2019年2月16日土曜日

南極大陸の下に巨大な空洞が成長している




南極大陸の下に巨大な空洞が成長している
・BBC
Scientists Have Detected an Enormous Cavity Growing Beneath Antarctica
sciencealert.com 2019/01/31
科学者たちは南極大陸の下に巨大な空洞が成長していることを発見した
南極は良い状態の場所とは言えなくなってきている。
ほんのこの数十年で、南極大陸は、かつては安定した場所だと思われていた場所でさえ想像できないほどの早い速度で何兆トンもの氷を失い続けている。
そんな中、科学者たちは、南極大陸の下に「巨大な空洞」を発見した。
この巨大な空洞は、南極大陸西部の下で成長しており、その面積はマンハッタンの面積の 3分の 2程度に上り、空洞の高さは約 300メートルある。
スウェイツ氷河(Thwaites Glacier)の底にあるこの巨大な空洞は、南極大陸が毎年推定 252億トンの氷を失っていることの明白な証拠を示している。
この安定さを欠いているスウェイツ氷河は、「世界で最も危険な氷河」とも呼ばれてもいる。
後退が続くスウェイツ氷河
・NASA/OIB/Jeremy Harbeck
研究者たちは、この空洞は、約 140億トンの氷が収められるのに十分な大きさだと述べている。それが消滅したと考えられる。
さらに厄介なことに、この場所では、過去 3年間で氷の体積の大部分を失っている。
カリフォルニア大学アーバイン校の教授で、 NASA ジェット推進研究所の氷河学者であるエリック・リグノット(Eric Rignot)氏は、次のように述べる。
「このスウェイツ氷河は、その地下の岩盤にしっかりと固定されていなかったのではないかと、私たちはこの数年疑っていましたが、新しい人工衛星による調査のおかげで、ようやくこの場所の詳細を見ることができるようになりました」
リグノット氏と同僚の研究者たちは、NASA が 2009年からおこなっている北極と南極の氷を観測するプロジェクト
「オペレーション・アイスブリッジ(Operation IceBridge)」
の一部として、氷を透過するレーダーを用いて、この巨大な空洞を発見した。
測定値からは、発見されたこの空洞は、スウェイツ氷河で起こっている「複雑な後退と氷の融解パターン」の中の 1つの氷の消滅場所に過ぎず、スウェイツ氷河では、毎年 800メートルも氷河が後退している。
現在の氷床モデルや海洋モデルには当てはまらない、これらの新しい測定値が示す複雑な氷の融解パターンは、基本的には寒い場所ではあるが、気温上昇も進む南極の環境で、水と氷がどのように相互作用しているかについて、科学者たちがもっと学ぶ必要があることを示唆している。
論文の著者である NASA ジェット推進研究所のレーダー科学者ピエトロ・ミリッロ(Pietro Milillo)氏は、
「私たちは氷床の後退のさまざまなメカニズムを発見しています」
と述べる。
スウェイツ氷河の氷が溶けるこの複雑なメカニズムについては、研究者たちはまだ学習の途上にあるが、その最も基本的なところでは、巨大な空洞の存在そのものが単純な科学的現実を表している。
その現実は、ミリッロ氏によれば、以下のようなことだ。
「氷河の下の巨大な空洞そのものが、この場所のさらなる氷の融解に重要な役割を果たしているのです。より多くの熱と水が氷河の下に入るにつれて、氷は、より速く溶けていきます」
スウェイツ氷河は世界の海面上昇の約 4パーセントを占めるので、現在起きている出来事は重大ともいえる。
仮に、スウェイツ氷河の氷が完全に消滅するとすれば、融解した氷河の氷は、海面を推定 65センチメートル上昇させる可能性がある。
しかし実際には、それは最悪のシナリオでさえないのだ。
その理由は、スウェイツ氷河の位置と関係する。
スウェイツ氷河は、内陸に隣接する他の氷河と氷塊の中にあるため、その支持力が消えた場合、その結果は想像もできないようなことになるのかもしれない。そのような理由があるために、現在のスウェイツ氷河の自然構造は極めて重大だと考えられている。
これがどれだけの期間続くかは誰にもわからない。
だからこそ、科学者たちは今、スウェイツ氷河についてもっと学ぶために大規模な探索に乗り出している。
科学者たちが今後何を見出すのかはわからない。
しかし、議論の余地なく、これは現在世界で行われている中で最も重要な科学的研究のひとつであることに間違いない。

In Deep
https://indeep.jp/huge-cavity-found-beneath-antarctica/









南極大陸の氷河の下に超巨大な空洞が発見される。それと共に、南極の下で科学者たちに理解できないメカニズムによる「謎の大融解」が進行していることが判明
投稿日:2019年2月4日
2019年1月31日の科学メディアの記事より
・sciencealert.com
状況次第では、世界中で急激で大幅な海面上昇が発生する可能性も
南極という場所は、今やいろいろな異常が存在する場所ですが、その南極大陸で、
「氷河の下に《巨大な空洞》が発見された」
ということが報じられていました。
これは、NASA の人工衛星に搭載されている氷を透過して探索できる装置により発見されたものですが、その氷河の下の空洞の大きさは、
「面積が約 40平方キロメートルで、高さは 300メートル」
という巨大なものです。
ご紹介する記事では「ニューヨークのマンハッタンの 3分の2の面積」と書かれていますが、それで高さが 300メートルもある空洞が氷河の下にあるのです。
この空洞は、氷河の「氷が溶けた」ことによるものですが、今回ご紹介する記事の中には「温暖化」という言葉は出てきません。
というのも、たとえば仮に、「南極の気温が上昇して氷が溶けたのなら、表面から溶けていく」わけですが、この場所では、
氷床の内部から氷が溶けている
のです。
科学者の人たちも記事で「非常に複雑なメカニズムが働いている」というようなことをおっしゃっていますが、それがどのようなメカニズムなのかはまったくわかっていません。
しかし、いずれにしましても、このまま進行していくと、南極大陸の氷河内部の空洞がさらに拡大して、つまり、内部からの氷の融解が進み、科学者たちの言葉を借りれば、
「想像もつかないことになるかもしれない」
というような海面上昇を招く可能性が考えられています。
問題は、これがスウェイツ氷河だけの問題ではなく、この空洞が、さらに周囲の氷の融解を進行させるという懸念です。
懸念というか、すでに進行しているわけですが、記事でおわかりの通り、氷が内部から先行して溶けていっている理由は、今のところわからないというようになっています。
・・・しかし、この地球で「理由なく大量の氷が溶ける」というようなことはないわけで、しかも、写真を見てもおわかりの通り、スウェイツ氷河の表面の氷は健在なわけですので、素人的な考えでは、
氷を溶かすような熱源が、南極表層にではなく、南極の地下にある
ということになるのでしょうかね。
これについては、ここ1、2年のことでいろいろと思い出すことがあります。
まず最初に思い出すのは、昨年、南極の氷河の下に「活発な火山の熱源がある」ことが発見されたことです。
米ロードアイランド大学の科学者たちが、南極の水中から大量のヘリウム同位体を検出したことをキッカケとして、「南極の下で活発な火山活動が存在した」ことがわかったのです。
これは、以下の記事でご紹介しました。
海面上昇は「地球の気温と関係なく」本格化していく : 南極で最も氷の融解が進むパインアイランド氷河の下で火山が「現在活動している」ことが判明。
そして、その熱源が氷を溶かしている
そもそも、
南極大陸というのは、世界で最も火山が密集した場所
なのです。
これは 2017年に英エジンバラ大学の研究者たちが明らかにしたもので、衛星からの調査により、南極大陸西部に
「 138 個の火山がある」
ことがわかったのです。
そして、その時の火山の分布図を見直してみますと、今回の記事に出てくるスウェイツ氷河のある位置にも火山が存在していることがわかります。
2017年に判明した南極大陸の火山 全部で138
・theguardian.com
地図では 91とありますが、これは、その際に新たに見つかった火山で、以前からわかっているものも含めると 138の火山が南極にあります。
さらに、2017年には、NASA が驚くべき発見をウェブサイトで報告しました。それは、
南極大陸の下からイエローストーンと同等の地熱が発生し、それが南極の氷床を溶かしている
というものでした。
しかも、南極大陸の氷床の下は
「凍っているのではなく、川や湖が存在して、水が流れている」
ということも同時に発表しています。
南極大陸の氷河の下は、凍りついているのではなく、下の図のように、おびただしい川や湖が走っているのです。
2017年11月にNASAが発表したニュースリリースより
ノア級の洪水の原因…? :
「南極の氷床がイエローストーン級巨大火山の熱によって内側から溶かされている」
とNASAが発表。
なお、南極の氷が全部溶けた場合、世界の海水面は今より60メートル上昇
この記事でご紹介しましたロシア・トゥディの報道から前半を抜粋しますけれど、この部分で、なぜ南極の氷が激しく溶けているのかという理由がややわかります。
もちろん、南極の氷が溶けている理由はひとつだけではないでしょうけれど。
'This is crazy': Antarctic supervolcano melting ice sheet from within
「これは狂っている」:南極のスーパーボルケーノが大陸の内側から氷床を溶かしている
RT 2017/11/10
NASA ジェット推進研究所の科学者たちは、南極の氷床に関しての新しい理論を支持する新たな証拠を発見した。
それは、南極大陸で起きている氷の崩壊は、巨大な地熱源、つまり内部からの熱によって引き起こされているというものだ。
その熱の出力は、アメリカのイエローストーン国立公園の規模に近い出力を伴っていることが考えられるという。
地球の地殻を上昇する高い熱を持つ溶融した岩の上昇流を
「マントルプルーム」
と呼ぶが、この地熱の熱源によって、南極大陸の西部などでの、氷床に沿っての氷の崩壊を説明できる可能性がある。
マントルプルームは新しい発見ではないが、最近の研究により、11,000年前の急速な気候変動で氷河期から温暖な気候になるより「以前」の時代に、なぜ大規模な氷床の崩壊が発生したのか、そして、なぜ今、大規模な氷床の崩壊が起きているのかということについても説明できることになりそうだ。
NASA ジェット推進研究所の科学者ヘレーネ・セロウッシ博士は、以下のように述べる。
「これは狂っていると私は思いました。その熱量がどのくらいで、そして、どのくらいの量の氷がいまだに残っているのかはわかりません」
この時の研究者も、NASA のジェット推進研究所の科学者でしたが、NASA は、最新鋭の地球探査用の機器を人工衛星に搭載していますので、氷の中や、海底などの「表面から見えない場所」の探査には優れた能力を持ちます。
いずれにしましても、どうやら南極の「下」で、途方もなく大きな活動が始まっているのかもしれないという思いをさらに強くします。
南極には、先ほどご紹介したような 138というような数の火山があるわけですが、もしその多くが一斉に活動を始めたりした場合は、急激な海面上昇が世界的に起きる可能性もないとはいえないのかもしれません。
ちなみに、まあ、これは大げさな話として書くのですけれど、
「もし、南極の氷が全部溶けたら、どうなるか」
ということに関しては、、2013年の米ナショナルジオグラフィックの記事によれば、
海面上昇は、約 66メートルに達する
のだそうです。
このような極端なことが起きる可能性は基本的にないでしょうけれど、現在の南極の状況から想像してみますと、ある程度の急速な海面上昇が今後起きていく可能性は高いのかもしれません。

In Deep
https://indeep.jp/huge-cavity-found-beneath-antarctica/

















2019年2月8日金曜日

2012年3月,太陽にあらわれた三角形の影

2012年3月,太陽にあらわれた三角形の影
2012年にアンドロメダ星人によって太陽フレアの直撃が回避されていた
2018-07-18 19:14:25
アセンションに関心を持っている人の大部分が2012年に期待していたと思うのですが、何故か何も起きなくて、「騙された」と思った方も多いのではないかと思います。
コズミック・ディスクロージャーを主催しているデイビッド・ウィルコックさんも、2012年に何も起こらなかったので、インターネットで叩かれたと、最近告白していました。
最近 購入した、ラムサ様のCD「エイリアンとUFO 暴君達」を聞きましたら、2012年に、我々地球人が知らないところで何が行われていたのか、初めて知りました。
全文書き起こしたのですが、全文掲載すると怒られるので、2012年に関する箇所だけ掲載します。
「ラムサ:多くの人々が『2012年には何も起こらなかったじゃないか』と言ったが、太陽が何をしたか見ただろうか?
生徒:ええ。
ラムサ:我々が介入して、あの巨大で破壊的な太陽のコロナ質量放出を遅らせたのだ。
(タケ:CDに付いてきた説明書をカッコ内に転載します。)
(コロナ質量放出:コロナ質量放出(Coronal Mass Ejection)はCMEとも呼ばれ、太陽から突発的にプラズマの塊が放出される現象のこと。
2012年には、太陽の活動が極めて活発であり、大規模な太陽フレア(太陽面爆発)が何度も起こった。
NASAが発表した2012年3月12日付の太陽の写真には、巨大な三角形の黒い影が写っている。
参考URL: http://ooruri777.seesaa.net/article/270907999.html
太陽の大きさを考えると、この三角形の影がいかに巨大であるかがわかる。
この巨大な三角形が現れる直前の3月9日~3月11日の映像には、太陽のすぐ近くで太陽のプラズマを吸い取っているように見える巨大な球体(1つ又は2つ)が写っている。)
参考URL:
https://youtube.com/watch?v=YnzZLNsSGyY
http://machiukezoo.biz/archives/7274
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2114830/Mysterious-planet-sized-Death-Star-captured-video-refuels-surface-sun.html
二日間遅らせることによって、地球はそれによって直撃されなくて済んだ。
我々がそれを起こしたのだ。
そこから出てきた我々の宇宙船を見てみなさい。あなたはそれについて調べる必要がある。
ミュージックよ、準備をしておくことは今でも必要である。
(準備をしておくことは今でも必要である:ラムサは、我々が激動の時代を生き抜くことができるように、いくつかのものを準備しておくようにずっと言い続けている。
現在起こっている地球の変化とそれを生き延びるための準備については、日本語版CD「変化の風III」を参照。
この講義に含まれる極めて多くの情報は、今でも有効である。)
地球は極めて酷い問題を抱えている。
地球の周囲の壁はなくなる必要がある。
そうなるだろう。
地球は焼かれることになるが、この情報は表に出始めている。
というのも、我々は今や真実を知ることができるからだ。
あなた方の時間で、極めて長い期間にわたって、私は膨大な数のランナーを送ってきたが、それらは人々を目覚めさせて、彼ら自身の神、彼ら自身の自由意志に気付かせるためのものだった。
それが目的である。それは自由意志である。
それは降参するか、または決して諦めないかのどちらかを示すものである。
決して諦めないのは強い意志であり、降参するのは弱い意志である。分かるだろうか?」
このブログでは、2012年の集団アセンションは、太陽フレアによって引き起こされるのではないかと予想していたのですが、
2012年の太陽フレアによるアセンション
アンドロメダ星人の宇宙船が太陽からガス抜きしていなければ、NASAの科学者や、エド・デイムス少佐の遠隔透視や伊勢白山道の予言の通りに、2012年に地球はコロナ質量放出を直撃されていたみたいですね。
今の段階の地球人だと、ほとんど生き残れないから、アンドロメダ星人が介入して、地球の10倍の大きさの宇宙船を2つ使って、太陽のエネルギーを吸い取って、助けてくださったそうです。
コーリー・グッドさんの情報では、スフィア・ビーイング・アライアンスが、地球人の肉眼には見えない球体を太陽系に沢山配置することによって、太陽フレアの直撃を遅らせてきたということでしたが、まさかアンドロメダ星人の宇宙船が太陽からガス抜きして、地球を守ってくださっていたとは知りませんでした。
燃え盛る太陽に直接介入して、ガス抜きするなんて、そんなことができるのは宇宙広しといえども、アンドロメダ星人だけではないでしょうか?
普通の宇宙人の通常のUFOでは、太陽に近づいたら燃えて蒸発してしまうでしょう。
そもそも、地球の10倍の大きさの宇宙船なんて、作ることは不可能ではないでしょうか?
まさに全能の力を持つ神々のなせるわざです。
「地球の周囲の壁はなくなる必要がある』
というのは、地球の磁場が弱くなって、ヴァン・アレン帯が無くなるということだと思います。
今までは、ヴァン・アレン帯によって、宇宙線が遮られてきましたが、それが無くなることによって、宇宙線が地球上に届くようになり、その宇宙線によって、ジュワル・クール大師の予言のように、エーテルの膜が破壊され、物質界とアストラル界が融合して、我々は半霊半物質の体にアセンションするのだと思います。
参考サイト:地球の磁場は、予想を超えるスピードで弱まり続けている

オオルリのブログ
http://ooruri777.seesaa.net/article/270907999.html

タケのアセンション情報ブログ
https://ameblo.jp/kokuufunsai/entry-12391686608.html







太陽のプラズマを吸い取っているように見える巨大球体



2012年3月,太陽にあらわれた三角形の影










古代マヤの予言者たちはすでに9世紀の時点で、それから600年以上も未来の歴史的大事件、西暦1492年のコロンブスのアメリカ大陸発見と、それに続くマヤ・アステカ文明の崩壊を正確に予言していました。
信じ難いことですが、古代マヤの地で
「白人の到来」
が予言されていたことについては様々な証拠資料が存在し、世界中すべての考古学者が認めている歴史学的に証明されている事実です。
そして、古代マヤの予言者たちはこうも予言していました。
「この世界は13バクトゥンが完了する日に滅び去るだろう」
バクトゥンとはマヤの暦で使われた時間の単位で、
1バクトゥン=14万4000日
です。その計算にしたがうと、右記の言葉はこうなります。
「この世界は西暦2012年12月21日の金曜日に滅び去るだろう」
何とも恐ろしい予言です。果たして本当にこの世界は、西暦2012年12月21日(金)に滅び去ってしまうのでしょうか。
そもそもいったいなぜ、古代マヤの予言者は、コロンブスのアメリカ大陸発見を正確に予言することができ、しかも、世界の滅亡までも予言しているのでしょうか。
そして、それらの予言の基となっている『カレンダー・ラウンド(マヤの暦)』とは、いったいどんなものだったのでしょうか。
答えはすべて、古代マヤ文明そのものに隠されています。 
 
