上昇により、現在見舞われている深刻な干ばつが悪化するとの懸念が広がっている。
ナショナル・オーストラリア銀行(NAB)のアグリビジネス担当エコノミスト、フィン・ジーベル氏は「ソルガム(サトウモロコシ)などの農産物にとって、この気候は吉報とは言えない」と述べた。
豪州は世界第4位の小麦輸出国だが、今年の生産量は干ばつにより10年ぶりの水準に落ち込むと予想されている。
https://jp.reuters.com/article/australia-weather-idJPKCN1P90M4  

★阿修羅♪
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/644.html



2018年12月24日月曜日

Merry Xmas






水瓶座の時代
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/769.html
BC 4300年 ~ BC 2150年  牡牛座の時代
BC 2150年 ~ AD  0年 牡羊座の時代
AD  0年 ~ AD 2150年  双魚座の時代
AD 2150年 ~ AD 4300年  水瓶座の時代
注:2150年から水瓶座になりますのでイエスキリストという玉は使えない。
一体誰がメシアになるのでしょうか。

ハムレットの水車小屋
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/944.html











西洋文明の根幹に、天文学、及び占星術があり、
地球の歳差運動の周期が25800年であることが紀元前より知られており、
黄道12星座の12で割ると、一つの星座に割り当てられる時間が2150年となり、
これを西洋文明では、Age(時代)と呼びます。 
そして、春分の日にどの(星座)位置から太陽が昇ってくるかと言うのが春分点で、
春分点はこの2150年という長い期間をかけて、黄道十二宮の星座を西回りに、
ゆっくりと移動します。 
実は、牡牛座の時代BC4300~BC2150(シュメール文明など)
→羊座の時代BC2150~AD0(ユダヤ文明)
→魚座の時代AD0~AD2150年(キリスト文明)
→水瓶座の時代AD2150~AD4300(フリーメーソン思想的文明)
と時代は区分されており、信心している人には申し訳ないのですが、
キリスト教もフリーメーソンも、その星座にまつわる占星術の話に、
話を合わせているに過ぎないのです。
牡牛座は農耕・光・忍耐の象徴で、守護星は金星。  
シュメール時代に太陽の春分点は牡牛座にあり、世界で最初に農業が営まれ、
牛を家畜化したのはシュメール文明で、
シュメールの最高神アンは、二本の牛の角を持っており、
これがパレスチナ(フェニキア)やインドに伝わり牛は神聖なものとなりました。 
シュメール文明の栄えたウルの地に生まれた、
アブラハムは神からの啓示を受けて、約束の地カナン(イスラエル)に向かい、
そこからイスラエル人(ユダヤ人)がカナンの地に入植してゆきますが、
もともとカナンの地に住んでいたのは、海洋民族のフェニキア人で、
ローマ帝国と戦ったカルタゴは、フェニキアの植民地です。 
カナンの地で、農業を学んだイスラエル人は、
フェニキアに同化し、バール神をも信仰しており、
古代イスラエル教は、一神教ではなく、
多数の神様の中からひとつを拝むという拝一神教でありました。 
しかしながら、モーゼの時代に強烈な一神教となってゆくユダヤ教では、
牛の角の生えたバール神を悪魔に仕立て上げ、
それから西洋では悪魔は2本の角を持つようになりました。 
それが日本にも伝わり、鬼や地獄の番人である牛頭は、2本の角を有しています。
モーゼがシナイ山に登り、神から十戒を授けられたとき、
山から下りると人々が黄金の子牛をつくり、
偶像崇拝しているのを見て、黄金の子牛を叩き壊しますが、
これはまさしく牡牛の時代から、ユダヤのシンボルである、牡牛の時代から決別し、
羊の時代に入った事を象徴するものであります。
牡羊座は、決断・革新、イスラエルの象徴で、その守護星は火星。 
牡羊座は、シュメール語の星座名では 「Lu Hunga」 で、雇われる人、また従順な人を意味し、
宗教的な時代ともいえます。 
イエスキリストもユダヤ人ですが、神の従順な子羊であり、
またキリスト教信者も子羊にたとえられ、何かと羊という言葉がでてきます。 
AD13年にシリアで鋳造されたコインには、表面に王を表すギリシア神話のゼウス、
裏面には12星座の羊が空を飛びながら東方に輝く星を振り返っている様子が描かれていました。 
古代の星座は、特定の地域も表しており、
牡羊座は、「イスラエル地方」を表しています。
魚座は情緒・自己犠牲・償いの象徴で、守護星は木星。 
最後の晩餐、ユダの裏切り、十字架という魚座の自己犠牲でクライマックスを迎えますが、
イエスは3日後に復活するので、終わりであると当時に始まりでもあります。  
新約聖書を読むと、やたらと2匹の魚がでてきます、
例えばガリラヤ湖での2人の漁師ペトロとアンデレの話、
また2匹の魚と5つのパンで5000人の人々を満腹にさせた奇跡、etc.
パンと魚の増加教会 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/415.html
この2匹の魚は、ギリシア神話によると、
美の女神「アフロディテ」とその子「エロス」がエリダヌス川(=エリダヌス座)のそばを歩いていると、
そこに、怪物「テュポン」が現れ、
驚いた2人は「魚の形」になって逃げますが、
2人は離ればなれにならないように、ひもをつけて逃げた、という話からの双魚座からきています。  ローマ神話では、母ヴィーナス(=ギリシアのアフロディテ)と息子キューピット(=ギリシアのエロス)になります。
古今東西、女性は子供産むことから、五穀豊穣のシンボルとされてきましたが、ギリシア神話のデーメテールや日本の天照大神などがいます。
小麦はBC7000~9000頃から、イスラエルやメソポタミア地方で栽培されていた貴重な食料ですが、
小麦の収穫時期である8月~9月が星座の乙女座の時期で、
乙女座はヘブライ語で収穫を意味する「Bethulah」の事であり、
ギリシア神話の五穀豊穣の女神デーメテールの星座であります。 
イエスが誕生した地はベツレヘムですが、
この地名はパンの家という意味で(Beth=家、lechem=パン)で、
清純な処女をイメージする乙女(座)からイエスが誕生したことを表すものであります。 
乙女座では、乙女が子供を抱き、麦の穂を持っていますが、
この穂の部分が乙女座のα星スピカで、飛び出していることからスパイクの語源となりました。 
乙女座の星を一筆書きにしたらローマ字のmのような形になり、
それが西洋ではマリア、インドに伝わりお釈迦の母マーヤとなり、
Mから始まる聖母の名前は世界に広まりました。
また、乙女座の、息子を抱く母の姿は、
アリアが十字架から降ろされたキリストを慈愛深く、
優しく抱く姿 「ピエタ」 となり、キリスト教文化圏で、
多くの芸術作品を生み出してきました。
Pieta
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2008/9/20

