2020年4月2日木曜日
国立予防衛生研究所(予研),伝染病研究所(伝研)の歴史~民間施設から軍施設になった経緯
syokunin-2008: 国立予防衛生研究所(予研),伝染病研究所(伝研)の歴史~民間施設から軍施設になった経緯
「デマを流すな」というデマ (^_^;)
2020年04月01日 | SARS-CoV-2と情報戦
■日本における新型コロナウイルスの感染拡大
WHOが,アジアとオセアニアでの新型コロナウイルスの再流行を警告 4月 01, 2020 05:22 Asia/Tokyo Pars Today
WHO世界保健機関は,アジアとオセアニアでの新型コロナウイルスの再流行に関して警告しました。
イルナー通信によりますと,WHO太平洋地域事務局の葛西健局長は31日火曜,アジア諸国,特に新型コロナウイルスへの感染者が減少している国々に対し,このウイルスがこれらの諸国で再流行する可能性が非常に大きいため,過小評価しないよう警告しました。
葛西局長は,新型コロナウイルスの蔓延抑制に向けたこれらの国々の措置は,これらの諸国にこの致命的なウイルスの広範囲にわたる伝染に対処するための準備時間を与えるだけであると強調しました。
「脳内の悪夢や妄想」が,唐突に現実化する「恐怖の世界」
4月1日のエイプリルフール前日の3月31日のテレビニュースでは「デマに惑わされるな」(デマを流すな)と繰り返し強調されていたのです。
ところが,もし2カ月前に「4月1日にはニューヨークやロンドンが都市封鎖(集会や外出禁止)。日本も全学休校,外出自粛でアメリカやEUなど主要国との出入国を遮断。7月開催の東京オリンピックも延期」「90年前の世界大恐慌に匹敵する株価大暴落で世界も日本も青息吐息。経済崩壊寸前」と主張したら馬鹿馬鹿しいデマ(妄想,悪夢)だと笑われるだけ。
ところが日本でも世界でも,デマや妄想,悪夢の類が全部現実化。リアルな現実とバーチャルな空想世界とが合体していた無茶苦茶。ほぼ荒唐無稽な筒井康隆の「パプリカ」(脳内の悪夢が現実世界になだれ込んで実体化する)SF世界と同じなのである。
世界に先駆けて(誰よりも早く)中国武漢からアメリカ領事館職員や家族を脱出させた米チャーター機
視点,専門家の見解からー「新型コロナウイルスが,対中生物学的戦争か」1月 30, 2020 22:04 Asia/Tokyo Pars Today
マレーシア首相の特別補佐を歴任したマティアス・チャン氏が,「人工的に製造されたの新型コロナウイルスは,中国に対するアメリカの生物学戦争に等しい」と語りました。
マティアス・チャン氏は,マレーシア・クアラルンプールでIRIB通信との電話インタビューに,「研究所で製造されたコロナウイルスは,中国に対するアメリカの生物学戦争の手段に等しい」と述べています。
また,昨年10月に中国・武漢市にアメリカ軍300人が軍事計画への参加を目的に滞在していた事にも触れ,「この出来事からちょうど2週間後にあたる,昨年11月に武漢市で最初の新型コロナウイルスへの感染例が報告された」としました。
さらに,「この2週間という期間は,学術的な発見によればこのウイルスの潜伏期間に相当する」とし,「60の国際便,100の国内便,国内最大の特急列車網を備えた交通の要所である武漢市での感染例の報告から2ヶ月後,そしてちょうど中国の新年の前夜に,危険なウイルスの発生が発表された」と語っています。
そして,「新型コロナウイルスの蔓延は,アメリカの支持を受けた香港での民主主義支持者による暴動,および米中通商戦争の激化の時期とちょうど重なっており,またこの時期は豚インフルエンザや鳥インフルエンザによる経済損失が回復してきた時期にもあたり,現在では新型コロナウイルスという新しい形で中国を襲っている」と述べました。
チャン氏はまた,アメリカとの通商戦争を理由とした中国経済の没落,というタイトルでの報告の一部に,アメリカCNNが最近満足感を示している事に触れ,「このウイルスの蔓延は,中国に対抗する手段としてアメリカが必要としていたものだった」としています。
アメリカは,1940年代にもグアテマラで梅毒や淋病を,また2014年にはアフリカ・シエラレオネでエボラウイルスを,キューバではデング熱を多数の人々に意図的に感染させるなど,生物テロ手段の行使に関しても長い経歴を有しています。
1月30日Pars Today(全文掲載)
注,
イランの国営通信社ParsTodayは早い段階からSARS2についてアメリカ軍の細菌兵器説を報道していたが,もちろん欧米リベラルメディアや日本のマスコミが「荒唐無稽なデマ」と無視した。それから2カ月後,筒井康隆のSF小説「パプリカ」のように脳内の妄想(悪夢)が実体化して現実世界になだれ込んだらしいのである。(デマと真実,バーチャルとリアルが入り乱れて世界がぐじゃぐじゃ。まさに悪夢である)
同僚の教諭に激辛カレーを無理やり食べさせられる男性教諭
少し前にマスコミでは神戸市の教員間の「いじめ問題」が大真面目に論じられていた。ところが,内容的にほぼ同じことを公共物であるテレビ電波で全国放送されて日本人全員が喜んでいたのです。(★注,テレビのお笑い番組のほとんどが単なるイジメ。なぜみんなが仲良く笑えるのか。私には理由がさっぱり分からない)