雑学の世界
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den097.htm#karukini










■マヤ神話
一般に、マヤ文明の広範囲に派生した固有の宗教的神話のことを指す。
この神話はメソアメリカ人によって約三千年以上前から9世紀にかけて信仰されてきた。
他の神話の例に漏れず、世界の誕生、神々が人間を創造する話などが伝わっている。
この神話には方角、色、数字、星、カレンダー、食物の収穫等についての重要性が示されている。
大半はスペインによる征服の歴史の中で消失したため、現在明らかにされているマヤ神話は断片的である。
生け贄の人間から心臓をえぐり出し、祭壇に供え、後に神官が生け贄から剥ぎ取った皮を着用して舞踏する儀式が有名。
あらゆるものに神を見いだす汎神的な世界観をもち、世界の四隅に住み異なる姿を持つ神チャク(Chac)などのほか、13の天に住む13の神、9の暗黒に住む9の神がいる。また自然のエレメント(元素)、星や惑星、数、作物、暦や日時などに固有の神々がいる。現在のグアテマラあたりにいたとされる原住民族キチェー族(Ki'che'orQuiché)に伝わるマヤ創世神話にポポル・ブフ(PopolVuhorPopolWuj)がある。それによれば、世界はマヤの聖域の神々の意思によって無から生み出されたとされる。人は泥で作られ、また木で作られたが失敗であり、やがてトウモロコシで作られたものが神々を敬うという当初の計画にそう出来となった。それが銀細工師や宝飾師、石工や陶工である。創世神話のあとポポル・ブフの物語は伝説の双子の英雄フンアフプー(Hunahpu)とイシュバランケー(Ixbalanque)の物語、地底世界シバルバー(Xibalba)の主たちを退治する冒険譚を語る。この創世神話と英雄譚がマヤ神話の焦点であり、しばしばマヤ芸術の題材として見いだすことができる。(ローマ字表記はスペイン語による)  
創世神話
マヤの神話では、テペウ(Tepeu)とグクマッツ(トルテカ神話及びアステカ神話のケツァルコアトル神Quetzalcoatlに相当)が創造主、創世主、始祖とされている。彼らが最初の「在りて在る者」であり、賢者と等しい賢明さを兼ね備えた者であったとされる。またカクルハー(雷)・フラカン(Huracan一本足の意)あるいは単に「天の心」と呼ばれる者が存在しテペウと同一視、または分身とされる。フラカンは嵐と雷を象徴する神格とされている(ハリケーンの語源)。
テペウとグクマッツは集まりを持ち、彼らを崇拝することのできる種族を作らなければならないと合意する。テペウとグクマッツの分身ともいえる「天の心」及び「地の心」によって実際の創造をおこなわれる。大地が作られ、動物が備えられる。人間ははじめ泥で作られるのだが、すぐに壊れてしまう。別の神々が召集されて、つぎは木で作られるが、これは魂を持たない代物であった。そうして人はトウモロコシから作られ神々とその行いは完成にいたる。
大地と動物の創造
「ツアコル」と「ビトル」又は「テペウ」と「グラマック」という二人の創造主がおりました。彼らは最初に大地を呼び出して山・谷・川を作り、そして動物や鳥を作りました。
人間の創造
今度は創造主を養ってくれる人間を造ろうとしました。最初は土から造りましたが、柔らかい上に水に解けてしまいます。歩けないし子供を産むこともできません。これではだめだと破壊してしまいました。二回目は木で人間を造りました。前と違い子供を産むことも出来き、言葉を話したのですが魂がありませんでした。魂がないので神に感謝しませんでした。これではだめだと大水で破壊されてしまいました。三回目は、男は豆・女はい草で造りましたが、神と話すこともできない上に考えることが出来ないので破壊されました。このときの生き残りが猿なのです。第四回目は白と黄色のトウモロコシで造られましたが、神と同じになってしまいました。人間が神と同じ能力なのはいけないので破壊されました。このように人間は4度造られ4度破壊されたのです。
太陽・月・星
第4の破壊からしばらく後に、双子の神「ファンプー」と「イシュパランケー」が様々な悪と闘い、地下の闇の国「シバルバー」での試練と冒険を終えて、二人は光に包まれて天に昇っていき1人は太陽に、もう1人は月となり、天地に明かりがもたらされました。双子の神に倒された「光り輝くヴクブ・カキシュ」の手にかかり命を落とした400人の若者も星に姿を変えました。
五度目の人間の創造
再び「ツアコル」と「ビトル」により人間創造が始まります。ジャガーとコヨーテとオウムとカラスから人間が造られました。その人間は身動き1つしないであらゆることを知ることが出来ました。神は人間の野心や驕慢を恐れ、その目に霧を吹きかけて曇らせました。これにより獣にはない知性があるけれども、ものを見る能力が劣る今の人間ができました。そうして、マヤの人々は5度目の破壊を恐れたのです。その日を知ろうと天文が発達し三種の暦が造られ、その日が来ないように儀式が行われたのです。
■マヤ文明1
メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明である。メソアメリカ文明に数えられる。
大規模な都市遺跡が築かれ始めたのは、形成期後期 (先古典期後期)からで、いわゆる「中部地域」で、現ベリーズのラマナイ(Lamanai)、グアテマラのペテン低地に、ティカル、ワシャクトゥン、エル=ミラドール(El Mirador)、ナクベ(Nakbe)などの大都市遺跡が建設され、人口の集中が起こり繁栄した。エル・ミラドール、ナクベ、カラクムなど大都市では、古典期を凌ぐ大建造物が、紀元前400年以降に建てられたことが分かってきた。
開花期の古典期(A.D.300-900)にはティカル(Tikal)、カラクムル(Calakmul)などの大都市国家の君主が「優越王」として群小都市国家を従えて覇権を争った。「優越王」であるティカルとカラクムルの王は、群小都市国家の王の即位を後見したり、後継争いに介入することで勢力を維持した。各都市では、巨大な階段式基壇を伴うピラミッド神殿が築かれ、王朝の歴史を表す石碑(stelae)が盛んに刻まれた。
古典期後期(A.D.600-900)の終わり頃の人骨に栄養失調の傾向があったことが判明しているため、焼畑(ミルパ)農法や建造物に使用する漆喰を造るために、森林伐採を行い続けたため、地力の減少によって食糧不足や疫病の流行が起こり、それによる支配階層の権威の失墜と、数少ない資源の奪い合いによって戦争が激化したことが共倒れを招き、衰退に拍車をかけたと考えられている。この時期にはテオティワカンの影響が消えたことやティカルにかわって多くの小都市国家が発展した。特に8世紀はマヤ文化の絶頂期であるといえる。この期の壮麗な建築物、石彫、石細工、土器などの作品にマヤ文化の豊かな芸術性が窺える。また、天体観測に基づく暦の計算や文字記録も発達し、鹿皮や樹皮を材料とした絵文書がつくられた。碑文に刻まれた王たちの事績や碑文の年号表記などから歴史には高い関心を持っていたことが推測できる。都市は祭事の場であるだけでなく市の立つ通商の場でもあった。通商はメキシコ中央部の各地や沿岸地方とも交渉をもちいくつかの商業都市も生まれた。
なお、古典期マヤ文明は金属を持たず、基本的には新石器時代に入っていたといえる。しかし、9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していった。原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった(外敵侵入説)、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった(通商網崩壊説)、農民反乱説、内紛説、疫病説、気候変動説、農業生産性低下説など有力な説だけでも多数ある。しかし、原因は1つでなくいくつもの要因が複合したと考えられている。
一方、古典期後期からユカタン半島北部などを含む
「北部地域」でウシュマル(Uxmal)、チチェン=イッツァ(Chichien Itza)
などにプウク式(Puuc Style)の壁面装飾が美しい建物が多く築かれた。
標式遺跡は、グアテマラ、ペテン低地に所在するティカルの北方のワシャクトゥン遺跡である。
下記のような先古典期中期から古典期後期までの時期区分名が用いられる。
先古典期中期後半(マモム期)
先古典期後期(チカネル期)
古典期前期(ツァコル期)
古典期後期(テペウ期)
他の遺跡にも独自の時期区分がありつつも比較検討のためにワシャクトゥンの時期区分名が使用される。
ただし、ユカタン半島北部やグアテマラ高地の遺跡には適用されない。
後古典期(A.D.900-1524)には、マヤパン(Mayapan)やコスメル島(Cozmel Island)が、カカオ豆やユカタン半島の塩などの交易で繁栄した。
統一国家を樹立することなく、各地の都市国家が合従連衡と興亡を繰り返し、16世紀、スペイン人の侵入を迎えた。
1697年最も遅くまで自立を保っていたタヤサルが陥落、マヤ圏全域がスペイン領に併合された。 
■マヤ文明の特徴
青銅器や鉄器などの金属器を持たなかった
生贄の儀式が盛んであった
車輪の原理は、土偶などの遺物に出てくるにもかかわらず、実用化しようと考えていなかった
牛や馬などの家畜を飼育しなかった
とうもろこしの栽培のほかにラモンの木の実などが主食だった
焼畑(ミルパ)農法や段々畑・湿地で農業を行った
数学を発達させた(二十進法を用い、零の概念を発明した)
文字種が4万種に及ぶマヤ文字を使用していた
持ち送り式アーチ工法など高度な建築技術を持っていた
極めて正確な暦を持っていた(火星や金星の軌道も計算していた)
多くの文明は河川の水の恵みにより発展してきたが、マヤ文明はセノーテとよばれる天然の泉により発展した
農業技術については、段々畑で作物を作り、湿地では、一定の間隔に幅の広い溝を掘り、掘り上げた土を溝の縁に上げその盛り土の部分にカカオなど農作物を植えた。定期的な溝さらえを行うことにより、肥えた水底の土を上げることによって、自然に肥料分の供給をして、栽培される農作物の収量を伸ばすことができた。この湿地利用によく似た農法としてメキシコ中央部にはチナンパという湿地転用農法があるので、その方法を移入した可能性を指摘する研究者もいる。
数字は、点(・)を1、横棒(-)を5として表現したり、独特な象形文字で表現された。 
■マヤのカレンダー
マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたとみられている。
1つは、一周期を260日(13日の20サイクル)とするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。もう1つは、1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイエブ月を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーである。
ワイエブ月を除いたハアブ暦(360日)とツォルキン暦(260日)の組み合わせが約13年(13トゥン)ごとに一巡する。
これをベースとして4サイクルの約52年を周期とする 。
この他、より大きな周期も存在していた。このようなカレンダーの周期のことを
カレンダー・ラウンド(rueda calendárica)
という。 また、紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表された、
長期暦(ロング=カウント;Long Count)
と呼ばれるカレンダーも使われていた。
石碑、記念碑、王墓の壁画などに描かれていて、年代決定の良い史料となっている。
この暦は次のように構成されている。
キン(1日)
ウィナル(20キン)
トゥン(18ウィナル、360キン)
カトゥン(20トゥン、7200キン)
バクトゥン(20カトゥン、144000キン)
ハアブ暦の閏については、そのずれを調整しなかったが、新月が全く同じ月日に現れる
メトン周期(6939.6日)
を把握していたことが、ドレスデン・コデックスやコパンの石碑に
19.5.0.すなわち360×19トゥン+20×5ウィナル=6940キン(日)
の間隔を記載することによって実際には季節のずれを認識していた可能性や
パレンケの太陽の神殿、
十字架の神殿、
葉の十字架
の神殿の彫刻に長期暦の紀元の記載とハアブ暦と実際の1年の値である
365.2422日
との差が最大になる
1.18.5.0.0.(長期暦の紀元から約755年経過した時点)
の記載があり、これもマヤ人が1年を365日とした場合の季節のずれを認識していた証拠とも考えられる。
かつては、現在通用しているグレゴリオ暦の365.2425日(400年間に97日の閏日)よりも真値に近い、
365.2420日
がその答えとされていた。
これは、化学工学技術者のジョン・E・ティープルが1930年代に唱えた決定値理論と呼ばれる説で、アメリカのマヤ学の権威とされたエリック・トンプソンが認めたため、現在でも流布している説であるがその誤りが判明している。
カラクムル遺跡にある
15回目のカトゥン(9.15.0.0.0.,731年)
を祝う石碑が7本あるが、その1年前に修正がなされており、太陽年を意識して201日分を加えている。
これを太陽年を最初から想定していたとすると1年を
365.2421日(3845年間に931日の閏日)
としていたことになる。
また、キリグアの785年を刻んだ石彫で、212日を追加する修正が見られる。
グレゴリオ暦では、215日であり、太陽年で正確に計算すると214日の誤差となる。
これを太陽年を想定した1年の日数とすると
365.2417日(3898年間に942日の閏日)
になる。単純に考えれば肉眼のみの観測で非常に精度が高い値で修正を行っていること自体は驚くべきであるが、
実際にはグレゴリオ暦のように暦の1年を意識して計算しているものではないため、精度の高い暦を使っていたということはできない。 
■マヤ暦の終わり
ニューエイジ関連の書物ではマヤの長期暦は
2012年の冬至付近(12月21日~23日)
で終わるとされ、その日を終末論と絡めた形でホピ族の預言も成就する、フォトンベルトに突入する時期としているものが多い(2012年人類滅亡説)。
しかし、フォトンベルトの存在は皆無に等しく、フォトンベルト関係の予言は非常に信憑性にかけた予言であり、さらにマヤの暦は現サイクルが終了しても新しいサイクルに入るだけで永遠に終わらないという見方もあり、多くのマヤ文明の研究家たちも終末説を否定している。
この他、カール・コールマンの計算によると
「マヤ暦の最終日は2011年10月28日」
との説もあった。 
■マヤ文明2
マヤ文明は、考古学者の間では
「謎の古代文明」
と呼ばれています。マヤとはメキシコ先住民の言葉で「周期」、マヤ文明とは「時間の文明」という意味です。
この奇妙な名を持つ文明をつくり上げたのは、自らを
「マヤ=時の民」
と称した人々(メキシコ・グアテマラ先住民のマヤ族)でした。
そんな不思議な名前をもつ民族・文明は、世界中どこを探してもマヤ以外には見当たりません。
しかし、残念なことに、マヤ文明の存在が世界に知られ始めたのは19世紀末。本格的に研究されるようになったのは、20世紀後半に入ってからです。
しかも、古代マヤ文明が栄えたメキシコからグアテマラ・ホンジュラス・サルバドールなどの中米一帯は、熱帯性多雨気候という発掘不向きの場所のうえに、昔から政府軍とゲリラによる内戦がつづいていたので、研究が思うように進んでいないのです。
そのために専門の考古学者たちにさえ、マヤ文明についての詳しいことはわかっていません。
では、古代マヤ文明とはいったい、どんな文明だっのでしょう。

巨大なピラミッドを建造した。
ゼロの発見に象徴される高等数学をもつ。
天文学に優れていた。
考古学の常識を超えた、古代マヤ文明のすごさとは!?

紀元前2600年ごろ、いまから約4600年前のこと。中央アメリカ南部で誕生し、それから数千年にわたってメキシコ南部から中米南部までの広大な範囲にわたって栄え、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到達する前に、大密林の中に忽然と姿を消した「謎の古代文明」――それがマヤ文明です。
ではなぜ、マヤは「謎の古代文明」と言われるのでしょう。
理由は山ほどあります。
1つはいまも説明した通り、マヤ文明がどのように誕生し、熱帯ジャングルの中で栄え、なぜ繁栄の絶頂で突然この地上から消え失せてしまったのか、いまもってわからないためです。
2つめはマヤ文明が
「考古学の常識を超えた古代文明」
だったことです。そして3つめは、これがもっとも重要なのですが、古代マヤ人たちが高等数学と高度な天文学によって作り上げた暦(マヤ・カレンダー)を使って
「予言のテクノロジー」
を操っていたことです。

考古学では、大文明が誕生する必要条件として、次の3つをあげています。
すなわち、大河の辺(ほとり)という地理的条件、
クルマ(車輪)の発明、
金属(鉄)の使用
の3つです。
四大古代文明(エジプト、中国、インド、メソポタミア)はいずれも、その3つの条件を備えていました。
しかし、マヤ文明にはそのどれ一つなかったのです。
まさに、考古学の常識を超えた古代文明です。
マヤ文明が誕生した中央アメリカ・メキシコ南部の大密林地帯――そこは熱帯雨林が地平線の彼方まで広がり、地上には密生する樹木が生い茂り、木の枝やつる草が人の行く手を阻む、昼なお暗いまさに緑の魔境です。そこには石材や農作物を運ぶ船が走れるほどの大河などはなく、運搬車が密林の中を通ることは不可能だったためか、車輪が使用された形跡はありません(荷車を模した古代のオモチャは発掘されていますが)。また、鉄などの金属が製造された痕跡も、見つかっていないのです。
にもかかわらず、古代マヤ人たちは、その緑の魔境の大地に四大文明に優るとも劣らぬ大文明を築き始めました。
巨大ピラミッドの建造、華麗で壮大な神殿都市、ゼロの発見に代表される高等数学、20世紀の科学水準に匹敵する高度な天文学など、マヤが発明したテクノロジーの数々はいずれも、四大文明以上の科学水準を誇っていました。
マヤ文明がどれほど壮大で華麗なものだったかは、その古代遺跡からも明らかです。
たとえば、グアテマラの熱帯密林の中にいまなお雄姿を残すティカル遺跡。
紀元前600年、いまから2600年前から人が住み始め、紀元8世紀に絶頂期を迎えたマヤ最高の神聖都市ティカルは、その規模でも華麗さでも当時のヨーロッパ文明をはるかにしのいでいました。
ティカルは都市と郊外と田園の3層からなり、その総面積は130平方キロ。
周囲を濠と土塁で守り、10万人にものぼる人が暮らしていたと考えられています。これはルネッサンス期(15世紀)のヨーロッパ大都市をしのぐ規模です。
ティカルは湖からも河からも遠かったので、この人口を賄うために13個もの人口貯水池がつくられました。
その中心に華麗な都があったのです。大小3000個もの真紅のピラミッド群と石像建築群が林立する都市。
壮大な球技場とそれを囲む3つの高層アクロポリス。
ピラミッドの石段の数も巨大建築物の色も形も、すべてマヤ的宇宙の法則によって決められていました。
その都市の真ん中に、ひときわ巨大な5基のピラミッドが天を突くようにそびえ立っていました。
その第四ピラミッドの高さは70メートル。巨大地震の多発地帯として知られるグアテマラでは、地震と火山噴火によって過去に何度も首都が破壊され、耐震構造の関係から、高さ30メートル以上のビルがありません。そのため、21世紀を目の前にしたいまでも、7~8世紀ごろに造られたこの第四ピラミッドがグアテマラでもっとも高い建築物なのです。このピラミッド建造技術を見ただけでも、マヤがいかに優れた文明だったかわかるでしょう。
メキシコ南部から中米南部までの広大な範囲にわたって栄えていたマヤ文明には、このような大都市がいくつもありました。
考古学者の推定では、その総人口はメキシコのユカタン半島に住んでいたマヤ低地族だけで500万人。
マヤ文明が支配していた地域全体では最盛期には1000万人以上。
2000万人から6000万人の人々が暮らしていた、と主張する考古学者さえいます。
こんな人類史の奇跡としか思えないほどの素晴らしさゆえ、マヤ文明の誕生の謎については様々な見解が述べられてきました。
「マヤ文明は、古代ムー大陸の一部だったのだ」
「マヤ文明は、アトランティス大陸の生き残りがつくり上げたのだ」
「マヤ文明は、旧約聖書に記されているソロモン王の11人の使徒たちがつくり上げたのだ」
「マヤ文明のような奇跡的文明は、遠い宇宙から飛来した宇宙人にしかつくりだせない」
などといったものです。これらの説の一つひとつについて、ここで言及するつもりはありません。ただ、一つ確かなことは、マヤ文明は多くの人々の想像力をかきたてずにはおかない、謎と魅力と神秘に満ちあふれた古代文明だったということです。

しかし、繁栄を誇ったマヤ文明は、突然、謎の消失をとげてしまいます。西暦1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見した時には、すでにマヤ文明の大部分は密林の彼方に消え失せた後でした。(ここまで読めばわかるはずですが、コロンブスの行為は、実は歴史の教科書に書かれているような「発見」などというものではなく、その後の残忍な植民地支配が証明したように、ヨーロッパ文明と新大陸文明との「不幸な遭遇」にすぎなかったのです)
新大陸発見当時、メキシコではマヤ文明の影響をうけたアステカ帝国が栄えていました。その最後の古代帝国アステカでさえ、ヨーロッパ大陸をしのぐ文明を誇っていました。琵琶湖の5倍ほどの広さを持つ湖の中の島に、巨石を組んでつくられた水上都市(現在のメキシコ・シティ)。その壮麗な都を目にしたスペインの征服者(コンキスタドール)の司令官コルテスは、こんな手紙を本国にしたためています。
「自分たちは魔法をかけられて夢を見ているに違いない。というのも、信じられないことに、アステカの都は我がスペインの都グラナダの規模にして優に10倍、その華麗さはまるで天国にいるとしか思えないほどだ」
それほど高度で強大な文明を持つアステカ帝国が、なぜコルテス率いる総勢150名たらずのスペイン兵の前に簡単に滅び去ったのか。
さらに言うなら、アステカ以上の文明と高度な科学を誇ったマヤ文明が、なぜスペイン人の到来以前に謎の消失をとげたのか──。
それはいまでも、歴史の大きな謎とされています。そして、いま考古学者たちが考えているその答えが「予言の存在」なのです。