ハムレットの水車小屋
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古代では自然発生的に、太陽信仰が起こり、
広く普及したものエジプトのホルス神があり、
フリーメーソンのシンボルマークの真実を見通す目も 「ホルスの目」 であります。 
ホルスの目 
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実はこのホルス神とイエスキリストの話は良く似ています。  
ホルスは12月25日に生まれましたが、母親は処女のイシス。 
誕生のさい東の星が現れ、三人の王がその星をめぐり誕生した救世主に贈り物を捧げました。  
12歳で天才少年教師と呼ばれ、30歳でアナプという存在に洗礼され牧師として活動を始め、
ホルスは12の使徒と共に旅をし、病を治し水の上を歩いたりなどの奇跡を行い、
ホルスは様々な別名で呼ばれました。   
例えば「真実」「光」「祝福されし神の子」「良い羊飼い」「神の子羊」などであります。  
テュフォンに裏切られたホルスは十字架に掛けられ三日の間、理葬され、そして復活します。
一方、イエス・キリストは処女マリアから12月25日、ベツレヘムで生まれ、
東の星が彼の誕生を示し、三人の王がその星をめぐり、
誕生した救い主を見つけ出し贈り物を捧げました。 
12歳で教師となり、30歳でヨハネに洗礼され、彼の牧師活動が始まりますが、
イエスは12の使徒と共に旅をし、病を癒し水の上を歩き、死者を蘇らせるなどの奇跡を行いました。  彼の別名は「王の中の王」「神の子」「世の光」「アルファとオメガ」「神の子羊」などなどであります。  そして、ユダに裏切られ、十字架に掛けられて、墓に入れられ三日後に復活し天に昇ります。
また、ローマ帝国でキリスト教が国教と認められる以前に、
広く普及していたのがミトラス教で、ここで、キリスト教について、
我々が理解しておかなければならないのは、聖書はイエスキリストの弟子たちが書いたもので、
その後の教義やキリスト教文化というものは、
ローマ帝国が帝国内の人々を支配するための道具に、
イエスキリストを利用したものであります。
ディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害命令から、
わずか10年後のAD313年に、コンスタンティヌス帝が「ミラノ勅令」を出して、
キリスト教を公認しました。  
この背景には、ローマ帝国の政治的腐敗に嫌気がさしていたローマ市民にとっては、
ローマ帝国がキリスト教徒を迫害すればするほど、
彼らに同情し、キリスト教徒は増加し、もはやキリスト教徒を敵に回しては、
ローマ帝国を治めることが出来なくなっていたからです。
しかしながら、キリスト教が認められる前に、
広範に流布した宗教はミトラス教で、キリスト教とローマ帝国の国教の地位を争ったほど
優勢な宗教であった為、まだ信者が多く、
ローマ帝国が人々を治めるには、従来から続いてきたミトラス教の風習も大事に受け継ぐ必要がありました。  
彼らは、太陽信仰をしており、冬至を大々的に祝う風習があり、
ゾロアスター教の大天使・ミトラの誕生日である12月25日にお祭りをしていたため、
これをやめるわけにはいきませんでした。
そして、ミトラス教とイエスキリストの教えは融合されてゆき、
イエスキリストの誕生日は12月25日と決めたのは、コンスタンティヌス大帝で、
彼自身がキリスト教に改宗したのは、死の直前で、それまでは、ミトラス教信者で、
ミトラ神の誕生日の12月25日を、イエスキリストの誕生日にしたのです。
それでは、西洋における古代の太陽信仰に於いて、ホルス、ミトラ、イエスなど
太陽神の誕生日が12月25日なのかと言えば、ご存知のように、太陽は東から上り、
西へと沈みますが、その高度は夏に高く、冬は低くなり、
冬至で太陽の南中高度は最も低くなり、1年の中で昼は最も短くなり、夜が最も長くなります。
そして不思議なことに、12月22日、23日、24日と3日間、一番低い位置で留まり、
25日からまた太陽の位置は高くなっていきます。  
すなわち、これが太陽の死と復活で、
世界各地にある太陽信仰の神話のモデルとなっています。  
また、この太陽が死ぬとされた3日間は、太陽は南十字星の近くに位置し、
これがキリストの死と十字架を結びつけるものとなっています。
2008/9/20

