歴史情報
ガイアの法則(9)
【人類の文明法則史】
● 第一文明期(約6400年前-4800年前)
○ 東回りスピン=東経45.0度=シュメール文明の中心
高度な建築技術、造船技術、高度な医学(白内障治療も可能)
議院内閣制、正確な暦、高度な天文学(歳差運動さえも)
先立つ文明のない高度な文明ということで古代史最大の謎とされる
○ 西回りスピン=東経67.5度=インダス文明の中心
4500年前に突如として完全計画都市文明が出現にしたことに
かねてより疑問視する声あり、これ以前に高度な文明がなければ
不自然と考えられていた。 近年になり・・・・
モヘンジョダロ遺跡の12m下層から別な大規模な遺跡発見される
● 第二文明期(約4800年前-3200年前)
○ 東回りスピン=東経67.5度=インダス文明の中心
上記に加え、約4000年前からアーリア人が侵入し衰退
○ 西周りスピン=東経45.0度=メソポタミア文明の中心
シュメール文明はアムル人による文明に入れ替わる(バビロン王朝)
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のルーツができる。
アッシリアの支配下に置かれ、この文明も終焉となる。
● 第三文明期(約3200年前-1600年前)
○ 東回りスピン=東経90.0度=ガンジス文明の中心
アーリア人が南下し、ガンジス川流域でインド古来の文明が発展
天竺、仏教、釈迦という高度精神文明
○ 西回りスピン=東経22.5度=ギリシア文明の中心
・395年=ローマ帝国の分裂
・476年=西ローマ帝国の滅亡
● 第四文明期(約1600年前-現在)
○ 東回りスピン=東経112.5度=中国文明の中心(唐)
かつて唐はアジアの大国として、世界最先端の文化を創出する国。
知的水準、技術水準においても世界を席巻する文明だった。
○ 西回りスピン=東経0.0度=アングロサクソン文明
1200年から現代までは、欧米文明の時代となる。
焦点ポイントの東経0.0度はロンドンのグリニッジ天文台である。
1675年当時、世界中の植民地を持ち、世界最大の海運国として
栄えた彼らの中心地を世界のヘソとして位置づけた。
現代の資本主義も彼らの手によるものであり、英国米国の中心民族
であるアングロサクソンの繁栄の証である。
その後、彼らの言語である英語は、世界中に広まった。
MU(ムー)のブログ
http://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-40.html
-------------------------------------------------------------------------
一応ここで、今までの歴史をまとめてみました。それにしてもすごい法則ですよね。
初めて聞いた人は、かなりびっくりされると思います。
ここで、本の冒頭を紹介します。
ロスチャイルド、フリーメーソン、アングロサクソン・・・・
なぜ彼らによる世界が今、揺らぎはじめているのか?
その全ての秘密もここにあった。
抽象論を超えた本物のワンワールドが、今明らかになる。 この世界には一般人が知る学問体系とは、別の知の体系がある。
本書は隠された知の体系に出会った体験記である。
読者は、新たな知の体系の理解に最初は苦しむだろうが 読み進むにつれ、この世界のカラクリに突然目が覚めることになるだろう。
よく日月神示などで「憎むのではなく、抱き参らせよ-」とありますが
つまり、あの阪神淡路、東北の震災は実行役としては確かにユダ金ですが、元々地球の法則、神の計画なのですね。
「神様はなぜそんな残酷なことを・・・」とほとんどの方が思うでしょうが 善と悪は表裏一体です。 死生観も大事になります。
本物の善の生命体になるためには、悪は必要ということです。
亡くなられた方々も無駄な死ということでもありません。
まぁ、この点に関しては個人の死生観によるので控えます。
日本刀を例にしてみます・・・・。
西洋の剣より日本刀は錆びにくく、まばゆいばかりの輝きを放ち、
魔力さえ感じると言われています。