マヤ文明はまさに「時間の文明」でした。時間の神秘の謎を解き、未来の時間を手に入れること、つまり、予言こそが、マヤ文明がそのもてる全知全能と富と力と心血のすべてを注いだ対象だったのです。巨大ピラミッドも高度な天文学も0(ゼロ)の発見に象徴される高等数学も、すべては正確な未来を予知するために発明された道具だったのです。
科学技術が高度に進んだ現代では、予言などというものは迷信の一種としか扱われていません。しかし、現代人がコンピュータとカオス理論を操って未来を予知しようと企てているように、当時のマヤの人々にとっては、予言の術こそが最高に高度なテクノロジーだったのです。
そして、初めに書いたとおり──現代科学の粋を集めたスーパーコンピュータでさえ、明日の天気を60パーセント程度の確率でしか予知できないのに比べ──驚くべきことに、マヤの予言は(少なくともいくつかの歴史的事件については)正確な未来の予知に成功していたのです。
古代マヤ人たちが遺した重要な考古学資料の中に、『チラム・バラムの聖なる予言』(単に『チラム・バラムの予言』とも言う)という聖なる書物(アナーテ)があります。
チラム・バラムとは、古代マヤの最高位の予言者に与えられる称号で、その書物は歴代チラム・バラムが告げた予言の言葉を記したものです。「白人のアメリカ大陸到来」を予言した言葉は、この聖なる書物の中にもあります。
たとえば、9世紀に実在した「ナワト」という名のチラム・バラムは、こう告げていました。
「カトゥン4アハウの年、それは大激変が起きる時。イッツア(マヤ)の人々が木の下、藪の下、蔓の下をくぐり、苦しむのはいつもこのカトゥンの時である。そして、カトゥン2アハウの1ベンの年、白い肌をして髪を長くのばし赤い髭をはやした神の名を名乗る者たちが、東方の海よりやって来るだろう」
カトゥンとかアハウとかベンというのは、マヤの暦で使われる年月を表わす言葉で、現在私たちが使っている年や月、曜日、日といった言葉に当たります。
そして、カトゥン4アハウの年とは、西暦に直すと、1481年から1500年の期間。カトゥン2アハウの1ベンの年とは、1519年のことです。
コロンブスがアメリカ大陸に到達したのは、まさにカトゥン4アハウのちょうど真ん中の年(西暦1492年)。そして、「白い肌をして髪を長くのばし赤い髭をはやした」スペイン兵たちが「キリスト教の布教」を名目に「東の海岸」よりアステカ帝国に攻め込んで来たのは、まさに2アハウの1ベンの年(西暦1519年)だったのです。
マヤの人々は褐色の肌をもっており、髭をはやす風習もなく、「白い肌をして髭をはやした人間」がこの世界に存在しているなどということは、彼らの想像を超えたものでした。
にもかかわらず、マヤの予言者たちは、白い肌をもつ者たちの到来とその時期(西暦1492年のコロンブスの到来と1519年からのスペイン兵による侵略)、そして場所(東の海岸より上陸してくること)、さらには彼らの目的(キリスト教の布教)さえも正確に予言していたのです。
このような予言が、少なくとも600年間にわたり、歴代チラム・バラムの口から伝えられつづけました。運命の西暦1519年が近づくにつれ、予言の言葉はだんだん詳細になっていきます。ついに西暦1519年、最期のチラム・バラムが「すでに白い肌の人々は東方の海より上陸している。運命は避けられない」と告げた時、すでに人々が去り廃墟と化していた都にまだ残っていた最後のマヤ人たちも、異教の神との衝突を避け、運命を受け入れて、ついに密林の深奥へと姿を消しました。こうしてマヤ文明は、歴史の表舞台から完全に消えていったのです。
それにしてもなぜこれほどまでに正確な予言が可能だったのでしょう。
マヤの予言者は述べています。
「神はその御手で、過去の時間の中に密かに未来を記された。すなわち、未来とは人の手が記さなかった過去であり、予言とは空白の過去に隠された神の言葉を宇宙の原理を借りて、読み解く業なのである」
そう、マヤの予言者の言葉にしたがえば、過去から未来にわたる時間の神秘を操る「宇宙の原理」こそ、予言の鍵を握るものなのです。
そのマヤ文明が発見した「宇宙の原理」に形を与えたもの、それがマヤ文明の最大にして最高の発明品である究極の予言テクノロジー、『マヤ・カレンダー』なのです。

マヤとは周期=時間という意味だ、ということは書きました。では、時間とは何でしょう。
私たち現代人にとって、世紀や年、月や日といったものは、時の歩みを計る単なる単位、電子時計の針が刻む機械的リズムにすぎません。
そこには雨や風のリズムはなく、まして天空の星々が刻む大宇宙の鼓動などありません。生命のない機械的な時間が流れているだけです。そこから見えるのは、大地や宇宙のリズムと切り離され、この地上で孤独に生きる現代人類の姿です。
もし私たち人類が、コンピュータゲームで遊ぶように脳が作りだしたバーチャル世界の中だけで生きていけるなら、コンピュータが刻む機械的時間を知るだけで充分かもしれません。
しかし、どんなに時間が経とうと、人間も他の生物同様、大地から生まれた存在であるという宿命から逃れることはできないのです。試験管ベービーも成長するためには、大地で育った食物を必要とし、スーパーコンピュータでさえ、大地から採掘したシリコン(珪素)なしには存在することすらできません。
そして、この大地は宇宙から生まれたものなのです。宇宙なしに人間は存在することはできず、宇宙の時間の流れを知ることなしに未来を知ることは不可能なのです。
これは、決して抽象的な話ではなくリアルな事実です。
たとえば「景気と不景気はある周期をもって循環している」という景気循環説で有名なイギリスの経済学者ジュボンズは、景気循環の最大の原因に太陽の黒点運動をあげました。
「太陽の活動状態を表わす黒点活動は、11年と22年と55年の3つのサイクルで盛衰を繰り返している。当然、黒点運動によって生まれる太陽風(地球に吹きつける磁気嵐のこと)の強さもそのサイクルにしたがうため、太陽活動に強く影響される動植物の生育もそのサイクルに支配されることになり、結果として世の中に好・不況の波が起きる」
というわけです。さらに微生物学の最先端では、
「インフルエンザの流行が周期的に繰り返されるのは、彗星がウイルスを運んでくるからだ」
との説が最近になって、多数の研究者の間でとりざたされるようになり、いま調査が進められている最中です。
このように人間と宇宙は、見えないところで深く関わり合っているのです。しかし、そのことに気づいている人がどれだけいるでしょう。
そんな宇宙のリズムを忘れてしまった現代人が、いくら最強のスーパーコンピュータと最先端のカオス理論を駆使して経済動向などの予知を企てようと、結局、予測が外れてしまうのは当然と言えます。
マヤ文明は、その真実に気づいていました。人間の鼓動は大地の鼓動に支配され、大地の鼓動は宇宙の鼓動に支配されていることを。
マヤ文明は、太陽風の存在までは知らなかったかもしれません。しかし、太陽の動きが大地に影響を与え、そのために起きる雨や風や干ばつなどが植物の成長を左右し、それが獣たちの生育に影響を及ぼし、その結果が自分たち人間の営みのすべて、社会の混乱から一人ひとりの心のありようまでのすべてを支配しているということを、マヤ人たちは深く理解していたのです。
もちろん、大地を支配しているのは太陽だけではありません。月も、金星も、その他の星々を含む大宇宙のすべてが、この大地を通して人間の運命を支配しているのです。
そのことに気づいた時、マヤ人は考えました。
「──ならば大宇宙の鼓動(=リズム)を知ることができれば、あらゆるものの鼓動(=リズム)を知ることが可能となるだろう」
こうして大宇宙のリズム(=天空の動き)から、地上の未来を読み解くために発明されたのが『マヤ・カレンダー』なのです。

「すぐにでも自分の運命と性格について知りたい」という人は、いますぐ自分のデータを入力しましょう。もしあなたに(古代マヤの)予言の言葉を読み解く力があるなら、そこにあなたの未来に関する重大な秘密と、その未来を自分のものに変える術が記されているのがわかるでしょう。
でも、予言の言葉を読み解くことに不慣れな人、もう少し占いの業の深い部分について知りたいという人、さらには「予言という名の古代文明のテクノロジー」について興味があるという人……そのような人にはこの『マヤ占い』(予言のテクノロジー)を発明した古代マヤ文明について知ることをお勧めします。
マヤの予言者は次のような意味のことを述べています。
「時間とは棒のように直線的に進歩するものではない。寄せては返す波のように、過去と未来はある法則に基づいて繰り返すものである。すなわち、未来の中に過去があり、過去の中に未来があるのだ」
その言葉にしたがうなら、未来を読み解く鍵は、古代の時間の中に隠されているのです。

もっとも、こう思う人も多いでしょう。
「過去と未来は繰り返す、だなんて、マヤ人はなんて無知なんだ。」
当然です。時間は過去から未来へ一直線に進むものというのが、私たち現代人の常識だからです。しかし、本当に無知の一言で片づけられるでしょうか。
たとえば、マヤ文明は「過去に起きた大変事は必ず未来に繰り返される」との考えから、その繰り返しの周期を知るために様々な暦を発明していました。その1つに考古学者が『カレンダー・ラウンド』と呼ぶ『52年周期』をもつ暦があります。これは、『月の暦』の260日と『太陽の暦』の365日の最小公倍数の1万8980日=52年ごとに1つの時代が終わり、新しい時代が始まるというマヤ人の人々の考え方があらわされたものです。
この52年周期の暦を使って現在の日本を見ると、どうなるでしょう。
たとえば1997年、それまで誰も予想しなかった大銀行や大証券会社の破綻がつづいた年です。それを日本経済の敗北ととらえたマスコミは「日本の第二の敗戦の年」と騒ぎ、逆に金融ビッグバンによる外国金融機関の日本進出を「大改革」のチャンスと見る評論家たちは「第三の開国の年」と名づけました。
しかし、マヤ人ならきっとあわてはしなかったでしょう。
マヤの52年周期の暦を使って読み解くなら、その1997年が日本にとって「敗戦」「開国」「大改革」の年となることは、あらかじめ予測できていたはずだからです。
なぜなら1997年の52年前の1945年は、日本が太平洋戦争に破れた「敗戦の年」でした。そのさらに52年前の1893年は、日本と英国の間で新しい条約を結ぶことが決まり、幕府が外国と結んだ不平等条約を廃止することに初めて成功した年、日本が世界の列強の仲間へと脱皮しはじめた「大改革」の年だったのです。
さらにその52年前の1841年は、イギリスとオランダの軍艦(黒船)が琉球・長崎に次々と現われ、そのためしかたなく幕府は外国船打ち払い令を事実上廃止、ついに「開国」への第一歩を踏み出した記念すべき年なのです。
つまり、日本がそれまで経験した「敗戦」「開国」「大改革」は、マヤの暦が示すとおり52年の周期で現われてきたのです。
これは、単なる歴史のいたずらか、稀にみる偶然の一致かもしれません。しかし、古代マヤの予言者たちは自分たちが発明したその様々な暦を使い、稀にみる偶然の一致と呼ぶにはあまりに高い確率で予言を的中させていました。
マヤ人は、コロンブスのアメリカ大陸発見さえ予言していたのです。
 
雑学の世界
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den097.htm#karukini







2019年2月6日水曜日

Billy Meier(ビリー・マイヤー)交信記録: 地球が氷河期にはいる理由


Introduction
Contact Reports volume: 5 (Plejadisch-plejarische Kontakberichte, Gespräche, Block 5)
Page number(s): All
Date/time of contact: Saturday, February 28, 1987, 2:09 AM
Translator(s): Benjamin Stevens et al.
Date of original translation: Ben translated portions in bold by Sunday, January 31, 2010
Corrections and improvements made: N/A
Contact person: Quetzal
Synopsis
This is the entire contact.
Two versions are presented: an authorised but unofficial translation by Benjamin Stevens and two authorised and official extracts.
Contact Report 215 Translation

Future of Mankind
http://www.futureofmankind.co.uk/Billy_Meier/Contact_Report_215







(要約)
Billy Meier(ビリー・マイヤー)交信記録: 地球が氷河期にはいる理由
1987年2月28日(土)2:09 AM
コンタクトレポート数:5(Plejadisch-plejarische Kontakberichte,Gespräche,ブロック5)
連絡日時:1987年2月28日(土)2:09 AM
翻訳者:Benjamin Stevens他
更新日:2010年1月31日日曜日
********************************************
担当者:Quetzal
Billy Meier :
それからもう一つの質問:何が氷河期を実際に引き起こすのですか?
Quetzal:
125.氷河期は,太陽の周りを廻るの地球の公転軌道の変動による気候変動から生じる。
Billy Meier :
Quetzalさん,あなたは,マンモス絶滅の原因が人類であると共に,気候変動の原因もまた人類であると言いました。
Quetzal:
その通りだ。
人間は絶滅するまでマンモスを殺し続けたが,最終的な絶滅の引き金になったのは気候変動によってであった。
Billy Meier :
マンモスは,約1万年前に消えました。
Quetzal:
最後のマンモスは,今日のソビエト連邦のはるか北にある島で生息していた。3,500年前の事だ。
しかしマンモス絶滅の最大の原因は人間だ。
約1万年前,マンモスは人間の狩猟によって激減した。
人間はマンモスを狩ったのは,その肉,皮,骨のためだった。
肉はおいしい食べ物として,皮や骨は小屋の建造に有用であった。
マンモスが滅びた大きな原因は人間による乱獲であったといえる。
。。。
すでに述べたように,巨大な自然災害,火の壁,激しいハリケーンが全米で荒れ狂い,さらに,科学が進化した世界でおきる戦争はそれ以前の千倍の死,破壊,絶滅をもたらすだろう。
米国最大の都市はかならず破壊され,そして暴風雨は大災害を引き起こすだろう。
深刻な地震や火山の噴火も当時のものであり,地上のあらゆる自然や地球そのものが,地上の人間の狂気に牙を剥く。
そして破壊,荒廃,苦しみ,悲惨さ,死が起こる。
竜巻,地震,火山噴火がおきるのは米国だけでなく,欧州をはじめとする世界各地で激増するだろう。
これらの活動は,現時点(1987年),もっと言えば過去数十年でにすでに始まっている。そして,将来ますます破壊的になるだろう。
環境破壊の原因は人間をおいて他にない。
今まではそうだったし,これからも,自然,大気,水をはじめとする地球のすべての資源を破壊するのは人間をおいて他にない。
例えば,川をせき止めダムを造る。
例えば,地下を掘って石油やガスを採る。
採った結果,地下の石油やガスが蓄えられていた空間は空洞になる。
地球にできた空洞によって重心が移動する。
それによって,地球内部で不自然な動きが起きる。
不自然な構造は,地震,火山噴火,気候変動を引き起こし,結果的に破壊的なエネルギーを全世界に解放する。
巨大な洪水や異常降雪はますます増加する。
そして最終的には赤道直下の地域でさえ降雪がみられるようになるだろう。
気象変動のもうひとつの原因は,人間による原子爆弾の地下爆発によるものだ。
この地下爆発が原因で,地球はごくゆっくりではあるが,自らの公転軌道から少しづつ外れていっているのだ。
現在(1987年)の段階で,この現象はすでにはじまっている。
そして人間がそれをつづけていけば,気候の変化を引き起こし,新しい氷河期をもたらす。
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地下を掘って石油やガスを採る

採った結果,地下の石油やガスが蓄えられていた空間は空洞になる

地球にできた空洞によって重心が移動する

それによって,地球内部で不自然な動きが起きる

不自然な構造は,地震,火山噴火,気候変動を引き起こす

結果的に破壊的なエネルギーを全世界に解放する
(巨大な洪水や異常降雪はますます増加)

異常気象,新氷河期現象がおきる
Λ
地下爆発が原因で,地球は公転軌道から外れていく
Λ
人間による原子爆弾の地下爆発

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氷期と間氷期


・現在は第4氷河期の間氷期
氷河期中の寒い時期と温暖な時期(間氷期)の間隔には周期性があり,明らかに10万年周期の機械的なメカニズムが働いているが,これは
ミランコビッチ・サイクル
と言う天体運動の周期性により説明されている。
CO2温暖化説で今世界のみんなが大騒動しているが,最後の第四氷河期が始まったのが10万年前なのでミランコビッチ周期が正しいなら,
次の第五氷河期はいつ始まっても不思議ではない。
ミランコビッチの説は,地球の公転運動(地軸の傾きや離心率)の変化で,太陽から地球に届く輻射量(熱量)が変化するためだというものです。
CO2地球温暖化説は,地表から宇宙に逃げていく輻射量(熱量)だけを考えた説で,温暖化で海水面が暖められ雲量が増えると太陽からの地球に入ってくる輻射(熱量)が減るというような事は考えていないようですし,ましてや太陽から地球が受け取る熱量の変化などは全く考えていない大雑把なものです。
過去の人類の歴史で起こった『寒冷化』は,浅間山の大噴火のような大量の粉塵を巻き上げる天変地異(太陽からの輻射熱の減少)で地球が寒冷化し未曾有の大飢饉を引き起こしていた。
核戦争での大火災(大量のCO2を放出)や巻き上がった粉塵で『核の冬』が起こるとしたカール・セーガンの考え方も実際にあった過去の歴史を科学的に検証して出来上がっているのでしょう。  

雑学の世界
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den124.htm












・古墳寒冷期
日本や中国では3世紀~7世紀の間,天候が悪化し,冷涼化,降水量の増加が続きました。
この時期は中国や日本の歴史の中でも戦乱が多く混乱した時期であるが,その原因がこうした気候の冷涼化が契機となったという見方もあります。戦乱,そう,中国では三国志の時代,日本では倭国大乱の時代にあたる時代です。日本ではこの時期を古墳寒冷期と言う場合もあります。これは,太陽活動が不活発になった時期にだいたい一致します。 
・中世温暖期
西暦800~1300年は,現在並み,あるいはそれをやや上回る温暖な時期でした。
この現象は全地球的に見られたとされています。
この時期,ヨーロッパではノルマン人が大西洋を渡ってグリーンランドに入植しました。
また,この頃の大西洋には流氷がほとんど見られなかったと言われています。
当時のアイスランドではエンバクなどの麦類が栽培可能でした。
この温暖期を中世温暖期(Middle Ages warm epoch)と呼びます。
このときの太陽活動は,西暦1100~1300年には現在並みに活発だったとされています。
100年オーダーで気候を見ると,太陽活動が最も影響しているように見える。
また図1は昔の日記や年代記によってわかったサクラの満開時期から計算した,京都の3月の平均気温の推移です。
この時代はデータの数が少ないので精度は悪いが,それでも西暦1200年を中心に,気温の高かった時代があったことが定性的にわかりました。
おりしもこの時代は日本の平安時代。
のんびりとした時代が続いたのも,この中世温暖期のお陰だったのかもしれません。
そういえば,当時の貴族の館は『寝殿造り』と呼ばれる,いかにも風通しのよさそうな,というよりは寒そうな様式をしています。
こんな中世温暖期だったから,貴族も寒さに耐えられたのかもしれません。 
・小氷期
太陽の黒点が少ないことは太陽活動が不活発なことを意味しています。
西暦1300年以降,この太陽の黒点が急に少なくなり太陽活動が不活発な時期が繰り返してやってくるようになりました。
その時期は1320年頃,1460~1550年,1660~1715年,そして1800年前後である。
1320年頃の極少期をウォルフ極小期,
1460~1550年のそれをスペーラー極小期,
とくに西暦1660~1715年のおよそ70年間の太陽黒点がほとんど無くなった顕著な黒点極少期間をマウンダー極小期(Maunder minimum),
また一番最近の1800年前後の短い極少期をドルトン極少期
と,それぞれ呼びます。
この4つの時期は,サクラの満開日から推定した京都の気温(図1)の低かった時期とかなりシンクロしています。
サクラの満開日による3月の京都の気温は冬季の気温にかなり似た傾向を示すと思われますが,やはり,この太陽活動の不活発な時期は,世界的な気候悪化,寒冷化が見られた時代と,全般に一致したようです。西暦1300年以後,1850年までのこの期間を,小氷期(Little Ice Age)と呼びます。この時期には各地で氷河の前進が起きました。日本でも西暦1300年を過ぎると気候悪化が起こり,降水量が増えて,濃尾平野などでは河道変化が繰り返されるようになりました。
特にマウンダー極少期とその次のドルトン極少期にあたる1600~1850年の寒さの程度はものすごく,小氷期をこの時期に限定する場合もあります。
この時期,日本では大雪,冷夏が相次ぎました。
淀川が大阪近辺で完全に氷結したこともあります。
大阪の河内地方ではそれまで盛んであった綿作が,気候寒冷化・降水量増加にためにイネ・ナタネに転作を余儀なくされたとも言われています。
そういえば,この時期の大坂城代が雪の結晶を観察,絵にしているという話を聞いたこともあります。
そんなこと,現代では北海道でしかできないと思われます。
ともあれ,この時期,とくに19世紀初頭は寒かったようです。
日本では小氷期のうちでも最も寒冷な期間,たとえば1830年代と1980年代を比べると冬や春の平均気温は2℃程度,京都に限ると3.4℃も現在よりも低かったと推測されています。 