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さらに、クリスマスツリーの頂上に輝く大きな星があると思いますが、
それはベツレヘムの星で、
キリストが誕生の時に輝いていた星で、
東方の三博士がこのベツレヘムの星をみて、
ユダヤの王となる赤ん坊をエルサレム、さらにベツレヘムにまで、
イエスキリストを礼拝しにやってきました。 
冬の空で、目立つ大きな星座はオリオン座ですが、
オリオン座にある三つの星は明るいことから、昔から三人の王と呼ばれており、
この三つの星を直線で結んだところに、おおいぬ座で、大きく光る星シリウスがあります。  
さらにこの直線を延ばし、地球の地平線と交錯する位置(南東方面)から、
12月25日に太陽は昇ります。  
すなわち、ベツレヘムの星(シリウス)に案内されて、
東方の三博士(オリオン座の三人の王)がやってきたのが、
キリストが誕生する(太陽が昇る)場所、ベツレヘムであったと言う事です。  
これが、太陽信仰を行う西洋の各地で、太陽神が25日に誕生する物語になっており、
後からイエスキリストも12月25日に誕生したと決められたのです。
そうして、春分点(春分の日に太陽が昇る位置)が双魚座の位置にくる紀元0年頃に、
魚のシンボルであるイエスキリストは誕生するのです。 
今日ではジーザス・フィッシュ(Jesus Fish)やクリスチャン・フィッシュ(Christian Fish)とも呼ばれているイクトゥス ( ichthys ichtus ΙΧΘΥΣ ) は、一筆書きで書いたような、魚を横から見た形に描いたシンボルですが、
これを初期のキリスト教徒は、隠れシンボルとして用いました。  