日本刀を作る過程はご存知のように、叩く、冷やすを何回も重ねて
職人さんが精魂込めて作ります。(その前に身を清めます)
日本酒を造る時も同様ですね。(西洋ではしないと思います)
つまり、霊力、魔力のある日本刀を作るためには、 どんな過酷なことにも打ち克たなければ成らないという事ですね。
神様のプログラム、悪に打ち克ってこそ「神国日本再生の民」であり 真の世界平和のために功力しなさい-ということでしょうか。
犠牲になられた方々もきっと天上より見守ってくれているでしょうし 見えない力で応援してくださっていると私は思っています。
ドラマや映画でも、善人ばかりならば面白くありません。
視聴率、興行成績などはやる前から知れてます。 彼らも800年という長きにわたり、悪役を仰せつかりましたが そろそろ舞台からオイトマしなければならない時です。
彼らを憎むのではなく「ご苦労様でした」といえるまでの心境に ならないといけないみたい・・・・
そんな高尚な心境になれるのは、日本でも一握りの人たちでしょう。
ですが、目指すことはできます。 がんばりましょう♪
MU(ムー)のブログ
http://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-40.html
東西文明は800年の壮大な周期で繰り返している。
02008/12/27(土) 午後 3:57
文明800年周期説
恐慌は文明的に検証し、理解することが必要です。
どうやら、西洋から東洋への文明主導権が転換するようです。
この今回の金融危機不況の根本的原因は「西洋から東洋への文明の覇権交代」が影響しているのだと思います。
文明法則史学に則り、東西文明交代期に何が起こりえるのか、どのような心がけでこの時代を迎えるべきかについて、ヨーロッパを例に800年周期の文明波動がどのように現れていたかを実証してみましょう。
ココでは、ヨーロッパを例に取り1600年を1周期とする文明の興亡を描いてみたいと思います。1600年を1文明サイクルとすると、現在知られているヨーロッパ文明はこれまで3文明サイクル、すなわち4800年の興亡の歴史があります。
第1文明サイクルはエーゲ海一帯のクレタ島やギリシャ本土のミケーネを中心に、いわゆるエーゲ文明が繁栄していた時代です。
その栄えた時代が約800年であったことは、高校生が使う教科書にも載っています。
浜島書店刊行の「最新図説世界史」という資料には「クレタ文明の全盛期は紀元前2000年ごろから始まり、クレタはやがてミケーネに移りミケーネ文明が滅びるのが紀元前1200年ごろである」と記載されています。つまり、エーゲ文明の全盛期は約800年間であり、ヨーロッパの第1文明サイクルは紀元前1200年に終わっているのです。
実は、この紀元前1200年ごろに村山節先生が作った年表の上に赤い印が固まって記入されたのです。例えば、シュリーマンが生涯をかけて発掘したトロイ文明もこのときに滅びています。
「トロイの木馬」で知られる有名なトロイ戦争は、東西文明交代期に伴う、民族大移動を含んだ終末戦争だったのです。その悲惨な記憶が余りにも鮮明だったため後に神話として語り継がれてきたのでしょう。
ギリシャの隣りの地域で、同じ時期に滅びた文明で小アジア(現在のトルコ)に栄えたヒッタイト文明があります。ヒッタイトは歴史上初めて鉄器をもたらした文明で小アジアを拠点に一時はメソポタミアにあった古バビロニア王国(現在のイラク)にまで進出した民族でした。
更にヒッタイトからやや遅れて、エジプト新王国も滅んでいます。そのときエジプトも戦乱の暗黒期に入ったのです。ちなみに、文明サイクルとしてはエジプトを含むアフリカはヨーロッパ文明に属します。
エジプトとメソポタミアは地域的にはすぐ隣合わせですが、文明サイクルとしては逆サイクルに属します。
メソポタミアが強い盛りの時には、その勢力がエジプトを支配し、エジプトが強い盛りの時には、メソポタミアを支配するという状況が起こっていました。このサイクルは両地域の長い歴史の中で1度も狂っていません。