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■氷期と間氷期
氷期(氷河期)・間氷期・温暖化
氷河期1・現在は間氷期・氷河期2/気候の移り変わり・寒冷期と温暖期・太陽黒点数の変化・大気CO2濃度変動・氷期間氷期サイクル周期・ミランコビッチ説・氷期間氷期サイクル基礎・氷期間氷期サイクルと地球軌道・地球は氷河期に突入した・氷河期3・地球の秘密・氷河期明けの寒の戻り・日本と氷河期・ヨーロッパ大陸・北グリーンランドの氷床・縄文時代に見る地球温暖化・佐渡の1万年後・・・

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■氷河期 (ice age) 1
地球の気候が長期にわたって寒冷化する期間で,極地の氷床や山地の氷河群が拡大する時代である。
氷河時代(ひょうがじだい),氷期(ひょうき)とも呼ばれる。
まれに氷河紀と書かれることがあるが,地質時代を区分する単位(紀)ではないため正しくない。
氷河学的には,氷河期という言葉は,南半球と北半球に氷床がある時期を意味する事が多く,この定義によれば,グリーンランドと南極に氷床が存在する現代,我々は未だ氷河期の中にいることになる。
過去数百万年に関して言えば,氷河期という言葉は一般的に,北アメリカとヨーロッパ大陸に氷床が拡大した寒冷期について用いられる(アジア地域は氷床が発達せず寒冷な地帯であったらしい)。
この意味で言えば,最後の氷河期は1万年前に終了したということになる。
この約1万年前に終わった出来事を,文献によっては「最後の氷河期」と記載していることもあるが,科学者の多くは氷河期が終わったのではなく,氷河期の寒い時期「氷期」が終わったとし,現在を氷期と氷期の間の「間氷期」と考えている。
そのため,最終氷期終了後から現在までの期間を後氷期と呼ぶこともある。
ここでは,氷河期は氷河学的な意味で使用し,氷河期の中の寒い時期を
氷期(ひょうき,glacial),
氷河期の中のかなり暖かい時期を
間氷期(かんひょうき・かんぴょうき,interglacial)
と呼ぶ。
過去数百万年は,4万年から10万年の周期で多くの氷期が起こり,これについては研究がさかんに行われている。
各氷期と間氷期ではそれぞれ平均気温が異なり,最近の氷期では年平均気温で7-8℃以上低下したというデータもあるが,
「気温何度から氷期」
というわけではない。
その間にも小氷期,小間氷期が認められる。
ヨーロッパでは古い方から
「ギュンツ」,
「ミンデル」,
「リス」,
「ウルム」
の4氷期に区分されている。
数万年単位などの短期的視野ではなく,さらに大局的・長周期的に見ると過去地球上では,少なくとも4回の大氷河期があった。
過去五億年の周期図について代表的な氷河期の項目で後述する。
この長い「氷河時代」が重要なのは人類の進化に並行しているからである。
氷期が訪れると海岸線が極端に遠退き,陸上の大部分が氷に覆われる。
そのため動植物も激減し,動植物を食料とする狩猟採集生活の人類にとっては,大きな打撃であった。
人類(猿人)になる前は樹上生活であったらしいが,氷期の環境で地上生活を始め,2足歩行を開始し人類となったというのが通説である。  
■氷河期理論の起源
ヨーロッパの山岳地帯に住む人々にとって,過去には氷河がより広がっていたというのは一般的な知識であり(Imbrie and Imbrie 25ページには木コリがスイスのグリムゼル氷河の過去の広がりについて Jean de Charpentier に語ったことが引用されている),誰かがこのアイデアを作り出した訳ではない。
J. Charpentier はこの説を支持する証拠をまとめあげた。
1836年には理論をルイ・アガシーに納得させ,アガシーは,Étude sur les glaciers を1840年に出版した。
この最初の段階で研究されたのは現在の氷河期の中で過去数十万年に起こった氷期についてであり,更に過去の氷河期の存在については想像されもしなかった。
氷期の証拠は様々な形で得られる。岩が磨かれたり削られた跡(擦痕)やそのような浸食作用をうけてきた独特の形状の岩(羊背岩など),氷河の末端や縁辺に堆積した
角礫(モレーン),
独特の氷河地形(ドラムリン,氷河谷など),
「ティル」や「ティライト」等の氷河性堆積物
である。しかし繰り返し起こる氷河作用が,それ以前の氷河作用の地質学的証拠を変形・消去することで解釈を難しくしており,現在の理論に到達するまでには時間がかかった。
近年では氷床コアや海底堆積物コアの解析により,氷期間氷期の過去数百万年を明らかにすることが可能になっている。
■代表的な氷河期
過去地球上では,少なくとも4回の大きな氷河期があった。
24億年前から21億年前頃の原生代初期に最も古い氷河期(ヒューロニアン氷期 Huronian glaciation)があったことが仮説として考えられている。
証拠が残っているもので一番古いのは(原生代末期)の7億5千万年前からの氷河期(スターティアン氷期 Sturtian glaciation(~7億年前)およびマリノア氷期 Marinoan glaciation(~6.4億年前))で,過去10億年のなかでおそらくもっとも厳しいものであり,氷が赤道まで覆いつくしスノーボールアース(全地球凍結,全球凍結)を作り出した。この氷河期の終結が引続き起きたカンブリア爆発の原因になったと言われているが,この説はまだ新しく現在も論争の的である。
古生代には,4億6千万年前から4億3千万年前にかけて小さな氷河期(アンデス−サハラ氷期 Andean-Saharan glaciation)があり,同じく古生代の3億6千万年前から2億6千万年前にかけてにも氷河の拡大期(カルー氷期 Karoo Ice Age)があり,このときには生物の大量絶滅が起きている。
現在の氷河期は,4000万年前の南極の氷床の成長により始まり,300万年前から起きた北半球での氷床の発達とともに規模が拡大した。更新世に向かうにつれて更に激しくなり,その頃から氷床の拡大と後退の繰り返しによる4万年と10万年の周期が世界中で見られるようになった。最後の氷期(最終氷期)は約1万年前に終った。
■氷期と間氷期
それぞれの氷河期と氷河期の間には数百万年続く温暖な期間がいくつかある。更に氷河期の期間中にも(少なくとも最近の氷河期では)より寒冷な時期とより温暖な時期がある。より寒冷な時期が「氷期」,より温暖な時期が,例えば「エーミアン間氷期」のように,「間氷期」と呼ばれている。
最近の氷期が終わったのは,1万年ほど前である。現在は典型的な間氷期が1万2000年ほど続いていると考えられているが,氷床コアデータによる精密な時期の断定は難しく,世界的な寒冷化をもたらす新しい氷期が間もなく始まる可能性もある。今のところ「温室効果ガス」を増加させている人為的な要因の方が,ミランコビッチの軌道周期のどの影響よりも重いだろうと信じられているが,地球軌道要素に対するより最新の研究は,人間活動の影響が無いとしても,現在の間氷期は少なくとも5万年は続くだろうとも示唆している。
氷期と間氷期の変動に関連して,アメリカ国防総省が専門家に依頼して作成した地球温暖化の影響による大規模な気候変動を想定した安全保障についての報告書(Schwartz, P. and Randall, D. 2003)の存在が2004年に明るみに出て注目を集めた。それによると,地球温暖化による海流の変化が原因で,北半球では2010年から平均気温が下がり始め,2017年には平均気温が7~8℃下がるという。逆に南半球では,急激に温度が上がり,降水量は減り,旱魃などの自然災害が起こるという。  
■氷河期が起こる原因
・主な3つの要因
なぜ「氷河期」が起こるのか。これは大きなスケールで起こる氷河期についても,氷河期の中で起こるより小さな氷期/間氷期の繰り返しについても,いまだ議論されている問題である。一般的な総意としては,大気組成(特に二酸化炭素とメタンのフラクション)と,「ミランコビッチ・サイクル(英語版)」として知られる,太陽を回る地球の軌道要素(おそらく銀河系を回る太陽系の軌道も関係する),大陸の配置の組み合わせ,の3つの要素が組み合わされたものがその原因とされている
・大気組成の変化
3つの要因のうち,最初の「大気組成の変化」は特に最初の氷河期について重要な原因とされている。スノーボールアース仮説では原生代後期の大規模な氷河時代の始まりと終りは,大気中の二酸化炭素濃度の急激な減少と,急激な上昇が原因であると主張している。残りの二つの要素については,現在最も議論が盛んに行われている。
・大陸の配置
北極圏と南極圏に大陸がどれだけ配置されているかが,氷河期が起こる際に重要であることがわかってきた。特に,新生代氷河期が始まった原因は大陸の配置の変化によるところが大きいとされる。それは,大陸の存在によって寒冷期に雪や氷が集積することが可能になり,この現象はアルベド効果のような正のフィードバック効果の引き金となるからである。また,大陸の配置は海洋や大気の循環システムにも大きな影響を与える。
■新生代氷河期開始の原因
新生代の氷河時代が始まった原因の大きなものとして南極大陸の移動がある。中生代にゴンドワナ大陸の一部であった南極大陸の分裂と南への移動によって南極大陸の寒冷化が始まり,分裂と南下によって発達した南極環流が南極大陸への熱輸送を遮るようになり更に寒冷化を進めた。4000万年前には南極の氷床の成長が始まり,3000万年前には巨大な氷床で覆われるようになった。その後,300万年前頃から北半球でも氷床の発達が始まったが,この原因としては,北アメリカ-ユーラシア大陸の配置に加えて,パナマ地峡の形成による大規模な海流の変化,ヒマラヤ山脈の隆起による大気システムの大きな変化が提唱されている。
・地球軌道要素の変化
地球軌道要素は長期にわたる氷河期では大きな原因とはならないが,現在の氷河期の中で交互に起こっている凍結と溶解の繰り返しのパターンを支配しているように見える。地球軌道とアルベドの変化の複雑なパターンによって,氷期と間氷期の二つのフェーズが起こるようである。
氷河期については現在の氷河期,特に最近40万年間について詳しく研究され理解が進んでいる。最近40万年のデータは,大気組成や気温,氷床量の指標が記録されている氷床コアの分析から得ることができるからである。この期間は氷期/間氷期の繰り返しがミランコビッチの提唱した周期(ミランコビッチ・サイクル)とよく呼応しているので,その説明として軌道要素が一般的に受け入れられている。太陽からの距離の変化(軌道離心率),地軸の歳差運動,地軸の傾き(傾斜角)が複合して,地球が受ける日射量の変化に影響を与えている。特に重要なのは季節性に強い影響を与える地軸の傾きの変化である。たとえば,北緯65度における7月の太陽光の入射量は計算によれば最大で25%(1平方m当たり400Wから500W)変化するとされている。夏が涼しい時,前の冬に積もった雪が溶けにくくなるので氷床は前進するというのは広く考えられていることである。日射量のわずかな変化は「前の冬の雪が完全に溶解する夏」と「次の冬まで溶けずに残る夏」の間のバランスを調節する。何人かの研究者は,軌道要素は氷期の開始の引き金になるには弱過ぎるとしているが,二酸化炭素のようなフィードバック機構でそれは説明できる。
■ミランコビッチ説の問題点
ミランコビッチ周期は,地球軌道パラメーターの周期的な変化が氷河作用の記録に表現されているであろうと予言したが,
氷期/間氷期の交代にどのサイクルがもっとも重要であるのかについては更なる説明が求められている。
特に過去80万年の間,氷期/間氷期が繰り返す周期は10万年が支配的であり,これは地球軌道要素の離心率と軌道傾斜角の変化に対応しているが,ミランコビッチに予言された3つの周期の中でははるかにもっとも弱いものである。300万年前~80万年前までの間,氷河作用の支配的なパターンは,地軸の傾き(傾斜角)の変動の4万1000年周期に対応していた。一つの周期が他のものより卓越する理由はまだ理解されておらず,現在重点的に研究が行われている分野であるが,その回答は,おそらく地球の気候システムの中で起こる共鳴現象と関係すると予想される。
■最新の研究
従来のミランコビッチの説では10万年周期が支配的な時期が過去8回あったことの説明が難しい。
Muller と MacDonald らの研究では,それは軌道の計算が2次元的な手法に基づいているからであり,3次元的な解析を行えば傾斜角にも10万年周期が現れると指摘している。彼らは,これらの軌道傾斜角の変化が日射量の変化を導いていると述べており,同様に太陽系のダストバンドと地球軌道との交差が影響している可能性も提示した。これらは従来提唱されてきたメカニズムとは違うものだが,計算結果は「予言されていた」最近40万年間について得られているデータとほぼ同じ結果を示している。Muller 及び MacDonald の理論は Rial により反論されている。
他には Ruddiman が10万年周期をもっともらしく説明するモデルとして,2万3000年の歳差運動の周期に対する離心率(弱い10万年周期)の変調効果が,4万1000年と2万3,000年の周期でおこる温室効果ガスのフィードバック効果と結びついたという説明をしている。
また,他の理論では Peter Huybers による研究が進んでおり,4万1000年周期がいつも優勢なのであるが,現在は2番目か3番目の周期だけでも氷期へのトリガーとなりうる気候モードに入っているということを議論している。
この研究では,10万年周期は8万年と12万年の周期が平均されているものを本当は錯覚しているのではないかと暗示している。
この理論は年代測定の不正確さが存在することと整合した矛盾の無いものであるが,現在のところ広く受け入れられているわけではない。  
・最近の氷期・間氷期と最終氷期
南北の大陸氷床の発達により,最近の氷期間氷期では海水準が大きく変動したことが知られている(ただし時代を遡ると地殻変動の影響が無視できなくなる)。蒸発した海水が両極に氷床として固定されるため,地上の海水の体積全体が減少し,結果として世界的に海水準が低下する。
反対に氷期の終了に伴って融解水が海洋に還元されると海水準は上昇する。
酸素同位体比曲線によって示される氷床量の変動は,特に新しい時代になるにつれて,世界的な海水準の変動を反映しているといって良い(上記「過去およそ5百万年間の氷期間氷期の変動」グラフ参照)。
その変動幅は最近の氷期では100m以上におよぶ。
日本近海では,太平洋と日本海を結ぶ海峡の深度が浅いため,少なくとも過去数十万年の間の氷期では,海水準の低下に伴って対馬暖流の流入が止まり,気候に大きく影響を与えた。
氷期には寒冷化のために亜寒帯林が西日本まで分布していた。
また,対馬暖流が流入しないため(現在の日本海側の降雪は対馬暖流の蒸発量に影響を受ける)氷河は日本アルプスおよび北日本の高地にわずかに発達するのみであった。
それでも,これらの氷河が最終氷期に形成したカールやモレーンなどの氷河地形は現在の日本アルプスや日高山脈で明瞭に確認することができる。
最も後の氷期は最終氷期とも呼ばれる。
最終氷期の終了後,人類が定住し農業が発展するという出来事が起こった。
このことは農業の発達が人類の生活様式と深い関係があるということであろう。
・亜氷期と亜間氷期
氷期もしくは間氷期が続く間に,更に細かな気候の変動が見られることがある。
寒い時期を亜氷期 (stadial),
温暖な時期を亜間氷期 (interstadial)
と呼ぶ。最終氷期終了前後から現在にかけてはヨーロッパの泥炭湿地で発見された花粉層序がしばしば用いられ,現在では最終氷期終了~後氷期にかけての気候変化を表現する際に幅広く使われている。  
・現在は第4氷河期の間氷期
現代以上に暖かい時代でも解けずに残った太古の永久凍土が,カナダ北部で見つかった。
北極圏に広がる永久凍土は地球温暖化で解けると,大量の二酸化炭素が放出され悪影響が心配されている。
暖かな時代でも解けない凍土が存在することは,温暖化に伴う影響評価の見直しにつながる可能性があるという。
発見したのはカナダ・アルバータ大の研究チーム。
米アラスカ州に近い地域で,この周辺は半分以上が永久凍土に覆われ,氷の厚さは数十メートルに及ぶ。
研究チームは7年前,この永久凍土を見つけた。
今回,凍土に含まれていた火山灰を放射性年代法で測定し,約74万年前にできたことを突き止めた。
地球の気候は,気温が高い間氷期を約10万年間隔で繰り返している。
特に,約12万年前の間氷期は今より気温が数度も高く,海面水位も8メートル高かったとされる。
研究チームは「永久凍土は海氷や氷河に比べて,想像以上に解けにくい。温暖化影響を無視できることにはならないが,将来の気候変動の予測精度を向上させるため,さらに調査が必要だ」としている。
温暖化で北極圏の永久凍土が解け,建物崩壊などの影響が懸念されている。しかし,アラスカでの観測では予想以上に解けていない。今回の発見を踏まえ,影響評価の精度を高めることが求められる。  
・シベリアの永久凍土がメタンガスを放出
温室効果ガスの一種で太陽熱の捕捉効率が二酸化炭素よりも20倍以上高いメタンが,シベリアの永久凍土から放出されている。永久凍土は基本的に数百年から数千年以上恒常的に凍結している土壌で,その多くは1万年前に終了した最終氷期以降,凍った状態を保っている。当時,シベリア沿岸の海水面は現在よりもおよそ100メートル低い位置にあり,大気にさらされた大地は地下500~700メートルまで固く凍り付いていた。
地球全体の平均気温は産業革命以降およそ0.7度上昇しているが,東シベリア北極陸棚では春の気温が最大5度上昇している。
海底の永久凍土層がメタンハイドレートや天然ガスを閉じ込めるフタとなっている限り,メタンが貯蔵庫から漏れ出すことはないと想定される。
しかし,地球温暖化の影響により,メタンが大気に放出され始めている可能性がある。
一般に,赤道から離れた地域の方が温暖化の影響が大きく,特に北極では温暖化が急速に進行している。  
・6億3500万年前に起きた温暖化の原因はメタン?
約6億3500万年前に「スノーボールアース(全地球凍結)」が終わった誘因は,温室効果ガスであるメタンの大量放出だったという研究が発表された。スノーボール理論によると,太古の地球には氷床が赤道まで覆い尽くされた状態の氷河時代があった。「氷床の下に閉じこめられたメタンは,一定の温度と圧力の下では氷状になって安定化する」と,この研究を行ったカリフォルニア大学の地質学者,マーチン・ケネディ氏は述べる。しかし,氷床は本質的に不安定であり,一定の大きさに達すると崩壊し始める。赤道の氷床が崩壊したことで,閉じ込められていたメタンが解放されて地球の温度を押し上げた。この温度上昇によって赤道よりやや高い緯度の氷床が溶け始め,メタンの放出量が増加して,地球の温暖化が加速した。ケネディ氏のチームは,約6億3500年前には赤道付近に位置していた南オーストラリア州の海洋から数百の堆積物のサンプルを収集して分析した結果,氷床の融解とメタン層の不安定化を裏付けるさまざまな化学的痕跡を発見した。一方,カリフォルニア大学スクリップス海洋研究所の古生物学者であるリチャード・ノリス氏は,現在のメタン貯蔵量は膨大であり,気候変動と関連させて目を光らせる必要があることには同意するものの,ケネディ氏が主張するように太古の地球と現代の温暖化を結び付ける根拠は弱いとも指摘している。  
・現在は第4氷河期の間氷期
氷河期中の寒い時期と温暖な時期(間氷期)の間隔には周期性があり,明らかに10万年周期の機械的なメカニズムが働いているが,これは
ミランコビッチ・サイクル
と言う天体運動の周期性により説明されている。
CO2温暖化説で今世界のみんなが大騒動しているが,最後の第四氷河期が始まったのが10万年前なのでミランコビッチ周期が正しいなら,次の第五氷河期はいつ始まっても不思議ではない。
ミランコビッチの説は,地球の公転運動(地軸の傾きや離心率)の変化で,太陽から地球に届く輻射量(熱量)が変化するためだというものです。
CO2地球温暖化説は,地表から宇宙に逃げていく輻射量(熱量)だけを考えた説で,温暖化で海水面が暖められ雲量が増えると太陽からの地球に入ってくる輻射(熱量)が減るというような事は考えていないようですし,ましてや太陽から地球が受け取る熱量の変化などは全く考えていない大雑把なものです。
過去の人類の歴史で起こった『寒冷化』は,浅間山の大噴火のような大量の粉塵を巻き上げる天変地異(太陽からの輻射熱の減少)で地球が寒冷化し未曾有の大飢饉を引き起こしていた。
核戦争での大火災(大量のCO2を放出)や巻き上がった粉塵で『核の冬』が起こるとしたカール・セーガンの考え方も実際にあった過去の歴史を科学的に検証して出来上がっているのでしょう。  
■ミランコビッチ・サイクル
セルビアの学者ミランコビッチ(1879年~1958年)は,地球の自転軸の傾きや公転軌道の変化が,太陽からの日射量の変化を招き,それが氷期の原因となるという説を唱えた(1920年)。地球の自転軸は歳差という首振り運動をしている。この周期は26000年であるが,だ円である地球の公転軌道の長軸方向が22000年周期で変化するために,日射量変化の周期は23000年と19000年になる。また,現在の地球の自転軸は公転面に垂直な向きに対して23.4°傾いているが,これが41000年周期で22°~23.5°の間で変化する。さらに,地球の公転軌道の離心率も10万年と40万年の周期で,0.005~0.0543(現在は0.0167)と変化する。こうした変化が組み合わさって,地球が受け取る太陽エネルギーが変化することになる。1970年代から始まった深海底の堆積物の研究からミランコビッチ説が見直されることになった。それは放射性同位元素を用いた年代測定の精度の向上,酸素同位体比を用いた古海水温の推定などによって,たしかにミランコビッチの予想通りの周期での気候の変動が見られるようになったのである。  
・氷河期のミランコビッチ周期
地球の自転は一定ではなく,自転軸の傾きも,数万年の周期で変化するし,地球が太陽の周りを回る公転軌道(楕円形)も,約10万年の周期で変化する。それらの変化に合わせ,地球と太陽との距離も変化する。この変動率はおよそ10万年周期で変動し, さらに41万年でも変動している。地軸の傾きや軌道の離心率により地球の日射量が変動する。そして,その変動周期が4.1万年である事を割り出した。最新の氷期最盛期は,1.8万年前で,8月の日本付近の海水温は,現在より7度位低温であったらしい。ヒプシサマール(高温期)は,日本では縄文時代の前中期およそ,3・4千年前の時期で,本州東北部で豊かな縄文文化が栄え東京湾の入り口付近に造礁サンゴが成育していた。因みに世界では,この豊かな高温の時期にエジプトや黄河等の世界の四大文明が生まれている。また海面が現在より5㍍近く高く,その痕跡として縄文時代の貝塚が内陸部で多く発見されている。東京・大阪その他の都市も,ほとんど海の底になるが現在そこに都市があるという事は,地球が高温期から再び冷え始めている証拠である。地球規模での大きな温度変化は,各地に異常気象を頻繁に起こさせる。
・現在は氷河時代
科学的分類としての氷河時代とは,極地方に氷河が存在している時代のことなので,約165万年前から今現在までの地球は,地球の歴史の中では寒冷な時代(氷河時代)とされている。現在は大陸の氷床(氷河)が陸地の10%であるが,はるかに広く陸地の30%が氷河におおわれた氷期(氷河時代の中でもとくに気温が低下している時期)が大きなもので4回訪れていた事がわかっている。氷期には地球上の水が氷として大量に固定されるために,海水面が最大で150m程度低くなることがある。氷期には地球全体で4℃~5℃程度気温が低下して,日本はほとんどアジア大陸と陸続きになる。世界的に見ると,スカンジナビア半島や北ヨーロッパ,北アメリカの五大湖付近までが氷床におおわれていて,海岸線が現在よりかなり後退していた。氷期と氷期の間を間氷期といい,最後の氷期は約1万年前に終わり,現在は次の氷期までの間の間氷期であると考えられている。地球が寒冷になり,極地方に氷河が発達したのは現在ばかりではなく,過去にも何回かあった。先カンブリア時代の23億年前,8億年~6億年前,古生代のオルドビス紀(4.4億年前),古生代のデボン紀~石炭紀(3.77億年前~2.7億年前)が氷河時代であった。数億年の長い時間の間に,氷河時代がなぜ訪れ,また再び暖かくなるのかについては,太陽活動の変化,地球の自転・公転の変化,プレートの運動による大陸の配置の変化,大気中の二酸化炭素の量の変化などが考えられるがよくわかっていない。ミランコビッチ・サイクルは氷河時代の中の氷期-間氷期という数万年~数十万年というスケールでの変動を考える上では重要だが,大規模な氷河時代が訪れたり,また無氷河時代(極地方にも氷床がない時代)に戻ったりという変化は説明できない。
 