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映画(DVD)で、Quo Vadis(クォ・ヴァディス)を観られた人もいるかと思いますが、ローマ帝国のネロ皇帝の時代に、隠れキリスト教徒たちが、仲間である合図として、砂の上にイクトゥスを描いていたのを思い出します。
極めつけは、イクトゥス ( ΙΧΘΥΣ )=ギリシア語の魚 とは、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシア語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものであります。
すなわち、キリスト教というものは、ローマ帝国が帝国内の人々を治めるために、
それまで西洋文明に脈々と流れるエッセンスを凝縮して、
天文学や従来の神々と整合させながら、
世界に冠たるローマ帝国の一線級の学者達によって、つくられたものであると言うことができます。 
天文学・占星術の立場から言えば、魚座の次にくるのは水瓶座であり、
自由・平等・博愛を象徴するもので、
水瓶座は革命と独立をシンボルとする、天王星を守護星として持っており、
既存の価値観から解放され、新しい価値観を構築して行く時代であります。
フリーメーソンのシンボリックなキーワードも自由・平等・博愛であり、
フランス革命、アメリカ独立革命、イタリア統一(革命)運動、明治維新、ロシア革命、
第二次大戦敗戦後のGHQフリーメーソンによる改革、など次々と、革命に深く関与してきましたが、
これも革命と独立をシンボルとする天王星を守護星と持っていることと一致します。

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2018年12月22日土曜日

白頭山の噴火確率

富士山より怖い白頭山の噴火確率99%だって
早川由紀夫教授のホームページに見つけた資料を下記に転載します。
また、東北大学名誉教授である谷口宏充氏は、
「白頭山の過去1100年間の噴火を調査した結果、10世紀に大噴火した後、14-20世紀の間に6回噴火したことが明らかになった」
という公式発表を2012年にしています。
なぜかというと、
「2011年3月の東日本大震災で、プレート運動が起き、白頭山が噴火する確率は、2019年まで68%、2032年までは99%」
と述べているのです。
以下早川教授記載のもの転載
青森県内の十和田湖915年火山灰の上には,白頭山 Baitoushan から日本海をわたって飛来してきた火山灰(苫小牧火山灰)が認められる(町田・他,1981;Machida and Arai, 1983)
両テフラの間にはクロボクまたは泥炭が約3cm堆積している。
苫小牧火山灰は,アルカリ長石を含むというきわだった特徴をもつ。
北海道・青森県・秋田県北部のほか,八戸沖および日本海北部の海底にも見いだされる。
白頭山は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と中国の国境にあり,中国では長白山 Changbaishan とよばれている。
長白山の地表直下では,次のような堆積物の積み重なりが観察される(Machida et al., 1990):上位より,
白山 Baishan ⇒火砕流
円池 Yuanchi ⇒降下軽石
両江 Liangjiangラハール/長白 Changbai ⇒火砕流
白頭 Baegudu ⇒降下軽石
二道白河 Erdaobaihe ⇒岩なだれ
なお,町田・光谷(1994)は上の層序を若干修正し,白山火砕流を長白火砕流の上部に含め,円池降下軽石を10世紀ではない後世の噴火堆積物としている。
また,町田・白尾(1998)は,苫小牧火山灰を長白火砕流から立ち上った灰かぐらと考えている。
白頭山の10世紀噴火のマグニチュードは7.4であり,過去2000年間では,インドネシア・タンボラ火山の1815年噴火(M7.1)をしのいで,世界最大級である。
日本列島の上に降り積もった苫小牧火山灰の厚さは5cm以下であるから,北海道・東北北部が受けた被害は軽微なものだったろう。
しかし,噴火規模・噴火様式から考えて,当時の白頭山周辺地域が受けた被害は甚大であったと想像される.
Machida et al. (1990)は,少なくとも4000km2の森林がこの噴火によって破壊されたとみている。
青森県小川原湖の堆積物中に,厚さ13cmの泥を挟んで,苫小牧火山灰と十和田湖915年火山灰があることを福澤・他(1998)は認め,その間に22枚の葉理を数えた。
この葉理が年縞であるとみなすと,苫小牧火山灰は937年に降ったことになる.しかし泥の堆積速度が一様だったと考えると,13cmの泥の堆積時間として約40年が期待され,22年では短すぎる(池田・他,1997)。
『高麗史』の世家巻第二の高麗定宗元年(946年)条に「是歳天鼓鳴赦」,および志巻第七に「定宗元年天鼓鳴」とある。
また,『朝鮮史』は同年条に「是歳,天鼓鳴ル.仍リテ赦ス」と記し,その引用元として『高麗史』および『高麗史節要』を挙げている。
天にかなりの鳴動があったため,罪人の大赦をとりおこなったのだろう、鳴動が聞こえた月日は,いずれの史料にも記されていない。
鳴動の聞こえた場所にかんする記載もないが,大赦をおこなうほど深刻に受けとめられたのであるから,おそらく高麗の都であった開城(Kaesong,現在のソウルの北西)付近で為政者らが直接体験した事件であったと想像される。
当時の高麗の領土は白頭山のある威鏡道地方に及んでなく,火山灰の分布軸からも外れている.このため,鳴動の原因を知るには至らなかったようだ。
なお,『高麗史』と『朝鮮史』をみる限り,10世紀前半に他の鳴動・降灰事件の記録は見られない。
まとめ
史料に書かれた記録にもとづいて火山学的に検討した結果,以下の結論が得られた。
白頭山の噴火クライマックスは947年2月7日で,噴火開始は946年11月(あるいは944年2月)だったと思われる。
以上 
早川氏のホームページには、十和田湖の噴火についても書かれてあります。
十和田湖の噴火と白頭山の噴火には相関関係があるとも推察されています。
ふと869年に起きたという貞観地震と関連があるのかもしれないと思ったりします。
白頭山付近には中国の赤松原発があります。
もし、白頭山の噴火が起きれば、規模は1980年のセント・へレンズ山噴火レベルと推定されると谷口教授は言います。