何故、紀元前1200年ごろに、西の文明が一斉に滅んだのでしょうか。
最近になって発達した花粉考古学が、その答えの一端を示しています。土中の花粉を調べると当時の植生がわかります。植生がわかると当時の気象の変化もわかるのです。
それによりますと、紀元前1200年ごろを境に、地中海一帯の気候に大変化が起こっていました。この地域に急速な寒冷化が進んでいたのです。その結果、彼らの主食であった大麦や小麦の生産が短期間で大幅に落ち込みました。そして、文明地域の活力は低下し、周辺の文明化されていない民族であるドーリア人も飢えました。
彼らドーリア人が食物を求めて文明地域に大移動し、その武装化難民が流入したことが結果的に繁栄していた先進文明が滅んでいく原因になったのです。気象異変⇒食糧不足⇒民族大移動というサイクルがヨーロッパの第1文明サイクルの先進文明を滅ぼしたのです。
ヨーロッパの第2文明サイクルは、ギリシャ・ローマに文明が花咲いた時代です。エーゲ文明が滅びた後の400年は第2文明サイクルの武力が支配する冬の時代で暗黒の中世期です。
この時代がどれほど悲惨で暗黒な時代だったかは、エーゲ文明時代に盛んに使われていた文字が完全に忘れ去られてしまったことに示されます。なんと、文字は継承されなかったのです。高度文明はあきらかに断絶してしまいました。
ヨーロッパの第2文明サイクルの春の時代は、ギリシャに生まれます。伝説の詩人「ホメロス」が活動したとされる時代です。
最近の研究では「ホメロス」1人の詩人の名前ではなく、多くの詩人たちの作品をホメロスと言う名のもとに集大成したものだということがわかってきました。
後にホメロスと言う名前に統一された彼らの活動は、これまでポリスと呼ばれる各都市にばらばらに暮らしてたギリシャ人が方言の違いはあっても一体なのだという連帯感が急速に高まりました。つまり、文明準備期がこの時代のギリシャでした。
この時代を経てヨーロッパの第2文明サイクルの夏の時代が到来します。主としてギリシャを中心に芸術性豊かな文化が咲き誇ります。文学・哲学・科学などの各分野で卓越した業績が生まれていきます。これはヘレニズム文化と呼ばれています。
今日でも、ヨーロッパの古典文化といえばギリシャ文化です。ギリシャが生んだソクラテス・プラトン・アリストテレスなどの文化的天才の名前は、今でも人類の大きな財産です。
ギリシャ文化を基盤として、それを文化的に受け継ぎつつ発展させ大帝国を築き上げたのがローマ帝国です。ローマ帝国がヨーロッパの第2文明サイクルの秋の文明内容でした。
秋の時代の文化として、政治・思想・宗教などの面でローマ帝国は大きな遺産を残しました。特に宗教面では、世界的宗教までキリスト教を成長させました。
キリストが生まれた時代は、ローマが地中海一帯に覇権を確立した全盛期でした。
ギリシャからローマに続く高調度の夏から秋の時代への移行期でした。まだ大宗教の流行期には早すぎましたので、キリストが生きていた時代には、ほとんど広まりませんでした。かえってローマ帝国から迫害されていました。
キリストが死んで360年経ったころ、ローマ帝国が秋の時代の腐熟期を迎えたときにキリスト教は初めてローマ帝国の国教に採用されたのでした。
ローマ帝国の文明は、紀元後375年ころから活発化した北欧のゲルマン民族の大移動によって衰亡が加速され、西ローマ帝国は紀元後476年に崩壊します。これによってギリシャからローマへと繁栄したヨーロッパの第2文明サイクルに大きな区切りがつきました。
ゲルマン民族を大移動させた原動力も、やはり気象の大異変であり、それによる食糧不足でした。飢えて武装難民化したゲルマン民族が、贅沢のかぎりを謳歌していたローマ帝国内に攻め入り、略奪と殺戮や破壊を繰り返していきました。
いずれにしても、民族の大移動という現象が、文明交代期に現れる大きな現象であることは確かだと思います。ヨーロッパの第2文明サイクル終焉の後、ギリシャからローマへ続いた高度文明の多くは失われました。