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■氷河期 2 / 気候の移り変わり
■氷河期  
ヨーロッパでは氷河の進出した時代がいくつか存在していることが,早くから知られていました。
気候変化の流れの中で,新生代に始まった,きわめて寒冷ないくつかの期間を氷期と呼びます(一般には氷河期とも言われています)。
また氷期と氷期の間の期間を間氷期といいます。
それぞれの時代の氷期の呼び名にはいろいろありますが,ここではヨーロッパ式で呼ぶことにします。
主要な氷期は,一般的に下に示した4つが広く知られています。氷期の名称と,そのおおよその期間をまとめると次のようになります。
・ギュンツ氷期:Gunz glaciation(410,000年~310,000年前)
・ギュンツ=ミンデル間氷期
・ミンデル氷期:Mindel glaciation(240,000年~220,000年前)
・ミンデル=リス間氷期
・リス氷期:Riss glaciation(125,000年~100,000年前)
・エーミアン間氷期(リス=ヴュルム間氷期)
・ヴュルム氷期:Wurm glaciation(70,000年~18,500年前)
このうちギュンツ氷期とヴュルム氷期は長くて,前期と後期に特に寒冷な時期があり,それぞれ
初期氷期,
主要氷期
とよばれています。
最近の氷期は18,500年前に終わったヴュルム主要氷期ですが,これを最終氷期としばしば呼ぶこともあります。現在はそれに続く,間氷期にあたる時代であると,一般的に考えられています。
これらの氷期は,ミランコビッチサイクルと呼ばれる地球の動きの変化の周期性が引き金となって,生じたものと考えられています。
地球の公転の軌道は楕円ですが,これがしゃげたり真円に近くなったりの変動をくり返しています。
この軌道がへしゃげるほど遠日点での太陽からの入射はかなり少なくなります。
また自転の地軸もある周期で傾いたり立ったりします。
このいわゆる黄道傾斜角が急になる,つまり地軸が公転面に対して倒れ込むほど,夏も冬も厳しくなって,季節変動のコントラストがはっきりします。
さらに歳差運動による変化によって,大陸の多い北半球の冬が,今とは逆に遠日点に重なると,北半球の大陸には氷床が発達しやすくなります。この氷床は太陽からの光の反射率,つまりアルベドが高く太陽からの放射をよく反射しますし,自分自身は溶けにくいものなのです。太陽からの放射が多く反射されるほど地球に入る太陽のエネルギーが減少し,地球の寒冷化を招くことになります。そしてさらなる氷床の発達へとつながっていきます。ミランコビッチサイクルが招いた,このような正のフィードバックが働いたことによって,氷期が生じたものと考えられています。
陸上に氷床が発達したため,海面は今より約100m,あるいはそれ以上低下していたと見られています。
氷床は,たとえばアメリカ大陸ならば現在のカナダの国土分をすっぽりと覆うくらいに広がっていました。
その厚さは3kmにも及んだともいわれています。
アメリカ合衆国内は南部を除いてすべて北方林で覆われ,南部も針葉樹林地帯となっていたことがわかっています。
日本はどうかといいますと,北海道の半分以上にはツンドラが広がり,エゾマツやトウヒなどからなる亜寒帯針葉樹林帯が東北から西日本の山地にまで分布していたとみられています。
関東から西日本の平地の広い範囲には冷温帯落葉広葉樹林帯,つまりブナなどがどこまでも生い茂っていたとみられます。
シイ,カシ,クスノキ,タブノキといった肉厚で光沢を持つ葉を年中つけた木は照葉樹と呼ばれており,現在は西日本の自然林に多く見られます。
しかし最終氷期であったこのころは,種子島・屋久島あたりに細々とあったに過ぎなかったようです。
現在,たとえば代表的な照葉樹であるタブノキの北限の地は,秋田県の南部の,南極探検で有名な白瀬中尉の故郷である,金浦という町(現・にかほ市)です。
よく考えてみますと,この最終氷期当時は,九州の南の端が,現在の秋田県の南部あたりの気候に相当したと,単純に見ることができます。
なお,当時は海面が低くなっているために,当時の日本列島は朝鮮半島,そしてサハリンを介して大陸とも地続でしたし,瀬戸内海も存在しませんでした。
・ヤンガードゥリアス期
12000年前になると,夏の太陽からの放射量は7%増加し気候は温暖化の方に向かいました。
アメリカやヨーロッパなどの氷床は溶け,植生は北へ,北へと移動していきました。
二酸化炭素も増加し,特徴的な温暖な時代が13000~11000年前に現われました。
この温暖期のことを,北欧ではとくにアレレード(Allered)期というそうです。
ところがこのあと,急激に温度が100年間で平均6℃程度も下がった時期が見られました。
この寒冷期は11000~10720年前のわずか280年間の間に生じたとされています。
この時期はヤンガードゥリアス(Younger-Dryas)期と呼ばれていて,日本にも存在していたことが分かっています。
この時期には再び氷床が著しく発達するなど,氷期の状態に逆戻りしました。
ところがこのヤンガードゥリアス期の末期(10720年前)には,なんと50年間の間に7℃の温暖化が生じ,この寒冷期が終わったとされています。
この原因をめぐって,ながらく論争がありました。
地球の動き,火山噴火,温室効果ガス濃度の変化,海流の変化などいろいろ言われてきましたが,現在のところ,海流のパターン変化がひき起こしたという説と彗星のような天体が地球に衝突したことによるダスト・煙りによる日射の遮蔽の2つの説に絞られてくるようになりました。
まずは海流説について。海流には,黒潮や親潮として知られるような海面付近に存在する流れの他,海面から800m以上深い場所を流れる深層海流とよばれるものがあり,この2つの流れが組み合わさることよって,海水は立体的に循環しています。グリーンランド近海や南氷洋で海氷ができる際には,海水のうち水の成分の分が先に凍り,凍らなかった残りの塩分の高い海水が,温度も低いこともあって比重が大きくなり,次第に海の底深くに沈み混みます。この塩分の濃くて冷たい海水は海底を這うように移動し,グリーンランド沖の海底を離れて約1200年後に印度洋海底へ,また2000年後に大平洋海底に達します。ここで物凄い水圧の為に海底の海水温が上昇し,海面近くに浮き上がる。そしてこの海水が暖められた後に,海面近くの海流となって赤道付近の熱エネルギーを手みやげに再び南極・北極へ帰って行いきます。この循環は一般にコンベヤーベルトと呼ばれます。
氷期には北米大陸に氷床が大きく広がってましたが,温暖化するにつれてそれが溶け,その水が今の五大湖付近に溜まって巨大な湖を形作っていました。ところが今から13000年前,水かさが増した湖水に耐えかねて湖の周辺が決潰,大量の真水が北大西洋・グリーンランド近海に流れ込んでいきました。そうなると海水が薄まり,塩分濃度が低くなります。これがきっかけで冷たい水が海底に沈み込まなくなり,地球全体のコンベヤーベルトが衰弱していき,さらにその2000年後には完全にこれが停止したのではないか,とされました。コンベヤーベルトが停止すると,北極・南極に向かって,赤道近くからの熱エネルギーが運ばれにくくなり,極に近い高緯度地方は当然寒くなります。寒くなると氷床が発達し,地球全体でみたアルベドが高くなって更に寒冷化し,といった氷期と同様の悪循環に落ち込んだとみられてきました。
一方の彗星の衝突の説について。
彗星が衝突すると地表のものが巻き上げられたり,火災により発生したススなどが発生し,それが太陽からの日射を遮ることで寒冷化をひき起こします。良く知られた例としては,今から6500年前にメキシコのユカタン半島付近に発生した小天体の衝突と,それによって発生した急激な寒冷化によって恐竜を中心にした大量絶滅が挙げられます。ところが12900年前にも小天体の衝突があったとする論文が2007年に出され,これが議論をよびました。小天体が衝突することで,このときのダストにイリジウムという物質が含まれることになるのですが,北米を中心にこの部室が12900年前の地層から相次いで見つかった上,その層にススなども大量に存在することから,この小天体が,地表に衝突または空中爆発を起こしたことは,ほぼ間違いないというようになってきました。ということで,最近はこちらの小天体衝突がヤンガードライアス期をひき起こしたというように,定説がひっくり返ることになりました。
ヤンガードゥリアス期では,気候の寒冷化が6℃/100年,温暖化が7℃/50年と,急激な変化があったといわれています。このころ地球上に生えている植物もたまったものではありません。ヤンガードゥリアス期に入ると,北西ヨーロッパではそれまで生えていたトウヒやシラカンバが,あっという間に,より寒冷な地方に生育する低木や草本に置き換わったと言われています。アメリカでも寒冷化と時を同じくして,広葉樹の種類が激減し,代わってトウヒやモミ,シラカンバなどがまたたく間に増加したことが花粉分析から明らかになりました。これに対し,ヤンガードゥリアス期が終わった後の10000~9800年前には,ツンドラに再びトウヒなどの植物が入ってきたように見えるますが,これは花粉が風によって運ばれたことによる誤認の可能性もあります。
日本でも,ヤンガードゥリアス期が終わってすでに1000年経った9000年前には,大阪平野や名古屋近辺が,暖かさの指数から見るとすでに照葉樹林が生えても良い条件となっているのに,実際の植生は紀伊半島のあたりを北上中であったことが花粉分析から明らかになっています。ここからも,気候の急激な温暖化に植生の反応(移動)が全くついていっていないことがわかります。花粉分析では,たとえば紀伊半島南部から大阪まで,この後,照葉樹林群落が拡大するのに3000年かかったという結果が得られています。また一説では大阪から京都まで,照葉樹林が広がるのに100年かかったといわれています。『♪天満橋から三条へ……』の京阪特急なら30分で走り抜ける距離でも,それだけの年数を必要とするということです。京都・大阪間を40kmとした場合,大阪から京都への植生の移動速度は毎年400m,時速に直すと4cm/h。遅いようですが,植生の移動速度としては異例の速さではないでしょうか。
とはいっても,急激な気候の寒冷化には植生の分布の応答は想像以上に早いのに対して,急激な温暖化への植生分布の応答は100~1000年オーダーで,かなりゆっくりと見られています。現に,北海道の黒松内付近にあるブナの北限は,今なお北上中とされています。 
・ヒプシサーマル期(気候最適期)
6000年前までに,全地球的に夏の気温が現在より2~4℃高い期間が始まった。
この頃,夏の太陽からの放射量は現在より4%多く,冬は逆に4%少なくなりました。
黒点数から見た太陽活動も,この時期,非常に活発でした。
7000~5000年前までのこの温暖な時期をヒプシサーマル(hypsithermal)期,あるいは気候最適(postglacial climatic optimum)期と呼びます。このころの氷床の著しい縮小にともなって,氷期以来低くなっていた海面は一気に上昇し,現在より数m高くなりました(いわゆる縄文海進です)。魚津の埋没林(富山湾)のように,大陸棚が植物もろとも水没した場所も見られます。アフリカから中近東は現在より多雨で,現在のサハラ砂漠は森林に覆われていたといわれています。亜熱帯高気圧は北に偏り,中緯度は現在より乾燥していたようです。
日本ではこの頃,年平均気温が2℃程度高かったと評価されています。
日本におけるヒプシサーマル期の気候帯を見てみますと,6500年前には照葉樹が自生するのが可能な,暖かさの指数85以上の地域(照葉樹林気候)が秋田県沿岸まで達していました。またコナラに代表される暖温帯落葉広葉樹林気候も東北地方のほとんどを覆うまで広がることになりました。関西や東海地方の山にある雑木林が東北で見られたわけです。植生の拡大・北上はこの温暖化にはなかなか付いていけなかったようですが,それでも6500年前には照葉樹が,西日本の低地で爆発的に広がることになりました。大阪に照葉樹林群落の拡大が到達したのもこの頃です。また,海抜で見た森林限界も300~400m上昇したとされています。 
・ヒプシサーマル後の寒冷期
ヒプシサーマルの後,5000~4000年前には気候は冷涼・湿潤化し,降水量も増加しました。
大阪の上町台地以外の部分や,名古屋の城より海側から岐阜県にいたる広い地域はこの時まで海でしたが,降水量の増加のため自然の埋め立てが進みました,沖積平野はこの時期にできたといわれています。日本海側で新しくできた沖積低地にはスギが非常に多く発達していった。スギは湿った条件(年降水量で約1800mm以上)で自生する植物である。いまは雨の多い山地にあるのみですが,当時,平野にも生えたというのですから,いかにこの時期に雨が多かったかということがわかります。
この後,4000~3000年前には一旦温暖となるが,そのあと2500~2000年前には,特に北日本や山陰,北陸で冷涼な気候が見られました。 
・古墳寒冷期
日本や中国では3世紀~7世紀の間,天候が悪化し,冷涼化,降水量の増加が続きました。
この時期は中国や日本の歴史の中でも戦乱が多く混乱した時期であるが,その原因がこうした気候の冷涼化が契機となったという見方もあります。戦乱,そう,中国では三国志の時代,日本では倭国大乱の時代にあたる時代です。日本ではこの時期を古墳寒冷期と言う場合もあります。これは,太陽活動が不活発になった時期にだいたい一致します。 
・中世温暖期
西暦800~1300年は,現在並み,あるいはそれをやや上回る温暖な時期でした。
この現象は全地球的に見られたとされています。
この時期,ヨーロッパではノルマン人が大西洋を渡ってグリーンランドに入植しました。
また,この頃の大西洋には流氷がほとんど見られなかったと言われています。
当時のアイスランドではエンバクなどの麦類が栽培可能でした。
この温暖期を中世温暖期(Middle Ages warm epoch)と呼びます。
このときの太陽活動は,西暦1100~1300年には現在並みに活発だったとされています。
100年オーダーで気候を見ると,太陽活動が最も影響しているように見える。
また図1は昔の日記や年代記によってわかったサクラの満開時期から計算した,京都の3月の平均気温の推移です。
この時代はデータの数が少ないので精度は悪いが,それでも西暦1200年を中心に,気温の高かった時代があったことが定性的にわかりました。
おりしもこの時代は日本の平安時代。
のんびりとした時代が続いたのも,この中世温暖期のお陰だったのかもしれません。
そういえば,当時の貴族の館は『寝殿造り』と呼ばれる,いかにも風通しのよさそうな,というよりは寒そうな様式をしています。
こんな中世温暖期だったから,貴族も寒さに耐えられたのかもしれません。 
・小氷期
太陽の黒点が少ないことは太陽活動が不活発なことを意味しています。
西暦1300年以降,この太陽の黒点が急に少なくなり太陽活動が不活発な時期が繰り返してやってくるようになりました。
その時期は1320年頃,1460~1550年,1660~1715年,そして1800年前後である。
1320年頃の極少期をウォルフ極小期,
1460~1550年のそれをスペーラー極小期,
とくに西暦1660~1715年のおよそ70年間の太陽黒点がほとんど無くなった顕著な黒点極少期間をマウンダー極小期(Maunder minimum),
また一番最近の1800年前後の短い極少期をドルトン極少期
と,それぞれ呼びます。
この4つの時期は,サクラの満開日から推定した京都の気温(図1)の低かった時期とかなりシンクロしています。
サクラの満開日による3月の京都の気温は冬季の気温にかなり似た傾向を示すと思われますが,やはり,この太陽活動の不活発な時期は,世界的な気候悪化,寒冷化が見られた時代と,全般に一致したようです。西暦1300年以後,1850年までのこの期間を,小氷期(Little Ice Age)と呼びます。この時期には各地で氷河の前進が起きました。日本でも西暦1300年を過ぎると気候悪化が起こり,降水量が増えて,濃尾平野などでは河道変化が繰り返されるようになりました。
特にマウンダー極少期とその次のドルトン極少期にあたる1600~1850年の寒さの程度はものすごく,小氷期をこの時期に限定する場合もあります。
この時期,日本では大雪,冷夏が相次ぎました。
淀川が大阪近辺で完全に氷結したこともあります。
大阪の河内地方ではそれまで盛んであった綿作が,気候寒冷化・降水量増加にためにイネ・ナタネに転作を余儀なくされたとも言われています。
そういえば,この時期の大坂城代が雪の結晶を観察,絵にしているという話を聞いたこともあります。
そんなこと,現代では北海道でしかできないと思われます。
ともあれ,この時期,とくに19世紀初頭は寒かったようです。
日本では小氷期のうちでも最も寒冷な期間,たとえば1830年代と1980年代を比べると冬や春の平均気温は2℃程度,京都に限ると3.4℃も現在よりも低かったと推測されています。 