あほうどりのひとりごと 幸福への近道
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2018年12月13日木曜日

節季

四季 節気 太陽黄経 七十二候(本朝=日本) 七十二候(中国)



●立春,2月4日
315 東風解氷 とうふうこおりをとく

黄鶯睨睆 こうおうけんかんす
魚氷上 うおこおりにのぼる
東風解氷 とうふうこおりをとく

蟄虫始振 ちっちゅうはじめてふるう
魚氷上 うおこおりをのぼる

■雨水,2月19日

330
土脈潤起 どみゃくうるおいおこる

霞始靆 かすみはじめてたなびく
草木萌動 そうもくきざしうごく
獺祭魚 たつうおをまもる
鴻雁来 こうがんきたる

草木萠動 そうもくほうどうす

●啓蟄,3月6日
345
蟄虫啓戸 ちっちゅうこをひらく

桃始笑 ももはじめてわらう
菜虫化蝶 なむしちょうとけす
桃始華 ももはじめてはなさく

倉庚鳴 そうこうなく
鷹化為鳩 たかけしてはととなる

■春分,3月21日
雀始巣 すずめはじめてすくう
桜始開 さくらはじめてひらく

雷乃発声 らいすなわちこえをはっす
玄鳥至 げんちょういたる

雷乃発声 かみなりすなわちこえをはっす
始電 はじめていなびかりす
●清明,4月5日
15
玄鳥至 げんちょういたる
鴻雁北 こうがんきたす

虹始見 にじはじめてあらわる
桐始華 きりはじめてはなさく

田鼠化為鳥 でんそけしてうずらとなる
虹始見 にじはじめてあらわる

■穀雨,4月20日
30 葭始生 よしはじめてしょうず

霜止出苗 しもやんでなえいず
牡丹華 ぼたんはなさく

萍始生 うきくさはじめてしょうず

鳴鳩払其羽 めいきゅうそのはねをはらう
戴勝降于桑 たいしょうくわにくだる

●立夏 りっか5月6日
45 蛙始鳴 かえるはじめてなく
蚯蚓出 きゅういんいずる

竹笋生 ちくかんしょうず

螻虫國鳴 ろうこくなく
蚯蚓出 きゅういんいず
王瓜生 おうかしょうず
■小満 しょうまん5月21日 60 蚕起食桑 かいこおこってくわをくらう

紅花栄 こうかさかう
麦秋生 ばくしゅういたる
苦菜秀 くさいひいず
靡草死 びそうかる

小暑至 しょうしょいたる

●芒種 ぼうしゅ6月6日
75 蟷螂生 とうろうしょうず

腐草為螢 ふそうほたるとなる
梅子黄 うめのみきなり
蟷螂生 とうろうしょうず
鵙始鳴 もずはじめてなく

反舌無声 はんぜつこえなし

■夏至 げし6月22日
90 乃東枯 ないとうかるる
菖蒲華 しょうぶはなさく

半夏生 はんげしょう
鹿角解 しかのつのおつ
蜩始鳴 せみはじめてなく

半夏生 はんげしょう
●小暑,7月7日 105 温風至 おんぷういたる
蓮始華 はすはじめてはなさく

鷹乃学習 たかすなわちがくしゅうす
温風至 うんぷういたる

蟋蟀居壁 しつしゅつかべにいたる
鷹乃学習 たかすなわちがくしゅうす
■大暑,7月23日 120 桐始結花 きりはじめてはなをむすぶ

土潤溽暑 つちうるおいてじゅくしょす
大雨時行 たいうときどきおこなう
腐草為螢 ふそうほたるとなる
土潤溽暑 つちうるおいてあつし
大雨時行 たいうときにゆく
●立秋,8月8日135涼風至 りょうふういたる
寒蝉鳴 かんせんなく
蒙霧升降 もうむしょうこう
涼風至 りょうふういたる
白露降 はくろくだる
寒蝉鳴 かんせんなく