今回のSARS2の感染で元ドリフターズの志村けんさんが死亡するが「誰からも愛された不世出の芸人」と最大級の賛辞がおくられているが,同じことをした神戸市の教員は懲戒免職である。(もし神戸市の懲戒免職が正しいなら,沢尻エリカが出演した番組を放送禁止にしたのと同じで,低俗お笑い番組も放送禁止にするべきである)
吉本新喜劇や志村けんを称賛する一方で,同じことをした(素人が真似た)ら罰するなどダブルスタンダードにしても酷過ぎる。
近ごろ都に流行るもの
「デマを流すな」というデマや,「陰謀論は認めない」という陰謀論。「いじめは許さない」というイジメまで世の中には不可解なものが多いが,小学生低学年定番の「アホ言うものがアホ」が大正解なのである。(★注,ただし,いくら正しくとも理論上これを言い出すと無限ループに陥り抜け出せなくなる)
■当時の日本医学会の最高峰を集めて編成された731部隊
帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ「専門家会議」2020年3月5日掲載デイリー新潮
日本医師会,日本感染症学会,公益を代表する弁護士などを除くと,残る9人中8人が国立感染症研究所(感染研),東京大学医科学研究所(医科研),国立国際医療研究センター,慈恵医大の4施設関係者
4組織と無関係なのは押谷仁・東北大学教授だけ。珍しいことに委員の中に東京大学医学部出身者がいない。政府の医療の専門家会議で,東大医学部卒が皆無なのは極めて珍しい。
「731部隊」関係者「感染研」
なぜ,このようなグループが仕切るのだろうか。背景には,歴史的な経緯,特に帝国陸海軍が関係する。
感染研の前身は,戦後の1947年に設立された「国立予防衛生研究所」(予研),予研は戦後,GHQ(連合国軍総司令部)の指示により,「伝染病研究所」(伝研)から分離・独立した。伝研は現在の医科研だ。戦前,伝研を支えたのは陸軍だった。伝研は,1892(明治25)年に北里柴三郎が立ち上げた民間の研究機関だ。1899(明治32)年に内務省所管の「国立伝染病研究所」となり,1906(明治39)年に現在の白金台に移転する。伝研の性格を変えたのは,1914(大正3)年の「伝研騒動」で内務省から文部省(当時)が統括する東京帝国大学に移管される。
日本医師会の前身である東京医会や大日本医会のまとめ役の北里は退職し,職員も従った。困った東大が頼ったのが,当時,陸軍医務局長だった森鴎外。軍医を派遣して伝研を支え,伝研は陸軍との関係を深めていく。戦後,分離された感染研の幹部には,陸軍防疫部隊(関東軍防疫給水部=731部隊)の関係者が名を連ねた
軍医療機関と国立病院の関係
医療センターの前身は新宿区戸山に位置することから想像できるが陸軍施設だ。1868(明治元)年に設置された「兵隊假病院」に始まり,1936(昭和11)年には「東京第一陸軍病院」と改称された帝国陸軍の中核病院だ。
敗戦で帝国陸軍が解体されると,厚生省に移管され,「国立東京第一病院」に名称が変わった。そして1993年に「国立国際医療センター」となり,2010年に独立法人化され,現在に至る。
医療センターに限らず,多くの国立病院の前身は陸海軍の医療機関だ。たとえば,「国立がん研究センター」の前身は「海軍軍医学校」で,1908(明治41)年に港区芝から中央区築地に移転した。現在の国立がん研究センターの場所だ。
敗戦で名称だけ変更
陸軍省,海軍省は1945年11月30日廃止,それぞれ第一第二復員省となる。両者は1946年6月に復員庁として統合後,1947年10月に厚生省に移管した。
(注,マザーテレサやシュバイツァー博士,ナイチンゲールなどの例を見れば明らかだが欧米一神教世界の場合,医療や看護は宗教世界と密接に結びついて発展している。そもそも歴史的にキリスト教の布教活動は都市部の疫病蔓延と関連していたのである。
ところが,日本の近代医療は軍事技術の一部門として発展したので,今の厚労省は元々が陸,海軍省なのである。このことが原因して今でも厚労省が靖国神社の祭神を決めている憲法20条の信教の自由や政教分離の大原則に真っ向から違反する不思議とは,この歴史的出自に由来していた。厚労省の歴史を知れば少しも不思議では無かったのである)
「居抜き」物件。日本軍の優良医療施設を確保したGHQ
占領軍が先ず手をつけたのは,陸海軍が保有する医療機関の厚生省への移管だった。
この際,全国146の軍施設が国立病院,国立療養所となったが,注目すべきは,建物も職員も従来のままで診療が継続されたことだ。つまり,病院自体の組織は陸海軍のままで,名称が軍病院から国立病院に変更されただけ。
この影響が現在も残っている。感染症対策も例外ではない。(注,上昌弘は日本のPCR検査を牛耳る「感染研」は臨床医ではないので患者の治療より,研究に役立つデータ収集を優先している研究機関だと指摘している。そもそも感染研はPCR検査の大規模実施はやりたくない。今のようにサボるのは当然だったのである)
慈恵医大につながる薩摩の「海軍人脈」