雑学の世界
http://www.geocities.jp/widetown/japan_den/japan_den124.htm
















ミニ氷河期の到来が確定的な中で、「太陽活動と地球寒冷化の関係」についての科学論文の掲載数が2017年だけで100本を超えていた
2017/12/29 
地球寒冷化予測に関しての学術論文
・Bicentennial decrease of the solar constant leads to the Earth’s unbalanced heat budget and deep climate cooling
太陽活動と地球寒冷化についての学術論文の数は2017年は120件に達する
今現在、アメリカやヨーロッパからアジアまで、北半球の各地がとんでもない寒波と大雪に見舞われているということもあるのでしょうけれど、英語などのニュースを検索していますと、「ミニ氷河期(Mini Ice Age)」とタイトルにあるものが、とても多くなっていることに今朝気づきました。
2017年12月29日のGoogle ニュース検索より
・Google
今にして、この「ミニ氷河期」という概念も身近な感じになってきたということなのでしょうかね。
なお、この In Deep で、はじめて「ミニ氷河期が近いのかもしれない」ということにふれたのは、今から 6年ほど前のことで、「あらかじめ予測されていた小氷河期の到来」というシリーズを書いた時でした。
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(4) 太陽活動極小期は何をもたらすのか?  In Deep 2011/11/14
という記事を書いた時に、初めて私は、「太陽活動と地球の気候に関係がある」ということを知ったのです。
そして、その後、太陽自体に興味があったこともあり、いろいろと調べていくうちに、
・現在の太陽活動が過去にないほど弱いこと
 ・これは過去の寒冷期の時代とよく似ていること
などを知るにいたりました。
そして、その頃から「寒冷期は近いのかもしれない」という思いは確信に変わりました。5年くらい前のことでしょうか。
もっとも、その頃は……まあ今もかもしれないですが、「人為的な原因による地球温暖化」という概念が世の中に跋扈していまして、太陽に関する科学的なデータは隅に追いやられ、よくわからないデータが社会の表面に出てくるようになりました。
しかし、その後、「太陽と地球の気候の関係」の科学的データや過去の資料が次々と出てくる中、寒冷化に関しての科学論文は増加していき、2017年に、科学誌に掲載されたものの中で「太陽活動と地球の気候の関係」に関しての論文は120 本にものぼったたのだそうです。
昨日、アメリカの科学系ブログで、最新の「太陽活動と地球の寒冷化」についての学術論文を一気に紹介しているものがあり、今回はその記事をご紹介したいと思います。
昨日、アメリカの科学系ブログで、最新の「太陽活動と地球の寒冷化」についての学術論文を一気に紹介しているものがあり、今回はその記事をご紹介したいと思います。
2017年12月28日のアメリカの科学系ブログより
・7 New Papers Forecast Global Cooling, Another Little Ice Age Will Begin Soon
オリジナルの記事では、論文から抜粋しているのですが、むしろ難解でわかりにくいですので、箇条書きにしました。
ただ、大量の数式が並んでいて私には理解しようがないものや、書いてある内容も難解すぎてわからないものなどは割愛していますので、記事の中の一部ということになりますが、しかし基本的には、どの論文も書いてあることの根底は同じようなテーマであり、すなわち、
というものです。
「いつからミニ氷河期が始まるのか」ということに関しての主張はさまざまでして、2020年からという場合や、もう少し後の主張もあります。
ただ、私個人としては、ロシア人科学者たちが昨年までに発表していた、「地球はすでにミニ氷河期に入っている」という説を気に入っています。これについては、過去記事、
・ミニ氷河期は「2015年にすでに始まって」おり、今後「200年から250年間続く」というロシア科学アカデミーの科学者たちの主張が公開された  In Deep 2016/11/05
に、比較的詳しく書いてあります。
また、やはりロシア人科学者で、モスクワ大学の美しき理論物理学者ヘレン・ポポワ博士は、「 2030年までには 97%の確率で地球はミニ氷河期に入る」と述べています。
これは、
・精度97%の「2030年までのミニ氷河期突入」予測は、その発表の元となったロシア人女性物理学者の「太陽活動の解析予測の実績」から実現確実な状勢に  旧 In Deep 2015/07/22
にあります。
理論物理学者ヘレン・ポポワ博士
・RT
この地球寒冷化に関して、ロシア人科学者のほうを重視するのは、ロシアの科学者は西側の科学者のような「温暖化ビジネスによる利益関係」を持たないからです。
まあそれはともかく、寒冷化していくとはいっても、気温だけの問題では、予測されている変化は平均 1℃以下ですので、そんなに大きなことにはならないのかもしれないですが、ミニ氷河期がもたらすものは、気温の問題と共に「荒れた天候」だったりもします。
このあたりに関しては、いろいろと複雑なことではあるのですけれど、過去記事、
・海の巨大な変化とミニ氷河期の関係:「温暖化が招く寒冷期」からの気温の回復に40年から100年かかるという気候モデルが提示される地球の海で成長する「モンスター・エルニーニョ」
に、「寒冷化と、モンスターハリケーンやモンスター級台風」が同居する時代になるメカニズムなどを書いています。ミニ氷河期に入るということは、農業や漁業を含む生活に直結した部分への影響も含めた大きな時代の転換となる可能性は強いと思っています。
ただし、そのミニ氷河期が本格的に始まるのが 2020年頃からなのか 2030年頃からなのか、あるいは「すでに始まっているのか」ということについては、今はまだ確信を持っていえる根拠はありません。
それでは、ここから記事です。
7 New (2017) Papers Forecast Global Cooling, Another Little Ice Age Will Begin Soon notrickszone.com 2017/12/28
ミニ氷河期と地球寒冷化がまもなくやってくる予測に関して 2017年に発表された最新の7つの論文
太陽黒点の減少と、太陽の活動の低下のため、気温は平均で 0.5℃〜 0.7℃下がる
太陽活動の変化による地球の歴史と現代の気候変動への影響との関連について、2017年には 120もの論文が科学誌に掲載された。
低い太陽活動(これは太陽黒点が少ないことを意味する)と、それによる雲の増加(雲は宇宙線によって調節されるため)が地球の寒冷傾向と大きく関係していることについての理論がますます確立されている。
この数十年、地球は非常に高い太陽活動の期間であったが、この高い太陽活動が、この過去 10年から 100年間の地球の温暖化期間を出現させた。
しかし現在、多くの太陽科学者たちが、今後数年間( 2020年から 2025年頃までに)のあいだ、非常に低い気温活動の期間が始まることを予測しており、その確信は次第に強まっている。
今回は、最近発表された地球寒冷化に関してのいくつかの論文の内容を列挙する。
論文「惑星系の軌道間のコントラスト解析と太陽活動の周期性」より
Contrast analysis between the trajectory of the planetary system and the periodicity of solar activity
・惑星系の周期的運動と太陽活動の周期は、その2つが 179.5年の周期変化の規則を持つことを示している。
・規則的な軌道は太陽活動の高周期に対応し、無秩序な軌道は太陽活動の低周期に対応する。したがって、惑星系の動きと太陽活動と地球規模の気候変動には一定の関係があることがわかった。太陽の動きと地球規模の気候変動の周期的な傾向を解釈するためには、惑星系の動きを使用することができる。
・現在、太陽は極端に低い太陽活動の期間であり、今後、極小期に向かう。西暦 1000年以来、地球は 6回の太陽活動極小期を経験している。それは、(1040-1080 年)、中世の小値(1150 1200 年)、(1270-1350 年)、(1430-1520 年) 、マウンダー極小期(1620-1710 年)、ダルトン極小期(1787-1843 年)となる。そして、惑星系の軌道は、その 6つの長い太陽極小の間に乱れていたことがわかっている。
論文「コーカサス地域の気候変動における長期的傾向 」より
Long Term Trends in Climate Variability of Caucasus Region
・様々な科学者たちによって推定された 1610年以降の総太陽放射照度は、マウンダー極小期に最小値を示して以来、約1.3W / m2の増加を示している。これは、地球の総土質量を考慮に入れると、膨大な量のエネルギーだ。
・黒点が多くなる場合、太陽の明度が増加し、太陽風が地球を暖める傾向があるために、地球の大気に多くのエネルギーを送る。太陽活動は地球に多くの点で影響を与えることは確かだが、まだ理解されていないものがある。
・アメリカ国立地球物理データセンター.(NGDC)の予測によると、次の太陽活動周期であるサイクル 24と 25は非常に弱くなる。これは、数値からの計算では、平均 0.5 〜 0.7℃の地球の温度低下につながると考えられており、特に北半球では大気の温度が低くなる。スイスのジュネーブでは 1.5℃低下すると予測される。
論文「全太陽放射の変動に対する太陽系振動の影響 」より
The Influence of Solar System Oscillation on the Variability of the Total Solar Irradiance
・西暦 1000年から現在までの太陽活動極小期と地球の気候とには密接な関係があり、過去のデータは、黒点の少ない太陽活動の減少期は寒冷期が続き、多くの黒点がある高い太陽活動の時期は暖かい気候の期間と関係していた。
・1940年に始まった、宇宙線同位体データと黒点データを用いた研究によれば、現在(1940年から 2000年)は、太陽活動の最大の活動レベルを記録した比較的稀な事象の期間だった。
・現在と同様に高いレベルの太陽活動が観測されるのは、今から 4000 〜 8000年前になる。
・過去 11,500年間の期間では 27回の太陽活動極小期が確認されており、それは全体の期間の 17%を占める。
・過去約 1000年間のあいだのすべての太陽指標は、1920年から 1940年の間に太陽活動レベルが最も高かったことを示す。
・西暦 1700年から 2013年までの時間では、1760年、1840年、1930年、2000年に太陽活動レベルの最大値を示しており、これは約 80年ごとに太陽活動の最大値が出現することを示す。
論文「 過去3000年間の太陽活動と二重の原動力の強化」より
Reinforcing the double dynamo model with solar-terrestrial activity in the past three millennia
・太陽活動周期であるサイクル 21からサイクル 24の分析から得られた太陽磁場振動の 2つの固有ベクトルのサマリー曲線を使用して過去と現在を比較した。その結果、私たちの研究では、2020年から 2053年にかけて、太陽の活動極小期の発生を確信した。
論文「 宇宙線と太陽活動と地球の気候変動」より
Cosmic rays, solar activity, and changes in the Earth’s climate
(訳者注 / この論文は数式が並びまくっていて、理解できなかったので、翻訳はできないですが、数値の証左はともかく、そこから計算されたのは下のグラフということになります)
論文「政策の定義の基準となる太陽活動周期あるいはエルニーニョ南方振動」より
The Solar Cycle or El Niño Southern Oscillation (ENSO) as a Criterion for the Definition of Public Policies
・提示された資料と論議された論考を分析することから、太陽活動の周期は、長期的に地球の気候条件に影響を与えると結論付けることができる。太陽活動周期のサイクル5とサイクル24の類似点に基づけば、次の太陽活動周期であるサイクル24から サイクル25に対応する 2022年から 2034年は寒冷期間が長くなると予想される。
きりがないですので、このあたりまでとさせていただきますが、こういうような科学論文が1年間で 120も科学専門誌に掲載されていたという現状についてお知らせしたかったというようなことだとご理解いただければ幸いです。
               
In Deep 
https://indeep.jp/mini-ice-age-is-coming-soon-2018/












「過去3000年間加速し続ける地球の寒冷化を止めることはできない」
: 南極とグリーンランドの氷床コアが語る地球過去45万年のサイクルから見る「今はまさに氷河期突入直前」だという強力な示唆
2017/05/27 
・The Holocene context for Anthropogenic Global warming
最近、海外の SNS で話題となっているネット上の論文があります。
それは、NOAA (アメリカ海洋大気庁)のデータをもとに、過去 45万年の氷床コアのデータから地球の気温のサイクルを見つめ直したものです。
その内容は「現在の地球は過去 8000年の中で最も寒い」ことがわかると共に、これからの地球の気候を考える上でとても参考になるものです。
今回は前振り一切ナシで本文に入ろうと思います。
「なぜ、今、氷河期が近いといえるのか」ということや、地球の歴史が見せてきた「厳密な気候のサイクル」に驚かれるかと思います。
簡単に書けば、
「地球という場所は、約10万年間の氷河期と、約1万年間の温暖期を繰り返している」
ということが、少なくとも過去 45万年の氷床の記録は示しているのです。
そして、今の私たちは 1万年の温暖期の「完全な最後の時期」にいることもわかります。
次の氷河期がすぐに迫っているということが、データは明白に示します。
あるいは、「なぜ、こんなにも気候が荒れてきているのか」ということも、この本文の中の文章で理解できる部分があります。
そんなわけで、本題に入りますが、文中に出てくる単語の説明だけは最初に記しておきます。
・完新世 – 完新世(かんしんせい)は地質時代区分のうちで最も新しい時代である。現代を含む。
・後氷期 – 後氷期(こうひょうき)とは、約1万年前から現代までの時代をさす。
・間氷期 – 氷期と氷期の間の比較的温暖な時期。現在は後氷期にあたるが、次の氷期の前の第四間氷期であると考えられている。
また、地球の寒冷化やミニ氷河期については、過去多くの記事を記させていただいていますので、翻訳の後に、個人的にピックアップした記事のリンクを示させていただきますで、ご参考いただければ幸いです。
The Holocene context for Anthropogenic Global warming
人為起源による地球温暖化のための完新世の背景
私たちの現在の有益で温暖な後氷期(1万年前から現在までを含む時代)は、過去1万年間、人類の文明の構築を可能にしてきた。
完新世の穏やかな気候は、人類の最古の農業から、最近 100年間の科学技術の急速な発展までを支え続けた。
しかし、今現在、グリーンランドの氷床に記録されるすべての北半球の氷床は、以下のことを示している。
・最後の千年紀である西暦 1000年 – 西暦 2000年の間は、後氷期の中で最も気温の低い 1000年であること。
・より最近の完新世では、紀元前 1000年頃の「気温の転換点」以来、以前の 20倍以上の 約 0.14 ℃の気温の低下を見せて現在に至っている。
・後氷期はすでに 10000年から 11000年続いており、前世紀の期間の長さから判断すると、完新世は終わりに近づいているはずだ。それは、今世紀かもしれないし、次の 1000年紀かもしれない。
・20世紀の終わりから、有意な気温の上昇がもたらされ、それは「人為的な地球温暖化警報」という捉え方に変わっていった。
・しかし、最終的には、この 20世紀後半からの気温の急上昇は、過去 3000年以上にわたる比較的急速な気温低下期間の長期的な進展の中では、小さな変動の一部として見なされるようになるだろう。
・NOAA 以外の機関から公表されたグリーンランドの氷床コアの記録もまた、この知見を裏づけている。
ある一部の人たちは、人為的な要因による地球温暖化の環境への悲惨な影響を警告しているが、その気温変動の規模を考えると、その最高の転換点とされる+ 2℃は、結局は、紀元前 1000年の頃の暖かい期間と似通った気候の水準に近づくというだけだろう。
最近の地質学的状況
南極のボストーク基地の氷床コアの酸素温度評価技術による解析では、以下のことがわかっている。
・過去 80万年間では、約 10万年の間隔で定期的な気温の変動があった
・過去 45万年間に、おそらく 5回の間氷期の温暖期があった
間氷期の温度の変化と持続時間は、それぞれ差異があり、いくつかの初期の間氷期では、 10,000年の基準よりもかなり短かった。
これらのデータから示されることは、
・〜10万年周期 北半球の多くが数キロメートルの深さの氷のシートで覆われている長い氷期の繰り返しパターン。
・〜1万年周期 短い期間の暖かい間氷期が続く。
というものだ。
これは太陽のより短い周期的な振る舞いによって調整されることがわかっており、地球の気候を支配するこれらの事実は十分に文書化されており、現在ではよく理解されている。
下は、過去12万年のグリーンランドの氷床コアが示す北半球の気温の変化だ。
過去の間氷期の長さから判断すると、およそ 10,000〜 11,000年続いた完新世期は今、終わりに近づいているはずだ。
したがって、過去のサイクルから見れば、地球は再び完全な氷河に覆われる気候へ戻る時期が近づいている。
それは今世紀からかもしれないし、次の世紀かもしれないし、あるいは次の千年紀になるかもしれないが、過去のサイクルに従うのではあれば、予見は可能だ。
直近の 3000年で地球は急速な冷却を経験しているが、今後より寒冷な気候へと変化が継続していく可能性は高い。
寒冷化は、より強烈な悪天候につながる。 地球の極(南極、北極)と、熱帯の間の全体的なエネルギーの差は寒冷化によってのみ大きくなる。
そして、それにより大気中の安定性が低い状態になるため、悪天候が顕著になりやすくなる。
さらなる悪天候に加えて、来るべき寒冷期はまた人類全体と生物圏全体にとって非常に深刻な欠乏につながるだろう。
植物が成長する季節が短くなり、耕作面積が減ることにより、大きな影響が出る。
かつての寒冷期では、多くの生物圏が崩壊したが、直近、世界はこれらの悪条件と温度の限界上昇から回復し、20世紀後半は人類と生物圏にとって完全に有益な時代であった。
しかし、人為的な温暖化が過去 3000年の寒冷化を逆転すると期待するのは人類の傲慢だろう。
地球の寒冷化は加速し続けており、その傾向は継続すると考えるのが妥当だ。
ここまでです。
過去の寒冷化と氷河期関係の記事をいくつかピックアップさせていただいて、今回の記事を締めさせていただきます。

In Deep 
http://indeep.jp/coldest-millennium-in-8000-years-is-now-and-coming-soon-ice-age/