■処暑,8月23日150綿柎開 めんぷひらく
天地始粛 てんちはじめてしゅくす
禾乃登 くわすなわちのぼる
鷹乃祭鳥 たかすなわちとりをまつる
天地始粛 てんちはじめてしじむ
禾乃登 かすみすなわちみのる
●白露,9月8日165草露白 そうろしろし
鶺鴒鳴 せきれいなく
玄鳥去 げんちょうさる
鴻雁来 こうがんきたる
玄鳥帰 げんちょうかえる
羣鳥養羞 ぐんちょうしゆうをやしなう
■秋分,9月23日180雷乃収声 らいすなわちおさむ
蟄虫坏戸 ちっちゅうこをはいす
水始涸 みずはじめてかる
雷乃収声 かみなりすなわちおさむ
蟄虫坏戸 ちっちゅうとをとざす
水始涸 みずはじめてかる
●寒露,10月9日210鴻雁来 こうがんきたる
菊花開 きくはなひらく
蟋蟀在戸 しっそくこにあり
鴻雁来賓 こうがんらいひんす
雀入大水為蛤 すずめたいすいにいりこはまぐりとなる
菊有黄華 きくにこうかあり
■霜降,10月24日210霜始降 しもはじめてみる
霎時施 しぐれときどきほどこす
楓蔦黄 ふうかつきなり
豺乃祭獣 さいすなわちけものをまつる
草木黄落 そうもくこうらくす
蟄虫咸俯 ちっちゅうことごとくふす
●立冬,11月8日 225 山茶始開 さんちゃはじめてひらく
地始凍 ちはじめてこおる

金盞香 きんせんこうばし
水始氷 みずはじめてこおる

地始凍 ちはじめてこおる
野鷄入水為蜃 やけいみずにいりおおはまぐりとなる
■小雪,11月23日 240 虹蔵不見 にじかくれてみえず
朔風払葉 さくふうはをはらふ

橘始黄 たちばなはじめてきなり
虹蔵不見 にじかくれてみえず

天気上騰地気下降 てんちじょうとうしちかこうす
閉塞而成冬 へいそくしてふゆをなす
●大雪,12月7日255閉塞成冬 へいそくしてふゆとなる
熊蟄穴 くまあなにちっす
魚厥魚群 けつぎょむらがる
蚯蚓結 きゅういんむすぶ
虎始交・武始交 とらはじめてつむる
茘挺出 そうていいずる
■冬至,12月22日270乃東生 ないとうしょうず
麋角解 びかくげす
雪下出麦 せつかむぎをいだす
蚯蚓結 きゅういんむすぶ
麋角解 びかくげす
水泉動 すいせんうごく
●小寒,1月6日285芹乃栄 せりすなわちさかう
水泉動 すいせんうごく
雉始鳴 きじはじめてなく
雁北郷 かりきたにむかう
鵲始巣 かささぎはじめてすくう
夜鶏始鳴 やけいはじめてなく
■大寒 だいかん
1月20日
300 款冬華 かんとうはなさく
水沢腹堅 すいたくふくけん

鶏始乳 にわとりはじめてにゅうす
鶏始乳 にわとりはじめてにゅうす

鷙鳥厲疾 しちょうれいしつす
水沢腹堅 すいたくあつくかたし

●:節 ■:中 二十四節気の日付は2003年 七十二候のなかには変換できない漢字があります。


massangeana(益山)の趣味のページ
http://www.asahi-net.or.jp/~ez3k-msym/koyomi/index.htm

国立国会図書館「日本の暦」
http://www.ndl.go.jp/koyomi/index2.html

ぽんずのページ
http://pengzipk.hp.infoseek.co.jp/index.html

かわうそ暦
http://koyomi.vis.ne.jp/mainindex.htm

暦と星のお話
http://www.geocities.jp/planetnekonta2/index.html