この文明の文化的情報は、ほとんど中世ヨーロッパには伝達されませんでした。科学史の研究者として有名な伊藤俊太郎氏は著書「12世紀ルネッサンス」の中で、ギリシャ・ローマ時代に知られていた科学や芸術などの学術的な分野のうち、中世ヨーロッパに伝えられたのはわずかに5%にすぎなかったと指摘しています。
しかし、残りの95%は全て失われたわけではありません。それらの文化情報は東の文明に伝わったのです。イスラム教徒が造りあげたサラセン帝国には、ギリシャとローマの古典が保存され、そのための大きな図書館まで存在したのです。
ヨーロッパの中世、すなわちヨーロッパの第3文明サイクルの冬の時代は、ローマ帝国時代に比べて経済活動は著しく衰退しました。
ローマ帝国の時代には「全ての道はローマに通ず」といわれ、地中海地域全域と北アフリカにわたって経済と文化の交流が、盛んに行われていました。
帝国の領内と植民地の各地にローマ風の都市が造られ、それぞれが数十万から数万人の人口を誇っていました。しかし、其の後の暗黒時代であるヨーロッパの中世期は、戦乱が収まった後は自給自足同然の時代でした。
小さな村社会の中で全ての生活が行われ、目立つ建物と言えば村の中心に建つキリスト教会と、荘園領主の館だけでした。
年貢を多く取られる小作人がほとんどで、文化の香りなど何処にも存在していませんでした。中世最大の王国だったフランク王国の首都アーヘンですら人口は2千~3千人でしかありませんでした。
一方、このころに文明の興隆期を迎えていたアジアは、人口200万人のサラセン帝国の首都バクダッド、人口150万人の唐帝国の首都長安などが国際都市として世界中から多くの人々が住み、隆盛を誇っていたのです。
ヨーロッパの冬は長かったですが、やがて十字軍時代にヨーロッパ文明にもようやく春が巡ってきます。十字軍は名目上は聖地エルサレムの奪還を目的とした聖なる遠征軍であったのです。
だが、実際には繁栄を謳歌しているメソポタミアの西アジアからの略奪が盛んに行われ、十字軍の遠征から帰ってくる全ての船には略奪品で船底が一杯だったといいます。
十字軍をきっかけにヨーロッパとアジアを繋ぐ地中海航路が整備され、このころになってヨーロッパの生活水準が向上し始め、ココでようやく肉食の習慣が生まれました。
その肉を保存し、味付けをするために欠かせない調味料が胡椒でした。アジアでしか生産されない胡椒をヨーロッパに輸入するために地中海航路が必要とされたのです。
この時代にヨーロッパに活力が芽生えてきました。
ヨーロッパでは「12世紀のルネッサンス」と呼ばれていますが、後の本格的なルネッサンス全盛期に先駆けて、爛熟期を迎えていたアジア文明の高度な情報や富が集積し始めます。
ヨーロッパの最古の大学と呼ばれるオックスフォード大学・ケンブリッジ大学・パリ大学・ボローニャ大学などは、全てこのルネッサンス時代に誕生しています。
800年周期からすると遅い目覚めでしたが、ヨーロッパの第3文明サイクル春の時代がやっと始まったのです。このタイムラグはゲルマン民族の侵略と破壊活動がそれだけ激しく、ギリシャ・ローマ文明が受けた打撃の大きかったからでしょう。
12世紀のルネッサンスを基盤として14世紀から15世紀にかけて本物のルネッサンスがイタリアを中心に花が咲きます。西の文明の夏の時代が到来します。ルネッサンスに引き続いて15世紀~16世紀にかけて「大航海時代」が始まります。
北イタリアの都市国家からルネッサンスが起こり、
それを発展させ広める形で、スペイン・ポルトガルが大航海に乗り出し、そしてオランダ・フランス・イギリスとヨーロッパに強力な国家が形成され、それらの国が世界中に艦隊を送りました。ヨーロッパによる世界支配の時代が始まりました。
今回のヨーロッパ文明の晩秋の時代には、およそ世の中で価値のあるもの全てがヨーロッパに源があるという極限の状態にまで達しました。世界中がヨーロッパ化されたといってもよいかもしれません。
続く…http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/56375076.html
徒然ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/56363877.html