2019年2月4日月曜日

北海道に史上最強クラスの寒波襲来へ


北海道に史上最強クラスの寒波襲来へ。-30℃以下続出か?
杉江勇次  | 気象解説者/気象予報士/ウェザーマップ所属
2/5(火) 13:14
極寒の北海道、霧氷と川霧(ペイレスイメージズ/アフロ)
史上最強クラスの寒波襲来へ
今月に入ってから春先らしく、寒暖差がとても激しくなっていますが、そんな中、北海道には今週後半、非常に強い寒気が流れ込む予想で、それも過去最強クラスのとんでもない寒波の到来となりそうです。
今回の寒気の特徴は下層と呼ばれる上空1500メートル付近の寒気が極めて強いこと。
これは地上の気温に直結するため、北海道は場所によっては、記録的な寒さ、凍てつく極寒に見舞われるかもしれません。
寒気の予想をみると、7日の木曜日は東日本や西日本を中心に再び暖気に覆われるため、春本番を思わせる暖かな陽気の所もあるでしょう。
ところがシベリア方面は青一色で強烈な寒気が南下中であることを示しています。
この寒気が木曜日の夜以降、北海道に南下し、金曜日には北海道をすっぽり覆う予想です。
注目は北海道を覆っている-24℃以下の寒気で、これはまさに厳冬期の北海道の平年値よりも10℃以上も低いものです。
実際、8日の金曜日午前9時の札幌上空1500メートル付近の予想は
-25.8℃
で、1957年以降の記録、-23.9℃を大きく下回る予想となっており、まさに史上最強クラスの寒波襲来と言っても過言ではない状況です。
札幌は昼も-10℃以下、内陸は-30℃以下続出か
北海道の天気や気温予想、赤は最高、青は最低(ウェザーマップ)
北海道の気温予想に注目すると、札幌は金曜日の
最低が-13.8℃で、最高が-9.1℃
となっていますが、これは金曜日に日付が変わった頃に最高気温が出て、その後、朝から日中にかけてずっと-10℃以下となる予想です。
札幌で-10℃以下まで下がることは珍しくないものの、日中にずっと-10℃以下の気温が続くことは近年ありません。
雪まつりに行かれる方はいつも以上の完全防寒が必要となるでしょう。
さらに占冠、陸別、川湯などの内陸では、金曜日から土曜日にかけて、この冬初めて-30℃を下回る予想となっており、2日連続で-30℃以下となる所が続出するかもしれません。計算上では土曜日、陸別の-32.9℃が最低ですが、晴れて、風が弱まるなどの条件次第では、近年滅多に出現しない-35℃以下まで下がる所があっても不思議ではありません。
また極寒のピークは金曜日から土曜日ですが、その後、週明けにかけても、平年を大きく下回る厳しい寒さが続く見通しです。
寒さの他、大雪や吹雪などにも、引き続き、注意・警戒が必要です。

Yahoo! Japan
https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20190205-00113708/







東京は土曜日に雪の予報
北海道の寒さには遠く及ばないものの、関東にも金曜日以降は寒気が流れ込み、3連休にかけて、真冬の厳しい寒さが続く見込みです。
そんな寒気に覆われた中、土曜日は関東の南で低気圧が発生する可能性があり、この振る舞い次第では、東京をはじめ、関東の平野部でも降雪となるかもしれません。
今のところ、気象庁の東京予報では曇り一時雨か雪となっています。
まだしっかりとした低気圧が発生するかも不確実な状況ですが、3連休の初日ということもあり、今後の情報にご留意下さい。

Yahoo! Japan
https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20190205-00113708/




2019年2月3日日曜日

Billy Meier交信記録: 人類のルーツ,恐竜時代~原始時代

Billy Meier交信記録: 人類のルーツ,恐竜時代~原始時代
Introduction
Contact Reports volume: 5 (Plejadisch-plejarische Kontakberichte, Gespräche, Block 5)
Page number(s): All
Date/time of contact: Saturday, February 28, 1987, 2:09 AM
Translator(s): Benjamin Stevens et al.
Date of original translation: Ben translated portions in bold by Sunday, January 31, 2010
Corrections and improvements made: N/A
Contact person: Quetzal
Synopsis
This is the entire contact.
Two versions are presented: an authorised but unofficial translation by Benjamin Stevens and two authorised and official extracts.
Contact Report 215 Translation

Future of Mankind
http://www.futureofmankind.co.uk/Billy_Meier/Contact_Report_215






(要約)
Billy Meier(ビリー・マイヤー)交信記録: 人類のルーツ,恐竜時代~原始時代
コンタクトレポート数:5(Plejadisch-plejarische Kontakberichte,Gespräche,ブロック5)
ページ番号:すべて
連絡日時:1987年2月28日(土)2:09 AM
翻訳者:Benjamin Stevens他
更新日:2010年1月31日日曜日
担当者:Quetzal
Benjamin Stevensによる非公式翻訳と2つの承認された公式の抜粋
Billy Meier (ビリー・マイヤー):
他のことについて教えてください。
グイドと私は先史時代,石器時代の人類について話しました,
そしてそこで,彼らが実際にこれまで彼らがより大きなグループに結束するまで来た時,
そしてこれらまたは彼らの子孫が最初のより小さなそしてより大きなさらに,地球上の最も遠い先祖代々の先祖をそのように指定することができれば,最初の本物の元祖先史時代の男性について話すようになりました。
ここで,問題は,彼らが実際にどれくらいの大きさであり,彼らがすでに直立して歩いていたかどうかです。
また,恐竜絶滅後に哺乳類が地球を占領した時代。
具体的に言えば,最初の哺乳類,そしてその後の生物がどのように進化していったのか。
さらには,恐竜,大型哺乳類などの時代。
地球の気候が安定し始めた時代の事を教えてください。
Quetzal:
地球の気候が安定し始めたのは約3500万年前だ。
そして,それよりももっと以前,大災害後の約6500万年前に出現した哺乳類とその捕食者についての情報を提供しなければならないのなら,
始新世と漸新世の時代(the times of the Eocene and Oligocene)
について話さなければなるまい。
ご存じかもしれんが,約6,500万年前,宇宙で大爆発がおきて,地上のほとんどの生命体は死に絶えた。
その世界で生き延びたのは小さな生き物だけだった。
せいぜい10~12kg以下の小さな生き物だけだった。
人類のルーツ。
その起源において「人間」として特定しうる最初の人間の形態は,およそ4900万年前に出現した。
この時点では,彼らの外見は人間ではない。
現代人が「初期の人類,原人」として想像するような形であった,
実は,「原人」の大きさはわず約80センチであった。
腕が長く,木登りが得意な猿の一種だ。
そして彼らの中で足で半直立する者があらわれた。
これら「原人」の進化は非常に長い時間をかけてゆるやかに進んだ。
「原人」の進化は多様な相ですすみ,一部が現在認識可能な「人間」に発展した。
現在認識可能な「人間」が出現したのが約850万年前,同じ属の他の種が出現したのが650万年前と450万年前だった。
「人間」出現の前兆があったのが1670万年前と1260万年前。
アフリカ,オーストラリア,日本,中国,アメリカ,南アメリカ,ヨーロッパ。。
地球上の様々な場所に出現した。
この時代には,すでに初期の住居の集まり - 集落 - があり,そこに親族同士が集まって生きていた。
恐竜絶滅後の世界にも,例えばティラノサウルス・レックス(the Tyrannosaurus Rex)と比肩するような大型の捕食者は当然いた。
例えばハイエナドント類(the family of Hyaenodonts)。
ハイエナドント類は体長170~180cm,かみそりのような鋭い歯を持っていた。
特に大臼歯は獲物の最も厚い骨さえ噛み砕く事のできる鋭い研削ツールだった。。
これらは今日のハイエナの先祖ではない。
彼らは攻撃的で冷酷な捕食者だった。
エンテロドン(Entelodonts)はハイエナドント類よりもさらに大きな捕食者。
そして,無限に広がるサバンナと広葉樹林を狩猟場にしていたエンテロドン(Entelodonts)はハイエナドントと共に生存していた最も強力な捕食者だった。
エンテロドン(Entelodonts)の体長は2m以上に達し,体重は1000kg以上だった。
これらの動物は非常に攻撃的で,今日のイノシシに近い。  
エンドロサクス(Endrosacus)は体重1トン超の極めて攻撃的な捕食者。
今日の羊の最も遠い祖先。
恐竜絶滅後の世界ではおそらく地上最大の捕食者であった。
彼らの唯一の天敵は,同種の彼ら自身だった。
彼らが互いに遭遇した場合,彼らは剃刀のような鋭い歯で固定された最大1mの顎で互いに攻撃して虐待した。
200万年以上前,最も強力で珍しい哺乳類,メガテリウム(the Megatherium)が地球に出現した。
これは巨大なナマケモノで,後ろ足で直立して歩いて葉を食べた。
ただ今日のナマケモノと違うのは,メガテリウムは巨大で木には登らない。
中型の象と同じくらいの大きさで,体重は4,000kg以上。体長は6mだった。
この巨大ナマケモノはほんの数千年前まで南北アメリカに住んでいたが,これもまた完全に絶滅したマンモスと同様,そのおいしい肉を求めた人間による狩猟によって絶滅した。
それ以外の動物が絶滅した原因は,気候の激変と自然災害であった。
巨大マンモスといえば,現在の象の先祖を思い浮かべるだろう。
これは何百万年も前に生存していたネウレテリウム(Neureterium)であり,非常に長い進化の過程を経て,現在象として知られる形態へと進化した。
馬の元来の先祖はカリコテリウム(the Chalicotherium)。
非常に小さく,大きさは30cm以下であった。
それが,長い首,長い足,短い鼻を持つ,大きさが3m以上の生物に進化した。キリンに似た形状だ。
Billy Meier :
ありがとうございました。

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最終氷期

最終氷期
最終氷期(さいしゅうひょうき,Last glacial period)とは,およそ7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期のことである。
この時期は氷期の中でも地質学的,地理学的,気候学的にも最も詳しく研究されており,気温や,大気・海洋の状態,海水準低下により変化した海岸線など緻密な復元が進んでいる。
名称
俗に「氷河期」という言葉を使うときはこの時代を指すことが多い。
地域によってヴュルム氷期(英語版),ウィスコンシン氷期(英語版)と呼び分ける。
最終氷期の時に最も氷床が拡大したおよそ2.1万年前を最終氷期の最寒冷期(最終氷期最盛期,Last Glacial Maximum,LGM)と呼ぶ。
最終氷期最寒冷期の環境
氷河作用の影響を直接受けた地域
最終氷期の最寒冷期(LGM)における植生。灰色は氷床に覆われた地域
この時代,およそヨーロッパ北部全域,カナダのほぼ全域と,西シベリア平原の北半分が巨大な氷床に覆われていた。
北アメリカではその南限は五大湖周辺,東ヨーロッパではライン川の河口からクラクフ,ロシアではモスクワからアナバル川河口まで達していた。
アイスランド全島,南部を除いたブリテン諸島も氷床に覆われていた。
一方南半球では,パタゴニア氷床がチリ南部,南緯41度付近まで達した。
チベットや,カシミール地方のバルティスタン(パキスタン北端部)とラダック(インド西北部),アンデス山脈のアルティプラーノも氷床に覆われていた。
アフリカ,中東,東南アジアでは小規模な山岳氷河が形成され,特にアフリカではアトラス山脈とバレ山地,東南アジアではニューギニアに氷河が存在した。
オビ川,エニセイ川は広大な氷床によってせき止められ巨大な湖が形成された。
永久凍土が,ヨーロッパでは氷床の南から現在のハンガリーのセゲドまで,アジアでは北京まで発達していた。
しかし北アメリカでは標高の高いところ以外では氷床の南域に永久凍土は発達しなかった。
氷床に覆われた時期の北アメリカは現在の氷河地域のような気候であったが,東アジアやアラスカの一部は標高の高いところ以外は氷河化していなかった。
この特殊な現象には3つの原因が考えられる。
寒流の親潮がベーリング陸橋に遮断されていたため,太平洋は大西洋より暖かかった。
現在の東アジアの降水量は夏に非常に多いが,冬はヨーロッパや北アメリカの同緯度と比べて極端に少ないことから,氷河が形成されるだけの降雪が起こらなかったと推測される。
東アジアには東西方向に高い山々が連なっているため,氷床の南下が妨げられた。
乾燥地域
現在温暖な地域の最終氷期最寒冷期の気候は非常に乾燥していて,一般に寒冷であった。
極端なケースでは,南オーストラリアやサハラ砂漠南部のサヘル地域では降水量は9%まで減少し,植物相は氷河に覆われたヨーロッパや北アメリカ地域と同じくらいまで減少した。
比較的影響の少なかった地域でも熱帯雨林は大きく縮小し,西アフリカの熱帯雨林はグラスランド(熱帯性の大草原)に囲まれて「避難するような」状態であった。アマゾンの熱帯雨林は拡大したサバナによって2つに分割されていた。東南アジアの熱帯雨林地域も似たような影響を受け,スンダランドの東西端以外は落葉林が広がっていたと思われる。中央アメリカとコロンビアのチョコ地域だけが熱帯雨林として実質的に損なわれずに残っていたが,
それはおそらく現在でも極めて大量の雨が降る地域だからであろう。
砂漠地域のほとんどはその面積を拡大していた。
ただアメリカ西部では例外的にジェット気流が変化して現在砂漠である地域に大量の雨を運んでいた(似たような現象は北アフリカでも起きたとされているが確証は無い)。
オーストラリアは移動する砂丘に大陸の50%が覆われ,南米のグランチャコやパナマも同様に乾燥していた。
現在の亜熱帯地域,特に東部オーストラリアやブラジルの大西洋沿岸森林地域(Atlantic Forest)や中国南部では乾燥化により森林の大部分が喪失し,
荒涼としたウッドランド(疎開林)が分布していた。中国北部は寒冷だが氷河に覆われることは無くツンドラと大草原が混在し,
森林の北限は少なくとも現在より緯度にして20度南にあった。
最終氷期の海水準低下とその影響
最終氷期の最盛期には,数十万立方kmといわれる大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なった。
海水を構成していた水分が蒸発して降雪し陸上の氷となったため,地球上の海水量が減少,世界中で海面が約120mも低下した。
その影響で海岸線は現在よりも沖に移動していた。
この海水準がもっとも低下した時代,東南アジアでは現在の浅い海が陸地になっており「スンダランド」を形成していた。
アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され,ここを通って北アメリカに人類が移住したと信じられている(海水準変動を参照)。
日本列島およびその周辺では,海岸線の低下によって北海道と樺太,ユーラシア大陸は陸続きとなっており,現在の瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地となっていた。
また,東シナ海の大部分も陸地となり,日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり,対馬暖流の流入が止まったと言われている。
この影響もあり日本列島は現在より寒冷で,冬季の降雪量が少なかったと考えられている。
北海道では永久凍土やツンドラ,標高の高い地域では山岳氷河が発達し,針葉樹林は西日本まで南下していたと言われている。
最終氷期の気候変動
最終氷期というと長い間続いたと一般には思われているが,実際は短い周期(氷床コアの研究において発見され,ダンスガード・オシュガーサイクルと呼ばれる)で気候が激しく変動していたことがわかってきた。最寒冷期の状態が続いたのは実際は非常に短い間,おそらく2000年ほどであったと専門家の間では考えられている。最寒冷期の直前は多くの地域では砂漠も存在せず,現在よりも湿潤であったようである。
特に南オーストラリアでは,4万年前から6万年前の間の湿潤な時期にアボリジニが移住したと思われる。
最終氷期が終わった現在の完新世のことを後氷期と呼ぶこともある。
最終氷期が終わって後氷期に移行する時に大きな「寒の戻り」がおこり一時的に氷期のような寒冷な気候になった。
この時期はヤンガードリアス期(およそ1万3000年前)と呼ばれ,約10年のあいだに気温が約7.7℃以上下降したということがわかっている。
これは氷期から間氷期に移行する時の急激な温暖化によって,北半球の氷床が溶解し,大量の淡水が大西洋に流入して海洋・気候のシステムに大きな影響を与えたためと言われていたが,「米科学アカデミー紀要(電子版)にメキシコや米国などの研究チームが発表する論文によると,チームはメキシコ中部のクイツェオ湖にある1万2900年前の地層を分析。通常は見られない,急激な加熱と冷却によりできたダイヤモンドの微粒子などが含まれていたことから,山火事や火山噴火ではなく彗星などの空中爆発や地上への衝突が起きたと結論づけた。 」と朝日新聞は報じている。

wikipedia.org
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E7%B5%82%E6%B0%B7%E6%9C%9F












現人類は約2万年前の最終氷河期(旧石器時代)の過酷な環境に適応するため基本設計が定まったが,その後の温暖化,急激な社会変動,価値観の多様性など新たに加わった周辺環境に対処するには基本設計が古過ぎる。
 今日の早朝も相変わらず,ストレッチから軽い筋トレ,ウォーキング。
快晴。春霞がかかっている。公園の桜はほぼ満開。今年は一番開花が遅れいるようで,例年だと阪神競馬場の桜花賞の頃の桜は満開状態を過ぎて,花冷えのする冷たい風に吹かれて,桜吹雪の状態だった。
そういえば,先日,異例の春の嵐が吹き荒れた。
今年の阪神競馬場の桜は,今日の温かい春の日差しを受けて,レースが始まる頃には,満開だろう。
こんなことはあまり記憶にない。
今日の日曜日が終われば,明日の月曜は新一年生の入学式。桜満開の入学式に成る。今朝。春の明るい日差しはあるから,暖かい様に感じるが,実はとても寒い朝で,温度計を見ると3月上旬並みのようだ。そういう訳で,今日も陽光に映える桜を眺めながら二つの公園を歩いた。
が,時々想わないでもない。
何でこんなことをしているのだろう?物凄い時間のロスをしている,と。習慣で,そういう流れができて,身を任せているだけ。馬鹿な事をやっているという想いが,正直,拭いされない。何もしないで,体重をキープできて,筋肉が落ちなければ,良いに越したことはない。
>そこで冒頭のタイトル。
ある地方史の本を開くと,その地方の縄文時代のズット以前の,2万年ほど前の旧石器時代時代の遺跡の発掘物から,説き起こす際に,冒頭タイトルにした様なフレーズが出てきた。
地球が氷河期の寒冷な気候に覆われていた時代。
海面は今よりも100メートルも下がっており,日本列島は大陸と陸続きで繋がっていた。
亜寒帯の森林におおわれた陸上にはオオツノジカやナンマンゾウが生息して,すでに日本に居住していた人類は「進化段階は現生人類と同じ新人で,私たちと思考能力も運動能力も全く差異のない,直接の祖先」だった。
過酷な環境に適応するところから出発した私たち人類は
<未だに寒冷な旧石器時代に{基本設計}の定まった身体構造>を引きずっている。
余分なカロリーを急激に脂肪に蓄える,過酷な時代がもたらした{基本設計}が,食いものが,自分で作ったり,採ったりするする現場とかけ離れて,カネよって簡単に手に入る時代に,肥満と云う形でそぐわなくなっている。
だから,脂肪をつけさせないために,運動に時間を割かなければならない。
その作業を素晴らしいとばかり,想うのは勝手な思い込みであり,本当は,馬鹿な事をやっている。
食い過ぎの快楽におぼれ,辻褄合わせをしているだけじゃないか。
そういうカネがあれば,世界中の飢えた人で助かるヒトがいる。理性で考えるとそういう事に成る。
>現人類は長く続いた過酷な生存環境を生き抜くに従って,そうした環境への強固な適応力がDNAにインプットされた。
それを著者は{基本設計}と云う適切な言葉で表現している。
その後の地球の気候の温暖化のよって海水面が上昇し,日本は大陸と切り離され,海進の最も進んだ約6000年間には海は今よりずっと列島に入りこんでいた。
>>やがて新石器時代から,縄文時代が始まるのだが,この著者の指摘している,{基本設計不適応}は,もっとスケールのデカイ事だ。
「その後の気候の温暖化」。
ここまでは自然現象の大きな変動に対する氷河期に{基本設計}された現人類の不適応であり,何のことはない常識の範囲。
>>「急激な社会変動」。
そして「価値観の多様性など」。
に「対処するには{基本設計が<余りに古い}のではないかと云う,現状認識が可能なのである」とまで云われると,つい一足飛びに,現在の地球規模に沸き起こっている諸問題への人類のDNA的基本設計の余りの古さゆえの不適応=DNA的解決能力不在をに想いを馳せてしまう。
そういえば,人類はズット戦争しつけてきたな。最後は力による解決の道を選択してきて,厄介なことにそれが起動力となって,歴史が前に進んできた。その挙句の果てが,尤も破壊的殺人兵器としての「核兵器」の開発とその使用。それが,原子力潜水艦に転用され,次に原子力発電に使用され,遂には日本の福島原発事故によって,当然の事ながら,地球のプレート移動の法則によって,その存在を否定された。にもかかわらず,利潤を追い求める資本の蓄積構造に引きずられ,原発を再稼働するという。核ミサイルを独占する大国が,自分たちの軍事的独占を維持するために,都合の良い国の核武装は許し,都合の悪い国の核武装は許さないと,核兵器の世界的多様化に圧力をかける。それだけではなく,グローバル資本制の反人間性はますます,コントロール不能状態に成っている。地球環境破壊の原因も結局,グローバル資本制に行き着く。
2万年前の最終氷河期時代に定着した人類のDNA=急激な社会変動,価値観への不適応のある基本設計,では,今のところこれらの方向性は修正できる見通しが立たない。物事には表側と裏側があるが,それにしても,表側のきらめきに反して裏側は酷過ぎて,反人類の領域に深く達している。
>>が,著者は<人間は急激に変わる>モノと,云う視点を歴史的事実から,提起している。
従来の歴史学では縄文時代から弥生時代への転換を朝鮮半島からの渡来系弥生人の移住,定着に求めているが,日本定住の縄文人,自らが主体的に,
「朝鮮半島の人々との交換や交流をきっかけに,水や土地など自然と人間の関わり方から,日常の価値観,時間の観念,ひては死生観を軸に据えた宇宙観に至るまで縄文文化をそれを完全に脱ぎ捨て,自らを水稲農耕民=朝鮮半島系渡来人風に仕立てなおして再出発した」
「しかも,朝鮮半島系の文化的要素が初期の頃から,揃って導入されているところを見れば,この再出発は集団規模で,おそらく<1世代の間に,組織的かつ短期間で生じたとみる必要がある」
「現代人の感覚になぞって表現すれば,それは宗教上の集団改宗に近い状態だと理解すべきであろう」 
 >以上の論説は考古学の出土品から,解き明かされており,説得力がある。
「疑いようもなくハッキリとした朝鮮半島系の墓の下に埋葬されていたのは,予想に反して縄文的形質を備えた人物であった。」
水稲稲作が日本列島に広まった頃,同じ地域の同時期に縄文的生活を送るムラと弥生的水稲稲作のムラの共存が確認されている。この時の水稲稲作弥生ムラは渡来系の弥生人ではなく,渡来系の生産様式に短期間で組織的に改宗した日本土着の縄文人だった。
 >この様に考えていくと,従来の歴史学説の云う,弥生時代の爆発的人口増加の原因を朝鮮渡来人の日本への圧倒的な数に求める,不自然さが拭いされる。確かに渡来人数も増加したが,日本土着の縄文人は渡来人と混血して弥生人となって水稲稲作民に自己変革した。
>>ただし,土着の縄文式生産様式よりも,手間はかかるが渡来系の生産様式の方が労働成果は大きく得られ,安定的であるという,やはり,物的な要素によって,この自己変革は可能となったと想う。やがて,そこで取り入れた生産様式が戦争的抗争と共同体の階層分解を生む。
2012/4/8(日) 午後 2:19