1881(明治14)年「成医会講習所」が1903(明治36)年の専門学校令を受け日本初の私立医学専門学校「東京慈恵医院医学専門学校」となる。「慈恵」と名付けたのは明治天皇の皇后の昭憲皇太后。現在も慈恵会総裁に皇族が就任(現在の総裁は三笠宮家の寬仁親王妃信子殿下)。薩摩とつながる海軍との関係で明治期の海軍軍医総監の大部分は成医会講習所(慈恵医大)の関係者だ。
(抜粋)
上昌弘医療ガバナンス研究所理事長
逝きし世の面影
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/2fd887fd1fb54494cfee7f248658ba2b
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/0a903c714cc4de4e50a7bda9da584594
https://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/
18680000 1868(明治1)年,兵隊假病院設置,帝国陸軍の中核病院 syokunin-2008
18920000 1892(明治25)年,伝染病研究所(伝研)設立,北里柴三郎が立ち上げた民間の研究機関
18990000 1899(明治32)年,民間の伝染病研究所>>内務省所管の国立伝染病研究所へ昇格,国家機関へ
19060000 1906(明治39)年,国立伝染病研究所,現在の白金台に移転 syokunin-2008
19080000 海軍軍医学校,1908(明治41)年に港区芝から中央区築地に移転>>後に国立がん研究センターへ
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,指導役は北里から陸軍医務局長森鴎外へ syokunin-2008
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,伝研の性格を変えた syokunin-2008
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,東京医会(日本医師会)や大日本医会のまとめ役の北里は退職,職員も従った
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,内務省から文部省(当時)が統括する東京帝国大学に移管
19140000 1914(大正3)年,伝研騒動,民間の北里退職>>陸軍医森鴎外指導へ>>伝研は陸軍との関係を深めていく
19181000 スペインかぜ: 1918年から19年に流行し,全世界で5000万人が死亡したとされる「スペインかぜ」とほぼ同じ致死率
19300000 戦前,伝染病研究所(伝研)を支えたのは陸軍だった syokunin-2008
19360000 1936(昭和11))年,兵隊假病院>>東京第一陸軍病院と改称,帝国陸軍の中核病院
19360000 日本の近代医療は軍事技術の一部門として発展した syokunin-2008
19400000 731部隊:「731部隊」関係者「感染研」
19400000 731部隊:2020年コロナ肺炎で帝国陸海軍の「亡霊」が支配する新型コロナ専門家会議
19450000 敗戦で帝国陸軍解体>>東京第一陸軍病院は厚生省に移管>>国立東京第一病院と改称
19451130 敗戦後処理:陸軍省,海軍省は1945年11月30日廃止,それぞれ第一第二復員省となる
19460600 敗戦後処理:「居抜き」物件。日本軍の優良医療施設を確保したGHQ syokunin-2008
19460600 敗戦後処理:注目すべきは,建物も職員も従来の陸,海軍省のままで診療が継続された syokunin-2008
19460600 敗戦後処理:日本の近代医療は軍事技術の一部門として発展>>今の厚労省は元々が陸,海軍省 syokunin-2008
19460600 敗戦後処理:病院自体の組織は陸海軍のままで,名称が軍病院から国立病院に変更されただけ syokunin-2008
19460600 敗戦後処理:米国占領軍は陸海軍が保有する医療機関の厚生省へ移管>>全国146の軍施設が国立病院,国立療養所へ
19460600 敗戦後処理:陸軍省,海軍省はは1946年6月に復員庁として統合後,1947年10月に厚生省に移管
19471000 国立予防衛生研究所(予研),戦後,GHQ(連合国軍総司令部)の指示により設立
19471000 国立予防衛生研究所(予研),伝染病研究所(伝研)から分離・独立
19471000 戦後の1947年に国立予防衛生研究所(予研)設立,感染研の前身
19500000 戦後,分離された感染研の幹部には,陸軍防疫部隊(関東軍防疫給水部=731部隊)の関係者が名を連ねた
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20100000 国立国際医療センター,2010年に独立法人化
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