反俗日記
http://blogs.yahoo.co.jp/xhhfr149/22852263.html










地球の歳差運動の1周期は 25,625年です。 春分の日の太陽が昇る上昇宮は約2160年毎に変わります。 72年ごとに一度変わります。 2012年春分の太陽はうお座7度から上昇します。 太陽が春分の日水瓶座から上昇するのは2500年ごろとなります。 いまはうお座から水瓶座の時代への変化期です。

Time Cycle
http://www.harmonion.com/Article2/J-Time_Cycle_Part-1_2012_Galactic_Alignment_12-21-12.html






まず,占星学の歴史において,プラトン年とは,春分点が,約2万5千年以上の時間をかけて黄道12星座を一周すると言うものです。
つまり,約2000年間,ひとつの星座の期間に春分点があり,その期間は,その星座に影響される。つまり,時代がその星座の意味合いに合わせて変わって行くというものです。
ただし,厳密に言うと,約2000年でひとつの星座の期間に春分点がある。という言い方は間違っているとも言えます。なぜなら,地球の自転は,歳差運動により,春分点は,毎年わずかに黄道上を時計回りにずれてしまいます。これが,占星学上の星座の順序と逆に春分点が動いている理由です。
このズレは,1年周で,約50秒,72年周で約1度,2150年周で30度,つまり,1星座分移動するということです。この計算でいけば,25800年で,春分点を12星座を1周することになります。
つまり,約2000年というのは,サバの読みすぎであり,本来なら2150年で1星座分と考えるのが妥当と言えるかもしれません。

水瓶座の時代
http://homepage2.nifty.com/SON/uranai/Aquariusage001.htm






 ----銀河周期(プラトン年)25625年----
26 □BC025000  □AD001000  □AD027000
25 □BC026000  □AD000000  □AD026000
24 □BC027000  □BC001000  □AD025000
23 □BC028000  □BC002000  □AD024000
22 □BC029000  □BC003000  □AD023000
21 □BC030000  □BC004000  □AD022000
20 □BC031000  □BC005000  □AD021000
19 □BC032000  □BC006000  □AD020000
18 □BC033000  □BC007000  □AD019000
17 □BC034000  □BC008000  □AD018000
16 □BC035000  □BC009000  □AD017000
15 □BC036000  □BC010000  □AD016000
14 □BC037000  ■BC011000  □AD015000 (BC11000年,最終氷期終期)
13 □BC038000  □BC012000  □AD014000
12 □BC039000  □BC013000  □AD013000
11 □BC040000  □BC014000  □AD012000
10 □BC041000  □BC015000  □AD011000 
09 □BC042000  □BC016000  □AD010000 
08 □BC043000  □BC017000  □AD009000 
07 □BC044000  □BC018000  □AD008000 
06 □BC045000  ■BC019000  □AD007000 (BC19000年,最終氷期最盛期,LGM)
05 □BC046000  □BC020000  □AD006000 
04 □BC047000  □BC021000  □AD005000
03 □BC048000  □BC022000  □AD004000 
02 □BC049000  □BC023000  □AD003000 
01 □BC050000  □BC024000  ■AD002000

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 ----銀河周期(プラトン年)25625年----
26 □BC025000  □AD001000  □AD027000
25 □BC026000  □AD000000  □AD026000
24 □BC027000  □BC001000  □AD025000
23 □BC028000  □BC002000  □AD024000
22 □BC029000  □BC003000  □AD023000
21 □BC030000  □BC004000  □AD022000
20 □BC031000  □BC005000  □AD021000
19 □BC032000  □BC006000  □AD020000
18 □BC033000  □BC007000  □AD019000
17 □BC034000  □BC008000  □AD018000
16 □BC035000  □BC009000  □AD017000
15 □BC036000  □BC010000  □AD016000
14 □BC037000  □BC011000  □AD015000
13 □BC038000  □BC012000  □AD014000
12 □BC039000  □BC013000  □AD013000
11 □BC040000  □BC014000  □AD012000
10 □BC041000  □BC015000  □AD011000 
09 □BC042000  □BC016000  □AD010000 
08 □BC043000  □BC017000  □AD009000 
07 □BC044000  □BC018000  □AD008000 
06 □BC045000  □BC019000  □AD007000 
05 □BC046000  □BC020000  □AD006000 
04 □BC210000  □BC021000  □AD005000 
03 □BC220000  □BC022000  □AD004000 
02 □BC230000  □BC023000  □AD003000 
01 □BC240000  □BC024000  ■AD002000

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□BC000000  □BC000000  □BC000000 
□BC000000  □BC000000  □BC000000 
□BC000000  □BC000000  □BC000000 
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□BC000000  □BC000000  □BC000000 
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□BC000000  □BC000000  □BC000000 

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BC000000010,0000 「スイフト・タットル彗星」が地球に接近。ベツレヘムの星。mappyhappy713
BC000000054,0000 ケーザル,ブリタニア再征
BC0000000700000,0000 ある学説によれば前回のポールシフトは約70万年前,
BC000000100,0000 BC2世紀~AD1世紀頃に生まれたユダヤ教やキリスト教の黙示文学。
BC000000100,0000 終末論(アセンション)は,ユダヤ教やキリスト教の黙示文学で成り立っている。
BC000000150,0000 BC2世紀に黄道十二宮が整備されたときは「おひつじ座」に春分点があった。
BC000000166,0000 紀元前166~164年頃が,ダニエル黙示的部分の書かれた大体の年代。tatsujin
BC000000233,0000 夏至の日の正午に深い井戸の底まで太陽の光が届く エラトステネス,アスワンにて
BC000000300,0318 BC300年03月18日01時42分~,火星山羊座 fortunecafe-ceres
BC000000300,0905 09月05日18時35分~,火星乙女座
BC000000300,1023 BC300年10月23日03時31分~,火星天秤座 fortunecafe-ceres
BC000000300,1209 BC300年12月09日17時58分~,火星蠍座 fortunecafe-ceres
BC000000457,0000 2300日のタイムラインはBC457に始まり1844年10月22日に終了。tatsujin
BC000000550,0000 バビロン。BC6世紀。
BC000000550,0000 メディア帝国滅亡(BC835以前~BC550年)。 
BC000000550,0000 紀元前6世紀~4世紀,ケルト族の一派,牧畜生活を営む好戦的種族がイングランドやアイルランドに渡る
BC000000600,0000 紀元前6世紀 古代ギリシャ時代の自然哲学者たちの活躍
BC000000650,0000 神武天皇。東征で九州から大和地方へと勢力を伸ばしていった。
BC000000660,0200 神武天皇。西暦紀元前660年2月大和を平定。
BC000000660,0211 神武天皇。橿原の宮で初代・神武天皇として即位。
BC000000660,0211 神武天皇。西暦紀元前660年2月11日に橿原の宮で即位。
BC000000835,0000 メディア帝国(BC835以前~BC550年)。
BC000000900,0000 BC900年頃~600年頃,周王朝成立。
BC000000950,0000 BC十世紀頃。ヤハウイストの生きていた時代と推定される。tatsujin
BC000000950,0000 ティグリス川上流の二ムロデやコルサバードでジグラドが発掘,新築・再興。
BC000001000,0000 3000年ほど前,ジブラルタル海峡の彼方の大西洋に,一大文明国があった。
BC000001000,0321 紀元前1000年の位置では牡羊座が春分点,
BC000001000,0921 紀元前1000年の位置では天秤座が秋分点,
BC000001150,0000 カッシート王国(BC1530~BC1150年)。
BC000001190,0000 ヒッタイト帝国滅亡(BC1900~BC1190年)。
BC000001530,0000 カッシート王国(BC1530~BC1150年)。独自の王国をつくらずバビロン(現イラク)に定住。
BC000001700,0000 ミタンニ帝国建国(BC1700~BC1270年)。
BC000001700,0000 ミタンニ帝国滅亡(BC1700~BC1270年)。
BC000001800,0000 BC1600年頃クノックスで描かれたイルカと思われる(魚)の壁画。次の魚座の時代を暗示。
BC000001800,0000 オシリス神の偶像。BC1800年ごろエジプトで作られた。
BC000001900,0000 ヒッタイト帝国(BC1900~BC1190年)。ミタンニ人と同族で主神は太陽神イェスタン。
BC000001930,0000 BC1930ノアの洪水の288年後羊座に彗星(エジプト)。 古天文
BC000001961,0000 ノアは洪水の後,なお350年生きた。創9:28
BC000002000,0000 火星/木星/土星が外惑星であるということはBC2000年代のバビロニアでは知られていた,
BC000002000,0000 紀元前2000年 エジプトで太陽暦,メソポタミアで太陰暦が起こる
BC000002000,0000 紀元前2000年 中国でも独自の星座が誕生
BC000002000,0000 出エジプト。BC2000年代。
BC000002000,0000 水星と金星が内惑星であるということはBC2000年代のバビロニアでは知られていた,
BC000002023,0000 紀元前2023年,メソポタミアに「死の灰」が降り注ぎ,古代シュメール文明滅亡。
BC000002244,0000 シラは30歳になってエベルを生んだ。創11:14
BC000002274,0000 アルパクサデは35歳になってシラを生んだ。創11:12
BC000002309,0000 セムは100歳になって洪水の2年の後にアルパクサデを生んだ。創11:10
BC000002311,0000 2月27日になって,地は全くかわいた。創8:13
BC000002311,0000 ノア601歳の1月1日になって,地の上の水はかれた。創8:13
BC000002311,0000 ノアが箱舟のおおいを取り除いて見ると,土のおもては,かわいていた。創8:13
BC000002312,0000 BC2312ノアの洪水か 古天文
BC000002312,0000 BC2312ノアの洪水か 古天文
BC000002312,0000 さて洪水が地に起った時,ノアは600歳であった。創7:6
BC000002312,0000 ノアの600歳の2月17日,淵の源は破れ40日40夜地に降った。創7:11
BC000002500,0000 約4000年前,春分の夜明けの水平線には牡羊座が輝いていた,象徴論
BC000002500.0000 ギザの大ピラミッドは紀元前2500年頃にクフ王の墓として建てられた,
BC000002700,0000 ラムディア大陸(約86,000年前~27,00年前のインド洋上)。
BC000002800,0000 紀元前2800年 ストーンヘンジ(日食を予言するための古代天文台?イギリス)
BC000003000,0000 5000年前の地下墳墓で,70Hzと114Hzの相互の音響による強い重共鳴周波数の存在が検出
BC000003000,0000 BC3000年 カルディア人が黄道の星のならびに名を付け星座(黄道12星座)誕生
BC000003000,0000 BC3000年 メソポタミア文明(シリウスの観測と雨期の始まり,1年の長さの観測)
BC000003000,0000 BC3000年バグダッドでバッテリー 多数
BC000003000,0000 BC3000年メキシコ アカンバロで恐竜土偶
BC000003500,0000 紀元前3500年頃,上エジプトと下エジプト,二つの統一国家ができる。
BC000004700,1221 エジプトでは冬至を太陽神の誕生として崇拝し祝いました
BC000004700,1221 冬至,太陽神の誕生,イシス(Isis)とオシリスは,太陽神ホルスを処女懐胎
BC000007250,0000 太陽系は銀河系の乙女座のエリアに入宮,銀河系の6月で夏の入口,
BC000008000,0000 BC8,000年,古代メソポタミア地方では,人間は常に空の脅威にさらされていた。
BC000010000,0000 BC1万年 ペルー:ナスカの地上絵
BC000010000,0000 アトランティス文明。BC10000年頃第三期崩壊で,全島が沈没。
BC000010000,0000 アトランティス文明最終期の崩壊の時期はBC50700年頃とBC28000年頃とBC10000万年頃
BC000010000,0000 インド最古の文献『リグ・ヴェーダ』(BC10000年頃)。
BC000010000,0000 ゴベクリテペ(Gobekli Tepe)は1990年代に発見された12,000年前の古代寺院。
BC000010000,0000 紀元前10000年頃,古代エジプトの定住が始まる。
BC000010900,0000 地質学的記録によれば,ギザピラミッドの建設時期は12,900年前 InLikeFlint
BC000011000,0000 13000年前ごろ,前回の銀河系の春をむかえた地球で栄えていたアトランチス文明,ムー文明
BC000011000,0000 このころの太陽系は銀河系の射手座エリア。今の太陽系の位置はその頃の位置のちょうど反対側。
BC000011000,0000 ヤンガードリアス期,氷期から間氷期に移行する時の急激な温暖化
BC000011000,0000 ヤンガードリアス期.約10年のあいだに気温が約7.7℃以上下降
BC000011000,0000 ヤンガードリアス期(およそ1万3000年前),最終氷期~後氷期移行時の「寒の戻り」
BC000011000,0000 ヤンガードリアス期(およそ1万3000年前),最終氷期終期
BC000011000,0000 ヤンガードレアス期イベント(the Younger Dryas Impact Event,YD)
BC000011000,0000 紀元前11000年ころ,乙女座の時代から獅子座の時代へ移行,
BC000011000,0000 多くの動物相が消えた世界的破滅イベント/ヤンガードレアス期イベント(YD)がおきたころ
BC000011000,0000 太陽系の位置は銀河系の牡牛座のエリア,獅子座の時代,
BC000012000,0000 恐竜絶滅,
BC000013167,0000 紀元前13167年ころ,天秤座の時代から乙女座の時代へ移行,
BC000013364,0000 紀元前13364年BCごろ第2の太陽の時代始まる,
BC000013500,0000 太陽系は銀河系の射手座のエリアに入宮,銀河系の3月で春の入口,
BC000015300,0000 ムー大陸(約37万年前~15300年前のインドネシア)。
BC000015708,0000 太陽系は銀河系の山羊座のエリアに入宮,銀河系の2月で冬(氷河期),
BC000017916,0000 太陽系は銀河系の水瓶座のエリアに入宮,銀河系の1月で冬(氷河期),
BC000019000,0000 およそ2.1万年前,最終氷期の時に最も氷床が拡大
BC000019000,0000 永久凍土が,ヨーロッパでは現在のハンガリーのセゲドまで,アジアでは北京まで発達していた
BC000019000,0000 海水準がもっとも低下した時代
BC000019000,0000 最寒冷期,パタゴニア氷床がチリ南部,南緯41度付近まで達した
BC000019000,0000 最寒冷期(最終氷期最盛期,Last Glacial Maximum,LGM)
BC000019000,0000 最終氷期の最盛期には,数十万立方kmの大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なった
BC000019000,0000 最終氷期の最盛期には,世界中で海面が約120mも低下
BC000019000,0000 東南アジアでは現在の浅い海が陸地になっており「スンダランド」を形成
BC000019000,0000 東部オーストラリアやブラジルや中国南部では荒涼としたウッドランド(疎開林)が分布
BC000019000,0000 熱帯雨林は大きく縮小し,西アフリカの熱帯雨林は熱帯性大草原に囲まれて「避難するような」状態
BC000020000,0000 20000BCごろ最後の氷河期始まる,Time Cycle
BC000020000,0000 アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され,ここを通って北アメリカに人類が移住した
BC000020000,0000 日本列島およびその周辺では,海岸線の低下によって北海道と樺太,ユーラシア大陸は陸続き
BC000020125,0000 太陽系は銀河系の魚座のエリアに入宮,銀河系の12月で冬(氷河期),
BC000021835,0000 紀元前20125年ころ,水瓶座の時代から山羊座の時代へ移行,
BC000021835,0000 太陽系は銀河系の水瓶座のエリアに入宮,銀河系の11月で冬(氷河期)の入口,
BC000024000,0000 紀元前24000年ころ,魚座の時代から水瓶座の時代へ移行,
BC000028000,0000 アトランティス文明。BC28000年頃第二期崩壊。
BC000028000,0000 アトランティス文明最終期の崩壊の時期はBC50700年頃とBC28000年頃とBC10000万年頃
BC000030000,0000 紀元前30000年頃,西アジア方面から古代エジプト人の祖先が移住。
BC000040000,0000 4万年前から6万年前,最終氷期の湿潤期
BC000040000,0000 4万年前から6万年前,最終氷期の湿潤期,アボリジニが南オーストラリアに移住
BC000050700,0000 アトランティス文明最終期の崩壊の時期はBC50700年頃とBC28000年頃とBC10000万年頃
BC000057000,0000 アトランティス文明。BC57000頃第一期崩壊で大陸が五つに分裂,島となる。  
BC000070000,0000 最終氷期,7万年前~1万年前
BC000070000,0000 太陽系外からの天体接近・通過
BC000070000,0000 約7万年前ピラミッドが,カシオペア人等によってエジプトなどに建造。九鬼文書
BC000370000,0000 ムー大陸(約37万年前~15300年前のインドネシア)。
BC000860000,0000 ラムディア大陸(約86,000年前~27,00年前のインド洋上)。
BC002500000,0000 アトランティス文明は,約250万年前プレアデス星団のアトラス星人が中心となって北大西洋に築いた
BC002500000,0000 約250万年前アトラス星人が中心となって北大西洋にアトランティス文明。
BC005000000,0000 BC50万年カリフォルニア山脈より電気装置金属部品
BC400000000,0000 BC4億年テキサス州で恐竜と人類の同居跡,鉄製ハンマー

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BC5970000000,0000 天使たちは59億7千年前に一度サタン軍に完敗 なわ











□BC000000  □BC000000  □BC000000 
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